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第9話 アルティア様の本邸へ



 ――どうしてこうなったのだろう。


 私は今、あまりにも豪華な部屋で、格式の高そうな椅子に座っていた。

 目の前のテーブルには、繊細な装飾が施されたティーセットが置かれている。


「……はぁ」


 緊張を紛らわせようと、私はひとつ深く息を吐いた。


 ここは、ブライトウッド公爵家の本邸。

 アルティア様の、正真正銘の本邸だ。


「どうして、私がこんな場所に……」


 背筋を伸ばして座ってはいるけれど、冷や汗が背中を伝っていた。


 学園の近くにあるアルティア様の別邸には何度か訪れたことがある。


 だが、今回は違う。


 本邸だと気づいたのは、馬車に揺られていた時だった。


 どんどん学園から離れていき、街を抜け、大きな門を越えた先に見えたのは、まるで城のような屋敷だった。


(別邸じゃなかったんだ……)


 あの学園パーティーの後、アルティア様から「お礼をしたい」と言われて訪ねてきた。


 その時は、いつもの屋敷だと思っていたのに。

 到着したのがこの本邸だったとは、まったく想像していなかった。


 テーブルに手を伸ばして、紅茶を取ろうとした。


 けれど、手が震え、カップがカチャリと小さく音を立てた。


「……っ」


 両手で慎重に持ち直して、そっと一口含む。

 けれど、味はよくわからなかった。


 きっと高価な茶葉を使っているのだと思うけど、私の舌は緊張で完全に麻痺している。


(大丈夫、落ち着いて。失礼のないようにしなきゃ)


 そんな風に自分に言い聞かせていた時、扉が開く音がした。

 振り返ると、アルティア様が立っていた。


「お待たせしたわ、セレナ」

「アルティア様……!」


 私は慌てて立ち上がろうとして、ふと動きを止めた。

 アルティア様の後ろから、もう一人、見知らぬ男性が現れたからだ。


「君が、セレナ嬢か」


 低く落ち着いた声が部屋に響く。


「初めまして。私は、アルティアの父――ギルベルト・ブライトウッドだ」

「えっ……」


 言葉が詰まった。


 そこにいたのは、紛れもなくブライトウッド公爵家の当主、ギルベルト公爵その人だった。


 彼は長身で、堂々たる体格をしている。

 年齢は四十代半ばほどだろうか。


 しかし、威厳に満ちた佇まいは、年齢以上の存在感を放っていた。


 漆黒の髪は整えられ、灰色がかった瞳には落ち着いた光が宿っている。


 鋭さと温かさが同居する目元、きりっと引き締まった顔立ち。


 黒地に金の刺繍が施された上質な服は、彼が高位貴族であることをこれ以上なく示している。


(な、なんて方が目の前に……!)


 私は慌てて深く頭を下げる。


「は、初めまして。セレナ・リンウッドと申します」


 心臓の鼓動がうるさく、緊張で膝が震える。


「そんなに緊張しなくてもいいよ、セレナ嬢」

「……はいっ」


 ギルベルト公爵は、微笑を浮かべながら言った。

 だが、私の緊張は簡単には収まらない。


「アルティアを守ってくれたと聞いた。今日はそのお礼を、直接伝えたくてね。本来なら私の方から伺うべきだったのだが……少々、忙しくてね」

「とんでもありません……!」


 こんなにも偉い方から、そう言われて、私はさらに恐縮した。

 この方が忙しいのは当然だ。


 第一王子との婚約破棄、家の紋章の偽造事件……様々な出来事が続いている。


「あの男に、大切な娘を渡さずに済んだ。君のおかげだ。ありがとう」

「……!」


 ギルベルト公爵の声に、少しだけ厳しさが混じった。

 それでも、その言葉はまっすぐに私の胸に届いた。


「いえ、私こそ……アルティア様を守れて、本当に光栄です」


 それは、心からの想いだった。

 推しのアルティア様を守るために、こうしてきたのだから。


 ギルベルト公爵はふっと優しく笑った。


「君のような子が、娘の友人で良かったよ。アルティアも、最近は君のことをよく話してくれていてね」

「――え?」


 一瞬、時間が止まったように感じた。

 私のことを、話してくれていた?


 アルティア様が、ご家族に……?


「お父様っ!」


 アルティア様が、慌てたように声を上げた。

 その頬はうっすらと赤く染まっている。


「もう、そんなこと言わないでください!」


 彼女が本気で止めているその姿を見て、私は胸がいっぱいになった。


(本当に、話してくれていたんだ……)


 推しが、自分のことを家族に語ってくれていた。


 それだけで、涙が出そうになる。

 ギルベルト公爵は肩をすくめて笑った。


「すまないな。では、私はこれで失礼しよう。二人で、ゆっくり過ごすといい」

「はい……!」


 優しい眼差しを向けたまま、ギルベルト公爵は静かに部屋を後にした。

 その背中は、大貴族でありながらも、家族を思う父の姿そのものだった。


 扉が閉まると、私は思わず大きく息を吐いた。


「……緊張、しました」

「ふふ、でしょうね。でもお父様は冗談が好きだから、あまり本気にしないでね」

「……はい」


 アルティア様はさっきのは冗談だ、と言いたいのだろう。

 けれど、顔は自然とほころんでしまう。


(本当に……嬉しい)


 あのアルティア様が、自分のことを家族に話してくれていた。


 それだけで、私はもう……胸がいっぱいだった。


 さっきまで味がわからなかった紅茶を、改めて口に含む。

 ほんのりとした甘みと香りが、今度はしっかりと舌に届いた。


 とても、優しく、温かい味がした。



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