表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/61

第9話 夢にまで見た光景<井戸川萌子side>

 LHRでは席替えをすることになっている。


 どこでも良いけど——希望が叶うなら後ろの席が良いな。

 今は前の席で、先生に当てられることも多い。できれば後ろの席になって、そっとやり過ごしたいと思っていた。


 予鈴が鳴ってしばらくしたら「お待たせー」と間延びした声の、花先生が教室に入ってきた。髪がボサボサしていて、もしかして昼寝をしていたんじゃないかと思わせるような空気をまとっていた。





 席替えのくじ引きを引いた結果——今と同じ席になった。


 何の面白みもない。また、一番前かぁ。はぁと一人ため息をつく。


「萌子ちゃん、どこだった?」


 鳴海がひょこっと私のところまでやってきた。

 事情を説明すると、彼女がゆっくりと口を開く。


「なら、私の席と交換しない?」


「えっ?」


 私の本音としては、どこでもいいので席を移動したかった。願ってもいない状況だ。


「実は私、後ろの席になっちゃったの。最近目が悪くなったから……萌子ちゃんの席が良いな! お願いっ」


「鳴海が良いなら良いけど……」


 ラッキー。鳴海は一番後ろの席を譲ってくれるらしい。

 彼女とくじ引きの紙を交換して、さっそく席を移動することにした。





 ——信じられなかった。夢を見ているようだった。

 まさか、吉瀬来那の隣の席になるなんて。


 まばゆい存在の彼女が、私の隣にいるなんて、夢みたいで落ち着かなかった。変な汗をかいてしまう。


「井戸川さん隣だね。よろしくね!」


 吉瀬さんは光が差し込むような笑顔で、私を見つめてくる。見惚れてしまって、咄嗟に反応することができなかった。


 無言の間ができてしまう。気まずい。

 私は慌てて小さい声で「うん」と言った。吉瀬さんに聞こえただろうか。だけど、言い直す勇気は私にはなかった。


「さっきはごめんね。教室で歌ってなんて言っちゃって……」


 吉瀬さんは律儀に頭を下げた。


「別に」


 気にしていなかった。先ほどあったことをあらためて謝ってくれるなんて、やっぱりいい子だなと思った。


「ねぇ」


 そしたら彼女は顔を上げて、私の机の上にあるペンケースのマスコットキーホルダーを指さして聞いた。


「このキツネかわいいね。どこで買ったの?」


 一瞬、時が止まった気がした。


 吉瀬さんは、もしかしてリスナーだった私のことを覚えているのだろうか。同じキツネをプロフィールのアイコンにして、よく彼女の配信を見に行っていた。


 ——だけど、吉瀬さんの顔を見る限り、何も覚えていないように思えた。

 きょとんとした顔をして、純粋に好奇心から聞いているように思えた。


「……わからないの?」


 私は賭けに出た。少しでもいいから思い出してほしかった。


「えっと……」


 吉瀬さんは困ったような素振りを見せる。


 あぁ。駄目だ。私は賭けに負けてしまった。


 正直ショックだった。だけど仕方ない。私は大勢いるリスナーの一人。忘れられているのも無理はない。


「……ネット通販で買ったもの」


 空気に耐えられず、キツネのキーホルダーを買った場所を言う。


「へ、へぇ! センスいいね」


 吉瀬さんは愛想笑いを浮かべる。彼女はそれだけ言うと、私との会話を切り上げた。

諏訪部さんの方をじっと見ている。友達と席が離れてしまったから、寂しがっているのだろう。


 ——私が隣で申し訳ない気持ちがあった。


 だけど、やっぱり嬉しかった。憧れのライライちゃんが、こんなにも近くにいるなんて。


 ライバーとリスナーだった頃は、画面越しに彼女を見ていた。それなのに、今は手を伸ばせば触れられる距離にいる。


 私ははやる気持ちを抑えるのに必死だった。


 教室の中は、席替えの名残りで賑やかだった。窓の外では、どこかのクラスが体育の授業中だ。

 ——あぁ、幸せかも。私は噛み締めるように、そっと目を閉じた。





 青天の霹靂、寝耳に水。今日は、驚くことばかり起きる。


 私がライブ配信をしているときに、ライライちゃんがリスナーとして遊びに来た。


 歌の間奏中に、彼女の名前を見つけてしまい、驚きのあまり変な声が出た。プロフィールを見てみるとやっぱり本物で、言葉を失った。


 ライライちゃんは、あの頃のアカウントを今もこうして使っている。


 私がライブ配信をするとき、ふと「ライライちゃんが来てくれたら良いなぁ」と考えることがある。でも、それはあり得ないこと。だからこそ、心の中で自由に思い描けたのだと思う。


 ——夢にまで見た光景が現実になった。


 できるだけ平常心を装い、続きの歌を歌う。……少し声が震えたけど、気づいていないといいな。


 歌い終わった後に、コメントを順番に見ていく。


【ライライがいどっちをフォローしました】


 そんな表示が目に入った。


「ひっ……」


 び、びっくりした。まさか、ライライちゃんが私をフォローしてくれるなんて思わなかった。

 歌が良いと思ってくれたってことなのかな? ……嬉しい。


 私は何でもないふうを装い、ライライちゃんに挨拶をした。いつものように他のリスナーのコメントを読み上げていく。


「レバニラくん、アイテムありがとうー! えっと、ライライちゃん"歌、とっても上手でした!"っと……」


 ライライちゃんがコメントをしてくれた。しかも、私の歌を褒めてくれている!


 嬉しすぎて言葉に詰まってしまった。


「ありがとう……」


 じんわりと胸が温かくなり、何だか泣きそうな気持ちになる。


 ——しかもライライちゃんは初見であるのにアイテムも投げてくれた。


「ライライちゃん、ありがとう……」


 私はもう一度お礼を言う。今日は本当にいい日だ。


 ライライちゃんの【また来ます!】のコメントを糧に、残りのライブ配信も精を出して頑張った。


 ——顔出し配信をしなくて良かった。私の顔、絶対ニヤけている。こんな顔を、ライライちゃんに見せることなんて到底できなかった。


 今日、教室で吉瀬さんに歌を披露することは……できなかった。

 だけど、"いどっち"として、ライライちゃんに私の歌を聞いてもらうことができた。「終わりよければすべてよし」ということわざがあるように、最後の優しい一滴が、過去の痛みを洗い流してくれた気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