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鈴の音がよく似合う少女へ

掲載日:2026/02/09

 その森に入ったのはなぜだったか。そんなことは忘れてしまったし、どうでもいい。きっと、「暇だった」くらいしか思い出せないだろう。

 小学5年生の夏休み、僕は祖父母の家に預けられていた。家から電車で1、2時間ほど行ったところにあり、周りには田んぼと森しかない。そんな町だった。

 よく考えてみてほしい。小学生が大人しく夏休みの宿題をできるのか、と。当然の如く2日目には宿題に飽きて外で遊んでいた。

 蜜に誘われるカブトムシのように僕は森の中に入っていった。「探検」というものはロマンがあっていくつになっても好きなのだ。

 照りつける太陽とかくれんぼしながら少し大きな獣道を進む。あたりに鳴り響くセミの大合唱に紛れて、リンリンという音が聞こえてきた。

(何の音だ......?)

 まだ夏休みも始まったばかりだ。鈴虫の季節には少し早いだろう。

 鈴虫ではないならおそらく風鈴の音だろうな、と思う。しかし一つ疑問が残る。なんでこんな所で風鈴の音がするのだろうか。

 木々の隙間から少し開けた土地が見える。その先には......小屋があった。軒先で風鈴が誰かを待ち侘びるように一人寂しく揺れていた。さっきの音はこれだったのか、と合点がいった。


「誰かいますかー!」


 返答はなかった。ただ、青紫色の風鈴がこちらを誘うように風に揺られている。僕はそれにつられるように小屋に近づいていった。


「ごめんくださーい」


 一応ノックをして入ることにする。しかし少し古びた戸にノックの音はよく響いて少し驚く。急に悪いことをしてしまった気分になってしまう。

 緊張した心臓がドクドクと自己主張を強めていく。

(た、確か、ノックは3回がマナーだったよね......?)


「誰かいます......うわぁっ」


 古びた引き戸を開けた先。そこには、少女が寝ていた。おそらく歳は自分より上で、身長も自分より高そうで、心配になってしまうほど肌が白くて......

 早鐘を打つ心臓とは対象的に、心の何処かで冷静な自分がいることがなんだか可笑しかった。


「んぅ、なにぃ」


 その少女は戸が開いた音で起きてしまったようだ。大きくパチリと瞬きをしてこちらを見た。一瞬目を見開いて、右手で目を擦る。そしてもう一度こちらを見る。鈴を転がすような声で彼女は言った。


「君は......誰、かな?」

「あっ、えっと、僕は(はる)です。漢字は太陽の陽って書きます。

「ふーん。私スズカ。スズ、でも何でも好きなように呼んで」

「は、はい。じゃあ、スズさん」

「堅苦しい!敬語もさん付けもダメだよ!」


 スズと名乗った少女はぷく、と少し頬を膨らませたあと小首を傾げて言った。


「キミ、ここら辺で見ない顔だね。どうやって私のこの秘密基地を見つけたの?」

「僕、夏休みの間祖母の家に預けられてて、ここまで来れたのは風鈴の音が聞こえたからで......」


 決して僕はコミュ障ではない。ただ初対面の人と話すことが苦手なだけなのだ。


「まぁいいや。私はキミを歓迎しよう。キミもこの秘密基地の一員だ!ちなみに拒否権はないからね」

「えっ、あ、はい」


 なんか無理やり押し切られた気がして釈然としない。しかし退屈していたところなのでちょうどいい。


 帰ってから祖母に彼女のことを聞いてみた。


「ばぁちゃん。スズカって子知ってる?今日会ったんだけど」

「そんな子、この辺におったっけな。もう歳やからすぐ忘れてしまうんや」


 こんな言葉しか返ってこない。僕は明日もあの小屋に行くことに決めた。



 次の日も太陽が相変わらず空から見下ろしていた。たまに吹くそよ風だけが唯一の癒しだ、と思いながら昨日と同じ道を通って小屋まで行った。今日は風鈴が昨日より控えめに揺れていた。

 ノックをして戸を開けると、今日こそ誰もいなかった。まだスズは来ていないみたいだ。

 小屋の中を見渡す。古びた戸に所々剥がれかけた壁、錆びたトタン。壊れそうなほどではないが少し心配になる。古めかしいものたちの中で彼女の私物らしき本と軒先の風鈴だけが少し周りから浮いていた。

 ここだけ一昔前の景色がそのまま残っているように感じる。ここだけ時間が進むのが遅かったのか、周りが速かっただけなのか。

 こんなふうに机から離れている間に、塾の周りの子はすでに次の単元までテキストを進めているだろう。周りが速いだけなのか、僕が怠けていて遅れているのか......

