下町のパン職人なのですが、騎士団長に毎日求婚されて困ってます!
変わらない日々。毎日同じことの繰り返し。でも、だからこそ大切な日常だ。
パン屋を営むマリオンは、朝早く起きてパンを焼き、店先に並べ、朝食にと買い求めるお客の相手をして、昼過ぎには店を閉じて日が落ちる前には寝る。
そんな毎日を送っていたのだが、平和な日常が崩れる出来事が起こった。
それは。
「マリオン! 今日のおススメはなんだろうか?」
「えっと、今日のおススメのパンは――」
きらきらとした笑顔でマリオンに話しかけるのは、王国騎士団長のアレクシスだ。
彼は三か月前のある日ふらりと早朝のパン屋に現れた。
やけに緊張した様子でパンを選び会計をしたアレクシスに、マリオンはいつものように接客をしたはずだ。
だが、いったい何が彼の琴線に触れたのか、それ以来足しげく通ってくれる常連になった。
それだけなら全然よかった。困っているのは。
「マリオン、今日も可憐だ! ぜひ結婚してほしい!!」
「はい。こちらをどうぞ。結婚はしませんよ」
すでに慣れてしまった熱烈な求婚をさらりと流して、マリオンは紙袋に詰めたパンを渡す。
「む」と眉を潜めたアレクシスは、異性に興味が薄い彼女からみても十分にかっこいいと思う。
きりりとした眉、凛々しくて端正な面立ち。騎士団長らしく、服の上からでもわかるほど鍛えられた肉体。
「残念だ! また来る!」
「はーい。いってらっしゃい」
二人のいつも通りのやり取りに、この時間帯の常連の他のお客たちは笑っている。
照れくさい気持ちを隠して、アレクシスの背中を見送った彼女に、常連の一人が話しかけた。
「マリオンちゃん、どうして断るんだい? 受けてしまえばいいのに!」
噂好きのご婦人に問いかけられて、マリオンは肩をすくめる。
「身分が違うじゃないですか。私は平民で、彼は騎士団長です」
「身分違いの恋! 燃えるじゃない~!」
「物語の中でしたらね」
ご婦人が差し出したパンを受け取って、計算をしながらも冷静に告げるマリオンに彼女は「つまらないわねぇ」と心底残念そうだ。
合計金額を伝えてお金を受け取る。おつりを渡して、マリオンはにこりと笑った。
「夢を見るのはやめたんです」
「現実主義ねぇ」
ため息を一つ吐き出して「今日もありがとう」とご婦人は去って行く。
他のお客の相手をしていると、あっというまに時間が過ぎる。
人が落ち着いたころには並べたパンたちは半分以下になっていた。
(今日は減るのが早いなぁ。お昼過ぎには完売ね)
嬉しい悲鳴だ。まばらになったパンたちを綺麗に並べ直しながら、マリオンは浅く息を吐く。
(気持ちは嬉しいんだけど……身分の差はどうしようもないし……)
両親が流行り病にかかって、医者に診せるお金を用意できなかった時。
物語に夢を見るのは止めようとマリオンは思ったのだ。
本の世界なら、素敵な誰かが助けてくれるかもしれない。けれど、現実は違うのだ。
実際、両親は流行り病でこの世を去った。
王都に蔓延した疫病のせいで、医者はてんてこ舞いで、診察は貴族が優先された。平民が医者にかかるには莫大なお金が必要だったのだ。
仕方なかったとはいえ、誰も助けてはくれなかった。あの時、夢を見るのは止めた。
今は父から受け継いだ店を守ることがマリオンの生きがいだ。
(アレクシス様は騎士団長で、伯爵家の三男。雲の上の人だなぁ)
ふと、パンを並べ直す手が止まった。彼と結ばれたらどんなに幸せだろうと、つい考えてしまう。
ふるりと頭を振って邪念を追い払ったマリオンは、再び浅く息を吐きだして作業に戻った。
「貴女ね! アレクシスを唆した売女は!」
「ば、ばいた……?」
店先で近所の子供と楽しくお喋りをしていたところに現れた馬車。
平民街に似つかわしくない高級なそれに、そっとマリオンは子供を背後に庇った。
そして、馬車から降りてきた女性が彼女を見るなり叫んだ言葉がそれだった。
あまりに過激な単語に思わずおうむ返しに繰り返したマリオンに、どこかの貴族の令嬢と思わしき女性はますますヒートアップした様子で口を開く。
「ええ! 彼が優しいのをいいことに! 身分の差がわからないの?!」
(ああ、こういうトラブルに発展するのね……)
思わず遠い目になる。
アレクシスから向けられる好意自体は嫌いではなかったからと、強く断らなかったらこの有様だ。
「聞いていますの?!」
「はい、聞いています」
激昂する令嬢に咄嗟に返事をする。
背後で怯えている子供に帰るように背中に隠して指先で指示を出すと、子供は駆け去って行った。
「わたくしはアレクシスと両想いなのです! 邪魔をしないでくださいませ!」
両想い、それはつまり『婚約者』ということだろうか。
(あの人、婚約者がいながら私に迫ってきていたの……?!)
