第七話 デートと絶望。
「いっくん~! こっちよ~!」
「葵さ~ん!」
キラキラである。
両手にソフトクリームを持って走るその姿はキラキラである。
手を振る好きな人に向かって走るその姿はキラキラである。
つまり俺は輝いている。
急な葵さんからのデートの誘い、二言返事でそれを受けて絶賛浮かれ中である。
「美味しい、いっくんに選んでもらって正解ね~」
「そ、それはどうも。今日は本当に誘って頂き、ありがとうございます」
「それ、何度も言い過ぎよいっくん」
美味しそうに抹茶味のソフトクリームを食べる姿を見て、自然と顔が綻ぶ。
ここはイマジンランド。恋人同士なら一度は行くと評判の遊園地である。
この幻想世界にはあらゆる乗り物があり、それを動かしているのは全て乗り物に宿る妖精。原動力は魔法を利用している。
「じゃあ次はあれね~!」
「あ、あの葵さん! あっちにもう少し優しげな乗り物が」
「行くわよいっくん~」
「ああ、話を聞いてください……」
後ろ襟を掴まれてズルズルと引きずられる。
落ち込んでいたのも忘れて、のこのこ付いてきた、までは良かった。
しかし、さっきから葵さんがチョイスするのは絶叫系と呼ばれるハードな乗り物ばかり、物凄いスピードと回転で三半規管はもう悲鳴を上げている。
「ひゃほ~~~~!」
「うわぁああああああ!?」
次に乗ったのはバウンドボール。数珠繋ぎになった個々の弾力のある透明な玉の中の、円柱にくり貫かれたスペースに、二人一組でぎゅうぎゅうに詰め込まれ、体を正面から抱き締め合う様にして準備が完了。
この状態であれば、当てる気が無くとも柔らかい物が胸板に押し当てられてくる。
しかし、その感触に照れる暇もなく、紐無しバンジージャンプよろしく上空から料理のボールのような器に落とされる。
落とされた数珠状の無数の玉は、ボールに当たった瞬間に個々に弾け飛び、ボールの中を縦横無尽に転がり回るのである。
「うっ……ぎもじわるい!」
葵さんの体が密着しているというのに、その柔らかいであろう感触を感じる暇もなく、本日六回目となるトイレに駆け込む。デート中と考えれば最悪の光景である。
「葵さんまじで強い。色んな意味で」
とっくに胃は空っぽである。出る筈もない物を出した気分になり、手を洗って鏡を見る。
鏡に映るその顔は酷い。目元は睡眠不足で黒ずみ、何日もろくに食べていないので頬が痩せこけてしまっている。
格好良い健康的な顔とは程遠い、病的な顔である。
(人を殺したのねいっくん)
「……やっぱり聞かないと駄目だよな」
今朝言われたことを思い出す。
葵さんなりに気分転換をさせてくれているのは分かっているが、やはり俺の事をどう思っているのか、はっきり確認したい。
パンッと顔を両手で叩いて気合を入れ、トイレから出る。
「大丈夫? ごめんなさいね。ああいう乗り物苦手だって気がつかなくて……」
「あ、いいんですよ。結構楽しかったです。(そうだ)……色々触れましたからね」
「色々? それは胸とかかしら~?」
「胸とかお尻とかです!」
「わたし、エッチなのは素敵だと思うのよ。男の子ね~」
(あれ!? 少し恥ずかしがらせようとしたら、受け入れられただと!?)
