第15話 アルティアと闇魔法
アルティア様の別邸に向かう馬車の中、私はずっと窓の外を見つめていた。
街の景色が流れていくけど、心はまったく落ち着かない。
気づけば、何度も何度も指先を握ったり開いたりしていた。
「セレナ、落ち着いて。もうすぐ着くから」
ラファエル様が穏やかに声をかけてくれる。
私は「はい」と返したけれど、胸の奥のざわざわは消えなかった。
アルティア様が、あの時からずっと気になって仕方がない。
馬車が停まり、私たちは並んで屋敷の門をくぐった。
応対してくれた使用人に案内されて、応接室へと通される。
「アルティア様は、お休みになっておりますので、少々お待ちいただけますか」
使用人の言葉に、私は思わず「具合が悪いのですか?」と聞いてしまった。
でも、返ってきたのは曖昧な笑みだけ。
「お嬢様から、今日は面会を断りたいと……」
「……でも、来てしまいましたし、少しだけでも」
私が食い下がると、使用人は困ったようにラファエル様を見た。
ラファエル様は「しばらく待たせてもらうよ」と静かに言い、私たちはそのまま応接室のソファに腰を下ろした。
でも、ただ待っているなんて、できなかった。
時間が経つほど、胸の不安は大きくなる。
私はそっと席を立った。
「ちょっと、様子を見てきます」
「……気をつけて」
ラファエル様の言葉を背に、私は廊下に出た。
屋敷の中は静かで、まるで時間が止まったみたいだった。
ゆっくりと歩いていくと、ふと、奥の方から誰かの気配がした。
廊下の角を曲がったその先――。
「アルティア様……?」
彼女は、壁に手をついて、深く深呼吸をしていた。
その身体の周りには、かすかに黒いもやが漂っている。
「あっ……」
私たちは、同時に声を上げた。
目が合った、その瞬間――。
「っ……!」
アルティア様は、ふいに踵を返して、走り出した。
「えっ、アルティア様!」
私は思わず追いかけた。彼女の後ろ姿を必死で追いながら、屋敷の中を駆け抜ける。
思ったよりも、足が速い。
廊下を抜け、階段を降り、裏庭への扉を開けて、ようやく追いついた。
アルティア様は庭の中央で立ち止まり、私を振り返った。
「来ないで!」
その叫びと同時に、彼女の身体から黒いもやが勢いよく噴き出した。
冷たい空気が私の肌を撫で、空間が歪むような感覚に包まれる。
――これが、闇魔法。
私は、足を止めなかった。
「アルティア様、私は……」
「知られたくなかった……!」
アルティア様の瞳が、揺れていた。
「私が……禁忌の力に目覚めたことを……あなたに知られたくなかった!」
彼女の声は、苦しげだった。
胸の奥に溜め込んだものが、一気に溢れ出すように。
昨日からどれだけ悩んだのだろう。
気丈に振る舞うことが多いアルティア様が、これほど感情的になるとはあまり思わなかった。
それだけ不安だったのだろう、苦しかったのだろう。
だから私は、あなたの側にいたい。
「でも、私……わかってましたよ」
私は、一歩踏み出しながら言った。
「……え?」
アルティア様が、戸惑いの表情を浮かべた。
その隙をついて、私はそっと彼女の手を取る。
その手は冷たくて、震えていた。
「昨日の時点で、私はわかっていました。アルティア様が闇魔法に目覚めたんだろう、って」
「じゃあ、なんで……」
なんでここに来たのか、会いに来たのかという問いだろう。
何を当たり前のことを聞くのか、と思いながら答える。
「だって、私には関係ありません。私は、ただアルティア様が好きなんですから」
言葉を重ねるたびに、黒いもやが少しずつ薄れていく。
アルティア様の目から、力が抜けていくのがわかった。
「……ごめんなさい。ありがとう、セレナ」
小さな声でそう言って、彼女は私の手をぎゅっと握り返してくれた。
「はい、大丈夫です!」
私は笑顔で返した。
アルティア様も、ほんの少しだけ、微笑んでくれた。
私たちは、そのまま裏庭のテーブル席に座った。
そこへ、ラファエル様も姿を見せる。
応接室から追ってきてくれたようだ。
「……見苦しいところを、お見せしましたわ」
アルティア様が恥ずかしそうに言うと、ラファエル様は軽く肩をすくめた。
「いや、良いものを見させてもらったよ」
「……いい性格をしていらっしゃいますわね」
アルティア様が頬を染めながら、ふくれっ面をする。
その様子に、私はつい笑ってしまった。
やはり彼女は可愛らしい。
「それで……今後のことを、考えなければなりませんわね」
ラファエル様が席に着くと、アルティア様が真剣な顔で言う。
「やはり、この力は……隠すべきかと」
「僕もそう思うな。禁忌の力だと知られれば、周囲は黙っていないだろう」
