第16話 学園の空気
翌朝――教室の扉が開いて彼女の姿が見えた瞬間、私は思わず立ち上がっていた。
「アルティア様っ!」
私の声に振り返った彼女は、いつもの綺麗に整えられた制服姿で、ふわりと微笑んだ。
「ごきげんよう、セレナ」
「お、おはようございます! よかった、来てくれて」
胸の奥にたまっていた心配が、一気にほどけていくようだった。
昨日のあの裏庭で、あれだけ頑張って話し合った。
でもアルティア様がこうして登校してきてくれるのは、本当に嬉しかった。
「ちょっと緊張するけれど……やっぱり、来てよかったわ」
アルティア様が私のそばまで来て、そっと微笑む。
だけど……教室の空気が……。
周りの生徒たちが、みんなこっちを見ていた。
コソコソと、でもわざと聞こえるような声で話している。
「ねえ、あれ……アルティア様じゃない?」
「昨日休んでたのに、やっぱり戻ってきたんだ……」
「闇魔法、使えるようになったって噂、本当なのかな」
「危なくない……?」
小声のつもりなのか、全然隠せていないその囁きが、私たちの周囲を取り囲んでいた。
アルティア様の顔が少しだけ曇る。
ううん、気にしちゃダメだ。
私は、元気よく彼女に声をかけた。
「さ、座りましょう! 昨日の続きを話しましょうよ。私、また色々考えてきたんです!」
「……そうね」
少し力なく返しながらも、アルティア様は私の隣に腰を下ろす。
気まずそうにしている彼女を少しでも楽にさせたくて、私は昨日調べた闇魔法の文献……いや、ゲーム知識を交えて話し始めた。
「例えばですけど、闇魔法って、直接的に身体を動かす制御もできるんじゃないかって……」
周りには聞こえないように喋っているので、まだアルティア様が闇魔法を使えるとは伝わっていない。
それらが伝わるのは、もう少し後でいい。
そんな話をしているうちに、彼女の表情が少しずつ和らいでいくのがわかった。
――その時だった。
「おはよう」
背後から聞こえた落ち着いた声に、振り返る。
「ラファエル様!」
「二人とも、元気そうで何よりだ」
ラファエル様は、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべて、私たちの机の横に立った。
「……ありがとう、ラファエル様」
アルティア様の声に、わずかに感謝がにじむ。
「まだ空気は厳しいけれど、焦らずいこう」
ラファエル様の言葉に、私は強く頷いた。
そして、授業が始まる鐘の音が鳴り響いた。
午前の座学が終わり、次は実戦形式の魔法授業。
広い練習場に移動すると、生徒たちの顔つきが変わるのがわかる。
皆、内心でこの時間を怖れている――そんな気配すら漂っていた。
私もアルティア様も、無言で杖を手に取る。
そして――。
「それでは、各自ペアを組んで、魔法の応用訓練を行うように」
担当教官の声が響いた。
けれど、その声はどこか固く、そして――私たちの方を見ようとしなかった。
「……」
アルティア様が、わずかに眉をひそめる。
私も、その不自然さにすぐ気づいた。
この教官は、いつもなら生徒一人ひとりに声をかけ、丁寧に指導してくれる人だ。
でも今日は、私たちを避けている。
「アルティア様、ペアは私ですからね!」
「……ええ、お願い」
周りの生徒たちは、私たちから目を逸らすように、自分たちのペアを急いで作っていく。
その時――。
「ブライトウッド嬢、リンウッド嬢」
教官が、ようやく私たちに目を向けた。
けれど、その目は警戒心に満ちていて、まるで危険物でも見るかのようだった。
「君たちの動きは、特に記録させてもらいます。無理はしないように」
記録――?
つまり、アルティア様の動きを監視するつもりなのだ。
「……わかりました」
アルティア様は、わずかにうつむいて答えた。
私は、そんな彼女の横顔を見つめながら、怒りを抑えきれなかった。
どうして、こんな目で見られなきゃいけないの――?
