第23話 侵入
夜の闇は深く、星々が冷たく瞬いていた。
街灯がまばらに灯る石畳の道を静かに進みながら、私はミランダの屋敷をじっと見つめていた。
(……想像よりずっと大きいのね)
学園から少し離れた住宅街の外れに、その屋敷はあった。
壁は美しい白亜の石材で、窓の装飾も凝っている。
平民出身とはいえ特待生のミランダだから、ある程度裕福な暮らしをしているのは理解できるけれど、この屋敷は明らかにその域を超えていた。
(……原作でも大きい家だったけど、まさかここまでとは)
もしかすると、レオナード殿下が援助しているのかもしれない。
彼がミランダに心酔しているのは明白だから、あり得る話だ。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
屋敷の敷地は背の高い鉄柵で囲まれていて、その中には警戒するように灯された明かりがぽつぽつと見える。
正面玄関の前には、よく見知った人物が立っていた。
(……まさかジェラルド様がいるとはね)
背筋をまっすぐに伸ばして警戒している姿は、紛れもなく騎士ジェラルド様だ。
剣の柄には手をかけている。
単なる警護とは思えないほど物々しい雰囲気だった。
(困ったわ……)
ジェラルド様がいるということは、ここからの正面突破は不可能。
そもそも見つかったら即座に捕まってしまう。
騎士爵位を自力で得た実力者の彼に、私が勝てるわけがない。
(仕方ない。どこか別の侵入口を探すしかないわね)
私は黒い外套のフードを深く被り直し、屋敷の周囲をゆっくりと迂回し始めた。
生垣や低木が多く、身を隠すには最適だが、どこか抜け道はないかと慎重に確認する。
「――セレナ嬢」
「ひゃあっ!?」
突然後ろから肩に触れられ、私は驚いて飛び跳ねそうになった。
慌てて口を手で覆いながら振り向く。
そこには、青髪が月光に照らされたラファエル様が立っていた。
「ラ、ラファエル様!? ど、どうしてここに?」
「驚かせてしまったかな。ごめんね」
ラファエル様は柔らかな笑みを浮かべているけれど、その瞳は妙に鋭く私を見つめている。
明らかに何かを疑っている目だった。
「え、えっと……なんでここにいらっしゃるのですか?」
私が動揺しながら問いかけると、彼は苦笑して肩をすくめる。
「君が何かしでかそうとしているのは昼間から分かっていたからね。君の家の前からずっと張らせてもらっていたんだよ」
「ええっ!? 全く気付きませんでした……」
思わずがっくりと肩を落とした。
尾行されていたことにすら気付けないなんて、本当に私は抜けている。
「それで? ここに侵入しようとしているのは明らかだけど、一体何をしようとしているのか教えてもらえるかな?」
ラファエル様が真面目な表情で私を見据える。
私は深呼吸をして、素直に全てを打ち明けることにした。
「実は……ミランダたちが、訓練ダンジョンの暴走事件の罪をアルティア様に擦り付けようとしているんです。それを阻止するために、証拠を探しに来ました」
私の言葉に、ラファエル様は眉をひそめた。
「あの事件が人為的に起こされたというのかい? にわかには信じ難いけど」
「えっと、その、文献にあったんです。闇魔法が仕込まれた呪道具を使えば、ああいう事件を起こすことができると。もしそうなら、その道具はミランダがまだ持っているはずです」
さすがにゲーム知識とは言えないから、文献と誤魔化しておく。
ラファエル様はしばらく沈黙した。
その横顔は月明かりに浮かび上がり、どこか神秘的で美しい。
やがて彼はため息をついて私を見た。
「正直、まだ半信半疑だ。だが……君の目を見ると、嘘をついているようには思えないな」
「……信じてくださるのですか?」
緊張で乾いていた喉が、少しだけ潤った気がした。
ラファエル様は優しく微笑んで、頷いてくれた。
「ああ、君がここまで真剣なら、信じるしかないだろう。僕はどんなことでも、君のことを信じることにしているからね」
予想外の優しい言葉に、私は急に頬が熱くなるのを感じた。
「あ、ありがとうございます、ラファエル様……」
私が戸惑いながらも礼を言うと、ラファエル様は少し照れたように笑って見せた。
「なら、僕も侵入を手伝うよ」
「えっ?」
予想外すぎる言葉に、私は思わず大きな声を出しかけてしまい、慌てて口を押さえた。
