第48話 もう、恋人だった【吉瀬来那side】
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わたしに興味がないと思っていた女の子と、付き合うことになってしまった。彼女の名前は、井戸川萌子。
ツンツンしているのに、時々デレてくれてかわいい。歌も上手くて尊敬できて、気付いたら好きになってしまっていた。
わたしから告白しようと思っていたのに、彼女から「付き合ってください」と言われた。信じられなかった。震える気持ちを隠すかのように迷わずOKをする。
ずっと彼女のことを「井戸川さん」と呼んでいたわたしだけど、下の名前を呼びたくて、勇気を出して「萌子」と口にした。そしたら彼女もわたしのことを「来那」と呼んでくれた。
きゃーーーーーー! 嬉しい。
今日のカラオケでの出来事を反芻して、足をバタバタさせる。クーラーがきいたリビングで、ハートのクッションを抱きしめながら、わたしは物思いにふけっていた。
萌子は今、何しているのかな……。ちょっとLINEしてみようかな。
思い立ったが吉日。スマホを取り出して画面を見ると——なんと彼女からメッセージが届いていた。
『今日はありがとう。無事に家に着いた?』
安否を聞くものだった。
優しい! 嬉しい!
そんなわたしはというと、家に帰ってきてから、一人ポーッとしていて、まるで自分のことしか考えていなかった。精神年齢が違うのかな。
というか、なんかこのやりとりカップルみたい!
って、——もう、恋人だった。
きゃーーーーーー!
すぐにわたしも返事をかえす。
『家についたよー! 萌子も無事に帰れたかなっ? 今日は楽しかったよー!』
ピコン。
萌子からすぐに返事が届く。
『帰れたよ。わたしも吉瀬さんとフタコンに参加できて良かった』
んっ?
"わたしも同じ気持ちだよ"と言いたいところだけど、なんとなく違和感があった。
あっ。わたしのこと下の名前で呼んでない!
名字呼びに戻ってるじゃん!
すかさず通話ボタンを押す。3コール後に萌子が出る。
『……なに?』
声が冷たいような気がした。だけど今はそんなこと気にしていられない。
「来那って呼んでよぅ……」
『!? いきなりなに!?』
ごもっともな意見だと思う。
萌子は少し黙った後、「あぁ」と納得したような低い声を出した。きっと察してくれたのだろう。
『……だって、恥ずかしいから』
「どこが!? わたしも下の名前で呼んでほしいよ!! さっきのカラオケのときみたいに!!」
無茶を言ったかな。
しかし、すぐに萌子の声が聞こえた。
『……ら』
「ら?」
『い……』
「い?」
『……………な』
「やったーー!!! って、それじゃ名前を呼んでくれたかわかんないよ!!!!」
『わっ! 急に大きな声を出さないで』
「ご、ごめん」
ノリツッコミのようなことをしてしまった。ハートのクッションを横に置いて、思わず起き上がる。
『別にいいけど。……でも、来那って呼び続けたら、学校でも自然にそう呼んじゃいそうで怖い。癖になったら嫌だもん』
萌子はそんなおかしなことを言う。
「なんで? 良いじゃん! これからは"吉瀬さん"じゃなくて、"来那"って呼んでよ! 付き合っているんだからっ!」
『つ、つきあ……! っうぁ、あ……』
彼女が言葉にならない声を漏らす。苦しいような、嬉しいような声で、思わず心配になった。
「大丈夫!?」
『わ、わかったから。……ら、来那』
咳払いをする声が、スマホ越しに聞こえた。
『す、少しずつ、慣れていくのでいい? すぐには順応できないよ……』
「そうだよね。わかった。わたしも今まで"井戸川さん"って呼んでたから慣れない気持ちはわかる」
『……』
「——だけど、萌子って言うとき、胸が高鳴るというか。愛おしい気持ちが溢れてくるの!! テンションが上がるっていうのかなぁ? とにかく、たくさん呼びたくなるんだっ」
『ふーん。そうなんだ』
「うんっ!!」
『……』
「あっ、お姉ちゃんが帰ってきたみたい。また学校でね。好きだよ。萌子っ! じゃあね」
『ま、またね。……来那っ』
無機質な音がして、通話が切れた。
最後に来那って呼んでくれたよね!?
わたしの好きって気持ちは届いたかなぁ。
「ただいま!」
お姉ちゃんがリビングのドアを開けて顔を出す。長いまつ毛を伏せ、キャップを外して、カバンを床に置く。
今日のファッションは、黒Tシャツとレースダメージが入ったデニムパンツを合わせている。シンプルな格好なのに、お姉ちゃんが着ると垢抜けて見える。
「おかえり、今日早いねー」
「バイト休みになったんだ〜。はい、これお土産」
お姉ちゃんは、そう言うと手に持っていたガチャポンを渡してくる。
開けてみると中には、ブランド物のバッグがキーホルダーになったアイテムが入っていた。小さくてかわいい。まるで本物みたいだった。
「ありがとうーー!!」
お礼を言うと、お姉ちゃんは口の端を上げてご満悦そうに笑った。
吉瀬李里那は、わたしの3つ年上の姉で、大学生だ。一人暮らしはせず、この家から毎日キャンパスに通っている。
たまに喧嘩もするけど、こうしてさり気ないお土産をくれたりする、優しいお姉ちゃんなのだ。
「来那、なんか機嫌良い?」
「えっ」
突然の指摘に、ドキッとしてしまう。