 ガタッガタン、という戸の音が小屋に響いた。そしてチリンと一際大きく風鈴の音が聞こえてきた。


「ん、ああ。キミか。今日は早いね」

「まぁ、することも特になかったので」


 ふーん、と呟きながら彼女はポケットからタブレット菓子を取り出していた。一般的なものより粒が大きくてミントがきつい。僕も好んでよく食べる。


「ねぇねぇキミ。夏休みの宿題は順調?」

「それなりに。ワーク類は夏休み初日に終わらせたけど」

「ふーん」


 パキッ、という小気味よい音。それに続いてポリポリ、と音が聞こえてくる。


「ねぇねぇキミ。憂鬱そうな顔してたけど。どうしたの?」

「っいや。そんな顔してました?」

「こんな晴れた日に似合わない、梅雨の空みたいだったよ」

「いやいや、そんなことないですよ」

「それは、人に話したくない。話せないことだったりする?」


 彼女は僕に悩みがあることを確信しているみたいだった。続けて僕の目を見ながら言った。


「私は、ほとんど知らない人のほうが悩みを話しやすいと思うんだ。キミの悩み、話してみない?」


(たしかにこの人になら、話してもいいかもしれないな)

 その言葉を皮切りに僕はポツポツと言葉を紡ぎ始めた。


 きっと周りから見た僕はイヤなやつだ。ちょっと勉強ができて、足が遅くて、無駄にプライドが高くて、すぐにイラついて、売られた喧嘩はすぐに買う......それが僕だ。

 前日に塾で出された問題が全く解けなかったからか、朝起きた時に頭痛がしたからか。理由はわからないが、その日はイライラしていた。

 学校でのカラーテストが珍しく満点ではなかった。

(嘘だろ。なんでこんなしょうもないミスをしたんだ)


「おいおいおい。お高くとまったガリ勉のくせに満点じゃないのかよ。おもしれー」

「満点じゃないんだー。お母さんに怒られたりするんじゃないの?泣いちゃったりしないか?」


 それをクラスのお調子者数人にからかわれた。僕は、テストで50点あればいいほうなやつらが僕のことをバカにしてることが気に食わなかった。そのヘラヘラした鼻っ面を殴ってやりたかった。