「触りたいなら、こうして服の間からズボッと手を……」
「いやいやいやいやいや! やらなくていいですから!」
ブラウスの空いた脇の隙間から、取った手を誘導しているのを見て、慌てて手を引っ込める。
今の顔は真っ赤だろう。葵さんを見ると、そんな俺を見てクスクス笑っている。
どうやらからかう事に関しても、一枚も二枚も上手のようである。
「あ~ん」
「あ~ん……」
「美味しい、いっくん?」
「表現できないほど冷たいです」
「あら~? いけない。解凍するの忘れてたわ」
話し出すタイミングが無いまま、長椅子に座りランチタイム。葵さんの手作りである。
冷凍食品をそのまま詰めただけのお弁当であるが、実に冷えていて美味い。
夏には最適の冷たさである。魔法瓶の弁当箱がその冷たさをしっかりと保っている。
今は温かいお茶が欲しい気分である。舌がヒリヒリしてきた。
食べるのを拒否すれば問題ないが、葵さんのあ~んはもう一生ないかもしれない。
今食べなくてどうする。今こそ食べる時なのだ!
「お、おおお、お、美味しい、ですよ」
「震えるほど冷たかったかしら~? わたしも一口……」
「本当に美味しかったですよ! だから無理して食べなくて――ッ!」
「ン……」
「ムグッ――ッ!?」
「……ふぅ、少しは温まった?」
「…………アオイサン?」
「どうしたの? カタコトになるほど冷たくて凍っちゃったかしら?」
どうもこうもない、今すぐ失神してしまいそうである。
葵さんが自分の口の中にいれた唐揚げを、口移しで食べさせられたのだ。
しかも温かくなっていた。彼女は人間電子レンジなのだろうか。
「ソンナ、ダイタンナ、コトスルト、オソッチマウ、デスヨ?」
「うふふっ、襲われるのも楽しいかもしれないわね~」
プッ――。
あ。何か切れた。
「葵さぁああああああああん!」
「ぱしーん!」
「ほぎゃ!?」
渾身の抱きつを、鼻への張り手で叩き落されてしまった。
葵さんはもんどりうってベンチから落ちた俺に、怒った顔をする。
「簡単に誘いに乗らないの、まだまだ甘いわよいっくん!」
「言葉もありません」
「ふふっ、キスぐらいで可愛いわね~」
「ははっ……葵さん。聞いてもいいですか?」
「何かしら~?」
「俺、人を殺しました」
「…………」
凍った唐揚げを口に入れた姿のまま、葵さんは箸を止めて静かになる。
このまま葵さんのペースに合わせて、今日一日楽しく過ごせばこの心は確実に癒されるだろう。
しかし、明日から学校へ行くのか? と聞かれると、正直ここで遊ぶ前よりも、行きたくない。
葵さんは俺の事を避けるかもしれない。今は優しくても、やはり人を殺したその事実は、意識しなくても態度に表れるものである。
「キスまでして俺の気分を紛らわしてくれるのは嬉しいです。でも、はっきり聞きたい……俺が怖いですか?」
「ええ……怖いわ」
(うん……やっぱりそうだよな)
曇ったその表情が全てを物語っていた。人を殺したのだと、改めて再認識させられる。
更にショックに追い討ちを掛けるように、葵さんは口を開く。
「いっくん、今日はわたしとの一度きりのデートなんだから、もっと楽しんで、ね?」
「ええ……もちろんですよ! 俺は幸者です!」
思わず泣いてしまいそうになるのを、必死で堪えて笑顔を見せる。
励まそうとしてくれたその言葉に、本音が混ざっていた。
このデートは一度きり……はっきりと葵さんは言った。
「さて~いっくん、デートの閉めにあそこへ行きましょう!」
「はい、どでも行きますよ! こうなればもう自棄だ! はは、ははははは!」
手を引かれて自嘲気味に笑う。葵さんは気にする事無く、楽しそうにドーム型の建物の中に、俺を引っ張って来た。
ドームの中は不思議な空間である。天井はプラネタリウムのような光を放ち、六角型に大理石を並べたような地面は、蒼白い光を放っている。
全身がその蒼白い光に染められ、葵さんの後姿がとても美しかった。
「綺麗だ」
「いっくんもそう思う? わたしもここが大好きなの」
葵さんはワンピースをふわりとさせながら振り返る。
大きく結われた髪が、光を掴むように線を残してなびいている。
「葵さんがですよ」
「いっくん……?」
「葵さんが綺麗です」
「あ……」
良い雰囲気である。熱い視線が向けられているのが分かる。
何時もほわほわして掴み所の無い彼女が、目を潤ませて頬を赤く染めている。
そうだ。予測不可能な葵さんも女の子だ。男に綺麗だと言われて照れない筈はない。
現に、試合の時には決して見せない表情をしている。俺に心を開いてくれている。
今だ……告白するなら今しかない。
一度きりのデートだと言われた。玉砕は覚悟している。
どうせ叶わない恋ならば、この場で潔く散ってやろう。
男らしく、男らしく、男らしく、男らしく、今の気持ちを全身全霊で伝えるのだ!
