第20話 ミランダの思惑
王都の一角、高級街の中でもとりわけ格式の高いレストランの個室にて、レオナードとミランダは対面していた。
厚手のカーテンが外界の喧噪を遮って、キャンドルの灯りがふたりの表情をやわらかく照らしていた。
「この前のオークションの話、聞きました?」
ミランダがグラスを傾けながら、世間話めいた口調で微笑む。
「貴族の間で天恵のアクセサリが流行しているらしくて、皆躍起になって競っていたそうですわ」
「ふん、くだらん流行だ」
レオナードはワインを口に運びつつ、皮肉っぽく笑った。
「祝福だの加護だの……結局は見た目と話題性で踊らされているだけだろう。真の力は、あんなものに宿るわけがない」
ミランダはくすりと笑った。
「殿下の言葉には重みがありますわね。第一継承権をお持ちだったお方がそう仰るのですから」
その言葉には、わざとらしい含みがあったが、レオナードは怒りを見せなかった。
むしろ、それを懐かしむような表情で受け入れた。
「……あいつさえいなければ、今ごろ王位は確実だった」
レオナードは天井を見上げる。
「アルティア、セレナ、ラファエル……。奴らがいなければな。だが、まだ終わったわけではない」
「ええ。これからですわ」
ミランダは上品にナイフを取り、肉料理を静かに切り分ける。
「アルティア様も、セレナ様も、ラファエル様も……すべて排除するつもりです。あなたが再び玉座の道を歩めるように」
「……ミランダ」
レオナードは思わず手を止め、彼女を見つめた。
その横顔は端正で優しげで、完璧に淑女然としている。
だがその笑みに、時折、ぞくりとする冷たさを感じるのも事実だった。
「お前がいてくれて、本当によかった。……婚約者の枠が消えた今、誰の目も気にせず会えることが、こんなにも心地いいとは思わなかった」
「レオナード殿下……光栄ですわ」
ミランダは目を細め、軽く頷いた。
「けれど、私なんて……殿下の役に立てるのなら、それだけで充分です」
レオナードは笑い、フォークを置いた。
「例の杖……あれは完璧だった。アルティアがあれを拾って、闇魔法に目覚める。すべてミランダの筋書き通りだったな」
「ふふ、偶然かもしれませんよ?」
ミランダは小首をかしげ、悪戯めいた笑みを浮かべる。
「私は、ただ杖を置いただけ……何の魔力も、呪いもありませんわ」
「……だが、彼女はそれを拾った」
レオナードは、再びその美しい瞳を覗き込む。
「そして、闇魔法に目覚めた」
「はい、やはりアルティア様は災いを呼ぶ悪女なのです」
その言葉に、レオナードの背筋がわずかに凍る。
最近、彼女の笑みを怖いと感じる瞬間がある――それでも、惹かれてしまう。
もはや彼にとって、彼女は手放せない存在だった。
「……で、あのダンジョンを暴走させた呪道具。あれは、お前の……?」
「ええ。あれは、私が用意しました」
ミランダはグラスを傾け、満足そうに頷いた。
「魔物を引き寄せ、制御を狂わせる呪印を織り込んだ道具です。破壊には多大な魔力が必要ですから、簡単には処分できません」
「処分……君に任せているが、大丈夫なのか?」
レオナードの問いに、彼女は無邪気に笑いながら言う。
「はい、もちろんです。万が一にも見つかるわけにはいきませんから」
「そうか、ならいい」
自分にも教えられていない隠し場所だが、彼女のことなら信頼できる。
「ミランダの計画、すべて俺が守り通してみせる」
「ありがとうございます。……レオナード殿下の頼りになるところが、とても好きです」
その一言に、レオナードは頬を赤く染めた。
(どうして、ここまで惹かれるのか……)
彼女の過激な思想も、冷酷な計画も、本来なら拒絶するべきだった。
だが今の自分にとっては、それすらも美しく見えてしまう――そう思わされるほどに、彼は彼女に夢中だった。