 その後はもう想像通り。言い合いだの殴り合いだのという喧嘩になった。運動神経が悪い僕が数人相手に勝てるわけがなかったが。

 その日から僕は学校に行くのが億劫になり、そのままズルズルと夏休みが始まっていった。塾でも僕は周りから置いていかれていった。


「まぁそんなことがあって。今は逃げるような感じで、祖母の家に泊まってます」


 言葉を探しながらのたどたどしい話だったが、最後まで彼女は優しく陽の目を見つめていた。彼女がなにか言おうとしたが、それを遮るように言葉を続けた。


「結局全部僕が悪い。自業自得なんですよ。テストが満点じゃなかったのも、先に手を出したのも僕が」

「はい、ストップ。全部自責思考になっちゃってるよ。一回落ち着こ」


 彼女はタブレット菓子を僕の前に差し出して、少し微笑んだ。


「食べる?スッキリするよ」

「......はい」


 久しぶりのミントの香り。スーッ、とした爽快感が口の中を駆け回る。それが今の自分の心の中と正反対で、なんだか可笑しかった。


「相手側の意見を聞いてみないと結論づけれないけど、先に手を出したことは確かにキミが悪い。だけど、バカにしてきた人たちも悪い」

「いや、僕が。全部、聞き流していれば」

「キミ」


 彼女が一際強く名前を呼んだ。先生が生徒をしかりつける前のような、それでいてどこか優しい声だった。

 相変わらず優しく僕の目を見ていた。それが恥ずかしいのか、自分の内面を見せたくないと何処かで思っているのか、目をそらしたくなる。


「自分ばっかり責める、そんなキミのことだからちゃんと反省してるんでしょ?あとは殴った相手に謝罪したらそれでいいじゃん」


 チリンチリン、と優しい風鈴の音が聞こえてくる。


「こう言うと軽く聞こえちゃうけどさ。小学生なんてそんなもんでしょ。喧嘩して、反省して、謝って、仲直りしてそれで成長するんだからさ」


 彼女は少し目を伏せて言った。


「どこまでも自分のことを責めてしまう。キミは、優しいんだね」

「えっ......」

「そもそもー、普通の子はそんな簡単に自分の非を認められないものだよ。私も、そうだったから」


 そういって彼女は悲しげに目を細める。

 驚いて目を見開く僕を見て、彼女はクスッと小さく笑った。そして窓の外を眺めながら言った。空から何かを探すように。


「私の話はまた今度ね。その話は、こんな晴れた空には似合わないよ」


 それに対してすぐに返せる言葉を、僕は持っていなかった。それがなんだか悲しくて悔しかった。


「いやっ、やっぱ大した話じゃないから。何でもない、もう忘れて」


 彼女は恥ずかしそうにブンブン手を振っていた。

 それを見た僕が小さく笑みを漏らす。すると今笑ったなー、とムスッとした顔で言われてしまった。


「それじゃまた、明日も来ますね」

「はーい、またねー」


 ムスッとした後に少し泣きそうな顔をした彼女は、仲直りをする前の子供のようにも見えた。

 それを見て、何だか見てはいけないものを見てしまったような気分になった。



 今日のかくれんぼは太陽が逃げる番らしい。一度顔を見せたとしても、すぐに雲に隠れてしまう。実は恥ずかしがり屋なのかもしれない、と思うと少し笑えてくる。

 いつもの森の道を歩いていても風鈴の音が聞こえてこない。今日は風もお休みのようだ。

 風と太陽のコートを脱がせる勝負に決着はついたのか、それともコートを着てる人が居なくて拗ねてしまったのか。


「おーい!キミー!」


 後ろから僕を呼ぶ声とタッタッタッと駆けてくる音が聞こえてくる。


「よく森の中走れま......」


 そう言って振り返ろうとすると、スズの足が木の根に引っかかって転びそうになっていた。


「危ない!」


 わっ、と彼女が驚いた声を上げる。

 僕の上半身にドンと力がかかった。咄嗟に前から肩を支えようとしたが、体で受け止めるような体勢になってしまった。取り敢えずギリギリ間に合ってよかった。


「だっ、大丈夫?怪我してない?」


 顔の横から彼女の声がする。


「それは、こっちのセリフですよ。スズさん」


 平静を保って話そうとしているが、彼女の髪が当たっていたり、爽やかな香りがしていたりで気が気でなかった。


「ごめんね。次から気をつけるよ」


 耳元で言われてしまうと少しゾワゾワして、なんだか居たたまれない。


「じゃっ、先に行ってるねっ」


 顔を背けるように彼女は小走りに道を進んでいった。後ろから見えた耳が赤くなっていたことには触れないほうがいいかもしれない。太陽や風とは違って、拗ねられたら困るのだ。


