第11話 批判コメントとの向き合い方
1000PVを超えた日の感動は、今でも鮮明に覚えている。
数字が一桁から三桁へ、そして四桁へと伸びていく。その過程は、まるで自分が少しずつ「作者」として認められていく証のようだった。
だが、数字が増えるということは、それだけ多くの目にさらされるということでもある。
読者が増えれば、応援してくれる声も増える。
しかし同時に――避けられないものがやってくる。
それが「批判コメント」だった。
■ 最初の衝撃
それはある日の夜、突然に届いた。
通知欄を開くと、感想の新着があった。
胸を弾ませながらページを開いた私は、次の瞬間、心臓を殴られたような衝撃を受けた。
「文章が稚拙で読みにくいです」
「展開が陳腐で先が読めます」
「このレベルでランキングに載るのは疑問」
冷たい言葉が、無造作に並んでいた。
たった数行の文字なのに、胸に突き刺さった。
「面白かったです!」と一言書かれただけであれほど救われた心が、今度は一言でズタズタになっていた。
■ 心の揺れ
批判コメントを読んだ直後、私は深い混乱に陥った。
「やっぱり下手なんだろうか?」
「読者をだましているようなものなのか?」
「これ以上続ける意味はあるのか?」
頭の中に黒い言葉がぐるぐると渦巻く。
スマホを閉じても、ベッドに横になっても、コメントの文字が脳裏に浮かんで消えなかった。
それまで積み上げてきた努力が、一瞬で無意味になったような気さえした。
■ 仲間の支え
その夜、私はSNSに弱音を吐いた。
「批判コメントをもらいました……正直、心が折れそうです」
すると、すぐに仲間たちから返信が届いた。
「気にしなくて大丈夫です! 人気が出てきた証拠ですよ!」
「全員に好かれる作品なんてありません」
「むしろ読んでもらえたこと自体が幸運です」
その言葉を読んで、胸がじんわり温かくなった。
孤独に一人で抱え込んでいたら、きっと私は更新をやめていただろう。
仲間がいたからこそ、何とか踏みとどまれた。
■ 批判は本当に無価値か?
冷静になってから、私はもう一度批判コメントを読み返した。
すると、不思議と違った印象を抱いた。
「文章が稚拙で読みにくいです」――確かに、改行や表現がぎこちない部分はあった。
「展開が陳腐で先が読めます」――定番をなぞりすぎているのかもしれない。
「このレベルでランキングに載るのは疑問」――耳に痛いが、それだけランキングという場に影響力がある証拠だ。
「批判=悪」ではない。
中には、確かに改善のヒントが隠れている。
もちろん、ただの誹謗中傷もあるだろう。
だが、それと「建設的な批判」を見分けることができれば、成長の糧になる。
■ 批判との距離感
私は批判コメントとの向き合い方を、こう決めた。
すぐに反応しない
感情が揺れているときに読むと、冷静に判断できない。
一晩寝かせてから読むと、驚くほど落ち着いて見られる。
改善点があれば拾う
表現の拙さや展開の弱さなど、直せる部分は素直に受け止める。
人格攻撃は無視する
「作者は無能」「才能がない」など、作品ではなく人を攻撃する言葉は気にしない。
このルールを自分に課すことで、批判と少しずつ付き合えるようになった。
■ 今日のまとめ
読者が増えるほど、批判コメントは避けられない
批判は心をえぐるが、時に改善のヒントも含まれる
距離感を持ち、「建設的な批判」と「中傷」を分けて考える
仲間の支えがあれば、批判を乗り越えられる
批判に出会った日、私は一度は心を折られかけた。
だが、仲間と自分なりのルールがあったからこそ、再び筆を取ることができた。
そして私は思った。
「批判を恐れるより、書かないことを恐れろ」。
次なる目標は――ブックマーク100突破。
批判も称賛も受け止めながら、前に進むしかない。