レオナードとの食事を終えて、ミランダは馬車に乗って屋敷へと戻る。
馬車の車輪が静かに止まり、レースの手袋を直しながら扉を開けた。
夜の空気はわずかに冷たく、星の瞬きが高い空に散っている。
石畳の門前には、一人の騎士が立っていた。
「お帰りなさい、ミランダ様」
「……ジェラルド様」
彼はフルプレートの軽装甲を身につけ、肩当てと胸甲には彼の家門の紋章が刻まれていた。
完全な武装をしており、今にも襲撃があっても問題はなさそうだ。
「すみません、こんな時間に……まだ警護を?」
「当然だ。君が、あのアルティアと対立している以上、どんな不測の事態があってもおかしくない。俺がここにいることで、少しでも安心できるなら、それでいい」
その言葉に、ミランダはほんのりと微笑みを浮かべた。
「ジェラルド様には、いつも助けられてばかりですね。私……本当に、頼りにしています」
彼の頬がわずかに赤くなるのを、ミランダは見逃さなかった。
だがその表情には、甘えるような気配はなく、あくまで上品な淑女としての態度が崩れない。
「ああ……君を、誰にも傷つけさせはしない」
ジェラルドの視線は鋭く、そして迷いがなかった。
彼にとってミランダは、ただの令嬢ではない。
忠誠とともに、強い情のようなものがにじんでいた。
彼女のために剣を振るい、彼女の命令なら、どんな泥にも手を染める――その覚悟すら感じさせる。
「どうぞ、中へ。少しだけ、お茶でもいかがですか?」
「いや、俺は騎士だから……」
「騎士のあなたじゃなくて、ただジェラルド様にご馳走したいんです。ダメですか?」
「……君には負けるな、ありがとう」
ジェラルドは少しだけ目を細め、頷いた。
使用人に外套を預けたミランダは、彼を屋敷の応接室へと案内した。
ミランダは椅子に座るジェラルドを一瞥すると、ふわりと微笑んで言った。
「ここ数日はお忙しかったでしょう? あの騒ぎの後始末に、どこも混乱していると聞きました」
「混乱というより、騒ぎ立てているのは上層部ばかりだ。だが、闇魔法を使った者が現れたとなれば……無理もない」
「……ええ、そうですね」
ミランダは椅子のひじ掛けに細指を添え、少しだけ目を伏せた。
その仕草があまりにも柔らかく、ジェラルドはその様子を、息を呑んで見つめていた。
「それでは、紅茶を淹れてまいりますね。すぐ戻りますので」
「……ああ。ありがとう、ミランダ」
「いえ、こちらこそいつも守っていただいていますから、そのお礼です」
その一言に、ジェラルドの眼差しがぐっと和らいだ。
「君には……本当に、敵わないな」
ミランダは一礼してから部屋を後にする。
その背中にジェラルドは、目を離すことなく、微笑を浮かべたまま見送っていた。
ミランダは一人でキッチンへ向かった。
銀のティーポットに湯を注ぎながら、窓の外を見やる。
静かな夜の街。灯火はぽつぽつと点在し、風はない。
その穏やかな光景の中で、彼女の瞳だけがどこまでも冷たく澄んでいた。
「――もうすぐ、アルティアを陥れられるわ」
囁き声は、紅茶の香りとともに夜に溶けていく。
「セレナも、ラファエルも。私の邪魔をするなら、容赦しない」
誰もいない厨房で、ミランダは静かに笑った。
その笑みは、まるで神のごとく全てを見通し、操っているようだった。
(私は“天に選ばれた者”。だから、私が勝つのは当然のこと――)
紅茶を淹れる彼女の手に――黒いもやが立ち昇る。
それはアルティアと同じ闇魔法の――。
「私は、この世に愛されてるんだから」
やがて茶器を盆に乗せて応接間へ向かうその背に、いかなる罪悪感も、ためらいも――なかった。
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