「や、やぁキミ。調子は、どうだい?」


 軒先に座っていた彼女はいつもより少しぎこちなかった。昨日とは違ってこちらと目を合わせようとしない。


「傘を差し出されるほどブルーでも、日傘を差すほどイエローでもない、ってところですかね」

「ふふっ、なにそれ。天気予報みたい」


 彼女は肩を揺らして笑い始めた。その上では、それにつられて風鈴も音を奏でる。


「ところでスズさん。今日はどんな天気ですか?」


 きょとんとした様子で彼女は答えた。


「ちょっと曇ってるね。雨は......降るかもしれないね」

「湿った空には湿っぽい話がお似合いかもしれませんね」


 彼女はハッとした顔でこちらを見つめ、その後クツクツと喉を鳴らして笑った。


「これは一本取られたね。それじゃ、話そう。いるかい?」


 昨日と同じようにタブレット菓子を差し出してきた。それを一粒口に入れながら彼女の涼しげな声に耳を傾ける。


「どこから話そうか」


 そして話し始めた。何処かに置いてきた日記のページを一枚一枚丁寧に捲るように。


 この秘密基地にはね、私より2、3歳くらい上のお兄ちゃ......男の子がいたの。あっ、一応血の繋がりはないからね。私は月兄、月兄って呼んでたの。月兄は私のことをキミとしか呼ばなかったけど。

 私がキミって呼ぶのは月兄の真似なんだよ。

 それで、月兄は私をここに連れてきてくれたんだ。それが確か、4年前。この辺りもだんだんセミが減って、落ち葉が増えていった頃のこと。

 私は、この秘密基地が大好きで、月兄と遊ぶ時間が大好きだった。

 去年のちょうど今くらいのとき、月兄に引っ越すことを伝えられたんだ。そのことを知った時はもうワンワンずっと泣いてた。ほんと、寝食を忘れるって言葉が似合うほどに。

 今年も一緒にお祭りに行こう、って約束してたのに、その前に引っ越すことになっちゃって。喧嘩......いや、一方的に私が泣き喚いただけだね。それでひどいこともいっぱい言っちゃったんだ。