アルティア様の言葉に、ラファエル様が静かに頷く。
確かに、普通に考えればそうなるだろう。
でも――。
「私は、隠す必要はないと思うんですよ」
私の言葉に、二人は驚いたように顔を上げた。
「セレナ嬢、どういう意味だ?」
ラファエル様が少し眉をひそめて尋ねる。
「……セレナ?」
アルティア様も、信じられないといった面持ちで私を見ていた。
私は、深く息を吸い込んで、少しだけ拳を握った。
こんな話、きっと信じてもらえないかもしれない。
でも、私は知っている。
前世のゲーム知識――いや、今は「調べた知識」として、話すしかない。
「えっと……私、少し前に闇魔法について、いろいろと調べてたんです」
本当はゲームで覚えてるんだけどね。
「それで、覚えているというか……思い出したんですけど」
「どっちなのかしら」
アルティア様のツッコミに、私は小さく笑って誤魔化した。
「闇魔法って、確かにすごく強力な魔法なんです。主に攻撃系で、相手の体力を奪ったり、衰弱させたりする効果があります。あの黒いもやも、触れた人を弱らせる性質があるんです」
「……っ」
アルティア様が、自分の手を見下ろした。
黒いもやを纏った、あの冷たい感触を思い出しているのだろう。
「でも、それって人間に向けなければいいんです。魔物とか、危険な存在に対してなら、闇魔法はむしろ有効なんです。ダンジョンとか、魔物が多い場所では、強い武器になる」
「魔物に……闇魔法を?」
ラファエル様が驚いたように繰り返す。
「はい。昔、闇魔法を使って国を滅ぼした人がいたっていう話は有名ですけど、それ以上に……闇魔法を使って国を守った人もいたんです」
「そんな話……聞いたことがないけど」
アルティア様が目を見開く。
「私、必死で探したんです。文献の片隅に載ってたんですけど――」
ゲームのシナリオの端っこにあったんだけどね。
「隣国の昔の王族が、闇魔法に目覚めて、その力で他国の侵略を防いで、国を守ったって記録があるんです。正式には記録されている文献は少ないですが、確かに存在した人物です」
「……それ、本当なの?」
アルティア様が、じっと私を見つめてくる。
その視線は、まっすぐで、縋ってくるような目だった。
「はい! 頑張って調べましたから!」
笑顔を浮かべて答えると、アルティア様は小さく息を吐いて、笑った。
「あなた、本当におかしいわね」
「えっ、そですか? そんなことありませんよ」
「……でも、面白い話だな」
ラファエル様が腕を組み、何かを考えるように目を細める。
「その話、もう少し調べてみよう。僕の家の資料を使えば、何か出てくるかもしれない」
「私もお父様に話して、調べてみます」
アルティア様がそう言いながらも、またやや強張った顔になる。
「でも、もし調べるとなると……私が闇魔法に目覚めたことが、他の人に知られてしまうかもしれませんわね」
その言葉に、ラファエル様も黙り込んだ。
確かに、公的に動けば、隠し通すのは難しい。
「でも、それってしょうがないですよね?」
私の言葉に、二人は少し驚いたように顔を上げた。
「いずれバレるなら、先に自分から情報を取って、備える方がよくないですか? それに、アルティア様が闇魔法を完璧に操れるようになれば――誰も文句なんて言えないですし」
「……支配、ね」
アルティア様が、静かに呟く。
「そうです。隣国の王族のように、闇魔法を恐れず、自分の力にしてしまえばいいんです」
「でも、簡単にはいかないわ」
「だから、頑張りましょう、アルティア様!」
私が拳を握って笑うと、アルティア様もふっと笑った。
「本当に、あなたは……」
言葉を探すように口元を抑えたあと、アルティア様は立ち上がる。
「でも、そうね。助けられてばかりじゃいられないもの」
両手を広げると、彼女の身体から黒いもやがふわりと立ち上がった。
けれど、さっきとは違う。
冷たくない。荒れてもいない。
ただ、静かに、彼女の周りに漂っている。
「大丈夫そうですね」
「ええ……感情を抑えれば、今は制御できるみたい」
アルティア様は集中しながらそう言った後、私に笑いかけた。
「練習に付き合ってくれるわよね、セレナ?」
そう言って、アルティア様が手を差し伸べてくる。
「もちろんです!」
私はその手を強く握った。
「二人とも、頼もしいな」
ラファエル様も微笑んで立ち上がる。
これからが、きっと本番だ。
闇魔法なんて怖くない。
私は、アルティア様と一緒に、この力を味方にする。
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