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第十話 夢。

 ハァ……ハァ……ハァ……。

 自分の吐く息がこんなにも大きく聞こえる。

 緊張から来る体の震え、怖い……。

 相手を見る。軽い身のこなし、上段に構え、場を一杯に使って動き回るタイプ。

 大丈夫、何度か打ち合ってもう癖は見えた。

 踏み込みのとき一瞬、右足親指の筋肉が僅かに動く。その瞬間を狙えば勝てる。


「キェェエエエエエエエエエ!」


 大きな声にも惑わされることはない。狙うはがら空きの胴。


「メェエエエエエエエエン!」

「ドォオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 パシィィィィン……。


 同時に鳴り響く竹刀の音、勝者は……。


「面あり!」


 その言葉を聞いて、俺は両膝を地面についた。


 ●○●○●


「すいませんでした! 俺が勝てば優勝だったのに!」


 団体戦メンバーの前で土下座する。決勝で俺は負けてしまったのだ。

 最後は大将同士という僅差だった。

 この大会での団体戦ルールは五人での勝ち抜き戦である。

 勝った者が次の相手と連戦し、負けると次の選手へ。例え最後に残った大将が五人抜きしてもチームの勝ちとなる。

 チームの中で一年は俺だけ、他はもう今年で引退を決めている二年や三年である。

 頭を上げるのが怖い。俺の実力を見込んで大将に押してくれた先輩達。

 最後まで来て、その期待に答えられなかった。

 しかし、責められると思っていた先輩から発せられた言葉は、意外な物であった。


「あ~負けたか、まあしゃあないな」

「だな~、まあ準優勝でもいーじゃん?」

「俺は明日から観光スポットに行くよ。道子と遊ぶんだ」

「うひゃ~! やっと終わったぜー! 広美に告白でもすっかなぁ」


 …………。

 なんだろうこの気持ち……誰か土下座までしたこの罪悪感の行き場を教えてほしい。


「それでわたしの膝の上で泣いているのね~」

「ううっ、先輩達は本気じゃなかったんだ。共に汗を流してきたのに俺だけが……ブツブツ」


 夜。宿泊ホテルの部屋に遊びに来た葵さんの膝に、俺は顔面から埋まって愚痴を言っていた。

 落ち着く。この柔らかな感触の為に生きていると言っても、罰は当たらないだろう。


「どうかしら~。いっくんの知らないところで泣いてたかもしれないわよ~」

「まさか……先輩達は俺みたいに真剣じゃなかっただけですよ」


 仰向けになって膝枕をしてもらうと、葵さんは。右手の人差し指を向けて来ていた。


「うへ~。また鼻ですか?」

「違うわよ~。世話が焼ける彼氏様に真実を教えてあげるの」


 そう言うと、葵さんの人差し指がボウと柔らかな光を放った。

 不思議な光景に目を奪われていると、その人差し指が俺のおでこに当てられた。


「う、うがぁああああああ! くやぢぃいいいいいいい! もう少しだったのにぃぃぃぃ!」

「なっ」


 驚いて飛び起きた。頭の中に先輩達の悔しがる様子が浮かんだのだ。

 あっけらかんとしていた先輩達が、更衣室でそれぞれ悔しそうに泣いていた。


「泣くな貴様達! 男なら負けたと潔く認めて笑い飛ばせ! ハーハハハッ!」

「でもしゅじょう……」 

「馬鹿者どもが……悔しいならその場で泣き尽くしてから来い!」

「出来ないっすよっ、あいつ土下座までして、明日あいつだって個人戦なんずがら、気負ってほしぐ、ないじゃねーっずか……」

「貴様達……本当に馬鹿者めが」


 不良先輩に抱えられるようして、泣き崩れていた先輩達の光景を最後に映像は止まった。


「葵さん……?」

「こっそりドアの隙間から見ていたのよ。わたしは見せることも出来るの」

「そう……ですか」


 悔しくないわけはなかった。それなのに俺は簡単に決め付けてしまった。

 先輩達の為にも、そう改めて決意する。

 俺は再び仰向けに葵さんの膝の上に頭を乗せた。


(明日から個人戦が始まる。そうだ。俺はりっくんの夢を叶えないといけないんだ)