誠実な人だと思っていたのに。一気に評価がガタ下がりだ。
据わった目をしたマリオンの前で、令嬢が再び馬車に乗る。
「いいこと! 次に彼に会ったらただではおきませんことよ!」
(向こうからくる場合はどうすれば?!)
去り際に伝えられた言葉に、思わず眉を潜める。
だが、マリオンの心情など知らぬ令嬢はそのまま馬車に乗って去って行ってしまった。
「……疲れた……」
なんだか一気に疲労が押し寄せてきた。がくりと肩を落としたマリオンは、しょぼしょぼと店に戻ろうと身を翻した。
だが、そこに大きな声がかけられる。ここ数か月ですっかり馴染んだアレクシスの声。
「マリオン!!」
のろのろと視線を向けると、息せき切って走ってくる姿があった。
腕にはマリオンが逃がした子供を抱えている。あの子がアレクシスを呼んできたのだろう。
それにしても到着が早い。さすが騎士団長の足だ。
「マリオンお姉ちゃん! 大丈夫?!」
「大丈夫よ。ごめんね、怖い思いをさせて」
アレクシスが下した子供がマリオンに駆け寄って腰に抱き着く。
少女の頭を撫でてやり、彼女はきっと鋭くアレクシスを睨んだ。
「もう来ないでください。迷惑です」
「なっ」
「婚約者がいるなら、なおさらです。その方を大切にしてください」
「俺に婚約者などいないが?!」
ぎょっとした様子で言い返されて、マリオンは眉を寄せる。
「では、あの方が嘘をついていたと仰るんですか?」
「待ってくれ、俺は君が貴族に詰め寄られている、と聞いて駆け付けたのだが……!」
弁明する前に状況を教えてくれ、と訴えるアレクシスの言葉に、彼女はため息を吐き出した。
はらはらと二人のやり取りを見ている少女の頭を撫でて、今度こそ帰宅するように促す。
「お姉ちゃんはアレクシス様とお話をするから、今度はまっすぐ帰るのよ?」
「うん。喧嘩、しないでね?」
嘘をつきたくないからあえて返事はしなかったが、代わりにぽんぽんと頭を撫でる。
何度も振り返りながら帰宅する背中を見送って、マリオンは深い溜息を吐いた。
「外でする話でもないでしょう。こちらへ」
「失礼する」
店の二階は居住スペースだ。パンはもったいないけれど、今日は店を閉めることにする。
店先に閉店を告げる看板を出して、マリオンはアレクシスと共に引っ込んだ。
そんな二人を陰から見つめる視線に気づかないまま。
「なるほど。俺と恋仲だという女性が現れたと」
「はい。貴族のお嬢様のだと思います。名乗られなかったので、お名前はわかりませんが」
アレクシスを普段一人で使っている二階のリビングに案内し、紅茶を出した。
家族がそろっていた時は、両親とともに囲んだリビングのテーブルに向かい合って座る。
貴族の彼の口には平民が飲む紅茶は合わないかもしれないと思ったが、アレクシスは何も言わず紅茶で喉を潤した後、マリオンに先ほどまでの詳細な説明を求めた。
「さっきもいったが、俺に恋仲の女性はいない。そのような相手がいれば、君に求婚などするはずがない」
きっぱりと断言されて、安堵が胸を満たす。
遊ばれていたわけではないことに安心している自分に気づいて、マリオンは僅かに目を見開いた。
「どうした?」
「い、いえ」
さすがに「貴方に相手がいなくてほっとしました」と口にできるはずもなく、マリオンは軽く視線を逸らすにとどめた。
「しかし、去り際の言葉が物騒だ。街を巡回する騎士にも伝えておこう」
「そこまでは!」
「君になにかあってからでは、死んでも死に切れん」
まっすぐに見つめられて言われた言葉に、胸を打たれる。
真摯な響きを持つその言葉に、心臓がどうしても高鳴ってしまう。
「その、どう、して……」
そこまで気にかけてくれるのか。そもそも、なぜ平民のマリオンに求婚をずっとしているのか。
