第15話 1位を取った日、そしてその後
その朝、私はいつもより早く目が覚めた。
枕元のスマホを手に取り、躊躇いながらロックを外す。
心臓は鼓動ではなく、拳で扉を叩くように胸を打っていた。
指先が震える。
ランキングページへのショートカットを押す。
読み込みの円が、やけに長く回っている気がした。
――そして、表示された。
「1位」。
自分の作品タイトルの左に、あの数字が添えられている。
私は息を吸うことを忘れ、二度三度と画面を更新した。
消えない。夢ではない。
その瞬間、視界が滲み、呼吸が荒くなった。
「……やっと、届いた」
ゼロから始まり、PVの一桁に怯え、ブックマーク1に泣き、批判で沈み、停滞に軋みながら、それでも続けた日々。
誰も見ていなかった夜。
それでも「面白かったです」と残された一行に救われた夜。
仲間の「明日も更新しよう」の言葉に支えられた朝。
そのすべてが、この一文字に収斂しているように思えた。
■ 祝福の雨
通知が洪水のように流れ込んできた。
「1位おめでとうございます!」
「ここまで読み続けて本当に良かった!」
「今日から読み始めました、面白い!」
SNSも同じだ。
固定ツイートの下に花束のようなリプが並び、RTが増え続ける。
たった数時間でフォロワーが何百人も増え、見知らぬ人からも「更新を楽しみにしています」と声がかかる。
――なろう作家あるあるその⑨
「バズった瞬間、通知音を切らないとスマホが熱を持つ」。
スマホは本当に熱かった。
けれど、その熱は、長い冬のあとに差し込んだ春の日差しのように心地よかった。
■ 1位の重さ
嬉しさと同時に、胸の奥で別の感情が膨らむ。
怖さだ。
「ここから落ちたら、どう思われるだろう」
「次の更新で失望させないだろうか」
「この物語を最後まで導けるだろうか」
1位の称号は、冠であり、鎧であり、同時に重りでもあった。
ページを開く読者は増え、初動は跳ね上がる。
だが、ページを閉じる速さもまた、以前より残酷に見え始める。
離脱率、滞在時間、直帰……統計の数値がまるで体温計のように、作品の健康状態を突きつけてくる。
――なろう作家あるあるその⑩
「祝われながら、すでに“次の下落”を想像してしまう」。
私は深呼吸をして、原稿に戻った。
「今この瞬間、書くしかない」
1位は結果であって、作業ではない。
私にできるのは、同じ姿勢でキーボードを叩くことだけだ。
■ 変わるもの、変わらないもの
1位を取ると、変わることがある。
まず、時間の流れが変わる。
以前は一日に一度の更新と、寝る前にランキングを見るだけでよかった。
今は、朝・昼・夜の三回、更新タイミングを巡る判断が必要になる。
次に、外部からの声が変わる。
感想欄に講評のような長文が増え、時には矛盾点の指摘や世界観への質問が寄せられる。
誠実に返したいが、全てに返信するのは難しい。
「ありがとうございます。大切に読ませていただきます」
私はテンプレではなく、毎回一文ずつ書き換えながら返事を続けた。
誰かの一分一秒を受け取っているのだから、こちらも一分一秒で応えたい――そう思った。
そして、自分の中で変わらないものもあった。
たとえば、書き出しの緊張。
「第○話 ――」と入力してから最初の一行が決まるまでの沈黙は、1位の朝も、ゼロの日も、同じ濃度で流れた。
結局、物語はランキングの上でではなく、白いページの上でしか始まらない。
■ 1位を取った日の更新
その日の更新は、奇跡的に筆が走った。
登場人物たちが、こちらの思考を先回りして動く。
伏線が自然と結びつき、点と点が線になる。
書きながら、私は何度も頭の中で「ありがとう」と言った。
キャラクターに、読者に、仲間に、そして過去の自分に。
公開ボタンを押す。
数分と経たないうちに、感想が並ぶ。
「この引きはズルい!」
「次の展開で泣きそう」
ページの向こうで誰かが笑い、息を呑み、眉をしかめ、スクロールしてくれている。
