第19話 必ず逆転を
どうして、こんな理不尽な言いがかりを受けなければならないのか。
「――拘束すべきだ!」
レオナード殿下の声が、突き刺すように響いた。
その言葉に、広場の空気が一気に張り詰める。
「今ここで拘束しなければ、またいつ闇魔法が暴走するか分からない!」
その言葉に、周囲の生徒たちも動揺し始めた。
「拘束……!?」
「でも、確かに危険かも……」
「もしあれが人に向けられていたら……」
教員たちまでもが、言葉を発せず、困惑したようにアルティア様を見ている。
彼女は魔物を全て倒した英雄のはずなのに。
なのに今は――まるで、罪人を見る目。
「ふっ……!」
その時、ジェラルドが剣を抜き、ゆっくりとこちらへ歩を進めてきた。
その目には、明確な殺意が宿っていた。
「アルティア嬢。抵抗するなら、実力を持って制します」
「待ってください!」
私は思わず、アルティア様の前に出た。
けれど、彼女は私の肩にそっと手を置き、前へ出る。
「私は、何もしていません」
アルティア様の声は澄んでいて、怯えの色などなかった。
「私をここで拘束しようとするのであれば――ブライトウッド公爵家として、正式に抗議させていただきます」
その瞬間、ジェラルドの足が止まった。
彼の顔が、怒りに歪む。
「……卑怯者め」
低く吐き捨てるようなその言葉に、私は思わず目を見開いた。
(……どこが?)
意味が分からなかった。
正当な立場を示して、冷静に対応しただけ。
それのどこが卑怯なのか。
でも、ジェラルドの目はまるで「家の力に頼るな」と言っているようで――私の中に怒りが湧き上がる。
その時だった。
「皆様、落ち着きましょう」
ゆっくりと前に出てきたのは、ミランダだった。
今にも泣きそうな顔で口元を覆いながら――どこか余裕すら漂わせて。
「今すぐにアルティア様の処遇を決めるのは、少し早計ではないかと思います」
優しい口調。
でもその声には、明らかに場を掌握する自信が滲んでいた。
まるで、これすらも台本通りかのように。
「ですが、アルティア様。あなたが闇魔法に目覚めたことは、事実ですよね?」
鋭く、でも柔らかく。
まるでその場の空気に溶け込むように、問いかけた。
アルティア様は、わずかに息を吸って答える。
「……そうですが、それが何か?」
その言葉が広場を震わせた。
「やっぱり……」
「本当に……闇魔法を……」
「信じたくなかったけど……」
生徒たちはざわつき、再びアルティア様に不安の視線を向ける。
私は唇を噛んだ。
「今の魔法を見るに、やはり危険性は高いと言わざるを得ません」
ミランダは悲しそうに、でもどこか楽しげに言葉を続けた。
「アルティア様が闇魔法に目覚めたことは、これからどう向き合うかを全員で考えるべき問題です。これは、もう個人の問題ではありません」
「アルティア様は、制御していました!
私は声を張った。
「誰にも当てず、皆を守ったじゃないですか!」
その言葉に、ミランダはほんの少し微笑んでみせる。
「……でも、それがこれからもずっと続くとは限りませんよね?」
その目が、冷たい。
言葉の裏には、「いつかは暴走する」という予断と偏見が込められていた。
(この人は本当に……!)
