第14話 ラファエルの胸中と、ジェラルド
――アスター公爵家嫡男、ラファエル・アスターは、馬車の中で、ふと、窓の外を見やった。
眼下に広がる王都の街並みは、朝の光を浴びて静かに輝いている。
けれど、その美しさとは裏腹に、彼の胸中にはどこか落ち着かないものが渦巻いていた。
「……やっぱり、何も出なかったな」
膝の上に置いた杖をじっと見つめる。
あの黒いもや、闇魔法と断じられた魔力は、確かにこの杖を媒介にして現れたはずだった。
だが、どれだけ調べても、その証拠は掴めなかった。
公爵家の蔵書、魔法研究院の資料、魔道具に精通した学者の意見――その全てを総動員しても、ただの木製の杖という結論にしか辿り着けなかったのだ。
責任感が、胸を締め付けた。
自分が調査を引き受けると言った。
だからこそ、何かしら結果を出すべきだったのに。
「……セレナ嬢に、何て言おうかな」
小さく呟いた名前に、ふっと胸の奥が熱くなる。
――セレナ・リンウッド。
あの子は最初、ただの取り巻きだと思っていた。
初めてセレナを見たのは、学園で開かれた舞踏会だった。
その時、彼はアルティアに挨拶をしに行った。
公爵令嬢として社交界でも名高い彼女には、当然多くの取り巻きがいた。
セレナはその中の一人、子爵家の令嬢として、控えめにアルティアの後ろに立っていた。
(……まあ、よくいる類の子だな)
公爵家の人間には、そうした存在が自然と集まる。
ラファエル自身も、それはよくわかっていたし、特に気にも留めなかった。
その時は「リンウッド子爵令嬢」として、名簿の端に記憶する程度だった。
だが、それが変わったのは――ある日。
アルティアとセレナが、実技授業で対峙した時だ。
「本当に、やるのか……?」
周囲は驚きと共に、静まり返っていた。
普通、公爵令嬢と本気で戦うようなことはしない。
ましてや、傷でもつければ、その後にどうなるかわからない。
公爵家から報復がある……というわけではないが、公爵家に睨まれる可能性がる。
だから皆、適度に手を抜き、形だけの勝負をするのが常だった。
でも、セレナは違った。
「いきます、アルティア様!」
本気だった。
その瞳に迷いはなく、ただ真正面から、アルティアと向き合っていた。
「……面白い」
思わず、そう呟いたのを覚えている。
セレナの行動は、愚かとも取れるものだった。
でも、その姿勢はどこか――羨ましかった。
自分も、周りには人が多い。
けれど、皆が「アスター公爵家嫡男」として、自分に接してくる。
本当の意味で、対等な存在など、いない。
だが、セレナは違う。
彼女はただ、アルティアを「アルティア様」として見ている。
その関係が、羨ましかった。
(……あんな風に、誰かと話せたら)
そう思った時から、彼はセレナに目が惹かれるようになっていた。
令嬢らしくない、表裏のない反応。
話している時の、あの無邪気な笑顔。
アルティアに向ける視線の真っ直ぐさ。
その全てが、自然と目を引いた。
気づけば、彼女を「好ましい」と思っている自分がいた。
馬車が学園前に到着すると、ラファエルはゆっくりと降り立った。
セレナは、もう教室に来ているだろうか。
そう思いながら、足を進める。
廊下の向こうで、くすんだ金色の髪が揺れていた。
彼女はまだ教室に入らず、窓辺で外を見ていた。
「セレナ嬢」
声をかけると、彼女はぱっと振り返った。
その表情は、まるで光を集めたように明るい。
「ラファエル様、おはようございます!」
その笑顔だけで、心が跳ねた。
けれど、顔には出さず、平静を装う。
「少し話してもいいか?」
「はい、もちろんです」
二人は人気の少ない廊下の端に移動し、ラファエルは小さく息を吐いた。
「……例の杖だが、やはり何も出なかった」
「そうですか……」
セレナの顔に、残念そうな影が落ちる。
それに胸が痛んだ。
「すまない。僕の力不足だ」
「いえ、なんとなく予想はしていました。……レオナード殿下の態度を見るに、最初からわかっていたようでしたから」
ラファエルは、彼女の言葉に頷いた。
確かに、あの時の殿下の余裕は、ただ事ではなかった。
「……殿下は、何を考えているのか」
「アルティア様を、陥れようとしているのは間違いありません」
そう話すセレナの目は、怒りに燃えていた。
その姿が、どこまでも真っ直ぐで、ラファエルは目を細める。
その時、学園の鐘が鳴り、授業の時間が迫っていることを知らせた。
けれど――。
「……アルティア様が、来ませんね」
「……ああ」
今日の授業には、アルティアの姿がなかった。
そして、それをきっかけに、また噂が広がり始める。
「やっぱり、闇魔法を使ったから……」
「危険な存在なんじゃないの……?」
そんな言葉が、あちこちで囁かれていた。
「……ただ、体調が悪いだけなはずです。アルティア様は、何も悪くありません!」
セレナは、憤るように言った。
その強さが、ラファエルには眩しかった。
「あとでお見舞いに行きます!」
そう言って駆け出そうとするセレナを、ラファエルは慌てて呼び止めた。
「僕も、一緒に行っていいだろうか?」
「はい、大丈夫ですよ。……やっぱり、心配ですよね?」
セレナは、まだラファエルがアルティアを想っていると勘違いしているようだった。
(なかなか一筋縄じゃいかないな)
でも、そういうところも――好きだと思ってしまう。
ラファエルは、ただ静かに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
アルティア様がいない教室は、空っぽのように感じる。
私の視界は、彼女がいつも座っていた窓際の席を何度も追っていた。
「セレナ、行こうか」
ラファエル様の声に我に返り、私は小さく頷いた。
「はい、お見舞いに……早く行きましょう」
心配で、胸が締めつけられるような気持ちだった。
闇魔法の影響で体調が悪いのか、それとも……。
そんな不安を抱えたまま、私たちは学園の門を目指して歩き始めた。
その途中――。
「あ、セレナさん」
明るい声が背中を刺した。
振り返ると、そこにはあの栗色の髪を揺らす少女、ミランダが立っていた。
にこやかな笑顔。
そして、彼女の隣にいるのは――。
「……え?」
目を見張った。
私は、その人物を知っている。
黒髪の長髪を、後ろでひとつに束ねた、凛とした姿。
背は高く、整った顔立ちにはどこか冷たさを宿している。
淡々とした雰囲気で、感情を表に出さないその佇まい――。
(ジェラルド・ヴァンディール……!)
