第97話 宝箱、それは人の欲を刺激するナニカ (2)
それはほんの気の迷い。
「よし、こんなもんでいいかな。グリーン、準備出来たぞ、今そっちに戻る。
土、先導を頼む」
“クネクネクネ♪”
ダンジョンにおいて宝箱がドロップした場合、その権利は一度パーティーリーダーに集約される。パーティーリーダーは宝箱から手に入れた品を売り払うかパーティーで使う備品とするかを判断し、それぞれに利益の分配を行う。
今回のように外部の冒険者が参加した場合は予め利益分配を取り決め、探索後に問題が起こらないようにするのもパーティーリーダーたる自分の役割であった。
だが今の状況、シャベルが発見した隠し部屋のような場合は話が異なる。隠し部屋における宝箱の権利は発見者であるシャベルに帰属し、パーティー参加者はその働きに応じシャベルから報酬を貰う事となる。
今回シャベルは自ら発見した隠し部屋を自身の従魔であるフォレストビッグワームの力でこじ開け、自らが罠を回避し侵入する事で宝箱に辿り着いた。自分たち“銀の鈴”が出来た事と言えば周囲に魔物が近寄らない様に警戒する事のみ、こちらに一切の被害どころか戦闘すら行われていない現状、働きとしては一人大銀貨一枚も貰えばご祝儀込みとしても貰い過ぎなくらいであろう。
だがここは宝箱階層と呼ばれる第十八階層、その隠し部屋からのお宝となれば、あるいは自分たちが求めている品が入っているやもしれない。
我々“銀の鈴”が何故ダンジョン下層部の探索を止め中層部の宝箱階層と呼ばれる第十八階層、第十九階層を巡回しているのか。何故いつまでもダンジョンに潜り続けているのか。
気が付いた時には既に体が動いていた。
“銀の鈴”のパーティーリーダーとして周囲を制し、己を律しなければならない事など痛いほど分かっている。だが心に燻っていた焦りといつまでも目的の宝が手に入らないという焦燥は、そんな理性など吹き飛ばし、気が付けばグリーンの掴むロープをひったくる様にして宝箱を引き寄せている自分がいたのであった。
「リーダー、一体何をやってるんだ!そんな事をしたら・・・」
グリーンの叫び声にハッと我に返ったときには、何もかもが手遅れであった。
隠し部屋から宝箱が消えた事でまるで罠が発動したかの様に一斉に上蓋を開け舌を伸ばすミミックたち。
「皆さがれ」
普段寡黙な盾役のライドがシールドを構えその悉くを弾く中、隠し部屋の中にいるシャベルは身を躱し、手に持つ棍棒で伸ばされた舌を叩き落としていく。
「クソッ、シャベル、早くこっちへ来い!」
グリーンが悲壮な叫びをあげた時であった。
“ガラッ、ガラガラガラガラガラガラ”
音を立て崩れて行く床、その下にぽっかりと空いた穴が、ミミックたちと共にシャベルとフォレストビッグワームを飲み込んで行く。
「俺は、俺はただ・・・、宝箱の中身を、シャナの為に・・・」
力なく膝から崩れ落ち、目の前に広がる大穴を見詰める。誰も何も言わない、何も言えない。
自分は冒険者として、ダンジョン探索を行う者として、取り返しのつかない事をしてしまった。
「はぁ~、まぁやっちまったもんは仕方が無い。リーダーも人間だったって事だわな。
シャナの奴、もうあまり時間がないんだろう?あいつ、俺たちの顔を見るといつも気丈に振舞ってやがるけど、無理してるってのがバレバレだっての。
俺がリーダーと同じ立場だったとしても同じことをしたかもしれねえし、俺にリーダーを責めることは出来ねえわ。
こう言ったら碌でなしのセリフに聞こえるかもしれねえが、シャベルとシャナ、どちらかしか救えねえとしたら俺は迷わずシャナを取る。シャベルの奴には悪いが所詮は他人だ、比べるべくもねえ。
シャナは俺たちの大事な仲間だからよ」
そう言いジェイドの肩をポンと叩くバレリアン。
「グリーン、いつまで呆けてるのよ。宝箱の解錠はあんたの役割でしょ?確り頼むわよ」
そう言いおどけて見せるミリア。ふざけた態度にも見えるが、この場の雰囲気を変えようと無理をしている事がまるわかりだ。
“ポンッ”
