第13話 闇魔法と、アルティアの思い
その後――私は帰宅して、自室のドアを閉めた瞬間、ベッドに身を投げ出した。
「はぁ……」
今日という一日は、あまりにも濃すぎた。
胸の奥がまだざわざわしていて、まるで波打つように落ち着かない。
アルティア様の周りに現れた、あの黒いもや。
突然の出来事だったけど、時間が経つにつれて、じわじわと確信が強まっていく。
――あれは、間違いなく闇魔法だった。
私は枕を抱きしめながら、今日のことを思い返す。
「闇魔法……本当に発動しちゃったんだよね」
あの瞬間は何もわからず、ただ助けることしか考えられなかった。
けれど今、冷静になって振り返れば、あの現象は前世のゲームで何度も見た光景と重なる。
ゲーム『ロゼ・ド・アカデミア』。
その中で、アルティア様はあるルートに入ると闇魔法に目覚め、世界の敵としてヒロインの前に立ちはだかる。
――そして今日、その兆候が出てしまった。
私はベッドの上で体を起こし、膝を抱えて考える。
「杖……あの杖が原因だったのかな」
アルティア様が拾った杖。
あれをきっかけに闇魔法が発動した。
でも、正直なところ、私にはあの杖の正体はわからない。
パッと見ただけでは、ただの木製の杖にしか見えなかった。
「でも……あの自信満々な顔、レオナード殿下が仕掛けたんだよね、きっと」
あの時の殿下の態度は、どう考えても自然じゃなかった。
まるで最初から黒いもやの正体を知っていたかのように、あの場を導いていた。
「……とはいえ、あの杖からは証拠は出ないか」
殿下のあの余裕。杖を調べたって、何も出ないと確信してるようだった。
もし仕掛けがあるなら、すでに処理済みなのかもしれないし。
でも、殿下だけが関わっているとも限らない。
私は窓の外を見ながら、ふと思った。
「……ミランダは、どうなんだろう」
今日は彼女の姿を見なかった。
でも、関わっているのかもしれない。
「……あの子は、私と同じ転生者なのかな?」
何となくだけど、そういう雰囲気は感じない。
普通のこの世界の住人っぽいというか、なんというか。
でも――。
「才能は、間違いなくゲーム主人公なんだよね……」
希少な光魔法を扱えて、それだけじゃなく全属性の魔法を操れる。
そんなの、まさに天に愛された存在だ。
原作通り、彼女は最強のヒロインだった。
そして、その最強ヒロインがレオナード殿下とくっつこうとして、アルティア様が悪役として断罪される――。
私はそのルートを必死で止めた。
「でも……今度は違うルートに入っちゃってる気がする」
枕元に置いていた水を一口飲み、少し落ち着く。
「今回のは、騎士ジェラルドのルート、か……」
原作の中でも、アルティア様が最も悲惨な運命を辿るルート。
ミランダが、闇魔法に目覚めたアルティア様を討つために、ある騎士と手を組む。
ジェラルド・ヴァンディール。
伯爵家の次男で、黒髪の長髪を後ろで束ねた、クールな魔法騎士。
無駄な言葉は一切口にしない寡黙な人で、剣と魔法、両方の使い手。
彼の母親は、闇魔法に関わる魔道具で命を落とした。そのため、闇魔法を強く憎んでいる。
だからこそ、闇魔法に目覚めたアルティア様を最も敵視する立場になる。
「ミランダとジェラルドが協力して、アルティア様を討つ。そして……結ばれる」
そういうルートだった。
そして、今回の騒動。
レオナード王子が、このルートに何かしらの形で関わってきているのは間違いない。
原作のままなら、ここからどんどんアルティア様は追い詰められていく。
「でも……」
私は自分の胸に手を当てる。
「原作なんかに、負けるもんですか」
アルティア様を、絶対に守る。
どんな運命だって、ゲームのシナリオだって、全部ひっくり返してみせる。
私はこの世界に来た。
それは、アルティア様を救うため。
このまま、彼女が闇に堕ちていくなんて、絶対に認めない。
「ジェラルドだって、止めてみせる」
彼がどれだけ強くても、私が何度でも止める。
「そして、アルティア様を、絶対に……幸せにする!」
口に出すと、不思議と心が落ち着いた。
そう、私には火魔法がある。
宝珠で強化された、課金級の火力。
今度はもっともっと鍛えて、誰よりも強くなってみせる。
私は窓の外を見上げた。
遠くに輝く星を見ながら、心の中で誓った。
どんな未来が待っていても、私だけは、アルティア様の味方でいる。
それだけは、絶対に変わらないから。
◇ ◇ ◇
ブライトウッド公爵家の別邸、その奥まった一室で、アルティア・ブライトウッドはひとり、静かに水の魔法を操っていた。
陽の光が差し込む広い部屋の中央に、淡い青の水球がふわりと浮かんでいる。
「……落ち着けるわね、やっぱり」