ゲーム『ロゼ・ド・アカデミア』の攻略対象の一人。
伯爵家の次男でありながら、学園に在学中に騎士爵位を取るほどの実績と実力。
母を闇魔法絡みの事件で失った過去を持ち、そのせいで闇魔法を誰よりも忌み嫌っている。
そして――。
(アルティア様を敵視する、最大の存在……)
現実で初めて見る彼は、まさにゲームのままの姿だった。
近寄りがたくて、厳格で、そして――どこか哀しげな影を落とす人。
「ミランダさん、ごきげんよう」
私は表情を崩さないようにしながら、その名を口にする。
ラファエル様も私の隣で黙って立っていた。
「先日のパーティーのこと、本当にすみませんでした。私の勘違いで、お二人にはご迷惑をおかけして……」
ミランダは申し訳なさそうに、頭を下げた。
(……勘違い、ね)
あのパーティーで、アルティア様を断罪しようとしたことを、そんな言葉で済ませるつもり?
結局、彼女は王子と一緒に何日かの謹慎処分と、罰金だけで済んだ。
表向きには「処罰を受けた」となっているけど、正直、あれくらいで終わったことが信じられない。
王子が手を回した?
それとも、希少な光魔法を持つから?
――もしくは、ただ「この世界の主人公」だから?
「……謝罪は、確かに受け取りました」
私は笑顔を作って返した。
けれど、その笑みには、しっかりと棘を忍ばせた。
「ただ、今後はこういったことがないようにしていただきたいですね。アルティア様も、私も、そう何度も巻き込まれるのは御免ですので」
その言葉に、ミランダの頬が一瞬だけ、ぴくりと引きつった。
でも、すぐにいつもの笑顔に戻った。
さすが、この世界のヒロイン。
どんな場面でも崩さない、その外面の良さには感心するしかない。
「もちろんです、気をつけますわ」
言葉だけは、素直だった。
それを見ていたジェラルドが、一歩前に出てきた。
彼の目は冷たく、そしてまっすぐに私を見ている。
「一つ、確認したい」
「……何でしょうか?」
自然と、警戒心が走った。
「アルティア嬢が闇魔法を扱えるようになったというのは事実か?」
その言葉に、心臓がどくんと跳ねた。
(やっぱり……そういう話になるんだ)
ジェラルドの目には、はっきりと敵意が宿っていた。
まるでアルティア様を討つべき相手として、すでに決めつけているかのように。
「……わかりません」
私は、冷静に、でも強い意志を込めて答えた。
「そうか。だが、闇魔法に目覚めたというのであれば、アルティア嬢はこの世で最も危険な存在となる。何かが起こる前に、処刑すべきだ」
「……!」
その言葉は、まるで刃のようだった。
ゲームで見た通りの彼の思想。
闇魔法に関わる者は、全て排除すべきだという強硬な姿勢。
「ジェラルド様、それは……まだ早いのではないでしょうか」
ミランダが、少し慌てたように口を挟んだ。
「君を危険な目に遭わせたくないんだ」
「ジェラルド様……」
ジェラルドは、穏やかにそう返す。
そして二人の間には、妙な空気が流れた。
(……イチャついてる場合じゃないんだけど)
心の中で呆れながら、私はラファエル様と視線を交わす。
「では、これで失礼します」
私たちは、その場を離れようとした。
しかし、ミランダが最後に――。
「アルティア様にも、謝りたいので……早く学校に来ていただけると嬉しいです」
どこか含みを持たせた声で、そう言った。
その言葉には、はっきりとした意図が見えた。
まるで、アルティア様が学校に来ない理由が、闇魔法を隠すためだと言わんばかりに。
(やっぱり、あの子は――敵だ)
私は、ミランダを振り返ることなく、足を速めた。
今は、アルティア様に会わなきゃ。
彼女がどんなに不安でも、迷っていても――私は絶対に、味方でいるから。