 そのまま私は秘密基地に行かなくなって、家に引きこもってた。引っ越しの前日に月兄は家を訪ねてくれたけど、私は気まずくていつもみたいに話せなかった。

 全部、全部私が悪いのに、月兄は最後に「ごめんね」って言ったんだ。「なんで月兄が謝るの」って返して、謝りたかったのに、泣いたせいで上手く言葉にできなかった。

 それから一度も月兄には会えないまま、また夏が来た。


「で、今に至るって感じ。ただ、それだ......」

「なんで!」


 急に口を発したことに彼女は驚いてるようだった。


「そんな、軽いことじゃないのに。それだけ、って言おうとするんですか」


 自分のことではないのに泣きそうになっている僕を見て、彼女は少し目を伏せて言った。


「無意識だったなぁ。もう、私にとっては昔のことなのかもしれないね」

「それはないでしょう!」


 思いの外、強く声を張ってしまった。らしくないなと思いながらも言葉を続ける。


「なら、なんで。そんな泣きそうな顔をしてるんですか!昨日も、今も」

「あっ......」


 つう、と一雫の涙が彼女の頬を伝った。


「うそ、キミの前では、泣かないようにしてたのに。キミが、責任を感じないように。悲しませたくなかったのに」


 堰を切ったようにボロボロと涙がこぼれ落ちていく。必死に手で隠そうとしても手遅れのようだった。


「やっぱり、スズさんは優しいですね」

「そんなこと、ない。今、キミに、迷惑をかけちゃってる」

「迷惑なんかじゃないですよ。これはただの、僕の自己満足です。ほら、涙拭いてください」


 差し出したハンカチを最初は受け取ろうとしなかったが、最終的には根負けしたようにゆっくりと涙を拭き始めた。

 小さく漏れる嗚咽を隠すように、風鈴が涼しげな音を鳴らす。


「一旦外に出とこ......」

「ん」


 泣き顔を見られたくないだろう、と思って外に出ようとしたらチョンと服の裾を優しくつままれてしまった。

 普段は大人っぽい彼女が、一人で眠れない子供のように服をつまんでいることに不意をつかれてしまう。


 それからどれくらいが経っただろうか。数分だったようにも、数十分だったようにも思える。

 雲はだんだんと黒みを増し、ポツポツと音が聞こえたかと思うと一気に雨が強まっていった。


「あ、あめ」

「傘は持ってますか?」

「いや、持ってない......」


 ジャジャーン、とチープな効果音を口で奏でながらカバンから折りたたみ傘を取り出......そうとした。


「残念ながら僕も傘持ってくるの、忘れちゃいました。二人とも仲良く濡れねずみですね」


 そっか、と彼女は目を伏せる。

 投げかけた言葉のボールは壁に当たって転がってしまったみたいだ。少しくらい壁が凹んでくれたらいいのに、と思ってしまう。


「ねぇ、陽くん」


 唐突に話しかけられたことにも、いつもの「キミ」ではなく名前で呼ばれたことにも驚いて目を見開く。


「私、どうしたら......いや、どうすればいいの、かな」


 疑問形のようで、ただ独り言のような、その言葉は「キミ」ではなく僕に問いを投げかけてるようだつた。


「こんな質問、困らせちゃうだけかな」


 彼女は苦笑いを浮かべようとして失敗したような、へにゃりとした顔をした。その瞳からはもう涙はこぼれ落ちてこない。

 僕はありきたりな答えしか持ち合わせていない。ヒーローみたいに完璧な解決策を上げることはできないし、自分から何か行動を起こせるわけでもない。そんな自分が歯がゆかった。


「直接会いに行くしかないんじゃないですか」

「そっか、やっぱそうだよね......」


 彼女は自分に言い聞かせるようにそう呟く。


「生憎、差し出せる傘を持っていないんでね」


 僕は少し笑いながらそう言った。

 それに対して彼女はふふっと笑みをこぼす。


「上手いね」


 彼女は目を今一度拭うとすーっと強く息を吸った。そして自分の掌を頬に勢いよく叩きつけた。


「そうしよう!私は、月兄に会いに行く。そして言うんだ。『ごめんね。ありがとう』って!」


 決意表明を終えた彼女は僕のほうを見た。一度目が合って、少し恥ずかしそうに目を逸らして、また僕の目を見た。


「ありがとう。本当に、キミのおかげだよ」


 雨上がりの紫陽花のようにニカッと笑う。

 その顔が可愛くて、綺麗で、美しくて、目が離せなかった。



 それから毎日のように僕は小屋に通った。駄弁ったり宿題をしたり外で遊んだり。スズと過ごす時間は進むのがとても速いように感じる。

 気づいた時には夏休みの残り日数はもう少しで片手で数えれるほどに少なくなっていた。


「算数の問題ね。どれどれ、お姉さんが教えてあげよう......って難しっ。無理無理絶対に解けない」


 彼女は僕が宿題をしているところを眺めていることが多い。

 反応を見る限り算数が苦手なようだ。国語は得意と言っていたけど。

 そういえば、と呟きながら彼女はカバンからある紙を取り出した。きれいに保管してあるように見えて少し端が折れているのが彼女らしかった。


「今週末の土曜日に夏祭りがあるんだよ!一緒に行かない?」


 今週末の土曜日か、確か帰るのが......日曜の予定だ。

 断る理由がないのですぐに承諾する。


「いいよ」

「やったー!」


 そういえば家に浴衣があっただろうか。昔来た覚えはあるがどこにあるのかがわからない。帰ったら祖母に聞いてみなければ。



 お祭り当日の土曜日。いつもとは違う服装に少し違和感を感じる。金魚の意匠があしらわれている浴衣を汚さないように慎重に歩いていく。

 祖母はよく似合ってると褒めてくれたが、自分としてはよくわからない。きっと馬子にも衣装と言ったところだろう。

 慣れた様子で小屋のいつもの位置に座る。まだスズは来ていないようだった。

 どこかから人々の歓声と太鼓の音が聞こえてくる。無意識のうちに浮き足だってしまうような音。昔からこの音、雰囲気が好きだった。

 チリンチリンと軽やかな音がしたかと思うと、戸が開けられた。


「やっほー、キミ。調子はどうだい」

「っ」


 何か言葉を返そうとしたが、言葉を発することが憚られるくらい美しい姿に息をのんでしまった。


「え......っとぉ、そんなにじっと見られると、ちょっと恥ずかしい、かな」

「い、いや、すみません。とても似合ってて......」


 無意識のうちにじっと見つめてしまっていた。紫陽花の紫を基調とした柄は、彼女の少し儚げで美しい雰囲気によく似合っている。いつもはつけていない髪飾りが彼女の儚げな雰囲気によく似合っており、大人っぽさが強調されていた。