小さく呟きながら、アルティアは指先をすっと動かす。
水球はその動きに従い、空中を滑らかに流れていく。
透明で、美しい、彼女が得意とする魔法だった。
でも――。
ふと、意識を集中させたその瞬間だった。
透明だった水が、じわりと黒く染まる。
まるで影が差したかのように、黒いもやが水球の中心から広がっていった。
「……やっぱり」
アルティアは目を細め、黒く染まった水球をじっと見つめた。
昼間、あの杖を拾った瞬間に、確かに感じたのだ。
強い、そして恐ろしい魔力。
何かが自分の中に入り込もうとする感覚。
でも、それは拒絶するものではなかった。
むしろ、手を伸ばせば、簡単に掌握できるような――そんな不思議な感覚。
それを受け入れてしまったから、今、こうして闇魔法が使えるようになってしまった。
「……これは、危ない魔法ね」
言葉にすることで、少しだけ現実味が増した。
そう、これは本来、使ってはいけない魔法。
レオナード殿下が言っていたように、国を滅ぼすほどの力を持つと言われている、禁忌の力。
自分がこれを持ってしまった――それが、怖い。
アルティアは黒く染まった水球を消し、そっとソファに腰を下ろした。
心臓がどくどくと音を立て、手のひらがじんわりと汗ばむ。
「誰にも、知られてはいけない」
この力があることを知られれば、きっと、またあの時のように。
あのパーティーで、何もしていないのに婚約者に裏切られ、罪人のような目で見られた、あの時のように。
もう二度と、あんな視線は浴びたくなかった。
それに――。
「……セレナに、知られたら」
ぽつりと、名前を口にする。
セレナ・リンウッド。
あの子だけは、自分を信じてくれた。
断罪されそうになった時も、周りが離れていった時も、彼女だけは側にいてくれた。
でも。
もし、彼女にこの力を知られてしまったら?
自分が、危険な存在だと思われてしまったら?
……怖い。
本当に、怖い。
「嫌われたくない……」
呟いた瞬間、身体の奥から黒いもやがふわりと立ち上がった。
それは感情に呼応するように、部屋の空気を歪めていく。
アルティアはすぐに気づき、両手で胸元を押さえた。
「ダメ……落ち着いて……!」
深呼吸をして、魔力を抑え込む。
けれど、黒いもやはしばらくの間、彼女の周囲を漂っていた。
思えば、セレナのことは最初、ただの取り巻きの一人だと思っていた。
公爵令嬢である自分の周りに、誰かが集まってくるのは当然だったから。
少しでも力を借りたいとか、権力のおこぼれを得たいとか、そんな理由ばかり。
でも――。
セレナは違った。
あの子の視線は、どこか熱っぽくて。
初めは気味が悪いと思ったくらいだ。
(……なんで、そんな目で見るのか)
そう思ったこともあった。
でも、何度か話すうちに、彼女は言ったのだ。
『アルティア様の美しさに、ずっと憧れていました! それに、立ち振る舞いも、とっても素敵で!』
その言葉に、戸惑った。
容姿のことは、貴族のたしなみとして整えてきたつもりだったし、振る舞いだって小さい頃から厳しく教え込まれてきた。
でも、それを正面から褒められることなんて、なかった。
……レオナード殿下だって、そんなこと一度も言ってくれなかったのに。
他の取り巻き令嬢たちも、似たようなことを言ってきたことはあった。
でも、セレナの言葉は違った。
彼女の言葉には、心からの想いが乗っているのがわかった。
嘘じゃない、本気でそう思ってくれているのだと、伝わってきた。
気づけば、取り巻きは減っていった。
自分の性格のせいだとわかっている。
でも、セレナだけは、ずっと側にいてくれた。
悪い噂が流れても、誰も信じてくれなくても、彼女は離れなかった。
あの時の、あのパーティー。
無実なのに断罪されそうになって、泣きたくなるほど苦しかった。
でも、セレナが手を取ってくれた。
あの時の温もりは、今でも忘れられない。
「……セレナだけは、失いたくない」
その想いが、また黒いもやを呼び寄せる。
アルティアはその場に崩れ落ち、必死で闇の魔力を抑え込もうとした。
「会いたくない……」
胸の中で矛盾する想いが渦巻いて、苦しくてたまらなかった。
闇魔法の力が暴れようとするたびに、セレナの顔が浮かぶ。
どうしても、あの子に知られたくない。
嫌われたくない。
今会ってしまったら、この黒いもやが自分の周りに発生してしまうかもしれない。
でも――会いたい。
その想いに、アルティアはそっと目を閉じた。
明日、学校へ行くべきかどうか――その答えはまだ出せなかった。
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