第22話 セレナの気づき
学園内の石畳の道を、私とアルティア様は並んで歩いていた。
午後の日差しが差し込んでいるが、その光がどれだけ暖かくても、アルティア様の表情は少しだけ曇って見えた。
通りすがる生徒たちや市民が、ちらりと彼女を見る。
そしてすぐに視線を逸らし、ひそひそと小さな声を交わす。
「……あの人が、例の闇魔法の……」
「見た? すごく綺麗な人だけど……やっぱり、怖いわよね」
「もしまた魔法が暴走したらって思うと……」
聞こえるか聞こえないかの距離。
でもきっとアルティア様には届いている。
私が隣を見ると、彼女は何も言わずにまっすぐ前を見ていた。
けれど、その横顔は少しだけ、無理をしているように見える。
唇の端は静かに結ばれ、視線はどこか遠くを見ていた。
「アルティア様……」
私はそっと言葉をかけた。
「あまり気にしないでください。皆、ただ知らないから怖がってるだけです。何も、悪いことなんてしていないんですから」
彼女はふ、と微笑んだ。その笑顔は優しくて、それでもどこか寂しげだった。
「私は大丈夫よ。このくらい……問題ないわ」
その言葉に、私は胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
どうして――どうしてあんなにも頑張った人が、こんな扱いを受けなきゃいけないの。
あの時、確かにアルティア様の魔法は凄まじかった。
誰一人として傷つけなかった。
全員を守った。自分の安全を削ってまで。
でも、誰もそれを正しく評価しない。
評価されたのは――ミランダだった。
闇魔法を打ち消す光の奇跡を見せた彼女は、一気に“聖女”として崇められ始めた。
『さすが、天に祝福されたミランダ様……』
『光魔法って、やっぱりすごいのね。ミランダ様がいれば、闇魔法も怖くない!』
『きっと、あの人がいるから安心できるのよ。アルティア様が暴れても、ミランダ様が止めてくれるもの』
暴れても、って……アルティア様は一度だって、誰かに魔法を向けたことなんてないのに。
私は、何もできない自分が歯がゆかった。
……このままじゃ、本当にまずい。
この流れのままだと、ミランダが崇められていき、アルティア様はどんどん“魔の存在”として孤立してしまう。
そして、ふと思い出した。
――このルート、原作にもあった。けれど……。
(……あれ?)
胸の奥に引っかかる違和感が走った。
確かに“聖女ルート”というか、ミランダが聖女として讃えられるシナリオはあった。
でも、それって――。
「……あっ!」
不意に、思わず声が漏れていた。
「えっ……セレナ?」
驚いたように、アルティア様が私の顔を覗き込んでくる。
「ど、どうしたの? 急に……」
「あ、えっと……ちょっと! 用事を思い出して……! すぐ戻りますから!」
私は慌ててそう言って、彼女から距離を取った。
「セレナ?」
アルティア様の困惑した声を背に受けながら、私は通りの角を曲がって、人気のない裏路地へと足を速めた。
そのまま石畳の廊下を歩きながら、私は自分の記憶に意識を集中させた。
(今の展開……たしかに、あった。原作の追加ストーリー。そう……)
メインルートの数年後に実装された、いわゆる『隣国編』と呼ばれる大型アップデートのストーリー。
舞台は、隣国――名前は……確か、“ヴァルシオン王国”。
魔法大国であり、アルティアたちの国とはまた違った価値観を持っている国。
あの国では、闇魔法は完全な禁忌ではなかった。
むしろ“危険だけど有能な力”として認知されていた。
ヴァルシオン王国の建国者は、かつて闇魔法を使い、隣国の侵略を防いだ英雄だとされている。
そんな国から来た留学生たちとの交流の中で、物語が展開していく。
そして、そのルートの中で、私は見た。
――ミランダが、闇魔法を覚醒するシーンを。
確か、光と闇、両方の属性を持つ特別な存在として。
ラスボスが使っていたのと同じ闇魔法を、ミランダが使えるようになるという展開。
あの時の衝撃と裏切られたような気持ちは、今でも覚えている。
「……完全に、忘れてた」
あの展開は、少なくとも“今”じゃない。
あのルートは、メインから分岐して二年後。
ゲーム内でも時間が経過した後の物語だ。
けれど――。
(この世界は、もう原作通りじゃない)
ミランダが前倒しで闇魔法を使っていても、不思議じゃない。
むしろ、あの光魔法の“正確すぎる”対処を見れば、彼女はすでに、何かを知っている。
もしかすると、本当に――。