ライドがグリーンの肩を叩き行動を促す。グリーンは一度天井を見上げ瞑目した後、大きくため息を吐いてから宝箱の解錠に取り掛かるのだった。
―――――――――
「グリーン、準備出来たぞ、今そっちに戻る」
ダンジョン探索における宝箱の発見、それはシャベルの冒険心を擽るには十分過ぎるものであった。
シャベルは幼少期をスコッピー男爵家の部屋住みとして過ごした。家族と呼べるはずの父はシャベルに対し無関心どころか疎ましく思っていたし、腹違いの兄弟たちは全くの無関心、義母である屋敷の夫人に至っては敵愾心に溢れた瞳で睨みつける始末。
そんな環境であればその使用人たちもシャベルを自分たちよりも下の者として扱い、迫害こそされないものの最低限の生活を強いられていた。
その様な子供時代を過ごしたシャベルが一般的な子供が憧れる様な冒険者の冒険譚など知ろうはずもなく、自身の人生においてその一端に触れる事など想像だにしていなかった事だろう。
だがいま、シャベルはそんな冒険譚の一節のような体験をしていた。魔物を倒す事で現れるドロップアイテムとしての宝箱、岩壁の向こうに存在する隠し部屋と罠の中に隠されたたった一つの宝箱。
カッセルの街の解錠屋の主人ナックル老人は言っていた、「宝箱には夢がある。人々を惹き付けてやまない魔性の魅力がある。
宝箱を開けた瞬間、その結果に一喜一憂する冒険者たち。そんな興奮と感動を知っちまったら、この道から抜け出すことなんて出来やしないのさ」と。
宝箱の魅力を語るナックル老人の顔は嬉し気で、楽し気で。自身もいつか未開封の宝箱を持ち込んで、ナックル老人と共に感動を分かち合いたい、そういう思いに囚われた。
フォレストビッグワームの土がその違和感に気が付いたのはたまたまか、それとも必然か。遠くの物音もその振動から感知する土にとって、周囲の反響と異なる音の響きを見せる岩壁は、違和感以外の何物でもなかったのだろう。
家族が気付いた異変、姿を現した隠し部屋。感じる魔物の気配、家族が教えてくれる、この部屋には罠が仕掛けられていると。
案の定存在する落とし穴の罠、音の反響を感知し、安全に進んで行ける順路を示すフォレストビッグワームの土。
事は順調に進んでいた、後は元の通路に戻り、ロープを引いて宝箱を引き上げるだけであった。
シャベルは浮かれていた自身に舌打ちする。ここはダンジョン、何が起きてもおかしくない閉鎖空間。
顔見知りであったから?一度は旅の友連れに誘ってくれた者たちであったから?
人は変わる、親しい友人や家族ですらも、ちょっとした切っ掛けで憎しみ合う事もある。この世は厳しくただ生き延びる事ですらも難しいという事は、スコッピー男爵領での生活で嫌という程に学んで来たはずだったのに。
「土、大丈夫か?急いでこの部屋を出るぞ!」
今もミミックたちの攻撃を躱し弾き飛ばしている土に声を掛け、急ぎこの場から離れようとする。だが現実は無常であった。
“ガラッ、ガラガラガラガラガラガラ”
崩れる体勢、床板が音を立てて崩れ去って行く。
遠ざかる出口、いつかはこうなるかもしれないと思っていたダンジョンの牙が、大きく口を開いて自身を飲み込もうとしている。
「クソッ、天多、分裂だ。ダンジョンの全てを天多で埋め尽くせ!
ボクシー、通常の大きさに戻って俺と土を飲み込むんだ!」
シャベルは諦めない、命の危険などそれこそ日常であったシャベルにとって、目に見える危険はさほど恐ろしくもない。
本当に恐ろしいのは目に見えない危険、人の嫉妬、憎悪、悪意ほど恐ろしい物が無いという事は、スコッピー男爵領での生活、これまでの冒険者人生の全てが教えてくれていた。
シャベルは足掻く、女神様の使いが自身の魂を連れ去ってしまうその時まで、それが今は亡き母との約束なのだから。
――――――――
“カチャカチャカチャ、カチャッ”
「リーダー、開いたぞ。これだけの仕掛けのあった隠し部屋だ、おそらくだが罠は<誘因>か<挑発>、宝箱を開けた瞬間ミミックどもが襲い掛かるとかそういった類のものだったんじゃないのか?