「……いっくん」

「はい? どうしました?」

「明日の個人戦辞退して、お願い」

「冗談は止めてください」


 直ぐに反論した。何時もの冗談だと思っていたが、葵さんのその顔は真剣だった。

 ほわほわとした表情も見られない。


「それはいっくんの夢じゃないでしょ?」


 ビクリとした。

 葵さんは俺の頭に右手を添えていた。読まれたのだ。


「葵さんも……蘭と同じ事を言うんですね」

「いっくんの夢はあの場での戦いよ。いいえ。あの場よりもっと大きな場ね。だってあんなに楽しそうだったじゃない」

「楽しそう? 俺が?」

「わたしの翼を斬りおとした時、いっくん笑ってた。闘うことに喜びを感じてた」

「そんなことありませんよ。それに俺はもう幻想世界へは行きません」

「どうして?」

「俺みたいな存在が居るべきじゃない。蘭みたいに必死に鍛えた人に失礼でしょう?」

「そうね……でも、いっくんの力は世界を救うことが出来るわ」

「力を持つ者の責任を果せとか言う気ですか?」

「わたしは果したわ……結局壊れてしまったけど、ちゃんと果したわ」


 葵さんに辛そうな顔でそんな事を言わせたいわけじゃない。

 怖いんだ。俺は自分が怖い。

 もし、あの時……。

 

「葵さん、あの時もしも俺がこう願っていたら、どうなってましたか?」

「え……? ――ッ! ち、違うの! わたしはそんな!」


 葵さんがはっとした顔をして、俺の頭から右手を離した。

 そう、俺は間違えたのだ。


 りっくんを助けたい。


 あの時、そう先に考えていれば、結果は確実に違った。


「キッツの事も同じです。あの二人を殺すことより、キッツを救うことを考えていれば……ははっ、これもバグですかね、どうやら俺は壊すことしか考えられ――」


 パチィィィィィン……。


 それ以上声を出すことが出来なかった。

 葵さんにビンタされたからじゃない。彼女が泣いていたからだ。


「わたしを生き返らせておいて馬鹿な事言わないで、わたしを助けてくれたじゃない、優しくしてくれるじゃない……いっくんはあの怪物とは違う、違うのよ……」

「……怖いんだ。怖いんだよ俺……自分が怖いんだ」

「ごめんなさい……もっと早く気が付くべきだった、自分が甘えるばかりで、いっくんが苦しんでいるのにも気が付かないなんて……ごめんなさい、これからはわたしも、いっくんを支えるから……」

「葵さん……くっ――。」


 心のそこから泣いた。

 その後の事はよく覚えていない。

 ただ、そばにあったのは葵さんの匂いと暖かな感触だけだった。


●○●○●


(ここはどこだ?)

「お前また宿題忘れたのか? へっへ~ん! 本当にアホだな~!」

「ち、違うよ、みんながノート隠したから」

「いっくんを虐めちゃだめー!」

「またかよ蘭~? 前も虐めてやるろうか? 泣き虫ら~ん! ぶさいく八重歯~!」

「ぶ、さいくじゃないもん、うぇぇん……」

(ああ……夢を見ているのか、懐かしいな。あの頃はよく蘭と二人虐められてたっけ……)


 ぼんやりと宙に浮かんでその光景を見る。

 大人になって見ると、子供がじゃれているようにしか見えない。

 しかし、あの頃は大人が想像するよりも苦しんでいたと思う。

 誰も助けてくれないのだ。クラスのみんなも虐めっ子に便乗するように罵声を浴びせてきた。

 何もして来なくても、誰も先生に進言したりしない。自分が標的になるのが怖いから。

 机への落書きも、上履きへの画びょうも。持ち物を隠されるのも。

 虐められる方にも問題があるという人も居た。でも誰もその問題が何なのか教えてくれなかった。

 もしそんな説が正しいのならば、虐める方は正しいとでも言うのだろうか。

 答えは否である。虐める方が悪いに決まっている。

 しかし、大人は優秀な者に対してはこう言うのである。


「あの子に限ってそんなことはしない」


 表面的な頭の良さ。見ているのはそこだけである。

 蘭と二人、気が付けば保健室への登校になっていた。

 二人だけで居ればいいと、心を閉ざしかけていたその時だった。


「よっ! こんど転校してきたんだ! 俺と遊ぼうぜ!」


 たった一言である。

 保健室に風の如く現れて彼は言った。


「お前ら! 蘭といっくんを虐めたら許さないからな!」

「げ、お、おい、みんな行こうぜ」


 彼はどこからともなく現れて、いつも虐めっ子を全部追い払ってしまった。

 嘘みたい強く、嘘みたいに優しかった。こんな人間が居るはずが無いと思った。

 しかし、現実に彼は存在したのである。

 りっくん。何時しかそう呼ぶようになった。彼は俺達二人のヒーローだった。 


(あの日……俺がエターナルに二人を誘わなければ)