いままで尋ねるのが怖くて口にできなかった問いを、なんとかかすれる声で言葉にした彼女にアレクシスは優しく目元を和ませる。
「俺は、孤児だったんだ」
「え?」
思わぬ告白に目を見開く。伯爵家の三男だと記憶していたが、間違っているのだろうか。
「その日食べるものも事欠く有様でな。恥ずかしながら盗みをして生きてきた」
「っ」
伏せられた眼差しには痛みが満ちている。嘘だとは思えなかった。
息を飲んだマリオンの前で、彼は小さく笑う。
「ある日、とある男性の財布を盗んだ。その人はすられたことを怒るでもなく、俺に手に持っていたパンを分けてくれた。あのパンの味を、生涯忘れることはないだろう」
もしかして。脳裏によぎった推測は、次のアレクシスの言葉で裏付けられる。
「君の父君だ。マリオン」
「っ」
確かに、マリオンの父は優しい人だった。
パンを多めに作って、余れば貧困にあえぐ子供に分けるような人だったのだ。
母は反対していたし、幼いマリオンにはその行動の意味が理解できなかった。
だって、パンを多めに作って配るせいで、家はいつも貧乏だったから。
「道を改めようと思った。改心して、全うに生きようと。そんな俺を、さらに拾ってくれたのがシャルディー家の長男の兄だ」
真剣に耳を傾けるマリオンの前で、訥々と彼は語る。
「シャルディー家は慈善事業に力を入れている家でな。孤児の面倒も見ていた。その中で、ずっと盗みをしていた俺が『真っ当に生きたい』と口にしたことを喜んでくれて、色々と紆余曲折を経て、俺はシャルディー家の養子になった」
「そう、だったんですね……」
今まで貴族のボンボンとして何不自由ない生活をしてきたのだと思っていた。
不幸なことなど一度も体験していないから、太陽のように明るく笑うのだ、と。
だが、違った。実際にはマリオンよりよほど過酷な人生を歩んでいる人だった。
視線を伏せた彼女は、けれど、同時にどうしても言わなければ気が済まないことがあった。
「……では、なぜ」
震える声を絞り出す。八つ当たりだとわかっていた。でも、止められなかった。
「どうして、両親が医者を求めた時に、助けてくれなかったんですか……!」
流行り病が王都に蔓延したのは五年前、マリオンはまだ十二歳だった。
父に恩を感じていたのなら、その時には貴族の一員であったのなら。
どうして助けてくれなかったのかと。恨み言がでてしまうのは仕方ないだろう。
マリオンの悲痛な訴えに、アレクシスが悲しそうに目線を下げる。
「……父には伝えた。だが、母が病に倒れていて、それどころではなかった。人々の救護に積極的だった二番目の兄が、病によって命を絶たれたことで、父は流行り病を恐れて、家族を家からだしてはくれなかった」
その時、アレクシスはいくつだったのだろうか。いま、二十代前半に見えるから、おそらく十代半ば。
だが、養子という立場を考えれば、強く出ることも難しかったはずだ。
「……すみ、ません」
考えれば考えるほど、この優しい人が自ら見捨てたわけではないと理解できる。
謝罪の言葉を口にしたマリオンに、アレクシスは小さく笑った。自嘲の笑みだ。
「恨まれて当然だ。恩を返すことができなかったのだから」
「……」
返す言葉が見つからなくて沈黙を選んだマリオンの前で、彼が紅茶のカップを手に取る。
一口、喉を潤すように飲んで、浅く息を吐いた。
「立派になったら挨拶に行こうと、ずっと目標にしていた。流行り病が収まった頃に、亡くなったと人づてに聞いて後悔した。だが、全ては遅かった」
皮肉気に口元を歪める姿は普段の明朗快活な笑顔とは程遠い。
歯を食いしばるマリオンの前で、アレクシスの言葉は続く。
「それでも、君のことが気になっていた。娘がいる、と聞いていたから、元気だろうかとずっと気にかけていた。三か月前、ようやく勇気を出してここを訪れたら――あまりに綺麗な笑みを浮かべる君に、一目惚れをした」
