第30話 これからも
学園の朝は、数日前までとはまるで別の世界のように穏やかだった。
あの日――公開貴族裁判でアルティア様の無実が証明され、ミランダたちの悪事が白日の下にさらされてから、学園中の空気が一変したのだ。
私は正門をくぐりながら、どこか落ち着かない気持ちで校舎へ向かった。
けれど、これまでのような重苦しい緊張ではなかった。
ようやく、私たちにも“普通の日常”が戻ってきた。
玄関ホールには、登校してきた生徒や教師たちの姿がちらほら見える。
その中で、誰よりも目立つ銀髪の美しい女性が、いつものように真っ直ぐ私のほうへ歩いてきた。
「おはよう、セレナ」
その穏やかな声に、私はぱっと顔を明るくした。
「おはようございます、アルティア様!」
前よりも周りを気にせず、堂々と挨拶できている気がする。
きっと私だけじゃなく、アルティア様も同じだ。
彼女の表情は清々しく、どこか柔らかな自信に満ちている。
周囲の生徒たちが少し離れたところから私たちを見てはひそひそと囁き合っているけれど、もう以前のような恐怖も、陰口のような視線も感じない。
むしろ、驚きと憧れ――そして、ちょっとした羨望の混じった空気。
……まあ、公爵家の令嬢、今はいないけど嫡男と一緒にいる私を羨ましいと思うのも無理はない。
あの裁判の後、学園は大きく揺れ動いた。
生徒も教員も、口々にアルティア様へ謝罪に訪れ、その誠意の差はあれど、彼女を軽んじていたことへの後悔が教室の空気を変えた。
王族はブライトウッド公爵家へ多額の賠償金を支払い、信頼回復のため国を挙げて対応を進めている。
同時に、アスター公爵家とブライトウッド公爵家の絆は一層強くなり、二大公爵として国の中枢を担っていく――そんな噂まで飛び交うようになった。
ということで、私たち三人は今や特別すぎる存在になってしまい、学園内で気軽に話しかけてくる人はめっきり減った。
どこにいても視線を感じるし、会話が始まればその場が静まり返る。
正直、ちょっと肩が凝る。
だから私は、あえて元気よく声を上げた。
「アルティア様、今日はどこか遊びに行きませんか!」
唐突な提案に、アルティア様は驚いたように目を丸くした。
「遊びに? ……うふふ、いいわね。最近はあまりゆっくりできていなかったもの」
「はい! じゃあ、ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」
「もちろんよ、セレナ」
私が嬉しそうに微笑むと、今度は背後から静かな足音が近づいてきた。
「楽しそうな話をしているね。僕も混ぜてくれる?」
優雅な笑みとともにラファエル様が現れる。
その姿に周囲の生徒たちがさらにざわついたけど、私は気にせずに頷いた。
「ラファエル様ももちろん、ぜひ!」
三人で学園の門を出て、街の外れにある秘密の場所を目指す。
道中、いろんな話をしながら歩いた。
最近はお互いに忙しく、じっくりと語り合う時間も少なかったからだ。
「アルティア様、花は好きですよね?」
「ええ。幼いころからずっと好きなの。見ているだけで心が和らぐもの」
「ふふ、今日はアルティア様に喜んでもらいたくて、ちょっと頑張ったんです」
そう言いながら、私は彼女を案内して――花畑へと導いた。
ここはもともと花畑じゃなかったんだけど、ラファエル様のと私で協力して、一面に色とりどりの花が咲き誇る夢のような庭園に生まれ変わった。
周囲を囲う白い木柵、風に揺れるラベンダーやバラ、可憐な小花たち……どこまでも続く春の彩り。
「これは……!」
アルティア様が目を丸くし、そっと花に手を伸ばす。
「はい。ラファエル様が土地を貸してくださって、私も花の世話を手伝って……二人で作ったんです」
ラファエル様が誇らしげに笑う。
「セレナ嬢は本当に働き者だったよ。僕のほうが先に音を上げそうだったくらい」
アルティア様は花畑の中をそろそろと歩き、一輪一輪の花を大事そうに眺めていた。
「こんなにも……いろんな花が……本当に、綺麗……」
