第8話:マーケティング・プロモーション
箱根駅伝から3日後。
世間ではまだ「幻の区間新」のニュースが冷めやらぬ中、星雅大学の最上階、理事会室にて、一人の女子大生が重厚な円卓を叩きつけていた。
「——というわけで! 今回の湊カケル先輩の露出による広告換算価値は、試算で約30億円に上ります!」
星野アスナは、プロジェクターに映し出されたグラフを指し棒で叩き、居並ぶ理事たちを睨みつけた。
彼女の迫力に、白髪の老人たちはたじろいでいる。
「さ、30億……? たった1時間の走りでかね?」
「はい。テレビ中継の視聴率、ニュース番組での二次利用、WEB記事、SNSでの拡散数……すべて含めればそれ以上です。
今まで『名前も知らないFラン』扱いされていた本学の知名度は、今や全国区です」
アスナは冷徹に言い放った。
彼女は陸上部のジャージではなく、パリッとしたスーツに身を包んでいる。
この日のために用意した「勝負服(戦闘用)」だ。
「ですが理事長。この熱狂は一過性のものです。
放っておけば、来月には忘れ去られます。
この30億円の価値を、来年の『優勝』という確定した未来へ投資するか、それともドブに捨てるか。……経営者としての判断を仰ぎたく」
「ゆ、優勝だと!? 男子部は予選落ちしたばかりじゃないか」 「だからこそです!」
アスナは手元の資料を配った。
そこには、今回のカケルの発言に反応して問い合わせてきた、高校生・大学生のリストがあった。
「湊先輩の『俺と一緒に歴史をハックしたい奴は来い』という言葉に、全国の『訳あり』たちが反応しています。
強豪校の管理的な指導に馴染めない天才。
怪我で干された元エリート。
彼らを獲得し、湊メソッドで再生させれば、来年の優勝は夢物語ではありません」
彼女は一息つき、要求リストを突きつけた。
【男子陸上競技部強化案】
特待生枠の拡大:学費全額免除+生活費支給枠を5名分新設。
合宿所の建て替え:現在の廃屋(築40年)を取り壊し、女子部と同水準の設備へ。
遠征費・栄養管理費の増額:年間予算を現在の50倍(3000万円)へ。
「ご、50倍!? 無茶苦茶だ!」
「30億の広告費に比べれば、たったの1%ですよ? コスパ最強じゃないですか」
アスナは不敵に微笑んだ。
その笑顔は、可憐な女子大生のものではなく、完全に「商売人」のそれだった。
「もし承認いただけないなら……湊先輩は来年、他大学へ編入するそうです(嘘だけど)。 既に数校から引き抜きのオファーが来ています。 『幻のエース』をみすみす手放し、他校で活躍されたら……星雅大学の恥ですね?」
「うっ……」
理事長が絶句する。
それは脅迫だ。だが、効果的な脅迫だ。
沈黙が支配すること数十秒。
理事長は重々しく口を開いた。
「……わかった。承認しよう。
ただし、結果が出なければ即座に打ち切るぞ」
「ありがとうございます! ……あ、それと、監督は雇わなくて結構です。全権限を湊先輩(と私)にください」
「好きにしたまえ……」
こうして、アスナは大学から莫大な「軍資金」を強奪することに成功した。
***
男子陸上部のボロ部室。
「……ダメだな」
俺、湊カケルは、机の上に積み上げられた履歴書の山を、次々とゴミ箱へ放り込んでいた。
大学の広報課から転送されてきた「特待生希望者」の書類だ。
その数、200通以上。
「あーあ、もったいない。これなんて5000m14分台の高校生ですよ?」
「いらん。フォームが綺麗すぎる。伸び代がない」
俺は淡々と選別を続ける。
世間の熱狂に釣られて集まってきた有象無象。
その大半は、俺の求めている「パーツ」ではない。
「俺が欲しいのは、ただの『速い奴』じゃない」
「じゃあ何なんですか?」
部室に戻ってきたアスナが、獲得した予算の承認書をヒラヒラさせながら尋ねる。
俺は手を止めた。
「『壊れた奴』だ」
「壊れた?」
「今の駅伝界は、システム化されすぎている。
綺麗なフォーム、ありふれた練習、優等生的なメンタル。
そういう奴らは、箱根(約20km)という距離を平均点以上で走ることはできるが、突き抜けることはできない」
俺は一枚の履歴書を拾い上げた。
写真の男は、目つきが悪く、履歴書の志望動機欄には『走れれば何でもいい』と殴り書きされていた。
「俺たちが常連校に勝つには、システムからはじき出された『異物』を集めた方が早い。 一点突破に特化した、歪な才能。 それを俺が組み上げて、最強の兵器にする」
俺はその履歴書を、「採用候補」のトレイに放り投げた。
「予算は取ってきたか?」
「はい。満額回答です。寮も建て替えますし、特待生枠も5つ確保しました」
「上出来だ。……じゃあ、買い付け(スカウト)に行くぞ」
俺は立ち上がった。
手元に残った履歴書は、わずか4枚。
火野(Hino): 元インターハイ王者。度重なる怪我で引退勧告済み。
雪村(Yukimura): 無名校出身。トラック記録なし。
雷兄弟(Ikazuchi Bros): 素行不良で退部になった双子。
「こいつらが、俺の記録を『公式』にするための生贄だ」
「言い方……。でも、面白そうなメンツですね」
アスナがリストを覗き込み、ニヤリと笑う。
俺たちは顔を見合わせた。
共犯者同士の、悪巧みの時間だ。
「行くぞ、全国行脚だ。 来年の箱根……星雅大学は劇団一人じゃなくなる」
俺たちはボロ部室を出た。
冷たい冬の風が吹いていたが、そこには確かな春の匂いが混じっていた。
リクルーティング・ウォーズの幕開けである。