柔らかい声音で、愛おしさの滲む言葉で、そう言われて。
驚いて視線を上げたマリオンの前で、アレクシスが普段の笑みとはまた違った優しさの溢れる笑顔をしていた。
だが、その瞳には絶望が宿っているように見える。
「俺には、そもそも君に恋をする資格などなかった。すまない、浮かれていて、忘れていたんだ」
「そ、んな」
かすれた声が喉から零れ落ちる。上手く息ができない。
なんといえば、フォローできるのか皆目見当もつかなかった。
「失礼する。紅茶、美味しかった。ありがとう」
「ま、まって!」
立ち上がったアレクシスのマントを掴む。咄嗟の行動で、自分でも意味が分からない。
それでも、このままいかせてはいけないと知っていた。
「わたし、は!」
どうにか、胸に宿るこの思いを伝えたい。そう思って口を開いたのに。
ふいに鼻についた匂いに眉を潜めた。
「……煙?」
「なに? 本当だな!」
職業柄、火の気配には人一倍敏感だ。
ぽつりと零したマリオンの言葉に、アレクシスもすぐに気づいたようだ。
顔を見合わせ、発生源を探る。キッチンではない。なら、どこだ。
「一階か!」
「そんな! お店が!!」
階下から煙が二階に侵入している。
アレクシスの指摘に慌てたマリオンが階段につながる扉を開くと、一気に黒い煙が侵入してくる。
「失礼する!」
「えっ」
アレクシスがマリオンを抱え上げる。そのまま彼は階段ではなく、外に繋がる窓へと駆け寄って、そのまま飛び降りた。
驚いたマリオンがぎゅっと目をつむっていると、意外にも体にかかった衝撃は薄い。
「……?」
そっと目を開いた彼女を抱えて、アレクシスが走っている。
「どこへ!」
「一階が燃えていた! 警備隊を呼ばねばならん!」
はっきりと断言されて、さすがの判断の速さにそれ以上言葉は重ねられなかった。
店が心配で仕方ないマリオンは、アレクシスの腕に横抱きにされていても全くときめく余裕もなかった。
▽▲▽▲▽
「……そんな……」
焼け崩れた店の残骸を前に、マリオンは膝から崩れ落ちた。
出火に早く気付いたとはいえ、最近雨が降らず乾いていた空気でのせいもあって、火が回るのが早かった。
初期対応が早かったので、辛うじて延焼は避けられたが、もうここを店として使うのは無理だと一目でわかるほどには、店は焼けてしまっていた。
「どうして……」
父から受け継いだ、大切な店だったのに。二階の居住部には両親との思いでがたくさんあったのに。
涙を流しながら項垂れるマリオンの傍に、アレクシスが膝をつく。
「マリオン」
気遣うように名前を呼ばれて、気づいた。そうだ、あの令嬢が言っていた。『次はない』と。
では、これは。見せしめなのだ。
「……っ」
貴方のせいで、そう罵れればどれだけ楽だっただろう。実際、言葉は喉元まで出かかった。
だが、先ほどのやり取りがあったからこそ、言葉を住んでのところで飲み込むことができた。
ぽろぽろと涙を流しながら、歯を食いしばってアレクシスを見上げる。彼は、恐ろしいほど真剣な顔をしていた。
「俺のせいだと責めない君の優しさに、つけ入るようで悪いのだが」
「……」
「犯人を、炙りだそう。これ以上、君を傷つけられるのは我慢ならない」
その提案は、闇におぼれそうになるマリオンの心を救う一筋の光だった。
貴族が平民を害しても、たいした罪には問われない。
だが、出自はどうあれ騎士団長のアレクシスが味方をしてくれるのなら。その限りではないかもしれない。
「……はい」
「俺が守る。絶対に」
「はい。……私も、あの方を許さない」
憎悪に燃える声で決意を口にしたマリオンに、本当に少しだけアレクシスは悲しそうな色を瞳に宿した。
▽▲▽▲▽
放火の犯人は驚くほどあっさりと捕まった。
