第69話 ちょんちょん【吉瀬来那side】
◇
しばらくしたら、自動ドアが開き、萌子と山崎が中から一緒に出てきた。
「ら、来那!?」
「先輩!? なんでここに!?」
わたしを見るなり、二人はすっとんきょうな声を上げる。
——なんだか距離が近くない?
山崎は萌子にピタッとくっついている。
モヤモヤした気分になる。なんとなく二人の顔が見れなくて、俯いたら、ぽたりと汗が落ちてきた。喉、乾いたな……。
「——萌子、今日は配信しなくていいの?」
思わず、冷たく言ってしまった。
本来のわたしだったら、『二人のことが気になって来ちゃった〜』とか言って、明るくおどけてみせるだろう。
だけど、今のわたしには笑顔を作る余裕もなかった。
萌子は躊躇いがちに「う、うん」と言った。
「今日は、元々休む予定だったから」
「そっか」
会話が途切れ、しんとした空気が広がる。——かと思ったら、唐突に山崎が口を開く。
「来那先輩っ。井戸川先輩のことを家まで送ってあげてくださいっ」
「うん……」
言われなくてもそのつもりだ。後輩に先を越されたことで、素直に動けなくなってしまった。
「それじゃ先輩たち、さようなら! あっ。井戸川先輩。また、"ちょんちょん"させてくださいねっ。それではっ」
ひらひらと手を振って、山崎はマンションの中に消えた。ご機嫌な様子で、語尾には楽しさがにじんでいた。
何か言おうとしたら——ふらっとめまいがした。
すかさず目を閉じると「大丈夫?」と萌子がわたしの背中を支えて、顔を覗き込む。
「近くに図書館があるから、そこに移動しない? もしかしたら来那、熱中症なのかもしれない」
「う、うん」
優しい。
こくりと頷くと、萌子はわたしの手を取り、一歩、前へと進んだ。
「あっ。暑いよね」
すぐさま手を離し、「ついてきて」とわたしの顔も見ずに言う。別に、つないだままでもよかったのに……。
だけど余裕がなくて、黙ったまま萌子のあとを歩いた。
無言のまま、彼女の襟元をただただ見ていた。
◇
「はぁ。生きかえる〜」
図書館は歩いて5分くらいのところにあった。2階の"おしゃべりOK"のスペースには、ウォーターサーバーが置いてあり、わたしは勢いよく水を飲んだ。
あたりには椅子やテーブルが並べられていて、少し離れた場所に中学生くらいの子たちが集まっていた。楽しそうに話をしている。
わたしと萌子は、二人がけの青いソファーに肩を並べて座った。カバン2つ分の距離がある。
「……暑かったでしょ」
彼女がぽつりと言う。下敷きをわたしの方に向けて、パタパタとあおいでくれる。
「LINEで今、"山崎美音のマンションの前にいる"って教えてくれたら良かったのに」
「だって」
そんなことしたくなかった。
だって萌子は家に行く前に、きちんと報告してくれたから。
何通もメッセージを送ってしまったけど、邪魔だけはしたくなかった。
結局マンションの前で待ってたから、同じことじゃないかとも思うけど……。す、ストーカーじゃないんだからねっ!
「……山崎の家で、ライブ配信のアドバイスをしていたんだ」
萌子は心地よい風を作りながら、一言こぼす。
「そうなんだ」
「うん。私にできることって、それくらいだけだし。大丈夫。何も起きてないよ」
「……そんなことないっ」
思わず立ち上がる。空になった紙コップが床の上で静かに転がった。
「萌子は勉強もできるし。マンションの前で1時間以上待ってフラフラのわたしを優しく介抱してくれるし。それくらいって言わないで!」
「……」
「まぁ。何も起きてないのは……安心したけど」
思わず安堵の声がにじむ。
萌子は、わたしの言葉に反応して視線を落とした。
「……1時間以上も待っていたんだ」
「わ、悪い?」
目線を合わせるように、つい身を乗り出してしまう。
「悪くないけど」
わたしを真っ直ぐに見た彼女が、ギョッとした顔をする。
顔を赤らめて、気まずそうに目を泳がせている。
「み、見えてるけど」
「えっ?」
視線の先を辿ると、わたしの首筋だった。
えっ。まさか。
触ってみたけど、わからない。
だけど、きっと萌子が付けたキスマークが見えているということだろう。
うそ。いつから!? 汗をかいたからかな!?
恥ずかしさが伝染したように、わたしの頬も熱くなる。クラスメートに見られていたらどうしよう。
「あのさ。萌子に聞きたいことがあるんだけど……」
わたしは、もう一度ソファーに座る。
真面目な雰囲気を察して、彼女は姿勢を正した。
「何?」
「あのね」
「うん」
気がついたら中学生の姿が見えなかった。帰っちゃったのかな。
夕暮れの光が、汗ばんだ腕に反射して、窓から差し込む。
わたしはギュッと拳を握りしめた。
「……ちょんちょんって何?」
「へっ?」
「山崎がさっき言ってたでしょ! ずっと気になってたの!」
そう。わたしは萌子と図書館に来る前から、ずっと"ちょんちょん“のことが頭から離れなかった。
その文字を表す動作が、おぼろげに頭の中に浮かぶものの、どういうことか確信が持てずに一人ヤキモキしていた。