「俺も死ななかったかもな!」

「りっ……くん?」

「よっ! 久しぶり!」

「夢でも、会えて嬉しいよりっくん……」


 りっくんはあの頃の姿のまま、右手をスチャッと上げて挨拶してきた。

 ヒーローであるに相応しい顔。その笑顔は見る者を引きつけてやまないだろう。

 しかし、その姿は中学の頃のまま、これは夢なのだと改めて認識させられる。


「あ~。やっぱりそういう反応だよなぁ~、まいったな~……あっ! そうか!」


 りっくんは何を思ったのか、腕組みをして悩みだした。

 そして、ポンッと右手の掌に握った左手を置いた。

 何かを思いついた風なその姿に、興味をそそられて注目する。


「蘭は処女じゃないぞ、中学最初の夏休みの夜に抱いたからな!」

「ぶっ!」

「ピッとな!」

「ああん! りっくんー! もっとしてぇ!」

「ぶほっ!?」


 二重に驚いた。突然りっくんがリモコンを取り出しボタンを押すと、頭上に巨大なスクリーンが浮かび、蘭のあられもない姿が映し出されたのである。


「おお、驚いてる驚いてる」

「いや、そりゃ驚くよ……俺、欲求不満なのかな……」


 これは俺の夢の中である。

 葵さんという彼女が居ながら、こんなものを見てしまうとは、何たることであろうか。


「ひぃん! りゃんのぉ「アウト!」がぁりっくんのぉ「アウト!」で「アウト!」になっちゃうよ~! もっとりっくんの「アウト!」でわたしの「アウト!」を「アウト!」して~!」

「アウトアウトアウトーーーーーーーーーーー! 止めろーーーー!」

「ちぇ、良い所なのに、あ。因みに今のは俺の妄想だから安心していいぞ」


 りっくんからリモコンらしき物を奪い、映像を消す。

 そして、この悪ふざけさはりっくん元来の物だと確信した。

 思い出した……りっくんは良くこうして、とんでもなくぶっ飛んだ事をする少年だった。

 カブトムシを捕まえる為に、上半身裸の蘭にハチミツを塗りたくったり。

 夏休み自由研究の朗読で、いきなり両親の情事を事細かく発表したり。

 今考えれば、物凄い小学生である。いや、ただのエロガキである。


「どうやら俺の事を思い出したようだな」

「ああ、思い出が美化され過ぎて、りっくんがどうしようもないエロガキだったのを忘れてたよ。色々台無しだ」

「そんなに褒めるなよ~」

「褒めてないっ!」

「なんだよ~、中学男子はエロいもんだろ? 今の蘭もなかなか良かっただろ?」

「半分は小学生の時の思い出だよ! いや、そりゃ今の蘭はよ……」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………・。


「……オレニハ、カワイイ、カノジョガイル、バカイウナ」

「なんでロボットみたいになったんだ?」


 凄いプレッシャーをどこからか感じたからである。

 にこにこの笑顔のまま般若になった葵さんが、炎を背負っている姿が見えた気がする。


「ストレートに言うぞいっくん。実はここはいっくんが作り出した幻想世界なのだー!」


 バーンと文字を背負ったようなりっくんがこちらを指差してきた。


「わーそりゃーすごいなー」

「そこは、な、なんだっ」

「いいから説明してくれ!」

「ちぇ~乗りが悪いな~、赤衣という女を知っているか?」

「赤衣? ああ、葵さんに毎年剣道の試合で一回戦負してる不良先輩大好きな可哀想な子か」

「凄い覚え方したな……あれ、俺の妹」

「……は?」

「目とか似てるだろ?」


 確かに似ている。

 よく見ると、りっくんをそのまま女にしたような容姿である。 


「因みに双子」

「いや、いやいや、りっくん俺と同い年だろ? あの子は葵さんと同い年で」

「あいつ一年飛び級なんだよ。頭そこそこ良過ぎて」

「りっくんの妹が微妙な頭の良さなのは理解した……早く目覚めないかな」


 目を閉じて夢を放棄した。現実へ戻って葵さんを抱きしめたい。


『い……、……ん? 聞こ……、……える? いっくん? 聞こえる?』

「ああ、終に夢の中まで葵さんの声がしてきた」

『聞こえるのね? 良かった声は届くのね……お、落ち着いて聞いてね』

「はいはい、なんですか」

『いっくんね、あの個人戦の前日の夜から、一ヶ月眠りっぱなしなのよ』

「…………え?」


 夢なのに、眠気が吹っ飛んだ気がした夏の出来事であった。

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