第29話 彼女らの結末
貴族裁判から数日が経った。
あの日、学園で行われた公開貴族裁判は、これまでのどんな事件よりも王都に激震をもたらした。
『闇魔法を悪用したのはアルティア・ブライトウッドではなく、聖女と称えられたミランダであった』という事実は王都を越えて国中を駆け巡った。
事件を主導した第一王子レオナードと共犯のミランダは国外追放。
騎士爵ジェラルドは爵位を剥奪されたばかりか、暴行の罪で王都の地下牢に囚われることとなった。
王都の地下牢獄は底冷えするような冷気に満ち、日の光はほとんど届かなかった。
湿った石壁には苔が生え、錆びついた鉄格子が薄明かりの下で不気味な影を落としている。
その牢獄の隅、薄汚れた藁の上で、ジェラルドは膝を抱えて身を丸くしていた。
「……ミランダ……」
低く掠れた声で、その名を呼ぶ。
彼の整えられていた髪は乱れ、精悍だった顔には無精髭が浮かび、精気は完全に失われていた。
自分を騎士として認めてくれたミランダ。
自分が守るべきだと信じて疑わなかった彼女。
しかしその彼女は、自分の最も忌み嫌う『闇魔法』の使い手だった。
「なぜだ……ミランダ、お前が……闇魔法を……」
ジェラルドの記憶に、母の苦しむ姿が蘇った。
幼い頃、彼の母は闇魔法の呪道具によって命を奪われた。
その事件以来、彼は闇魔法を憎み、騎士として正義の剣を振るってきたはずだった。
だが、その正義はあの日、完膚なきまでに崩れ去った。
「俺が……信じた者が……闇魔法を……俺は一体、何のために騎士になったんだ……」
後悔とも怒りともつかない感情が胸の内を駆け巡り、ジェラルドはその場にうずくまったまま、静かに嗚咽を漏らした。
騎士ジェラルドが、再び立ち上がることは、もう二度とないかもしれない――。
一方、東の国境外。
名も無き荒れ果てた森では、国外追放された元第一王子レオナードがただ一人、苦難の中で喘いでいた。
「くそっ、どうして俺が……この俺が、こんな目に遭わなくてはならないんだ!」
彼は王都にいた頃の豪華な服をボロボロに破れさせ、泥にまみれて必死に水を探して歩き回っている。
王族という立場を失い、魔法の心得もわずかな土魔法しか持たないレオナードにとって、この森はあまりにも過酷な環境だった。
しかも罪人として、「発動する魔法効果が薄まる」という腕輪も付けている。
この状況で生き抜くのは非常に困難だ。
レオナードは飢えと渇きに苛まれながら木の幹にもたれかかる。
「こんな……こんなはずでは……俺は、王子だぞ……!」
そう叫びながらも、彼は必死で立ち上がり、ふらつく足取りで再び歩き始めた。
ミランダさえそばにいれば、魔法を駆使して容易に生き残ることができただろう。
しかし彼らは別々に追放され、ミランダは遥か西の国境外へ送られてしまった。
「ミランダ……お前さえいれば……!」
その名を吐き捨てるように呟きながら、彼は歩き続けた。
弱い魔物を土魔法で仕留め、何とか食いつないできたが、それも限界が近づいている。
「だが、俺は……こんなところで終わるわけにはいかない。必ず、生きて帰ってやる……!」
諦めずに足を引きずりながら藪をかき分けると、視界が急に開けた。
その先には――恐ろしい数の魔物が群がっていた。
「ひっ……!」
彼はとっさに逃げ出したが、魔物たちはすぐにその背を追いかけてくる。
焦りと恐怖に震えながら必死に土魔法を放ったが、森に慣れない彼は木の根に足を取られて転倒した。
「ああっ!」
その瞬間、鋭い牙が彼の足に食い込んだ。
「うああああぁぁぁ!」
激痛が走り、彼は泣き叫びながら地面を這った。
「こんなところで、俺は……!? 嫌だ……いや、だ――」
必死で手を伸ばし、誰かに助けを求めたが、その声は深い森に虚しく響くだけだった――。
一方、西の国境外では、ミランダがたった一人、冷たい風が吹き抜ける荒野を歩いていた。
彼女は外套を深く羽織り、蒼白な顔には強い憎悪の炎を宿している。
その周囲には、闇魔法で腐食させられた魔物の死骸が無数に横たわっていた。
「私は、天に愛されし者よ……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、ミランダは荒野を進んだ。
王都での栄華は失われたが、彼女には力があった。
水魔法で飲料水を作り出し、闇魔法で襲いかかる魔物をことごとく葬り去る。
食料は火魔法で倒した魔物を調理すれば困ることはない。
本来、国外追放というのは死刑より重いものだ。
彼女もレオナード同様に魔法効果が薄まる腕輪をつけている。
完璧に魔法発動を禁止しないのは、希望を持って外に出てから絶望して死ぬということが多いためだ。
だがミランダは魔法効果が薄まっても、問題ないくらいに強い、問題ないくらいに天に愛されていた。
そんな彼女の胸の内には深い憎悪と復讐心が渦巻いていた。
「セレナ……アルティア……そしてラファエル……許さない……絶対に許さないわ!」
その瞳に狂気じみた光を宿しながら、西方の国を目指して歩みを続ける。
「絶対に、生き残ってやる……! そして、私を追いやった者たちに、必ず復讐を遂げるわ!」
彼女の声は、誰もいない荒野に虚しく響いたが、その決意は固く、揺るがないものだった。
まだ見ぬ西の国に、彼女はまた運命を……天命を感じている。
そこに行けば、まだ自分はやり直せると――確信があった。
「天は、まだ私を見放してはいない……私は選ばれし者なのだから!」
ミランダは歪んだ笑みを浮かべ、彼女の心は復讐の闇に深く染まっていった。
彼女の物語は、まだ終わらない――その瞳は、確かな野望と復讐の炎を宿していた。