「キミも......似合ってるよ」


 躊躇いがちにこぼされたその言葉は、僕を赤面させるのに十分するほどだった。

 


「いやーやっぱりんご飴美味しいねー」


 そう言いながらパリパリと齧る彼女を見て、これだけでも来た甲斐があったなと思った。

 美しい人は何か食べてるだけでも絵になるのだなと感心する。


「それはわかったけど......りんご飴さっきも食べてなかったか?」

「うん!これ3個目」


 元気よく答えたのはいいが、流石に食べすぎではないかと思ってしまう。


「次金魚すくいやろー!」


 すぐに食べ終わったらしく、人の間を縫うように上機嫌に歩いていく。僕はそれに置いていかれないように歩幅を合わせる。


「前みたいに転ばないでくださいよ」

「はーい。わかってますー」


 周りの音楽に合わせてフンフーンと鼻歌を歌う彼女の横顔を眺める。近いようで遠い、そんな曖昧な距離は金魚すくいの屋台に着くまで続いた。


「おっちゃーん、二人で」

「はい、1人につきポイは3つね」

「はーい、キミも」


 彼女からポイを3つ手渡され、プールを覗き込む。金魚すくいをした経験が殆ど無かったので、どうすれば上手く掬えるのかわからなかった。

 見よう見まねでやっているうちにポイが残り1枚。次がラストチャンスになってしまった。

(最初の2回でだいたいのコツは掴んだ。出来るだけ水に浸かる時間は短く......今だ。)


