洞窟の蛇女
貴方がいる。
ただそれだけで私は幸せだった。
暗く湿った洞窟の奥で思い出す日々には
いつでも貴方の姿があった。
私の髪を優しく鋤いた指
波の馬と共に現れて、
性格は海のように気まぐれ豪快で、
姿が変わらない貴方の姿が。
年老いていく私を見て、
出会うたびに美しくなると
恥ずかしがりもせずによく言っていた。
でも、今の私は……
そこまでで思考は終わる。
私の蛇たちが一斉に入り口を見た。
吹き込む風にのっていたのは、
とても懐かしい、潮の香り。
「メデューサ、ここにいたのかい?」
姿が見えないが響く声は、
先程思っていた貴方のもの。
迎えに来たと貴方は言った。
「随分探したんだ。」
心配そうに貴方は言う。
「こんな暗いところで、お前らしくない。どうして会ってくれないんだ?」
私は答えなかった。
貴方は俺のことが嫌いになったのか?と、
冗談を言うように笑う。
「また、お前の髪を触りたいんだが?」
蛇になった私の髪は、
貴方の指を噛むだろう。
だから私は答えなかった。
貴方はやはりだめかと呟いた。
「また、弟のやつがやりやがってな……」
他愛もない話を始める貴方。
気まずくなったらいつもそうやって
私の機嫌が良くなるのを、
ずっと窺う貴方のことが
可愛らしいのも覚えている。
だけど、
「帰れ」
私から出てきた冷たい言葉。
今回は少し違うことを貴方は気付いたようだった。
「私は、お前が大嫌いだ。」
追い討ちをかけて私は言う。
こんな姿で会いたくないから。
私は貴方に嘘をついた。
貴方はしばらく何も言わなかったけど、
小さくそうかとそう言って
私を諦め外へいく。
嫌いになれない。なれるはずもない。
今すぐ私を抱き締めて。
いつものように綺麗だと、可愛らしいと、
そう言って。
悲しい声でそうかと、残念そうに言わないで。
私はいつまでも貴方のものだから。
それは空飛ぶ靴をはいた少年が
私のもとへやってくる、
ほんの数日前のこと。
湿った岩に腰かけて、
私は静かに願いをかけた。
今度生まれたその時も、
また貴方に出会いたい。
貴方に冷たい言葉を吐くのはもうこれで
最初の最後にしてしまいたい。
今度は貴方も年を取り、
変わる季節を楽しみたい。
潮の香りはもうしない。
寂しく暗い闇の中。
微かに見える自分の鱗を数えて、
早くこのときが過ぎるのを
私は静かに待っていた。