その想像が、何よりのご褒美だった。
■ 維持戦という現実
翌日。
私は震える手でランキングを開いた。
――2位。
落胆はなかった。
むしろ、どこかほっとしている自分がいた。
「昨日の1位」は、もう歴史の一行。
過去に縛られず、今日の更新でまた勝負できる。
ここからは、維持戦だ。
上位常連の作家は、勝ち方を“仕組み”に落とし込んでいる。
更新リズム、章の切り方、読者への予告、SNSの回し。
短期の熱量ではなく、中長期の設計で戦っている。
私は自分の運用ノートを開き、ページの上にルールを書き足した。
毎日更新(どうしても無理な日は活動報告で事情と次回予告)
各話のラストに“問い”を残す(感情か、謎か、選択)
章の頭で約束をする(今章で何が解決し、誰が前進するか)
週に一度、読者への御礼と次週予定(“いつ・何が・どれくらい”)
SNSは宣伝2:交流8(作品外の自分を好きになってもらう)
テクニックは魔法ではない。
だが、背骨になる。
背骨が立つと、物語は自重で崩れにくくなる。
■ 1位のあとの低気圧
数日が過ぎ、私は奇妙な低気圧に見舞われた。
やる気がないわけではない。
むしろ書きたい。
だが、キーボードを打つ指が、ほんの少しだけ鈍い。
――なろう作家あるあるその⑪
「大きな達成のあとに来る、微妙な虚脱」。
目標が達成されると、脳はご褒美を受け取ったあとで“次のご褒美”を探し始める。
私は自分に新しい目標を課した。
「完結で勝つ」。
ランキングは途中経過の表彰だ。
真の受賞式は、完結ボタンを押す瞬間にある。
完結した作品だけが、読者の本棚に永く残る。
だから、私は着地の設計を初期化し直すことにした。
■ 完結設計のやり直し
プロットを開き、終盤のノードに赤線を引く。
誰が何を手放し、何を得るのか。
感情の未払いはどこにあるのか。
サブキャラの弧は、主人公の弧とどこで共鳴するのか。
ラストシーンの一点透視は、第一話のどのモチーフへ光を返すのか。
この時期の私は、“片付け”の作家になった。
散らかした玩具を箱に戻すのではなく、玩具そのものの意味を並べ替え、箱の名前を決め直す作業。
エンドロールに流れる名前が、物語の内側で意味を持つように――。
■ 読者との約束
活動報告に、私はこんな宣言を書いた。
> 今章は「代償と引き換えの前進」です。
> 主要人物がそれぞれ何かを失い、しかし新しい視点を得ます。
> 来週末には“第一の山”を超えます。
> 最終章は、第一話のあのシーンに光を返す形で結びます。
宣言は、作者自身の逃げ道を塞ぐ。
緊張する。けれど、それでいい。
約束を交わした時点で、私と読者は同じ地図を持つ旅人になる。
■ 「その後」を生きる
1位を取った日から少し経って、私はようやく理解した。
1位は“頂点”ではなく、“分岐点”だ。
1位を獲ったあと、筆を緩めて消える作品もある。
逆に、そこで初めて本当の物語を始める作品もある。
違いは、視線がどこを向いているかだと思う。
ランキングの数字か。
読者の顔か。
ページの白か。
私が見たいのは、ページの白だ。
白の上に、今日の一行を置く。
それが、1位を経験した「その後」も変わらない、たったひとつの作業だ。
■ 今日のまとめ
1位は冠であり重りでもある。祝福と同時に責任が生まれる
変わるのは環境と時間、変わらないのは“最初の一行の緊張”
維持戦は仕組みと背骨で戦う(更新・問い・約束・予告・交流)
達成後の虚脱には「完結で勝つ」という新しい旗を立てる
物語はランキング上ではなく、白いページの上で始まり続ける
私はPCを閉じ、真っ黒な画面に映る自分に小さく頷いた。
「明日も、最初の一行から始めよう」
そして、次の章のタイトルを打ち込む。
――第16話 読者とともに完結へ。
1位を取った日の熱と、その後の日常。
両方を抱えて、私は「完結」という新しい山へ向かって歩き出した。