第58話 師匠!<井戸川萌子side>
——山崎美音には、三笘鈴加という幼なじみがいて、高校に入学する前にあることがきっかけで絶交したそうだ。
鈴加の性格は大人しくて、遊びに行くにしても、どちらかの家か図書館など、インドアなところを指定するのが常だった。それでも山崎美音は、鈴加と一緒にいる時間が楽しかったそうだ。
しかし、鈴加が同じようなインドア派の友人ばかりを優先するようになって、関係は壊れたらしい。「美音とはやっぱり合わない」なんてことも直接言われたらしい。
それからは、山崎美音も友達を作るときは同じようなアウトドア派——明るい雰囲気を持つ人ばかりに声をかけるようになったそうだ。
「——来那先輩にも、私と似た空気を感じたんです」
彼女がうっとりとした表情で語る。
「私、年上好きだし! もし、この学校生活をもっと楽しくするなら、来那先輩みたいな人と仲良くなりたいと純粋に思ったんですっ」
山崎美音がチラッと私を見る。
「——結果は、もう特別な人がいるようで、私の入る余地はありませんでした。でも、そんな来那先輩が良いなと思った井戸川先輩のことも……なんていうか……俄然、興味が湧いてきましたっ」
彼女の口角が上がる。
な、なんだか嫌な予感がする。
「配信を楽しそうにしていたり、面白い持論も語ってくれたりするし……ぜひ先輩のことも、近くで見ていたいなって思ったんですっ。師匠! 私に鈴加と仲直りするようなヒントを教えてくださいっ」
にまーっと微笑んで、私の胸に飛びついてくる。突然のことに固まってしまう。
山崎美音は頬擦りをしてくる。シャンプーの香りだろうか。良い匂いがする。
「えっ、ちょっ」
「ふふふ。師匠。顔赤くないですかー?」
そんな意地悪なことを言って、私を翻弄してくる。
「ま、ま、ま、ま、待ってーーー!!!」
高い声が、空き教室内に響く。
声の主を見ると——そこには来那がいた。
「ら、来那?」
「山崎! 萌子から離れてよっ」
私と山崎美音の間に、来那がぐぐっと入ってくる。
おかげで、なんとか彼女から離れることができた。
「えぇー! なんか私って、引き剥がされる役ばっかりですねー」
山崎美音は唇をとがらせる。
来那は私の腕を引き寄せて、誰にも取られたくないと言わんばかりに、ぴったりくっついてくる。
「へぇー」
山崎美音は私たちの顔を面白そうに見比べている。
「えい」
そう言うと、人差し指で私のほっぺをつんと触った。肌に軽い弾力が伝わってくる。
「ダメー!!!」
来那は大きな声を上げて、山崎美音から私を引き離す。
「ふふっ。おもしろ」
山崎美音はいたずらっ子のように、にんまりとした笑みを浮かべる。
「来那先輩って、独占欲高めですね!」
「そ、そうかな?」
「そうですよ!」
彼女は下唇に人差し指を当てる。「そういえば……」と話を続けた。
「昨日、師匠の配信を見に行ったんですけど。そのときに、私に愛を奏でてくれました!!」
何それっ!?
確かにリクエストに答えて、歌は歌ったけど、それは愛を奏でたとは言わないよ!?
来那は口をぽかんと開けた。
「えっ……えっ……」
声にならない声が口から漏れる。
「そんなの嫌だぁ〜〜」
来那は私の腕をさらにギュッと強く抱きしめた。目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「萌子、萌子……」
ちょ、ちょっと待って!
