第11話:予選会の戦慄
10月半ば。
東京都立川市、陸上自衛隊立川駐屯地。
1年前、俺がたった一人で「ハック」を開始したこの場所に、再び戻ってきた。
ただし、景色は劇的に変わっている。
「……おい、あれを見ろ」
「星雅大学だ……」
「雰囲気が去年と全然違うぞ」
スタート地点に整列した俺たちに向けられる視線は、嘲笑ではなく、明らかな「警戒」と「畏怖」だった。
それも当然だ。
俺の周りには、陸上ファンなら二度見するようなメンツが揃っている。
元インターハイ王者、火野瞬。
双子の問題児、雷兄弟。
謎の野生児、雪村猟。
そして、規格外の巨躯を持つ留学生、ユージン。
彼らが放つオーラは、予選会レベルのものではない。
猛獣の檻が開かれたような殺気が漂っている。
「先輩、データチェック完了です」
フェンス越しに、アスナが声をかけてきた。
彼女はもう「マネージャー」というより「司令官」の顔つきだ。
「気象条件、気温15度、無風。絶好のコンディションです。
……作戦通り、行けますか?」
「ああ」
俺は頷き、後ろに並ぶチームメイトたちを振り返った。
彼らは一様に不満げな顔をしている。
「チッ……なんで俺がペース抑えなきゃなんねーんだよ」
「全力で走らせろよ、ハッカー」
火野と雷兄弟が毒づく。
彼らは「個」として強すぎる。放っておけば暴走して、チームとしてのタイムを崩しかねない。
だからこそ、今日の俺の役目は「エース」ではない。
「無駄口を叩くな。
今日の俺たちは『一匹の巨大な生き物』だ。俺の脳に従って手足を動かせばいい」
俺は冷徹に言い放った。
「目標はトップ通過。それ以外は敗北と見なす」
パンッ!
乾いた号砲が鳴り響いた。
500人のランナーが一斉にスタートする。
その瞬間、観客と他校の選手たちは、信じられない光景を目撃することになる。
***
駐屯地の滑走路。
通常、スタート直後はポジション取りで混乱する。
だが、星雅大学は違った。
先頭に俺。
その斜め後ろに火野とユージン。
さらに後ろに雷兄弟。
その中央に、必死の形相の「凡人」たち。
そして殿に雪村。
完璧な三角形の陣形。
空気抵抗を最小限に抑え、かつ他校の選手を寄せ付けない「高速の要塞」がそこにあった。
「……設定ペース、キロ2分58秒。固定するぞ」
俺は正確なメトロノームのようにリズムを刻む。
ハーフマラソンを62分台で走るペースだ。
エース級ならともかく、チーム全員でこのペースを維持するのは正気の沙汰ではない。
「はぁ、はぁ……ッ!」
中央を走る4年生の先輩たちが、苦悶の表情を浮かべる。
彼らにとって、このペースは限界ギリギリだ。風除けがなければ即座に脱落しているだろう。
「先輩、落ちてますよ!」
「俺たちの背中だけ見てろ! 離れたら死ぬぞ!」
火野と雷兄弟が、叱咤しながら風を切り裂く。
彼らの圧倒的な走力が防壁となり、凡人たちをスリップストリームの中に閉じ込めているのだ。
無理やり引っ張り上げる、強制連行に近い集団走。
5km通過。14分50秒。
集団のまま、先頭グループに食らいつく。
「おいおい、星雅大どうなってんだ……?」
「あいつら、全員で先頭集団に行く気か!?」
明治や中央といった常連校の選手たちが、動揺して振り返る。
彼らのセオリーでは、下位校は「安全圏のペース」で守りに入るはずだ。
だが、俺たちは違う。
守るつもりなどない。全員で攻め込み、全員で蹂躙する。
10km地点。昭和記念公園。
アップダウンが始まる。
「ここだ、雪村!」
「おうよ!」
最後尾にいた雪村が、登り坂に差し掛かった瞬間に声を上げた。
彼が後ろからプレッシャーをかけることで、落ちてきそうな先輩たちの尻を叩く。
「登りはリズムだ! 俺の足音に合わせろ!」
俺はピッチを微調整する。
俺の制御により、バラバラだった10人の足音が、一つの巨大な重低音へと収束していく。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。
軍隊の行進のような、無機質で、それでいて破壊的なリズム。
15km地点。
他校の集団が崩れ始める中、星雅の陣形は崩れない。
ユージンが余裕の表情で、風除けの範囲を広げている。
火野がスピードを殺して、周りに合わせている(本人は不満そうだが)。
これが、俺が予選会を突破するために考えた戦略だ。 個性の強すぎる天才たちを、俺というOSで制御し、凡人をキャリーする。
「……ラスト3km。解放だ」
俺は短く告げた。
その瞬間、三角形の陣形が弾けた。
「やっとかよ! 待ちくたびれたぜ!」
「ヒャッハー!」
火野とユージンが、弾丸のように飛び出した。
雷兄弟もシンクロしながら加速する。
溜まりに溜まったエネルギーが爆発し、彼らは前を走っていた他校のエースたちを次々と食らい尽くしていく。
そして、俺は——。
「先輩、あとは死ぬ気で粘れ!」
加速せず、限界を迎えているチームメイトの背中を押した。
俺は今日、1秒も速く走る必要はない。
チームの10番目の選手を、ゴールまで送り届けること。それがミッションだ。
***
ゴール地点。
立川の空に、歓声と悲鳴が入り混じっていた。
「1位、ユージン・ガシェル(星雅大)!」
「2位、火野瞬(星雅大)!」
「続いて雷、雪村……星雅大、続々とフィニッシュ!」
上位を星雅のユニフォームが独占する。
そして、俺と先輩たちが、団子状態でゴールラインになだれ込んだ。
集計結果が出るまでの時間は、短かった。
圧倒的すぎたからだ。
第1位 星雅大学
合計タイム:10時間32分15秒
2位の大学に3分以上の大差をつける、完全勝利。
会場が静まり返る。
「まぐれ」や「勢い」ではない。
純粋な走力の暴力。
常連校の監督たちが、青ざめた顔でこちらを見ているのがわかった。
「……見ましたか、先輩」
アスナが駆け寄ってきた。
彼女の手には、本戦への出場権を示す認定証が握られている。
「彼らの顔。……『恐怖』してますよ」
「ああ。去年は『変な奴ら』と笑っていたが、今年は違う」
俺は汗を拭い、整列しているチームメイトたちを見た。
火野たちは涼しい顔をしているが、先輩たちは地面に倒れ込んで泣いている。
地獄を見た者だけが手にする、歓喜の涙だ。
「これで名実ともに、俺たちは『優勝候補』だ。 もう、ダークホースじゃない」
俺は他校の視線を真っ向から受け止めた。
「震えて眠れ、常勝軍団。
正月の箱根は、俺たちがジャックする」
予選会トップ通過。
それは、星雅大学による宣戦布告だった。
陸上界の秩序が、音を立てて崩れ去ろうとしていた。




