第67話 後輩へのアドバイスと戯れ<井戸川萌子side>
◇
「今日の朝ごはんは、トースト一枚だけでー。本当はよくないんだけどー。お腹空かなくてー。もっと食べた方が良いとはわかっているんだけどねー」
「……」
黒を基調にしたダークな印象を感じさせる部屋に、私と山崎美音はいた。
目の前には制服からTシャツに着替えたばかりの彼女。身振り手振りを使って、自分の話ばかりを展開している。リスナーのコメントを一つも拾う様子はなかった。
有線イヤホンをつけて、リスナーとして遊びに行っている私は絶句した。
これは……。アウトだよ!!!
いくら山崎美音がかわいくても、見ていられない……。
ライバーって、基本的にはリスナーとのやり取りがあってこその存在だと思うんだよね。
【コーンフレークとか食べやすいよ(=´∀`)】
初見リスナーの一人が、そんなコメントを打った。ナイスアシスト!
「そういえば、パンにジャムとか塗ればよかったなー」
しかし、山崎美音はスルーを決め込んでいる。しかも、まだ朝ごはんの話の続きをしている。
リスナーは興醒めして、次々に退出していた。
「えー。みんないなくならないでー。アイテムも使ってよー。できるだけ高額のやつ!」
ライバーとしての仕事をしていないのに、見返りだけ求めるのはおかしいよ。
心が動かされたときに、自然とアイテムを投げたくなるのがリスナーの心理だよ。
自分だけ気持ちよくなって、さらにリスナーの好意を期待するなんて、ちょっと一方的すぎない?
「あー。もー! 疲れた。どうしたらいいのー」
山崎美音は配信中に伸びをして、愚痴を吐いた。空気が、さらに悪くなるのを感じる。
……。
【いどっちがハートのアイテムを使ったよ】
私は雰囲気を変えたくて、山崎美音にアイテムを贈った。
「わ、わー!! ありがとうっ」
彼女は気持ちを込めて両手を握り、画面に向かって満面の笑みを見せた。
その姿がかわいらしくて、思わずドキッとしてしまう。
山崎美音は、他のリスナーには一切反応していないのに、私には甘々だ。
……。
この配信が終わったら、アドバイスをしようと思っているのに。……これじゃ、口角が緩んじゃう。
いけないいけない。私は冷静さを保つように心がけた。
——数十分後。
山崎美音は、へとへとになって床に座り込んだ。
「はー。疲れましたー」
全力で喋ったからか、電池切れ寸前だ。そばに置いてあった、ストロー付きのお茶を口に含む。
「お疲れ様」
「先輩! 私の配信どうでしたか?」
無垢な瞳が、好奇心いっぱいにこちらを見つめていた。
「最悪だった」
ピシャッと突き放すように言葉を投げた。
——そこからは、私なりに気づいた点を山崎美音に伝授した。
メモを取りながら、言葉一つ聞きこぼさないように真剣な姿は、なんだか愛おしく感じられた。
「はー。私って、初歩的なミスばかりしてたんですねー」
「うん」
「面白トークを繰り広げていたつもりだったんですけどねー」
「本気で笑いたいなら、芸人さんのネタ動画とかを見ると思うよ。でも、ライブ配信に来るってことは、やっぱりライバーとコミュニケーションを取りたい気持ちがあるからさ」
「そうですよね。次からはコメントをしっかりと読み上げます!」
山崎美音は、せっせと紙にペンを走らせる。
足を崩した私は、テーブルに置いてあったアイスコーヒーを一口飲んだ。
「あまっ……」
「あれ? 井戸川先輩。甘いの苦手でしたか?」
「うん」
「すいません! 次来たときは、無糖のものを出しますね。……忘れないように、これもメモしておこう」
そう言いながら、アドバイスと一緒に、私のプライベートな情報も同じ紙に書き込んでいった。
つい笑ってしまった。
最初に抱いた山崎美音の印象は、正直あまり良くなかった。でも、根は素直な子なんだと思う。
