第10話:裏のエースと、凡人たちの覚悟
3月下旬。
星雅大学、男子陸上部合宿所。
リフォームされたばかりのトレーニングルームは、異様な熱気に包まれていた。
「おい火野! ペースが落ちてるぞ! 元王者の意地を見せろ!」
「うるせぇ雷兄弟! お前らこそコーナーで膨らんでんだよ!」
「俺は山に行きてぇんだよ! こんな平地走れるか!」
先日スカウトした4人の「訳あり天才」たち。
火野、雪村、雷兄弟。
彼らの加入により、チームのポテンシャルは爆発的に跳ね上がっていた。
だが、彼らはあくまで「往路」を制圧するための特攻兵器だ。
箱根駅伝は往復10区間。復路を走るメンバーが足りていない。
「……先輩、最後のピース(留学生)との面会予約、入っていますよ」
アスナがタブレットを差し出した。
俺たちは「5人目の特待生枠」を使うことにしていた。
近年の箱根において、留学生の存在は不可欠だ。
アスナが部室のドアを開けた。
そこに立っていたのは、ドアの枠に頭をぶつけそうになるほどの巨躯を持つ、一人の黒人青年だった。
***
【応募者ファイル No.005】
氏名:ユージン・ガシェル(Eugene Gachel)
国籍:ケニア
年齢:19歳
彼は緊張した面持ちで、パイプ椅子に座った。
長い手足。バネのような筋肉。一目でわかる「走るための肉体」。
だが、そのジャージは古びており、苦労の色が滲んでいた。
「……ユージンです。日本語、話せます」
「履歴書を見たぞ。日本のブローカーにスカウトされて来日したが、タイムトライアルで失敗して契約を切られたそうだな?」
俺の問いに、ユージンは悔しそうに拳を握りしめた。
風邪による一時的な不調を理由に「不良品」扱いされ、奨学金を打ち切られた彼は、コンビニで夜勤をしながら一人で走っていたらしい。
「なぜ、うち(星雅)に応募した?」
俺が尋ねると、ユージンは顔を上げ、力強く答えた。
「あなたのインタビュー、見ました。『速い奴が正義だ』と。『幻を現実に変える』と。
私、悔しいです。私を捨てた大人たちを見返したい。
私の脚、まだ死んでません」
復讐心。
純粋で、強烈な原動力だ。
俺は立ち上がり、ユージンに握手を求めた。
「採用だ。……ようこそ、悪党どものチームへ」
***
翌日。
グラウンドに全部員を集め、俺はホワイトボードの前に立った。
そこには、来年の箱根駅伝を見据えた「区間配置構想」が書かれている。
【往路:攻撃的布陣】
1区:火野
2区:湊(俺)
3区:雷・兄
4区:雷・弟
5区:雪村(山の神)
ここまでは予想通りだ。天才たちを並べ、往路優勝を奪い取る。
問題は復路だ。
「復路のメンバーを発表する」
俺はペンを走らせた。
【復路:防衛的布陣】
6区:……
7区:……
8区:……
9区:ユージン(留学生)
10区:……
どよめきが起きた。
「きゅ、9区!? 留学生を復路に回すんですか!?」
アスナが素っ頓狂な声を上げた。
通常、留学生は2区や3区といった往路の主要区間に配置し、前半で貯金を作るのがセオリーだ。
「そうだ。9区は『復路の2区』と呼ばれる最重要区間だ。
ここで大逆転が起きることもあれば、優勝が決定的になることもある」
俺はボードを指差した。
「俺たちの往路メンバーは攻撃力特化だ。ハマればぶっちぎるが、自滅するリスクもある。
もし往路で競り合いになった時、あるいは復路で差を詰められた時……最後に控える『裏のエース』が必要だ」
ユージンが胸を張る。
彼は自分の役割が「最後の砦」であることを理解し、誇らしげに頷いた。
「そして、残りの区間——6、7、8、10区だが」
俺は振り返り、グラウンドの隅で縮こまっている「元々の男子部員たち」を見た。
アスナの飴と鞭で多少は走れるようになったが、才能の差は歴然としている凡人たちだ。
「お前らが走れ」
「「「えっ!?」」」
部員たちが一斉に顔を上げた。
4年生の先輩が、震える声で尋ねる。
「お、俺たちが? でも、俺たちは予選落ちの戦犯だぞ……?
天才たちをスカウトしたんじゃないのか?」
「天才は往路で使い切った」
俺は冷徹に告げた。
「復路は粘りの区間だ。
派手な区間記録はいらない。
往路で作った貯金を、1秒でも多く守り抜く『盾』になればいい」
俺は彼らに歩み寄った。
「お前らは才能がない。フォームも汚い。
だが、この半年間、アスナの理不尽なシゴキに耐えて、誰も辞めなかった」
彼らの顔を見る。
最初はやる気がなかった目が、今は少しだけ違って見えた。
「箱根」という現実的な目標が目の前にぶら下がったことで、燻っていた何かが燃え始めている。
「華麗な走りは求めない。 泥臭く、這ってでもタスキを繋げ。 ユージンまで繋げば、あとはアイツが全部ひっくり返す」
俺は先輩の胸を拳で小突いた。
「『凡人』の意地、見せてみろよ。 ……それとも、一生負け犬のままで終わるか?」
先輩が、拳を握りしめた。
その目に涙が滲む。
「や、やるよ……! やってやるよ!
俺たちだって、箱根を走りたかったんだ! テレビの中だけの夢で終わらせたくない!」
「うおおおおお! 俺たちもやるぞおおお!」
雄叫びが上がった。
それを見て、火野や雷兄弟が「へっ、熱苦しいな」と笑う。
ユージンもニカっと白い歯を見せた。
「……整いましたね」
アスナが隣で微笑む。
「往路は『最強の矛』。復路は『泥臭い盾』と『隠し刀』。
……歪だけど、面白いチームです」
「ああ。これなら勝てる」
天才が切り開き、凡人が耐え、怪物がトドメを刺す。
星雅大学・駅伝チームの全容が完成した。
俺は空を見上げた。
まずは予選会。
今度は「個」ではなく「チーム」で、他校を蹂躙しに行く。




