表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/11

第5話:悪魔の契約とプランB

 星雅大学男子陸上部の「改革」は、飴と鞭……というより「激甘の毒飴」と「鋼鉄の鞭」によって成し遂げられた。


「さあ皆さん、あと1セットです! 終わったら、女子部の合宿所からくすねてきた……いえ、差し入れてもらった特製プロテインスイーツがありますよ!」

「うおおおお! 星野ちゃんの手渡しなら死んでも食うううう!」


 早朝のグラウンド。

 ゾンビのように走る男子部員たちに対し、星野アスナは拡声器片手に檄を飛ばしていた。


 彼女の手腕は見事だった。

 「女子陸上部のアイドル」というブランドを最大限に利用し、男子部員たちの承認欲求と下心を掌握。

 さらに、大学側にも「私が監視します」と根回しし、予算の幾ばくかをブン取ってきたらしい。


 政治家か、お前は。


 俺、湊カケルは、その様子をグラウンドの隅で冷めた目で見つめながら、自身の身体と向き合っていた。


「……酷いな、こりゃ」


 手元のスマートウォッチに表示された心拍数データを見る。

 軽いジョグをしただけで、心拍数が140を超えている。


 高校時代なら、この程度では100も行かなかったはずだ。

 筋肉の柔軟性も低下しており、可動域が狭い。

 錆びついたマシン。それが今の俺だ。


「先輩、データはどうですか?」


 部員たちのシゴキを一通り終えたアスナが、汗拭きタオルを首にかけて寄ってきた。

 爽やかな笑顔だが、その目は獲物を狙う鷹のように鋭い。


「最悪だ。産業廃棄物レベルだな」 「リサイクルしましょう。私が磨き上げますから」


 俺はベンチに座り、タブレットを取り出した。


「さて、星野。約束通り、俺の『プラン』を説明する」

「はい! どうやってこのチームを予選突破させるんですか? やっぱり、秘密の特訓とか?」


 アスナが期待に目を輝かせる。

 俺は鼻で笑った。


「寝言は寝て言え。あの連中を見ろ」


 俺はグラウンドでへたり込んでいる部員たちを指差した。


「あいつらのハーフマラソンの持ちタイムは平均68分。予選通過ラインは63分前半。

 半年後の予選会までに、全員のタイムを5分縮める?

 ドーピングでもしない限り不可能だ。物理的に間に合わない」


「そ、それは……でも、先輩がエースとして引っ張れば……」

「俺が世界記録を出しても無理だと言ったろ。駅伝は『足し算』だ。マイナスが大きすぎれば、プラスで埋め合わせることはできない」


 アスナの表情が曇る。

 彼女もバカではない。感情論でどうにかなるレベルの差ではないことは理解している。


「じゃあ……どうするんですか? 諦めるんですか?」

「誰が諦めると言った?」


 俺はタブレットの画面を切り替え、一つの資料を表示させた。

 箱根駅伝の大会規定レギュレーションだ。


「チームとして箱根に行くのは、今年は捨てる。俺たちが目指すのは『来年』の優勝だ。

 だが、そのためには今年、何らかの『実績インパクト』を残して、有望な新人をスカウトするための広告塔にならなきゃいけない」


「広告塔……?」

「そうだ。そのために、俺一人だけが箱根を走る」


 俺は画面の一箇所を拡大して見せた。


『関東学生連合チーム編成要項』


 そこには、こう記されている。

 予選会で出場権を逃した大学の中から、予選会の個人成績上位者を選抜して混成チームを結成する、と。


「……学生連合」

「そうだ。通称『学連選抜』。

 こいつは、予選会でチームが敗退しても、個人で速ければ選ばれる。

 つまり、俺以外の9人がどれだけ遅くても関係ない。俺一人が予選会でトップ集団に入れば、俺は箱根駅伝を走れる」


 アスナが息を呑む。

 それは、チームスポーツである駅伝において、極めて利己的で、しかし合理的な「ハック(攻略法)」だった。


「でも先輩、学生連合は……順位がつきません。記録も『参考記録』扱いです。公式な区間賞ももらえません」

「だからいいんだ」


 俺はニヤリと笑った。


「公式記録に残らない。だが、テレビには映る。

 もし、その『参考記録』の男が、公式記録を持つ強豪校のエースたちをごぼう抜きにしたらどうなる?

 幻のランナーが、現実の王者を叩き潰す。

 ……最高に痛快で、記憶に残るショーになると思わないか?」


 アスナの瞳孔が開くのがわかった。

 彼女の脳裏にも、その光景が浮かんだのだろう。

 大手町のゴール、あるいは箱根の山中で、どこの大学でもない白いユニフォームが、名門校を切り裂いていく姿が。


「……悪趣味ですね、先輩」

「褒め言葉として受け取っておく」


 俺は立ち上がった。


「俺は今年、幽霊ファントムになる。

 名前のないエースとして箱根を走り、その衝撃で来年の戦力を集める。

 それが俺の描いた『最短の優勝ルート』だ」


 アスナはしばらく黙っていたが、やがてフッと笑い、俺の前にひざまずくような仕草をした。

 演劇がかった、恭しい態度で。


「了解しました、共犯者パートナー。  先輩が幽霊になるなら、私はその幽霊が出るという噂を流す語り部になりましょう」 「話が早くて助かる」


「その代わり!」


 アスナはガバッと顔を上げ、俺の胸倉を掴まんばかりの勢いで立ち上がった。


「その身体、半年で仕上げてもらいますよ!

 予選会で学生連合に選ばれるには、ハーフ62分台が必要です。今の先輩じゃ、5kmで倒れます!」

「……わかってるよ」

「男子部の設備じゃ無理です。ボロすぎます」


 彼女はスマホを取り出し、誰かにメッセージを送り始めた。


「今夜22時。女子陸上部の合宿所の裏口を開けておきます」

「は?」


「女子部には、最新の低酸素トレーニングルームと、高気圧酸素カプセルがあります。大学の予算で買った数千万円のマシンです」

「おいおい、男子禁制だろ。バレたら退学モンだぞ」

「バレなきゃ犯罪じゃありません」


 アスナはウィンクした。

 こいつ、本当に目的のためなら手段を選ばないな。


「私のIDカードを貸します。警備システムも、この時間帯ならメンテナンスモードに……あ、これ言っちゃダメなやつですね」 「お前、裏で何やってんだ……」


 少し背筋が寒くなったが、背に腹は代えられない。

 俺の筋肉を最速で戻すには、科学の力(ドーピング以外)が必要だ。


「いいだろう。乗った」 「交渉成立です。……ふふ、夜の女子寮に忍び込むなんて、先輩も隅に置けませんね?」 「お前のせいだけどね」


 俺は呆れてため息をついた。

 だが、身体の奥底では、久しぶりに熱いものが渦巻き始めていた。


 明確な目標ターゲット

 合理的な戦略ロジック

 そして、優秀すぎる共犯者バディ


 ただ単に走ることは好きではないが、ゲームは好きだ。


「……行くぞ、星野。まずは今日のメニューを消化する」

「はいっ! 今日はインターバル走、1000m×10本です! 設定タイムは2分50秒!」

「殺す気か! 今の俺には無理だ!」

「やらないと間に合いません! さあ、走って!」


 アスナに背中を叩かれ、俺は重い足を踏み出した。

 錆びついた歯車が、軋み声を上げて回り始める。


 目指すは10月の立川、予選会だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