「……ミランダが、闇魔法を覚醒している?」
仮定として、そう考えた瞬間、全てが繋がった気がした。
だから、あれほど冷静に振る舞えたのだ。
だから、腐食した的の状態を把握した上で、すぐに光魔法で打ち消すことができたのだ。
偶然じゃない。
彼女は、最初から仕組んでいた。
ならば――証拠を掴めば、形勢は覆る。
あの訓練ダンジョンで魔物が暴走した原因がミランダだと証明できれば。
そして、彼女が闇魔法を使っていた証拠があれば。
――一発逆転できる。
私は小さく拳を握った。
おそらく、あの時の“呪道具”がどこかにあるはずだ。
ミランダが仕込んだ、魔物を暴走させるための呪具。
それを見つければ、必ず突破口になる。
簡単じゃないのは分かっている。
でも、私は諦めたくない。
だって、アルティア様は――あんなにも優しくて、真っ直ぐで、誰よりも誰かを守る力を持っている人なのだから。
彼女のその背を、私は絶対に支えたい。
私が、この世界に来た意味があるとすれば、きっと――この人を守るためだ。
「アルティア様、絶対に……守ってみせます」
私は小さく呟いた。
自分自身に言い聞かせるように。
何かをしなければと思いながら、私は学園の渡り廊下を一人で歩いている。
正門のほうへ進もうと渡り廊下を抜けたところで、遠くに見覚えのある三人の姿が小さく映った。
レオナード殿下とジェラルド様、そしてミランダ……彼らがこちらへ歩いてくる。
まずい、今は会いたくない。
今の私の心はアルティア様を守る策で頭がいっぱいだから、とてもじゃないけれど彼らと普通に会話できる気がしない。
周囲を見回すと、廊下の脇にある太い柱が目に入った。
とっさに私はそこへ身を隠した。
息をひそめている私の耳に、彼らの会話がぼそぼそと飛び込んでくる。
「――あの女、アルティアを学園から追い出す手筈は、大方整ったんだな?」
聞き覚えのあるレオナード王子の声。
でも内容が内容だけに、思わず全身が強張る。
「はい、あとは実行へ移すだけです。罪を着せる算段もできていますから」
ミランダの甲高い声。
あのしおらしい態度はどこへやら、まるで高笑いでもするかのような響きだ。
「訓練ダンジョンの暴走事件……あれが決定打になるな。教師連中も大分、アルティアを疑い始めているし、あの子を庇おうとする人はもうあまりいない」
またレオナード殿下の声。
口調は淡々としているが、その内容はゾッとするほど冷酷だ。
(もうそこまで話が進んでるのね……!)
もうほぼ確定事項としてあの三人はアルティア様を陥れる計画を進め、あとは実行するつもりだ。
そして「罪を着せる」という言葉が気になる。
最近の動向から考えて、やはりあの訓練ダンジョンでの魔物暴走の責任をアルティア様に押し付けるつもりなのだろう。
教師たちも、すでに“アルティア様が闇魔法の未知の魔法で意図的に封印を緩めたのでは?”と疑う声が出始めている。
私が必死に否定の声を上げようとしても、取り巻き令嬢の戯言とあしらわれる可能性が高い。
ましてやレオナード殿下は王家で、ジェラルド様も騎士爵を持っていてそれに準ずる影響力を持つ立場。
どうしよう、頭の中で警鐘がわんわんと鳴り響く。
(やっぱり確たる証拠を見つけないと駄目ね)
彼らがどんな方法で魔物を暴走させたか……私にはその仕掛けが呪道具だという確信がある。
ゲームの原作知識では、闇魔法が込められた小さな宝石や短い杖のような形状のものがあったはず。
簡単には壊れず、ちゃんとした対処法を使わない限り朽ちることもない。
今までそれを思い出せなかったのは、追加原作ストーリーで登場していて、さらには闇魔法の使用者にしか扱えない呪道具だから。
おそらく、闇魔法に覚醒したであろうミランダがそれを使ったのだろう。
もしも今もそれを彼らが持っているのなら――それを押さえることで、アルティア様の疑いを晴らす手掛かりになり得るかもしれない。
「本当にこの策で、アルティア嬢を追い出す、捕まえるんですね? その、迷いはないのですか?」
ジェラルド様がぼそりとそう言うのが聞こえた。
意外にも、一瞬だけ迷いの色が感じられる声。
ジェラルド様は原作では、騎士道に反しているようなことはしないような性格だったはず。
彼にとってアルティア様を嵌めて追い出す、というのは騎士道に反しているのだろう。
けれどミランダは鼻で笑うように答える。
「だって、あの子がいなくなれば道が開けるでしょ? 私の“天に愛された”力が、もっと王宮で発揮されますわ」