思いの全てを言葉に乗せて俺は――叫んだ。
「葵っっっ! 好きだっっっ! 君の処女が欲しいっっっ!」
「ごめんなさい」
「ぐはぁああ! 清々しいまでの即答ーーーーーー!」
血を吐くような勢いで後ろにゆっくり倒れる。
アホ、そんな馬鹿な告白の仕方があるか、男らしさを通り越してただの変態だ。
あぁ、可笑しいな。分かっていたはずなのに、頭を鈍器で殴られたようだ。
あれ、変だな。足元がふらつく、上手く立っていられない。失恋とはこんなにショックなものか。
ああ……駄目だ。倒れる……。
「でも、この場でわたしに勝つことが出来たら考えようかな~」
(ほら、葵さんが何か言ってるぞ、頑張れ俺! すまない俺よ。失恋でもう何も聞こえない)
心の中に作り出した自分で自分を励ましていると、徐々に意識がはっきりしてきた。
(この場……? そうだ……。蒼白い光を放つ床、星空のような天井……ここは!)
倒れそうになった体を、右足を後ろに伸ばす事で踏ん張り、ギリギリその場に留める。
葵さんの姿に見惚れて、すっかりこの場所を忘れていた。
子供の頃、両親に連れて行ってもらったあの場所……。
(間違いない、小さすぎて分からなかった。……駄目だ! この場での勝負は!)
「アバターセット……」
地面から放たれる光のベールによって、葵さんの体が包み込まれて行く。
「葵さん止めてください! ここでアバターを起動してはいけない!」
シュゥウウウウウウウウウ……。
その叫びは既に遅かった。彼女は既に変わっていた。
この場において、幻想世界のルールは変異される。
本来なら決して出会うことの出来ない、異なる幻想世界の者達が、本来の姿で相対する場所。
混沌の領域。嘗て、俺が立つ事を夢見た戦いの場。
バサッ……バサァァァ……。
蒼白い光のベールを破るように。右……左……と、順番に広げられた白い翼が、光の羽根を空中に撒き散らす。
大きく結われていた髪が解け、長い髪は流れるように上昇すると、足元へふわりと降りて宙を漂う。
右手には赤い文字が刻まれた剣。左手には蒼い文字が刻まれた盾。
体を包み込む白銀の鎧……その胸には、永遠の輪の紋章。
「ま、さか……その胸の紋章は、あの世界最強の証……まさか、そんな訳ない!」
あり得ないと、首を左右に振る。
あの世界は、全てを闇に飲み込まれて消えたはずだ。その姿も、ここに存在することはない。
それに、この場所でアバターへと着替える行為は、戦闘を申し込む合図。
同じフィールドに立っている敵を倒さない限り、この場所に永遠に閉じ込められる。
「葵さん! まだ間に合います! 十秒以内にアバターを解いてください! 葵さんっっっ!」
しかし、その必死の叫びも届かず、葵さんは氷の表情で剣を向けてきた。
「幻想世界エターナル。制覇者、イオ=アーストラヴァ、ここに光臨……さあ――」
――死合いを始めましょう。
絶望が……始まる。