第63話 独占欲<井戸川萌子side>
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<井戸川萌子side>
来那にキスマークをつけてしまった。
首筋の目立つところだったから、彼女は困った顔をしていた。
それもそうだよね。クラスメートに見られたら、なんて言われるかわからないし。からかわれるかもしれない。
だけど、『や、やだ』と、来那の拒むような声は、正直——すごく興奮した。
赤い痕は、私のものという証明だった。来那を誰にも渡したくない。
家までの帰り道。考えるのは来那のことばかり。道ゆく人とすれ違うとき、変に思われないようにポーカーフェイスを気取るので、わたしは精一杯だった。
◇
「おはよう」
翌日の教室。いつものように本を読んでいたら、声をかけられた。ドキッとして顔を上げると、そこには来那がいた。
「おはよう」
自然と首元を見てしまう。
あれ?
昨日、私がつけたキスマークがなかった。
おかしいな。
「実はね」
来那がカバンを机の上に置く。椅子に座った後に、ぽつりとそう言った。
「お姉ちゃんに教えてもらって、コンシーラーとパウダーで"あれ"を隠してきたよ」
その手があったか。
漫画の世界だと、キスマークは絆創膏で隠したり、厚着をしたりして見えないようにしていることが多い。
確かに暑い今の時期だと、メイクで隠す方が都合が良いのかもしれない。
——クラスメートが来那の首筋に注目して、恋人がいることを知って落胆する。
そんなシチュエーションになることを心のどこかで期待していた。
「昨日はごめんね」
そう言って謝ったのは来那だった。
「どうして?」
謝らなければいけないのは、強引にキスマークをつけた私の方なのに。
「お姉ちゃんの前でさ、萌子のこと友達って紹介しちゃったじゃん?」
そういえば昨日、来那のお姉さんに初めて会った。
彼女に雰囲気が似ていて、明るく美しく、少し話しただけでわかる人柄の良さが伝わってきた。
確かに来那は、お姉さんに私のことを"友達"と紹介した。
だけど、恋人と正直に話されても、多分上手い対応ができなかった。だから、きっと、あれで良かったのだと思う。
「別に気にしてないよ」
そう言うと、来那が少しムスッとした顔をした。
「そっか」
あれ。もしかして、怒っている?
「……でも、あの後、結局、お姉ちゃんに付き合っているのがバレた」
「ぶっ」
展開が早い!
まさか、あの数分の出来事で、お姉さんは見抜いてしまったということだろうか。
来那から訳を聞くと、私が付けたキスマークが決定打になったということだった……。
吉瀬来那には恋人がいることを、クラスメートのみんなに伝えるために付けたのに。まさか身内に関係がバレるきっかけになるなんて思わなかった。
「……」
「何か言ってよ」
「……」
「ねぇ。萌子?」
「……」
「ふーん。そんな態度取るんだ。萌子のせいなのに」
いつも優しい来那がちょっとだけ意地悪だ。少しも引く様子がない。
キスマークを許したのは彼女自身だけど、こんなに目立つとは思ってなかったはずだ。
気の利いたことを言いたいのに、何も頭に浮かばない。
戸惑う私に、来那は容赦なく迫ってくる。
彼女はカバンからクリア素材のペンケースを取り出した。その中から、油性ペンを選び取る。
何をするんだろうと見ていると、強引に右手を握られた。突然の出来事に、「ひゃ」と情けない声が出てしまう。
「……萌子にも印を付けてあげなきゃ」
そっと手を離すと、私のスカートに触れた。それをたくしあげて、太ももが見える状態にする。
「な……」
来那は油性ペンのキャップを取ると、躊躇うことなく、わたしの肌にインクの先を当てた。
自分の名前を、わたしの太ももに黒黒と主張させる。
「ちょっと」
「油性だから、しばらく取れないよ。これと一緒だね」
そう言って来那は、今は見えないキスマークにそっと触れた。
冷たいような視線にドキッとしてしまう。
私はじっと自分の太ももを見る。来那。思わず息を呑むほど、その文字だけが目に焼きついた。
まるで彼女がキーホルダーに名前を書いたような所有欲が現れている。苦しいのに嬉しかった。平静を装いながら、小さく息を整える。
「本当は、首に同じ痕を今すぐにでも付けたいんだけどね」
耳に触れたその囁きに、心ごと持っていかれた。
「見えそうで見えない。それくらいがちょうど良くない?」
その声色に、来那の独占欲が滲んでいる気がした。