騎士団がアレクセイの指示のもと、本気で探したから。
尋問をした彼曰く、雇われたと供述したらしい。
雇い主はマーシャル伯爵家のご令嬢だと口にしたらしく、アレクシスが該当する令嬢の姿絵をマリオンに見せてくれた。
「この人です。間違いありません」
家が燃えてなくなってしまったので、アレクシスの好意に甘える形でシャルディー家に身を寄せている。
平民が貴族の家に世話になるなど、と最初は遠慮したのだが、アレクセイが怖い顔で「次は命を奪われるかもしれない」と脅してきたので、首を縦に振らざるを得なかったのだ。
マリオンの家だった場所より広いのではないかと錯覚する、豪華な客間をあてがわれた。
やることもなく暇をしていたマリオンの元を訪れたアレクシスが差し出した姿絵に、顔色を変える。
「彼女はヴァジニー・マーシャル。伯爵家のご令嬢だ」
「……伯爵家のご令嬢様……」
マリオンからすれば雲の上の存在だ。だが、しでかしたことは許せることではない。
厳しい表情をする彼女に、アレクシスの顔色も優れなかった。
「……昔、婚約を申し込まれたことがある。その際に断ったのを、まだ引きずっているのかもしれない」
「そうなんですね」
冷えた声がでた。どんな事情があろうと、大切な家と店を燃やされた恨みは根深い。
「平民が貴族を訴えるのは難しい。俺の立場を利用してくれ」
「と、いいますと?」
「彼女を騎士団の詰め所に呼び出そう。俺も殺されかけているから、その罪状で」
「わかりました」
人は平等ではない。身分には厳格な区別がある。
だからこそのアレクシスの提案に、マリオンは一つ頷く。
「では、三日後に。覚悟を決めておいてくれ」
「はい」
三日後、この人に罪を問う。認めて賠償をしてくれるなら、許せはしないけれど手打ちにしてもいい。
けれど、きっとそうはならない。
強い予感を抱きながら、マリオンは小さくため息を吐きだした。
▽▲▽▲▽
「わたくしを誰だと思っていらっしゃるの?!」
騎士団の詰め所に金切り声が響いている。
扉の外からそれを聞いていたマリオンは、隣のアレクセイに小さく頷いた。
人違いではない、という意味を込めて。
マリオンが直に声を確認したことで、疑惑は確固たるものになった。アレクセイが扉を開けて中に入る。
「! アレクセイ様!! この者たちがわたくしに無礼を――どうしてその女が?!」
姿を見せたアレクセイにすがろうとしたヴィジニーは、けれど彼が守るように背後に庇っているマリオンの存在に目を見開く。
マリオンは一歩前に出て、ひたりとヴァジニーを睨み据えた。
「私の家に放火しましたね」
「なにをいっているの? 知らないわ、そんなこと」
白を切るヴァジニーに、アレクセイが横から口を開いた。
「実行犯が供述している。君からの依頼だと」
「……だったらなんだというのです? 平民一人死んだところで」
「っ」
貴族が平民を蔑んでいるのは知っていた。
だが、あんまりなセリフに目を見開いたマリオンの横でアレクシスがヴァジニーを睨み据える。
「あの時、俺も殺されかけた。君が罪に問われているのは、騎士団長殺害の指示だ」
「な?!」
小さく悲鳴を上げたヴァジニーが、初めて狼狽えたように視線を動かした。
彼女としても、アレクシスを害する気はなかったのだろう。
だが、全ては遅い。事件は起こってしまったのだから。
「貴女がどんな思いでアレクシス様を慕っているのかは知りません」
凛と口を開いたマリオンの言葉が詰め所に響く。ヴァジニーの視線が彼女へと向いた。
さらに言葉を紡いでいく。
「私には関係ないし、知りたくもない。貴女は私一人を殺そうとしたのかもしれないけれど、実際にはアレクシス様を巻き込んだ。そのうえ、消火が間に合わなければ、平民街は火の海になるところだったの」