「ねぇ。山崎美音」
感情を抑えるように、私は低い声で話す。
「〜♪」
山崎美音は、口笛を吹くみたいに、明後日の方向を向いている。
勘違いさせたままなのは嫌だったので、昨日のライブ配信について、誇張することなく事実のみをしっかりと来那に伝えた。
「なーんだ。そうだったんだ」
来那はホッと胸を撫で下ろす。今もなお、私の腕は掴んだままだった。
「来那先輩チョロすぎますよ!」
「だって誤解するようなことを言うからさ〜」
「ふふふっ。私と師匠を無理やり引き離した罰ですよ!」
「……」
「でも、いいですね。お互いがお互いを思い合うっていう関係。私も鈴加と、そういうふうになれたら良かったな」
山崎美音の本音がふとこぼれたように思った。
その穏やかな目を見て、彼女が過去をそっと思い返しているのが伝わった。
「——そろそろ私、帰りますね。じゃあ先輩たちさようなら!」
強引に締めて、山崎美音は空き教室から出て行った。
その背中が寂しそうに見えた。
「山崎。どうしたんだろうね」
「……」
私は何も言えなかった。
意地悪をしたり、しゅんとしたり、忙しい子だなと思った。
——ハッとして今の状況を振り返る。
空き教室に来那と二人きりだ。
しかも、彼女は私の腕に密着している。
は、離れなきゃ。
体を動かそうとしても、びくともしない。ふと来那の顔を見ると、口元がやわらかくほころんでいた。
「えへへっ」
「……」
とびきりの笑顔を向けてくる。眩しさを直視できずに、つい目線を逸らしてしまう。
「あっ。萌子、なんでそっぽ向くの」
「だっ、だって、来那が……」
「わたしが? 何?」
「か……」
「か?」
「わ……」
「わ?」
「いい……から」
「やったーーー! って、途切れ途切れじゃ、わからないよーーー!」
来那は私の腕から離れて、照れ隠しのようにぽかぽかと叩いた。
「ご、ごめんって」
「……」
「来那はその……かわいいよ」
「えへへっ」
再度ギュッと、腕を絡め取られる。彼女が甘えるように上目遣いで見た。
じっと見つめ合う。今度は目を逸らすことができなかった。
やがて来那がそっとまぶたを閉じた。
えっと。これって……。
さすがの私も、そこまで鈍感ではない。キスをして欲しいということだろう。
でも、本当に?
じっとしていたが、来那が目を開ける様子はない。
……。
覚悟を決める。ゆっくりと来那に顔を近づける。
鼻筋が通っていて、まつ毛が長い。
来那の顔を、こんなにマジマジと近くで見たことってあったかな。
遠くの方で、運動部の声が聞こえてくる。野球部かな。もしかして、サッカー部かも。
時が止まったような気がした。
じんわりと汗がにじむ——。
「あっ。いたいた〜」
——そのとき、空き教室の入り口から声をかけられた。
バッと来那から離れて、そっちを見ると、なんと花先生だった。
手には、何か小さいものを持っていた。
「このキーホルダー吉瀬さんのでしょ」
「んっ? あっ。花先生! って、拾ってくれたんだ。ありがとう〜」
来那は花先生に近づくと、大事そうに、それを受け取った。
「それ、何?」
思いがけず声をかける。
「これはね、ガチャポンのキーホルダー! お姉ちゃんに貰ったんだ〜」
見させてもらうと、そこには本物そっくりのバッグと思わしきキーホルダーが握られてあった。何かのブランドかな。そういうの詳しくないからわからないけど……。
でも来那はとっても嬉しそうだ。
「実はね、昨日からなくしていて、ずっと探してたんだ〜。見つかって本当に良かったっ」
彼女は顔をほころばせる。
私はふと疑問に思ったことがあった。
「だけどよく来那の物だって花先生わかりましたね」
数あるいる生徒の中で、なぜ彼女の持ち物だとわかったのだろう。
「ああ。名前がしっかりと書いてあったからね!」
えっ?
私が不思議そうな顔をしていると、来那はキーホルダーをくるっと裏返して見せてくれた。
そこには、小さな文字で「らいな」と書いてあった。
——自分の持ち物には名前をしっかり書きましょう。
そんなことを小学生のときに言われた気がする。
来那の行動が愛らしくて、なんだかかわいかった。
前に山崎美音と来那が、この空き教室でくっついていたとき、思いがけず「花先生が呼んでるよ」と嘘を言って引き離した。
——まさか現実になるとは思わなかった。
嘘をついた罰かな。おかげで来那とキスをするタイミングを完全に逃してしまった。
「もう無くしちゃ駄目だよ〜」
花先生が人差し指を突き出して、陽気そうに笑った。