柔らかな陽射しの下で、彼女の銀髪が揺れる。
感嘆の息が風に溶け、私もつい胸が温かくなった。
「嬉しいです。アルティア様が喜んでくれて」
「……ありがとう、二人とも。こんな素敵な場所を、私のために」
アルティア様が振り返って笑顔を向けてくれる。
その笑顔を見て、私とラファエル様も自然と笑い合った。
「さ、真ん中にあるベンチに行きましょう。紅茶、用意してあるんです」
私は用意しておいた籠を指さして促した。
三人で花畑の中心へ向かう途中、アルティア様が突然立ち止まった。
「ど、どうしたんですか?」
私が振り返ると、彼女は真っ青な顔で固まっていた。
「……な、なにか、服に……」
そう言って、指先でそっと自分の肩をつまんだ。
そこには――小さなテントウムシがちょこんと止まっていた。
「あっ、またですね」
私は思わず笑ってしまった。
前もアルティア様の服に虫がついた時に、彼女は固まっていた。
花は好きだけど小さな虫すら苦手な彼女が愛おしく感じる。
青い顔をしているアルティア様を見て、私はそっとテントウムシを摘まんで空に放した。
「大丈夫ですか? 花畑には虫もつきものですから。むしろ幸運を呼ぶそうですよ?」
「そうなの……? 少しでも幸運になれると嬉しいけど、もうつかないでほしいわ」
アルティア様は苦笑しながらそう言った。
三人で花畑の中心にある白いベンチに腰掛け、紅茶と簡単な菓子を広げた。
少し贅沢な午後のひとときだ。
「セレナ、今日は本当にありがとう。あなたがいなかったら、私はきっと今も孤独だったと思う」
「そんな、私は……アルティア様の唯一の親友ですから!」
少し照れながら、私は紅茶のカップを持ち上げた。
すると、アルティア様がふと真顔でこちらを見つめてきた。
「そういえば、二人は……もう、お付き合いを?」
紅茶を吹き出しそうになった。
「え、ええ!? い、いえ、まだそういうわけでは……!」
私が慌てて手を振ると、ラファエル様が肩をすくめて苦笑いする。
「まだ保留中だよ。セレナ嬢が“自分の気持ちがわからない”って言うから」
ラファエル様がそう言って、私と視線を合わせてきた。
あの日――。
私はラファエル様に気持ちを聞かれて、うまく答えられなかった。
『すみません、私、恋愛的にラファエル様のことを好きかどうかは、わからなくて……』
そんな不誠実な対応をしてしまって、怒らせるかもしれないと思っていたけど。
でも彼は笑った。
『そっか、じゃあ待つよ。僕は本気だから。……諦める気はないから』
そのまなざしが真剣すぎて、私は思わず視線を逸らしてしまった。
だけど、諦めてほしいなんて思えなくて、私自身が一番、戸惑っている。
「いつか――アルティア嬢よりも僕のことを好きにさせてみせる。覚悟してね、セレナ嬢」
ラファエル様がいたずらっぽくウインクをして、そう宣言した。
「っ……そ、そんな日は、来るかわかりませんよ! 私は、アルティア様の唯一の親友なんですから!」
「ふふっ。二人とも、仲良くしなさい」
アルティア様が呆れたように笑い、私は真っ赤な顔で紅茶を飲み干す。
暖かな陽射し、花の香り、親しい人たちと過ごす優しい時間。
けれど――事件はまだ、すべてが終わったわけではない。
これからも様々な問題が待っているだろう。
アルティア様の断罪イベントは幕を閉じたけれど……心のどこかで、何かがまだ続いているような気がしてならない。
それでも、私は決めている。
これからも、アルティア様の隣を歩いていく。
私の隣に、ラファエル様も一緒だったら……きっと楽しい。
まだ未来は、どうなるか分からない。
だけど、この瞬間だけは、永遠に続いてほしいと心から願っていた。
三人で静かに笑い合い、春の花が咲き誇る庭で、穏やかな午後のひとときを過ごしていた。
私たちの物語は、まだ――続いていく。
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