鳥肌が立つ。
ミランダは笑顔なのに、こんなに心が凍るなんて。
「それに、闇魔法が未知の力である以上……魔物を操る力があっても、おかしくはないのでは?」
さらりと、ミランダが恐ろしい仮説を口にした。
生徒たちがまたざわめく。
「じゃあ……まさか、今の魔物の暴走って……」
「自作自演……?」
「自分で暴れさせて、それを倒して正当化しようとした……?」
まるで爆弾でも落とされたかのような衝撃が、広場に走る。
「そんなの、違います!」
私は、震える声で叫んだ。
「闇魔法には、そんな効果はないです! 原……じゃなくて、文献にもそんなこと書いてありません!」
原作と言おうとしてしまったが、魔物を操る力なんて闇魔法にない。
それは確かなはずだ。
「ですが、証拠は?」
しかし鋭く切り込んできたのは、ジェラルドだった。
「証拠がない以上、否定はできないでしょう?」
ぐっ、と言葉が詰まる。
原作ではそんな力はなかった。
でもこの世界では、「ゲームの設定」は証拠にならない。
あちらは、ただの言いがかり。
でも、正面から否定できる手段がない。
その絶望に、喉が乾いた。
思わず何か叫びそうになったその時、アルティア様が一歩前に出た。
「私が、闇魔法に目覚めたことは事実です。それは否定しません」
その瞳には、強い意志が宿っていた。
「でも私は、それで誰かを傷つけてはいない。今も、これからも、そんなつもりはありません」
アルティア様は話す。
「それを、信じてくれる人だけでいい。私は……守るために力を使います」
彼女の言葉は、静かに広場に響いた。
でも、その言葉が空気を変えるには――届かなかった。
「……信じてくれる人は、そう多くないと思いますけれど」
ミランダの落ち着いた声が、空気を滑って届いてきた。
振り返ると、彼女はまた“優しげな”笑みを浮かべていた。
「だって皆さん、怖いでしょう? あれがもし自分に向けられていたら、と思うと」
それを受けて、まわりの生徒たちがざわざわと揺れ出す。
「確かに……」
「怖いのは、仕方ないよな」
「そもそも闇魔法って、何ができるか分からないんだろ……?」
未知――その言葉ほど、人を怯えさせるものはない。
そしてそれは、今この場の空気を完全に支配し始めていた。
だけど。
「……私は、信じています」
私の声が、そのざわめきを裂いた。
「アルティア様は、誰よりも人を守れる人です。あの時だって、皆が逃げる中で、彼女だけが前に立って戦った。私は、その姿を見て――心から、信じようって思いました」
「僕もだ」
ラファエル様が、一歩前へ出る。
「アルティア嬢の行動は、何一つ間違っていなかった。むしろ、他の誰よりも正しかったと、僕は思う」
生徒たちの視線が、私たちに集まる。
同時に、どこか困惑と緊張が混じった空気が走った。
「……ふん」
レオナード殿下が、不快げに鼻を鳴らした。
「ならば、せいぜい後悔しないことだな」
その瞳には、明らかな敵意と嘲りが宿っていた。
「そうだ。危険人物の側についたこと、いつか悔いることになるぞ」
ジェラルドも、低く呟いた。
その言葉は、警告のようで、ほとんど脅しだった。
でも私たちは、黙ってそれを受け止めた。
後悔なんて、するはずがない。
「……天に祝福されなかった者が、何をしても結局は無駄なんです」
そう言ったのは、ミランダだった。
その口元には、ほんのりと笑みが浮かんでいた。
でもそれは、優しさの仮面をすでに脱ぎ捨てた、冷たい勝者の笑みだった。
「努力しても、抗っても……結局は、天に愛されていない者は勝てはしませんのよ」
自分は天に愛されているから、絶対に勝つ――ミランダはそう言っているかのようだ。
アルティア様は何も言わなかった。
けれど、その目だけは強く、静かに――ミランダを見返していた。
そうして、一連の騒動は幕を閉じた。
教員たちは再び広場を統制し、混乱を収めるために生徒たちを誘導し始める。
ダンジョン前の広場には、まだ黒い焦げ跡と、魔物の残骸の一部が残っていた。
そのどれもが、異常事態を物語っている。
そして、空気は――重く、冷たかった。
「……終わりましたね」
私が呟くと、アルティア様が小さく頷いた。
「ええ。でも……これで終わりじゃない。むしろ、これからが始まりでしょうね」
――これは、始まりにすぎない。
私たちは、後手に回った。
でも、諦めたわけじゃない。
このまま終わるなんて、絶対にさせない。
(逆転してみせる。必ず……!)
私は強く拳を握りしめた。
視線の先――アルティア様は、風に揺れる銀髪を背に受けて、ゆっくりと前を見つめていた。
その背中は、まだ孤独に見えるかもしれない。
でも、一人じゃない。
私と、ラファエル様がいる。
私たちは、絶対に彼女を――守り抜く。