お話100 優柔不断の自業自得
雨の音がする。小雨のようだが、現時点でそれを確認することはできない。
ボロ家の奥の六畳間に敷かれた布団のなかで、身じろぎする可愛い生き物の存在が行動を制限させていた。
規則正しく寝息を立てる長い黒髪が麗しい美人さんに抱きつかれたまま、朝になろうとしている。
俺は天井を見上げたまま昨夜からほとんど寝ていない。
うるうたん、うーこちゃん、ゴリさんは自分のものだと宣言してから一夜を経て今まで、心の会議は紛糾したままだ。
彼女たちと距離を置こうとしていたこと、一途も得ずという最後を覚悟していたことから一転しての3股展開に自業自得のパニック状態だ。
嬉しい悲鳴というべきだが、問題は山積みになっている。
とりあえず解散になって帰ってもらった一慎やコーメー君にこのふざけた関係を認めてもらわなければならないし、これからの具体的な話し合いも必要だ。
ゴリさんに夢中な平良や、うーこちゃんに執着する関西弁にどう伝えたらいいものか。
考えすぎて知恵熱が出そうになる。すやすやとおねむ中のうるうたんの背中をぽんぽんしながらあれこれ悩みつつも、すでに外は明るくなっていた。
もしかせずとも今からの立ち位置のほうが大事になるであろうことは実感している。
起床時間になってうるうたんのおはようのキスで我にかえるまで、それは続いた。
うるうたんとともに婆ちゃん家へ顔を出し、お世話になりっぱなしの長老に拳骨覚悟の報告をする。
彼女がお弁当を作っている間に、3人の女の子と付き合う意向を伝えてみたところ、婆ちゃんはそうかい、と拳骨を放ってきた。
予想通りだ。しかし何故か大笑して殴ってきた。
「誰も傷つけず生きていくことなんぞは不可能じゃい。若い間にそういうのは経験しとくとええ。そのうちあの子らから三行半をつきつけられるだろうよ。お前が甲斐性なしだって理解すればな!」
束の間の栄華だとばかりに何度かはたかれた。無論誰よりもそれは承知している。
いくらかの躊躇を覚えつつも、たらしで変人で変態とはっきり自覚した以上、現状もその行く末も開き直りのなかで飲み込むことにした。
「うるちゃんはわしの孫も同様だ。半端な男に孫はやらんぞ」
エプロン姿が反則的に可愛い、制服のうるうたんを引き寄せて歯をむく婆ちゃんに、彼女は笑顔で俺は意気込んだ返事で応えた。
広い食堂に、久しぶりの明るい笑い声が響いた。
作りたての弁当を受け取って一緒に家の外へ。
石畳の階段を下りたそこには、ショートボブでブラウンの髪の小さい子と、ポニーテールの色っぽい眼鏡っ子が待機していた。
ブレザーとチェックスカート姿の女の子たちに囲まれてそれぞれ挨拶を交わす。
小雨のなか、傘をさしながら初めてといっていい4人での登校になった。
「キューちゃん寝不足?」
「だねえ」
目の下のクマを目ざとく見つけてきたうーこちゃんへ苦笑い。
手をつないで隣に歩くうるうたんはほくほく顔だ。
久しぶりに熟睡したよ、とゴリさんに話していた。
「あたしも寝てないんだ、高明の泣きべそに朝まで付き添ってたからね!」
「うちも中立くんとメールとかで遅くまで話してたから、あまり寝てないんよ」
「なんだ、君たちはさっそく浮気か?」
ガールズトークが始まった。慰めで徹夜になったのは誰のせいかという論争のなか、声も表情も皆明るい。
学校に着くや否や校庭でゲジ眉や関西弁に捕まって事態の説明を要求されたものの、当然理解されることもなく怨念の威嚇と言葉の煽りを受けて教室に退散した。
いずれも劣らぬ美人たちとの登校は注目の的にされていたらしく、クラスメイトのつんつんやもっさりからの質問攻勢が激しかったがこれもスルー。
昼休みになってからも噂が止むことはなかった。
八方が本格的に3人の子たちと付き合いだしたという話の出所は、無論平良と関西弁だろう。
同好会部室に避難した俺と彼女たちを追って、口の軽い男たちが慌しく入室してくる。それに続いて長身の男前も姿をあらわした。
「結構な騒ぎになってるな。落ち着いて弁当くらってる場合か」
一慎がねぼけ眼で椅子を引いた。
ゴリさんに慰められていたであろう悪友も、今日は確実に寝不足だろう。
相性の良さそうな相手の眼鏡っ子にお礼の言葉を述べていた。