訓練が始まると、教官は明らかに私たちの動きばかりを注視していた。
他の生徒の魔法には軽く目を通すだけなのに、アルティア様が杖を構えると、その視線は鋭さを増した。
少しでも異常があれば即座に止めるつもりなのかわからないが。
「ファイアランス!」
私が火の槍を放つと、アルティア様はすぐさま水の盾で受け止めた。
その動きはいつも通り、滑らかで、力強い。
でも――教官は納得していないようだった。
アルティア様が魔法を使うたびに、わずかに眉をひそめ、周囲の教員たちと目配せをする。
(……何なの、この空気)
私の中で、苛立ちが積もっていく。
アルティア様は何もしていないのに、ただ普通に水魔法を使っているだけなのに――。
授業が終わる頃には、私もアルティア様も、心身ともにぐったりと疲れていた。
そして、教官の最後の言葉が、また私の怒りに火をつけた。
「……今日のところは、問題ないようだな。引き続き、慎重に行動するように」
問題ないようだ――だなんて。
まるで、問題が起きるのを想定していたみたいに聞こえた。
昼休みになって、私たちは教室を出て、学園の食堂へと向かった。
広くて明るいその空間は、いつもなら生徒たちの楽しげな声で満ちているはずだった。
けれど、今日の食堂は――なんだか空気が重たい。
アルティア様が食堂の入り口に立った瞬間、その場の空気が微かに変わるのがわかった。
ざわ、ざわ――。
誰もが、ちらりと私たちを見る。
でも、すぐに視線を逸らし、元通りに談笑を始めたふりをする。
それが、余計にわざとらしくて。
私の中で、また何かがぐっと詰まる感覚がした。
「セレナ……やっぱり、ここは……」
「大丈夫です。行きましょう、アルティア様!」
私は無理やり笑顔を作って、彼女の手を引く。
食堂の隅の、少し落ち着いた場所にあるテーブルに座ると、ラファエル様もすぐにやってきた。
「一緒にいいか?」
「もちろんです!」
私は即答して、彼を隣に招いた。
ラファエル様がいることで、少しだけ周囲の視線が変わった気がした。
周りの生徒たちが、またひそひそと話し始める。
「……ラファエル様が一緒なら、アルティア様も安全なんじゃ……」
「やっぱり、彼女は見張られてるのかな?」
そんな言葉が耳に入ってくる。
安全って、何?
どうして、アルティア様が危険人物扱いされなきゃいけないの――。
「気にしないで。ここにいるのは、私とラファエル様だけですから」
私は、できるだけ明るく言った。
アルティア様は、ほんの少しだけ、微笑んでくれたけれど――。
その時だった。
「ねぇ、聞いた? ミランダ様が、光魔法で闇魔法を押さえる方法を研究してるんだって」
「うそ、本当? やっぱり、ミランダ様ってすごい……!」
「もしかしたら、アルティア様の闇魔法も、封じられるかもしれないって」
遠くのテーブルから、そんな会話が聞こえてきた。
私の手が、思わず止まる。
……何、それ。
ミランダが、光魔法で闇魔法を封じる?
それは、おそらくできる。
原作でも闇魔法の唯一の天敵は光魔法だと描かれていた。
彼女は、光魔法の才能に溢れている。
この世界で、唯一の「全属性魔法」を扱えるチートキャラ。
「……レオナード殿下の仕業、だね」
ラファエル様が低く呟いた。
「え?」
「今日の教員たちの態度。あれは、レオナード殿下が裏で動いた結果だろう。彼は、今度こそアルティア嬢を排除しようとしている」
「……やっぱり」
私の中で、確信が強くなった。
また始まったのだ。
あのパーティーで覆したはずの醜聞が、もう一度、アルティア様を追い詰めようとしている。
今度は、闇魔法という「禁忌」を盾にして。
でも、負けるわけにはいかない。
私は絶対に、守るから。
「……頑張りましょう、アルティア様。負ける気なんて、これっぽっちもありませんから!」
そう言うと、アルティア様は少し驚いた顔をして――すぐに、力強く頷いてくれた。