「ラ、ラファエル様が侵入なんて……バレたら相当まずいことになりますよ?」
「バレなければ問題ないさ。それに、なんだか面白そうじゃないか」
悪戯っぽく目を細めて笑う彼の表情に、私はつい吹き出してしまった。
「ふふっ……ラファエル様って、意外と大胆なんですね」
「君といると、僕もつい大胆になるのかもしれないね」
冗談めかして軽口を叩くラファエル様を見ているうちに、私の緊張も不思議と和らいでいった。
あれほど張り詰めていた心が、柔らかく解きほぐされるようだった。
「でも本当に、ありがとうございます。心強いです、ラファエル様が一緒だと」
素直に感謝を伝えると、ラファエル様は少しだけ照れ臭そうに目を逸らした。
「ああ……うん。一緒に行こうか」
「はい!」
二人で頷き合い、再び屋敷に視線を戻す。
門の前ではジェラルド様が変わらず直立不動で警戒している。
「正面突破は無理そうだね」
「はい、だから裏手を探そうかと」
「なるほどね。じゃあ、そっちから回ろうか」
ラファエル様が先に立って歩き出す。
その背中を見ながら、私は小さく深呼吸をした。
やるしかない。アルティア様のためにも、この計画を成功させなくては。
(絶対に証拠を掴んでみせる)
屋敷の裏手に回り込み、低木の茂みを抜けながら、私は改めて心の中で強く誓った。
屋敷の裏手を慎重に進んでいくと、生垣や低木がぎっしりと植えられていて、侵入できそうな隙間は一つも見当たらなかった。
高くそびえる白い塀も、よじ登れるような取っ掛かりすらない。
改めて見ると、この屋敷はやはり尋常ではない。
(絶対レオナード殿下の仕業よね、これ……)
ミランダのためにここまで整った屋敷を用意するなんて、彼の心酔ぶりが改めて身に染みる。
「うーん、見事に塞がれてるな」
ラファエル様も小さくため息をついて呟いた。
「どうしましょうか。このままじゃ、入れないですよ」
焦る気持ちを抑えられず、私はそっと彼を見上げる。
ラファエル様は少し考え込むような仕草をしたあと、軽く微笑んだ。
「なら……僕の魔法を使おうか」
「魔法?」
「ああ、風魔法を使えば身体を浮かせて塀を越えることができる」
「それはすごいですけど……でも、魔法を使ったら反応が残りませんか?」
「うん、それは僕も気がかりだ。ジェラルドのような騎士なら、微かな魔力反応でも気づく可能性が高い」
「だったら、どうすれば……?」
焦りがさらに募る。
するとラファエル様は再び優しく笑った。
「だから、反応が残らないように一瞬で済ませる必要がある。時間をかけず、一気に塀を超えてしまえば、気づかれる可能性はかなり低くなるだろう」
「一瞬で……ですか?」
「ああ。だから、僕と君ができるだけ身体を密着させる必要があって……具体的に言えば横抱きで持ち上げたいんだけど、大丈夫かな?」
ラファエル様はどこか遠慮がちに、控えめに問いかけてきた。
「わ、私は問題ありませんが……ラファエル様こそ大丈夫ですか? その……私はきっと重いですよ?」
気まずさを隠すように早口で返した私に、ラファエル様はおかしそうに笑った。
「もちろん僕は大丈夫だよ。むしろ、セレナ嬢を抱き上げられるなんて光栄なくらいさ」
彼の言葉が月の光と共に優しく私を包み込む。
そのせいでますます頬が熱くなったのを感じたけれど、今はそんな場合じゃない。
「そ、それなら、お願いします」
私が遠慮がちにそう言うと、ラファエル様は躊躇いなく私をそっと横抱きに抱え上げた。
「っ……!」
自分で言ったことなのに、やっぱり恥ずかしい。
しかも、彼の腕の中は予想以上にしっかりしていて温かい。
ドキドキと高鳴る鼓動を彼に聞かれてしまいそうで、胸が苦しくなった。
「重くありませんか?」
私が小さく尋ねると、彼はくすっと笑って答えた。
「そこらの鳥の羽のほうがまだ重いくらいだよ」
「そんなわけないじゃないですか」
「本当だってば」
「ふふっ」
彼の冗談めいた言葉に、私は小さく笑った。
緊張がほぐれていくのがわかる。
「じゃあ行くよ、セレナ嬢。しっかり捕まっていて」
「はい!」
ラファエル様が小さく詠唱を始めると、彼の足元に淡い緑色の風が舞い上がった。
次の瞬間、ふわりと身体が浮き上がったのが分かった。
(わっ、本当に浮いてる……!)