「そうやで! だいたいたらし先輩この美人さんたち諦めたんじゃなかったんかい。少し見ない間に話が一転しとるやないか」
意気込んで俺に詰め寄る関西弁こと羽場圭。
わしもあーんやで明ちゃん、と誘いを向けるも一顧だにされず流されていた。
「こんな八方美人な男で本当にいいのかと百回ほど問い詰めたい。真昼ちゃん本気か?」
若干青ざめた面持ちで歯をくいしばりながら佇む平良宗太郎。
それに対してゴリさんはポニーテールを揺らして頷いた。
「百回聞かれたらそれだけ同じ答えを返すんよ? だってやる気でるじゃん、一歩前進したんだから。うち八べえの彼女から八べえのお嫁さんになるんだもん」
それを聞いてゲジ眉はため息を吐き出した。
何か言いかけようとして、うるうたんとうーこちゃんと言い争い始めたゴリさんの本気の剣幕に気力なく苦笑する。
そんな女の子たちを見守って、一慎が慣れた仕草で肩をすくめていた。
「誰かひとりは選べよ? 今度はお前が選ぶ番だ。彼女たちじゃなく、お前が決めるんだ」
「ああ」
「……そして今すぐもげて禿げろ。それだけてめえは罪深い」
テーブルの下から蹴りがきた。
正統な怒りの矛先に自分としては受け止めるしかない。
奴の一撃は寝不足のせいもあってか、さらに攻撃力を増していた。
「もげては困るな。私はこれ以外に抱かれる予定はないんだから」
うるうたんの言葉に男たちが固まる。そして3方向から打撃が放たれた。
うーこちゃんとゴリさんも異口同音に賛同する。
青あざができるほどの暴力に耐えた昼休みだった。
雨上がりの放課後、うーこちゃんの部活終わりを待って皆で下校する。
関西弁とゲジ眉が諦めず随行するのを見て、一慎もついて来た。
堤防河川敷に無造作ヘアのハンサムを待たせているとのうーこちゃんの言葉に、悪友は何か心するものがあったようだ。神妙な面持ちだった。
女の子3人、男4人の集団になるとさすがに賑やかな帰路になる。
同校生がちらほら見かける河川敷通路を収拾がつかない会話形式で進んでいくと、散った桜の木の近くで待っていた問答無用の美男子の姿を発見した。
うるうたんが先に進んで彼に声をかける。
コーメー君は寝不足気味の赤い目を細くして手を上げていた。
騒がしい面々が揃っているにもかかわらず、うるうたんとコーメー君の間にある空気を察して全員が押し黙った。一慎もその近くに足を進めている。
その他の連中は少し距離を置いていた。
「一慎と高明に、まずは謝らなければならない。ごめんなさい」
うるうたんがしばしの沈黙の後、悪友とコーメー君に向かって深く頭を下げた。
ふたりの男前は痛ましそうに、意中の相手の長く美しい黒髪を見つめていた。
「君たちの好意を弄んだ。不用意に隙を見せて誘ったも同然だ。私の移り気のせいでさんざん振り回してしまった」
風の音が鳴いた気がする。生ぬるい風だ。
口幅ったい関西弁も、一見豪胆な平良も人事でないような生真面目な様子だった。
左右からうーこちゃんとゴリさんが俺の手を握ってくる。
思わず強く握り返した。
「許しを請うことは、君たちをさらに侮辱することになるのだろうか……だが私には謝ることしか思い浮かばない」
「……俺は」
風にそよぐコーメー君の無造作ヘア。相変わらずいい男だ。
彼といい一慎といい、見るたびに劣等感を刺激される。
「強引にうるうちゃんと八方を引き離した。中立との関係を壊したのもそうだ」
何か言いかけるうるうたんを制して、コーメー君が言葉を続けた。
「卯子の昨日の台詞」
ショートボブの小さい子が少し跳ねた動作をした。
いつも明るく微笑ましい彼女に、コーメー君の表情は自然と穏やかになっている。
「言い訳も見返りも誰のせいにもしない、だっけ」
「うん」
見詰め合う幼馴染。座右の銘だねーとゴリさんが感想を口にするも、やはり俺の正体は単純明快なのだ。ただの変態だ。
「そんな男になれてたら、俺もうるうちゃんの心に少しは食い込めたかな」
「食い込んでたじゃん高明」
うーこちゃんは青白い顔の幼馴染に笑いかけた。
悪友がそんな言葉に強く反応して頷いている。
「たぶん他のどんな男より、中立くん以上に虜にしてたんじゃない?」
何気ない自分の問いかけに予想以上の返答をくらったコーメー君が、あからさまな動揺を見せてうるうたんを見返した。