「あっ」


 持ち上げるところまではよかったが、椀に入れようとしたところで破れてしまった。

 ポチャンと水に戻った金魚はこちらを小馬鹿にするようにヒラヒラと泳ぎを再開する。


「最後の惜しかったねー」


 いっぱい取るぞー、と意気込んでいた彼女は2匹取ることができたようだ。


「名前なんてつけよっかな、この子たち」


 あ、と彼女は何か考え込む素振りを見せた。


「昼と夜なんてどう?」

「いいと思うぞ」


 陽の返答に対して少しジトーっとした目を向けてくる。そしてフーンと呟くと1人でスタスタ歩き始める。


「キミは、まだ言葉遊びのレベルが足りないようだね。精進するように」

「はぁ」


 僕としてはここで不機嫌になられる筋合いはないのだが。不機嫌になった理由を考えているうちに彼女は人混みに紛れかけていた。

 田舎の祭りとは言ってもそれなりに有名な祭りなのでかなり人が多い。下手すればはぐれる可能性もある。


「置いてかないでくださいよ。スズさん」

「善処しまーす」


 なんて心がこもっていない返事だろうか。

 心のどこかではここで手を繋ぐ提案をしたらいいと思っているが、実際に行動には移せない。

 悩んでいると、また置いていかれそうになっていた。すると前にグイッと手を引っ張られる。


「ゆっくりしてたら置いてくよー」


 手を繋ぐというより手を掴まれるの方が近い。このままだと手が離れてしまいそうなので彼女の手を握り返す。

 初めて握った彼女の手はサラリとしていて、ひんやりと冷たかった。

 彼女の歩幅に合わせて僕も歩く。彼女に釣られて僕も笑う。そんな時間が続けばいいのに、と思う。


 花火が見やすいように僕たちは河川敷に移動した。運良く場所を取ることができたが、開始時刻が近づくに連れて人がかなり増えてきていた。

 いよいよ祭りも終わりだな、という気がしてくる。


「キミ、悲しそうな顔してるけど、どうしたの?」

「顔に出ちゃってましたか」


 いやー、と苦笑いしながら僕は頭をかく。


「そろそろ終わりなんだなって。そう思って」

「まだ花火は始まってすらないのに?」


 彼女は不思議そうに小首を傾げる。

 確かにその意見はごもっともだと思いながら答える。


「この楽しい、賑やかな時間も花火と一緒に消えてしまいそうで。今という時間が終わってほしくないんです」

「そっか......じゃあ、しっかり目に焼き付けておかないとね」


 ドーン、と一発目の花火が上がる。


「うわぁ綺麗」


 キミのほうが綺麗だよ、とでも言えばいいのだろうか。実際にはそんなことを言える勇気や甲斐性はないのだが。

 ただ純粋に夜空に咲いている花火も、ほのかに照らされている彼女も綺麗だと思う。


「そうだね」


 口から出たのはありきたりな、そんな言葉だけだった。そんな自分に苦笑してしまう。


「確かにこの時間は終わってほしくないね」


 そう言ってはにかむキミの顔から目が離せなかった。


 フィナーレを終えた後のパラパラとした音。少しずつ減っていく人の声。そんな寂しげな音は彼女と過ごす、最初で最後かもしれない夏の終わりを告げているようだった。

 もう夏が終わるね、と小さくつぶやく彼女の横顔は凛としている。

 悲しげな音に包まれている僕は、未だ繋がれている手を離せないでいた。



 次の日、僕は少し早めに小屋に来ていた。今日はスズに別れを告げなければいけない。帰る日は前々から伝えていた。

 心の準備はできていたつもりだったが、やはり悲しいものは悲しいし心残りもある。

 机の上に置かれた水槽では祭りでとった金魚がすいすい泳いで、時々ちゃぷんと音を立てていた。

 初めは古い建物だなと思ったが、今となってはすっかり馴染んでしまった。風鈴の音も虫の声も心地よいものだと感じる。家に戻ったら都会の喧騒にまぎれて虫の声などほとんどしないだろう。そんな空間はきっと物足りない。


「おはよ。キミ」

「おはよう。スズさん」

「今日が最後、なんだね」

「はい」

「そっか」


 そう小さく返した。彼女の目から雫が落ちる......が彼女はすぐにそれを拭った。


「いや、今日は泣かないよ。だって今日は大切な日だから」


 残された大切な時間をいつくしむように僕たちはゆったりと過ごした。いつもと変わらない、そんな時間も終わりが来る。


「ばぁちゃんの家まで一緒に行く?」


 考える素振りを見せた後、行けないよ、と悲しげに言った。


「この小屋の中だから。この夏の間だったから。私は私で、『スズ』であれたんだよ」


 キミが『キミ』であれたようにね、と彼女はつぶやく。その目は涙でにじんでいた。


「だから、キミとはお別れだね。ありがとう」

「もし!」


 驚きながらも言葉を待つように彼女は僕の目を見ていた。


「もしその別れが、『ばいばい』じゃなくて『またね』だったらって。期待してもいいですか」

「キミが望むならね」


 そういって笑いながら小さく手を振る。最後まで彼女は彼女であり続けていた。


「じゃあね、私の太陽」



 ボックス席に座りながら意味もなく電車の窓から景色を眺める。大して移り変わりが激しいわけではない。

 あの夏から一年。行きがけに買ったミントタブレットは前より10円ほど値上がりしていた。粒の大きさは変わっていないが。

 それに比べて自分はだいぶ変わってしまったなと思う。中学生になって電車は大人料金になったし、声変わりもした。

 彼女はどう変わっているだろうか。


 祖母の家に荷物を置いた後、僕はすぐに森へ向かった。

 小屋へ向かう道はほとんど変わっていない。虫の鳴き声も風の音も去年からそのまま冷凍保存されていたように感じる。

 一年もしたら思い出はしだいに溶けるように薄れていき、今となっては白昼夢を見ていたようにも思えてくる。胸にぽっかりと穴が開いていってしまうような気分だ。


「あっ」


 小屋の姿が見えると同時に風鈴の奏でる音が耳に響いた。

 何も変わっていないように見えたが、軒先の風鈴が一つ増えている。赤を基調とした柄。おそらく金魚だろう。

 中に入ろうとすると戸が大きな音を立てる。建て付けの悪さも相変わらずだなと思いながら部屋を見渡す。数冊積まれた本やミントタブレットのケース。景色の端々に彼女の存在を感じるようだった。

 僕はいつもの位置に座って仲良く揺れる風鈴を眺める。次に戸が開かれるのを待ちながら。

 今日は彼女に伝えたいことがある。何と切り出すかはもう決めている。


「鈴の音がよく似合う少女へ」

他にもいくつか短編を書いているので読んでいただけると非常に喜びます。

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