あっという間に身体が高く上がり、塀の上を滑るように越えていく。
驚くほど音もなく、私たちは無事に屋敷の敷地内に着地した。
ほっとしたのも束の間。
――カツ、カツ、と。
塀のすぐ向こう側、私たちが今しがた越えてきた場所にジェラルド様の足音が近づいてくるのが聞こえた。
(やばい……!)
私たちは咄嗟に息を潜め、植え込みの影に身を潜めた。
「……ここで音がした気がしたんだが……」
ジェラルド様の低く鋭い声が、すぐ傍の塀越しから響いてきた。
(お願いだから気づかないで……!)
鼓動が高鳴り、身体中が強ばった。
ラファエル様も、私を抱えたまま身動き一つせず、ただじっと息を潜めていた。
しばらくの沈黙の後、ジェラルド様は小さくため息をついた。
「……いや、気にしすぎか。ただ風が葉を揺らしただけだろうな」
彼の足音が遠ざかっていくのを感じ、私たちはようやく安堵の息をついた。
「ふぅ……危なかったね」
「はい、本当に焦りました……」
私が小さく囁くと、ラファエル様もほっとしたように頷いた。
その時、ふと気づく。
(って、まだ抱き上げられたままじゃない……!?)
気が付けばラファエル様との距離がとても近い。
月明かりに照らされた彼の端正な顔が目の前にあり、思わず呼吸が止まりそうになった。
「あっ……ご、ごめん、気づかなかった」
ラファエル様も慌てて私を降ろしてくれた。
その頬がほんの少し赤く染まっている気がして、私もますます気まずくなった。
「い、いえ、私こそ失礼しました……」
「いや、その……こちらこそ」
互いにぎこちなく視線を逸らし、気まずい沈黙が降りる。
けれど、そんなことで時間を無駄にするわけにはいかない。
「そ、それじゃあ地下室への入り口を探しましょう!」
私は気まずさを振り切るように声を上げた。
「あ、ああ、そうだね。早く行こう」
私たちは裏庭の地面に目を凝らしながら進んだ。
屋敷の裏口付近、芝生の中に隠されるように設けられた、地下室への扉があるはずだ。
(確か、ゲームだとこの辺りのはず……)
地面を慎重に探していると、微かな違和感を覚えた。
芝生の一角だけ色が微妙に違い、そこを触ってみると固い感触があった。
「ありました!」
「よく見つけたね、すごいな」
ラファエル様が感心したように私を見る。
まさかゲーム知識で知っているとは言えないから、私は曖昧に笑って誤魔化した。
「た、たまたまです。なんとなく怪しいと思っただけで」
「それでも凄いよ。さすがだね」
「い、いえ……」
再び照れてしまい、私は慌てて視線を逸らした。
「さて、中に入ろうか。何があるか分からないから、気を付けて」
「はい」
慎重に扉を持ち上げると、ギィッと小さな音を立てながら、地下室へと繋がる階段が姿を現した。
ひんやりとした空気が階段の下から流れてきて、背筋がぞくりとする。
「行きましょう、ラファエル様」
「ああ」
私たちは頷き合い、地下への第一歩を踏み出した。
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