何度も頷く一慎同様、彼らの意中の相手はしっかり首を縦に振っている。
「八方九介っていう変人がいなければね」
ゴリさんが言葉の先を紡いだ。
濃い顔の平良がふんと鼻をならした。
「多聞先輩も明春さんもうちも、この人がいたから他の男の子に好いてもらえるんだと思うよ」
「うん」
うるうたんの肯定の声とともに一斉に集まる俺への視線。
きついものから優しいものまで、その種類は様々だ。
「うちは八べえがいなかったらうちじゃないもの」
「あたしはもうずっと前からキューちゃん一筋だよ!」
ゴリさんの誇らしい仁王立ちとうーこちゃんの得意顔を受けて、黒髪の麗しい美人さんはばつが悪そうに苦笑いをしていた。
「この天然たらしがいるから多聞ちゃんは凛々しくいい女で、ゴリさんは化けたものな」
「あたしはー?」
悪友が感慨深げに口ずさむも、うーこちゃんの問いかけに対しては当然の認識と言いたげに返答していた。腕を組みながらだ。
「明春さんは最初から明るくていい子じゃないか」
「なんだかモヤモヤする!」
うーこちゃんの明るい突っ込みで一同が揃って微笑した。
いつもこの子が場面を和やかに穏やかにしている。
それだけは誰もが実感したことだろう。
「こいつがいるから彼女たちはいい女で、こいつがいるから彼女たちは自分のものにはできない。理解したところで納得はできねえんだけどな。皮肉が利きすぎだ」
「……なるほど」
空を見上げた一慎に呼応するように、コーメー君も嘆息して俯いた後すぐ呟いた。
「それでも多聞うるうが大好きだ」
「俺も好きだよバカ野郎」
男前ふたりの万感こもった独白に、うるうたんは整った顔をやるせなく歪ませていた。それに気付いた一慎が意図的に悪ぶった表情を浮かべ、俺を小突きだす。
「誰から見たっていい女である彼女が、こんな変態と一緒にいないとだめだって理不尽すぎるだろ」
「明ちゃんもやろ」
「真昼ちゃんもな」
悪友に同意するように関西弁と平良も重ねがけた。
ちなみに彼らから両足を踏まれている。だが今は耐える。
「一慎、高明。あらためて済まなかったと謝る」
幾度のためらいの後、うるうたんが意を決して口を開いた。
「八方九介は私の終生の男で、私はこれだけのもので……だからもう、他の誰とも向き合うことはできない」
ごめん……ごめんなさい。
何度も発する謝罪の言葉を、ふたりの男前は俯いて聞いていた。
すすり上げる音が聞こえる。
コーメー君が静かに泣いていた。一慎も涙ぐんでいた。
次の瞬間、俺の体は後方へふっとんだ。
頬に一撃を放ってきた相手へ尻餅をつきながら見上げる。
それはハンサムたちではなく、ゲジ眉の濃い顔立ちの男だった。
「なんとか言ったらどうやたらし先輩。美人さんだけが悪いんと違うやろ。はっきりせんあんたが一番の原因や」
今度は関西弁の後輩に胸倉をとられ、強引に引き上げられる。
もはや鉄拳を振るう気力のないふたりのハンサムの代弁だろう。
確かに一慎とコーメー君に正面切って宣言しておく必要はある。
痛む頬を気にしつつ、口を開いた。
「うるうたんは俺の――」
うーこちゃんとゴリさんの自薦の身振り手振りで、付け足して言い直した。
「この3人は俺の」
「おーい、コイチローじゃねえか!」
聞き及びのある男前のしゃきしゃき声。
河川敷にいる俺たちの上方向に、舗装された車道がある。
そこから女の子にしては大柄で大きい声のナイスなバディが姿をあらわした。
そんな親友が石畳の階段を下りてこちらに向かってくる。
セーラー服の花子が満面の笑みで手を振って、駆け足で近づいてきた。
うるうたんの黒髪が揺れる。うーこちゃんのショートボブの髪が跳ねる。ゴリさんのポニーテールが左右にブレた。
男どもの怪訝な表情が確認できる。
静かに、ゆっくりと歩み寄る可愛い生き物たちも同様だ。
振り返ろうか、それともスルーしようか。
コイチローと呼ばわる大柄な女の子は、確実に俺に接近しつつある。
人違いで済まされない。
両手を広げて飛びついてこようとする相手の動きが、恐ろしいほどスローに映し出されたのは現実逃避だろうか。
この先に起こるであろう事象について考えることを拒否したい。
優柔不断の自業自得は、まだまだ先がありそうだ。




