第3話 推しを守るために
しかし……噂は日に日に広まるばかりだった。
私はラファエル様の協力を得ながら、「アルティア様がそんなことをするはずがない」という証拠や証言を集めようと必死になった。
でも現状、決定的な手がかりを掴めず、歯がゆい思いをしている。
おまけに新たな火種――「アルティア様がミランダに脅迫状を送ったらしい」という噂まで浮上してきた。
もちろんアルティア様本人はまったく送っていない。
周囲の生徒にも直接攻撃なんてしたことがないというのに、まるで彼女が極悪非道な人物であるかのような話ばかりだ。
「アルティア様、大丈夫ですか? 最近、噂がますます……」
昼休み、私はアルティア様と二人で学園の中庭を歩きながらそっと声をかけた。
すると、彼女は扇子を開いて口元を少し隠す。
「ええ、もちろんよ。公爵令嬢である私が、そんな根拠のない噂にいちいち惑わされると思う?」
声こそ変わらないが、なんとなく無理しているように見える。
確かに、“品格を守る”という意味では何もしないのが彼女なりの正解なのかもしれない。
でもあまりに酷い噂で、私としては心配でしかたない。
「アルティア様は強い方ですけど……。でも、もし辛くなったら言ってください。私が何とかしますから!」
「あなたのそういうところ、変わらないわね。……まあ、心配してくれて感謝するわ。大丈夫よ、セレナ」
そう言って歩調を進めるアルティア様。
先日まで取り巻きだった伯爵令嬢と侯爵令嬢の姿は、もうここにはない。
二人とも噂が広まり始めたあたりからスッといなくなった。
以前は当たり前のようにアルティア様の後ろをついていたのに、いまは彼女を避けるように行動しているのだ。
「アルティア様をあれだけ近くで見ていたはずなのに……! なんだか悔しいです」
思わず私がそう呟くと、アルティア様はまた扇子で口元を隠しながらわずかに笑う。
「仕方ないわ。あの二人はただ『公爵令嬢についていれば得だろう』という考えで取り巻きをしていただけよ。そもそもわたくしの人柄なんて興味がなかったんじゃないかしら?」
「……そう、かもしれませんね。納得いかないですけど」
正直、怒りと悲しさがこみ上げてくる。
アルティア様があまり気に留めていないようなのが救いだけど、それでも私は内心では激しく憤慨していた。
アルティア様を信じず、噂を真に受けるなんて……!
そんな気持ちを抱えたまま迎えた放課後。
私は「今日はラファエル様と進捗を共有しよう」と思いつつ、アルティア様のもとへ行こうとしたところ、彼女が焦ったように歩いているのが見えた。
「アルティア様、どうかなさいましたか?」
「……殿下に呼び出されたの。二人きりで話があるとか」
王子レオナード殿下が、よりによって今このタイミングで呼び出すなんて嫌な予感しかしない。
だけどアルティア様には断るわけにもいかない理由があるだろう。
私は「ご一緒します」と即答したが、アルティア様は「ありがとう。でもあくまで私が呼ばれているだけだから」と控えめに首を横に振る。
「いえ、せめて教室の外でお待ちします。心配ですし……」
「そう? ならご自由に」
アルティア様はそう言いつつ、どこか心細そうに見えた。
私はこのまま傍で待機しようと決め、アルティア様と連れ立って無人の教室へ向かう。
指定された教室にはレオナード殿下が先に入っていた。
私は廊下で待機することにし、扉の陰から中の会話を聞く。
外に響くほど大きな声で話しているわけではないが、しんと静まった放課後の校舎なので内容がなんとか耳に入ってくる。
「君の悪評は酷いぞ。ミランダが平民で優秀だから妬んでいるんじゃないかって、みんな言ってる。どうなんだ?」
レオナード殿下の声に、アルティア様がはっきりと言い返す。
「私は何もしておりません。噂など、しょせん噂ですわ」
「だけどミランダは傷ついている様子だ。この前、彼女と二人で食事した時にも……」
私はそこで息を止める。
王子とミランダが二人きりで食事?
それってデートじゃない。
貴族社会では、婚約者がいる状態で異性と二人きりで過ごすなどタブーとされているはず。
案の定、アルティア様がとがった声を返す。
「彼女と二人きりで食事に? 婚約者がいるのにですか、殿下?」
「彼女が相談したいというから、仕方ないだろう。それに私は護衛も連れていたから」
「そういう問題ではありません!」
アルティア様の苛立ちが声ににじむ。
私だって「殿下、何考えてらっしゃるの?」と問いただしたい気分だ。
でも王子はまったく悪びれる様子もなく、むしろ呆れた調子で返す。
「まさか君、ミランダに嫉妬してるのか? 私が取られるとでも思って?」
「はっ……? 嫉妬なんて、そんなこと……」
アルティア様は公爵令嬢の立場で婚約しているだけで、王子に恋しているわけではない。
おまけにこういう筋違いな疑いをかけられたら、怒りも込み上げるだろう。
「ふん、どうでもいいが、お前は私の婚約者なんだ。これ以上何かするようなら、わかっているな?」
レオナード殿下は最後にそう言い捨てて、足音を響かせながら教室を出ていく。
扉の向こう、廊下で待機していた私にすれ違いざまの視線を向けるが、無言のままスタスタと行ってしまった。
少し遅れて扉が開き、アルティア様が教室の中から出てくる。
殿下のせいでひどく傷ついたはずなのに、表情は崩さない。
私は思わず、アルティア様のほうへ駆け寄った。
「アルティア様……大丈夫ですか?」
「ええ、問題ないわ。ほんの少し、わずらわしい会話をしただけ」
アルティア様はそう言うけれど、視線は私とまったく合わない。
多分、必死に堪えているのだろう。
王子に婚約者扱いされたうえで「これ以上何かするな」なんて脅されたら、誰だって心が痛む。
私はぎゅっと拳を握りしめる。
王子レオナードの態度があまりにも冷淡で、アルティア様を追い込もうとしているようにしか見えない。
何もしていないのに、勝手な噂を信じて、勝手に警告するなんて。
(こんなの許せない……! アルティア様はただ、誇り高く生きていらっしゃるだけなのに!)
チラリと見たアルティア様の瞳は揺れている。
普段と変わらぬ姿勢を貫こうとする姿が、むしろ痛々しい。
私は胸の奥で大きく息をついて、決意を新たにした。
(アルティア様……私、絶対にお助けします。無実のアルティア様を悪役扱いなんて、絶対にさせません!)
ゲームのシナリオでは、ここから“断罪イベント”につながるなんて冗談じゃない。
アルティア様は断罪されるような人じゃないし、そもそも悪いことなんて一つもしていない。
噂を流す誰かを探し出して、告発する。
ミランダや王子の影があるのかもしれないが、何があろうとも私は引き下がらない。
(私の推しを傷つけた報いを、必ず受けさせるから……!)
私はまた一歩、決意を固めながら教室を出る。
レオナード殿下とミランダがどう動こうと、絶対に負けない。
こんな屈辱を受けたまま、アルティア様が終わるなんて考えられない。
私がこの世界に転生してきた意味、それはきっと推しであるアルティア様の幸せを守ることにあるのだから――。