尤もそれは罠のうちの一つ、本命は宝箱を動かした瞬間に発動する部屋全体の罠だったようだがな」
そう言いその場を下がるグリーン。グリーンは自身の中のやるせない気持ちを消化しきれずにいた。
パーティーリーダーであるジェイドが探索中に魔物の呪いを受け死の病に掛かっているシャナの為に必死になっていることは知っているし、自分たちが仲間のシャナを助ける為に宝箱階層に活動場所を変えた事に否やはなかった。
自身もシャナには何度も助けられたし、助けても来た。
だがその事と今回の事を一緒にしてもいいのか、自分はこの後シャナに向かってどんな顔をしたらいいのか、シャベルの仲間たちに対してどう説明するのか。
“カチャッ”
開かれた上蓋、ゆっくりと開けられた宝箱の中に入っていたのは、幾つかの皮袋と、虹色に煌めく液体の入ったポーション瓶。
「ハハ、ハハハハハハ、遂に、遂に見つけたぞ!これでシャナは助かる、俺たちは遂にやったんだ!!」
そう言いジェイドはそのポーション瓶を大事そうに胸に抱く。
“エリクサー”、どの様な病気やケガもたちどころに治すと言われている奇跡の霊薬。それはただの病気やけがに留まらず、腕や足の部位欠損や厄災級の魔物に掛けられた呪いであろうとも解除するとされる最後の希望。
「やったなリーダー、そうとなったらこんな辛気臭い場所からはとっとと退散だ。事は一刻を争う、今は難しいことは後回しにしてシャナの下に向かうぞ」
「そうね、私たちはその為に何か月も宝箱階層に潜り続けていたんですもの。ランド、宝箱の中身を収納に仕舞っちゃって。
グリーンもいつまでも終わった事を引き摺ってないで前を向いてよね。無事にダンジョンを出るには斥候役のアンタの力が必要なんだから」
バレリアンとミリアはもう用は済んだとばかりに出発の準備を始める。
「リーダー、“銀の鈴”のリーダーはあんただ、だからその薬をどうするのかについては何も言わん。だが他の物、皮袋についてはシャベルの物だ。
これはきっちりシャベルの所属していたパーティー“魔物の友”の連中に届けてもらうからな。それが守られないのなら俺はダンジョンを出てすぐにパーティーを抜けさせてもらう。
シャベルが落とし穴の罠に掛かって落下した事は百歩譲って不幸な事故だったとしても、あいつが見つけ手に入れたお宝まで取り上げるのは筋が通らない。
リーダーはそのお宝の中で最も高価な品を手に入れた、それ以上は欲が過ぎるってものだ。俺はこの罪を一生背負う覚悟はできている、だがそのまま盗賊に成り下がる気はない。
頼む、俺をこれ以上失望させないでくれ」
そう言い懇願するように頭を下げるグリーン。
そんなグリーンに対しバレリアンとミリアが呆れたような顔を向けるが、そんな二人をライドが手で制する。
「リーダー、バレリアン、ミリア。グリーンの意見には俺も賛成だ。俺たちはシャナを助けるための手段を手に入れた。その方法は決して褒められたものじゃないが、俺は仲間の為ならオーガと呼ばれても構わないと思っている。
だが手段と目的をはき違えるのは違う。それは行動を鈍らせ隙を産む。
欲深であることを否定はしない、だが欲望に飲まれては早死にするだけだ。金ならまた稼げばいい、仲間を失ってまでするほどの事でもないだろう?」
ライドの言葉に気まずそうにそっぽを向くバレリアンとミリア。
「二人の話は分かった。俺もシャナが助かるのなら他はどうでもいい。皮袋は全て“魔物の友”の連中に渡すものとする。
バレリアンとミリアの不満ももちろん分かっている。この分の補填はダンジョンを出てから俺の口座から支払おう。
二人とも、そう言う事で矛を収めてくれないか?」
「まぁリーダーがそこまで言うのならよ、俺は文句ねえけどよ」
「バレリアン、アンタなんでそこで私の事を見るのよ。私だって文句はないわよ、リーダーの決定に従いますっての」
パーティーの方針は決定した。銀級冒険者パーティー“銀の鈴”は《《不幸にも》》一人の行方不明者を出したものの、地上に向け帰還する事となった。
「グリーン、何やってるのよ、さっさと出発するわよ!」
「あぁ、今行くから少し待ってろ。
・・・シャベル、すまない。俺たちは行く。この宝箱はお前の物だ、手向けになるかは分からんがエリクサー以外の宝はちゃんとお前のパーティーメンバーに届けさせてもらう。
あばよ」
グリーンにより放り込まれた宝箱。暗い穴の底に向かいゆっくりと落ちて行く宝箱を見詰め、“いつか女神様の下でな”と小さく呟くグリーン。
冒険者たちは歩き出す、それぞれの目的に向かって。残されたものは崩れた岩壁と、その先に広がる深い竪穴だけなのであった。