第65話 先輩に花持たせてよ<井戸川萌子side>
◇
「師匠! 来てくれたんですね。じゃあ早速、配信始めていきますねっ」
「えっ。やっぱり、ここで配信するの?」
「? はい。そうですけど」
放課後の空き教室。先にいた山崎美音が、すくっと立ち上がる。
山のようにして積まれたダンボールを背にして、わずかなスペースを確保しようとしていた。
「物がいっぱいだし、やめておこうよ」
「ええー。別に良くないですか?」
「リスナーも一人の人間だからね。配信画面に映ったときに、背景があんまりにも散らかっていたりすると、ちょっと嫌な気分になると思う。ひどいとさ『この子、やる気あるのかな?』って思っちゃう人もいるかもしれないよ」
外からは、部活動に励む生徒たちの声も聞こえてくる。
「……ここは、学校が特定されそうなものが、いろいろ映り込んじゃうから、配信には不向きだよ」
「……」
山崎美音は唇を尖らせた後、叱られたようにしゅんとする。
「今日は家から配信したらどう? リスナーとして見に行くし、アドバイスは後で学校で話すって形にしようよ」
彼女の表情には、深く考え込んでいる気配があった。
「……私の家、学校から近いんですよ。徒歩5分くらいの場所にあるし」
「そ、そうなんだ」
「なので師匠。今からうちに来てくれませんか? こんなにやる気あるのに、一人にさせるなんて、ありえないですよ!!」
山崎美音が勢いよく、こちらへ駆け寄ってくる。
「ねぇ、井戸川先輩! お願い!」
両手を胸の前で組み、首をかしげて、愛らしくおねだりする。
……。
正直言って、めんどくさい。
今すぐにでも断って、早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。
それに、私が山崎美音の家に行ったら……その、浮気とかになっちゃうのかな?
恋愛漫画では、ヒーローがヒロイン以外の子の家に行くと、たいてい修羅場になっている気がするんだけど……。
でも、来那と付き合った後も、私は鳴海の家に遊びに行ったりしているし……。うーん。
女同士でも、何もやましいことがないなら、気にしなくて良いのかな?
私が悶々と考えていると、山崎美音が、急にスカートをめくってきた。
「ひゃっ!?」
「あー。『来那』って文字が、まだきれいに残ってますねー」
私は彼女の手を払いのけて、一歩、後ずさる。
「……窓を開けて、『井戸川先輩の太もも、すごいことになってます』って叫んだら、どうなると思いますか?」
こ、この子。またもや脅してくる気?
絶対、性格悪いっ!!
山崎美音は美しい顔で、挑発的な笑みを向けてくる。Mっ気属性がある人だったら、ご褒美に思うだろう。
だけど、私にそういう性癖は別にない。——断じて。
「……勝手に言っていいよ。その代わり、もう私の目の前に現れないで」
諦めのつもりで、そう言った。できるだけ冷たく、突き放したつもりだった。
ここで受け入れたら、延々と脅されると思った。
別に嫌われたっていい。——私には来那がいるから。
覚悟を決めて、ゆっくりと目を開けた。
——山崎美音は何も言い返してこなかった。
あれ? おかしいなと思ったら、彼女の目からボロボロと涙がこぼれ落ちるのを見て、ギョッとしてしまう。
「そ、そんなこと……、い、言わないで……ください……」
先ほどまでの威勢はどこか、肩を震わせて、悲しそうに泣いていた。
えっ? えっ?
「やだぁ……。ご、ごめんなさい……」
とめどなく涙があふれてくる。
私はポケットからハンカチを取り出して、彼女に渡した。
「使って」
「あ……りがとうございます。でも、汚れちゃ……う。ヒック」
「いいから」
山崎美音は一瞬、迷った後、私からハンカチを受け取って目元を押さえた。
もしかして、いつもは強気に振る舞っているけど、意外とガラスのハートの持ち主かもしれない。
そういえば幼なじみと喧嘩して、疎遠になったなったみたいだし、まだ癒えていない傷があるのかもしれない。
——目の前に現れないで。
その言葉は山崎美音にとって、一番聞きたくない台詞だったのかもしれない。
「ごめんね」
「グス……。ヒック……。だ、大丈夫ですよ」
彼女の言葉とは裏腹に、嗚咽が止まらなかった。私は山崎美音に寄り添い、優しく背中をさすった。
空き教室の廊下をパタパタと誰かが通りすぎる音がした。
「せ、先輩はもう行って大丈夫……ヒック……ですよ」
彼女が、そんなことを言う。
さすがに放っておけるはずがなかった。
「うち近いんだよね? 送るよ」
「えっ。でも……」
「先輩に花持たせてよ」
「……」
山崎美音は浅く呼吸を繰り返す。私は彼女が落ち着くのを待った。
やがて嗚咽が収まり、ゆっくりと目と目が合う。
「大丈夫?」
「はい……」
「じゃあ行こうか」
「……」
私が先を歩くと、彼女は後ろをゆっくりとついてくる。内心ホッとした。