事実だ。アレクシスが迅速に消火を呼びかけ、人を集めてくれたから大事にはならなかったが、そうではなかったらと思うとぞっとする。
「貴女は背負えるの? 平民など、というけれど。平民街に住むすべての命を。死んだ人の家族に呪われて、恨まれる人生に耐えられるの」
「な、にを」
「事実だ。それだけ、君のしでかした罪は重い」
狼狽えた様子のヴァジニーに畳みかけるようにアレクシスが告げる。
彼女はぎゅっとこぶしを握って「だって」と駄々を捏ねる子供のように口を開いた。
「アレクシス様はわたくしのものなのに!」
「俺は誰のものでもない。むろん、君のものでもない」
「わたくしのものよ! ずっと好きだったの!! 平民出身でもよかったのに!」
叫んだヴァジニーの言葉に、アレクシスが悲しそうに目を細めた。
見下した意味をもつ言葉が含まれていたからだろう。
「ああ、そうだ。俺は平民だ。平民街の人々は俺の家族だ。君は俺の家族を殺そうとした。許せない」
きっぱりと断言したアレクシスの言葉に、ヴァジニーが目を見開いて。へなへなとその場に座り込んだ。
「わ、わたくし、は」
「貴女がどんな立場の人でも」
割り込むようにマリオンは口を開く。
ヴァジニーの見上げる視線を正面から受け取って、厳しい口調で断言する。
「人の命は平等よ。たとえ、法がそうなっていなくとも」
断言した言葉に、ヴァジニーは唇を噛みしめる。
反論を飲み込んでいるのがわかる様子に、浅く息を吐きだしたアレクシスが口を開いた。
「マリオンの言う通りだ。彼女の代わりがいないように、君の代わりもいない。罪と向き合って、償うんだ」
いくらか優しく諭す言葉に、ヴァジニーが涙を流す。
彼女に平民の命の重さが届いたかはわからない。それでも、理解してほしいと、そう思った。
結果をいえば、ヴァジニーはマリオンを殺そうとした罪ではなく、伯爵家の三男であり、騎士団長のアレクシスを害した罪に問われた。
その結果、辺境の修道院に入ることになったと教えられた。
王国騎士団長の殺害未遂はそれだけ重い罪だ。
最初からわかっていたことだけれど、身分の差の前の罪の違いに、少しだけ気分が悪かった。
マリオンはアレクシスの援助を受けて、燃やされた場所に新しいパン屋兼家を建て直してもらった。
「マリオン、今日も可憐だ! 結婚してくれ!!」
「はいはい。考えておきますね」
今日も今日とて、足しげく通ってくれる常連であるアレクシスの求婚をさらりとかわしてマリオンはパンを焼く。
彼女にとって、両親との繋がりこそ、パンという形をしているから。
「む! では色よい返事を期待している!」
「はーい」
実はシャルディー家当主、つまるところアレクシスの父からひっそりと話をもらっていた。
それは「貴族教育を受けること」
アレクシスも受けたという貴族教育が完了したら、彼との結婚を認めようと伝えられたのだ。
平民が貴族籍を得るのは並大抵のことではない。
だが、アレクシスは伯爵家の養子であると同時に、騎士団長だ。
伯爵家に籍はおけなくとも、騎士団長の伴侶ならば、平民でもなれるといわれた。
だとしても、貴族としての振る舞いは覚えて損はないから、覚えなさい、とも。
だから、いまのマリオンは早朝に起きて勉強をしてからパンを焼き、寝る前にアレクシスにばれないようにシャルディー家の別邸に通って貴族令嬢としての教育を受けている。
(彼にふさわしくなるの)
アレクシスはきっと、マリオンが貴族令嬢として振る舞えなくても気にしないだろう。けれど、その優しさに甘えたくはないから。
騎士団長の肩書を持つアレクシスの隣にふさわしい人間に鳴れたと思った。
満面の笑みで彼からの求婚を受けるのだ。
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