「アルティアは古い慣習と貴族の格式を振りかざしすぎだ。彼女のせいで、ミランダが萎縮してしまうのはかわいそうじゃないか」
レオナード殿下の声が少し優しい響きになったのは、ミランダを慈しんでいるからだろう。
私は柱の陰で歯を食いしばる。
彼らの勝手な理屈に、怒りがこみ上げてくる。
「では決まりですね。もう少し飲み込むのに時間がかかるけど、教師たちにもそれなりの証拠を提示します。各自、それぞれ頑張りましょう」
ミランダの声に、二人が小さく頷く気配がした。
そしてほどなくして三人の足音が遠ざかっていく。
私は彼らの姿が完全に消えるまで息を殺していた。
やがて廊下が静けさを取り戻したころ、ようやく私は柱からそっと顔を出した。
「……最悪ね」
心がざわざわと乱れる。
だけど、何もしなければアルティア様は破滅に向かって一直線だ。
私はその場で拳をぎゅっと握りしめ、意を決する。
「証拠があるはず。あの呪道具を使ったなら、絶対にどこかに残ってる……」
この推理が正しければ、あの闇魔法の呪道具を握っているのはミランダか、あるいはレオナード殿下。
だが、どちらかといえばミランダ本人である可能性が高い。
彼女は自分の行動を“運命から与えられた使命”みたいに語っている。
完全に自分の手で管理したがる性分っぽい。
もしそうなら、その呪道具は彼女の私室あたりに隠されているかもしれない。
ミランダは学園寮には入っていない。
家庭の事情とかいろいろあって、敷地の近くにある借屋に住んでいると聞いたことがある。
「よし……忍び込もう!」
思わず声を張ってしまい、慌てて口を手で押さえる。
誰かに聞かれたら困る、そもそもこれって不法侵入だから。
でも、そんな小さな問題を気にしていられる状況じゃない。
アルティア様を守るためなら、私は何だってやる。
偵察するだけなら大丈夫。
呪道具を見つけたら、きっとそこに闇魔法の痕跡が残っているだろうし、それを証拠として持って行けばいい。
それさえできれば、訓練ダンジョンへ仕掛けた犯人がアルティア様ではないことを証明できる。
できるだけ今夜にでも行動に移さなくちゃ。
ミランダが次の手を打つ前に先に証拠を抑えてしまえば、やつらの計画を壊滅できるかもしれない。
私はもう一度、覚悟を固めるようにぎゅっと胸のあたりを握りしめる。
よし、やるしかない。
こんな取り巻き令嬢だけど、私だってアルティア様の力になりたい。
――と、そのときだった。思いもよらぬ方向から声がかかる。
「セレナ嬢、こんなところで何をしているんだい?」
「ひゃあっ!」
心臓が飛び跳ねるほど驚いて、変な声が出てしまった。
振り向くと、そこにはラファエル様が立っていた。
青みがかった髪がやけに眩しく見えるほど、こちらを不思議そうに見ている。
「ラ、ラファエル様……いつからいらしたんですか?」
「いや、今通りかかったところだけど。……なんだか物騒な顔をしているね。なにかあったの?」
彼は笑みを浮かべながらも、鋭い眼差しをこちらに向けている。
下手な誤魔化しは通用しなさそうで、それだけで背筋に冷や汗が流れる。
だけど、まさか今ここで「ミランダの家に忍び込もうと思っています」なんて言えるはずがない。
私は表情を繕いながら、なるべく冷静に答える。
「いえ、少しばかり困りごとがありまして……でも大丈夫です! お気になさらず!」
「本当に? 僕でよければ手伝うよ。その困りごとって、アルティア嬢に関することじゃないのかい? 最近、噂が激しいし……」
「いえいえ! 大丈夫です。私、これから用事があるので失礼しますね!」
あからさまに焦った態度を見せてしまったと自覚はあるけれど、とにかく今はラファエル様の目を逃れなくては。
「す、すみません、私用事があるので、失礼します!」
「あっ……」
一礼したあと、私はその場をさっと駆け去った。
ここにいると、つい余計なことまで白状してしまいそうだし、ラファエル様の助けを借りるにしても、今回の方法はあまりに危険すぎる。
「なんだか怪しいな……」
彼が何か呟いた気がしたが、私は立ち止まらずに廊下の曲がり角へと急ぐ。
足早に石段を下りながら、頭の中には今夜の計画が渦巻いていた。
ミランダの家に忍び込むなんて、大それたことを本当にやるのだ、と。
しかも、もし証拠を掴み損ねたら……私に待つのは破滅かもしれない。
それでも、やるしかない。
「何としてでもアルティア様を助ける……絶対に」
――必ず、成功させてみせる。
そう強く心に誓いながら、私は学園の校門を出た。