「はー。これで、あとは鈴加が来てくれるのを待つだけですね! 配信で喜んでもらえるように全力を出します!」
「うん」
体勢を変えた瞬間、関節からバキッと音がした。長時間、同じ姿勢で座っていたせいかもしれない。
「あ! 井戸川先輩。もしよかったらベッドに座ってください」
「……」
おそらく深い意味はない。ただ床に座るより楽だから、そう言っただけだろう。
でも私は、一歩も動かなかった。
「……あれ、先輩? ……もしかして意識してます?」
山崎美音が、意地悪な目になっている。
メモをテーブルの上に置いて、四つん這いになって、私に近づいてくる。
色白の肌が覗く襟ぐりの深い服を着ていて、視線の置き場に困った。
「なっ……」
「そういえば、二人きりですねっ♪」
にこーっと、人が良さそうな笑みを向けてくる。しかし、その奥には支配的な一面が潜んでいた。
「来那先輩もかわいいけど……私も負けてませんよねっ」
「……」
確かに山崎美音はかわいいと思う。
天真爛漫な性格も相まって、クラスの中でも一目置かれているのだろう。
「えへへっ」
彼女は、そっと人差し指で私の鼻先に触れた。
恋愛経験が乏しい私は、彼女の空気に圧倒されて、身動きが取れなかった。ちょんちょんと触る、指がくすぐったかった。
「やめて」
「ふふっ。先輩。かわいーい」
完全にからかわれている。私は山崎美音のお人形ではない。
手を払いのけたら「やん」と彼女は高い声を出した。
その後、私に見せつけるように、山崎美音は、自分の鼻にちょんと人差し指を当てた。
それは、蝶が花を舞うような優雅な仕草で、どことなく艶やかさをまとっていた。ふと、触れてはならないものに触れたような後ろめたさが胸に残った。
山崎美音は私の気も知らずに、ベッドの縁にそっと腰をかける。わずかにギシッと軋む音が空気を切った。
「……あれ? 来那先輩からLINEが来てる」
彼女はポケットからスマホを取り出し、そう口にした。
そういえば私も、山崎美音の家にお邪魔する前、来那に連絡を入れておいた。配信の邪魔になるからと、ずっと今までマナーモードにしていた。
慌ててスマホを見ると、来那から10件以上のLINEが届いていることに気付いた。
『そうなんだ。楽しんできてね!\\\\٩( 'ω' )و ////』
『……今、何してる?』
『気になってLINEしちゃった!』
『萌子?:(;゛゜'ω゜'):』
『どうしたの?』
なんか、来那……。心配してる?
「……へぇ。私と井戸川先輩の仲に嫉妬しているみたいですね」
山崎美音はLINEの内容を見てニヤニヤしている。多分、私と同じようなメッセージが来那から届いたのだろう。
一つため息をついた。
「配信のアドバイスも終わったし。私、帰るね」
「えー。もうですか? もうちょっとゆっくりしていってくださいよ〜」
「ありがとう。でも、もう用はないから」
山崎美音は、頬を膨らませる。拗ねているようだ。
「……わかりました。じゃあせめて、井戸川先輩、私とLINEを交換してくれませんか?」
「別にいいけど」
断る理由もなく、スマホを彼女に向けた。彼女が出したQRコードを読み込んで、無事に連絡先を交換する。
「へへっ」
山崎美音は、ご機嫌そうに見えた。
「じゃあ、下まで送りますね♪」
大事そうにスマホを抱えて、とびきりの笑顔を私に向けた。
◇
「ら、来那!?」
「先輩!? なんでここに!?」
マンションの外に出ると、なんと来那が入り口の前に立っていた。額から汗が浮き出ていて、長い時間、待っていてくれたことを察する。
「……」
来那は何も言わない。静かに目を伏せている。
アスファルトからの照り返しがじりじりと熱くて、そういえば今日は猛暑日になるとニュースで言っていたのを思い出した。




