第72話 旅立ちの時、次なる目的地はダンジョン都市カッセル
建物の一階から聞こえる喧騒、そこでは多くの冒険者がその日の依頼を求め依頼ボードに殺到する。求められる獲物は何か、魔の森の危険は?
日々変わりゆく情報を精査し、危険な魔物討伐をより安全なものへと落とし込む。
“冒険者は決して冒険しない、無謀と勇気を履き違えてはいけない”
冒険者の中で昔から言われ続けてきた言葉、それは冒険者の最前線と呼ばれる城塞都市においても、いや、城塞都市だからこそ尚輝きを持って冒険者たちの指針となっているのだ。
「長いこと世話になった。金級冒険者に認めてもらいながらこんな事を言うのは情けない話だが、やはりこの場所は俺には厳し過ぎる様だ。
他の皆が活躍する事を、別の場所で祈る事とするよ」
冒険者が旅立つ、それは決して珍しい事ではない。高位冒険者が拠点を変える事は彼らを取り仕切る冒険者ギルド支部としては痛手だが、それを邪魔する事は出来ない。
何故なら冒険者とは自由の民であり、それこそが冒険者が冒険者たる所以であるからだ。
「そうか、“蛇使い”も行っちまうのか。お前なら深部でも十分通用すると思うんだがな。
現にお前が持ち込んだ深部の魔物はオークソルジャーにしろオークジェネラルにしろオーガにしろ、傷も少なく商品価値の高いモノばかりだった。
傷なしのミノタウロスを持ち込める奴なんか“蛇使いシャベル”か“剛拳のヘイド”くらいのもんだ。
他の奴は皆刃物を使うからな、討伐の為には致し方が無いんだが」
「イヤイヤイヤ、“剛拳のヘイド”と同列にするのは勘弁してくれ。同じテイマーって事でよく話題に出されるが、俺は従魔に頼り切り、ヘイドは自らの拳で切り開く、全くタイプが逆なんだ。
俺が城塞都市を去ることを決めたのも偏に俺の力不足。いくら従魔達が頑張っても俺が足を引っ張っちゃ意味がない。
かと言って金級冒険者が浅部や中部をウロウロするのも違うだろう?
所詮俺は薬師兼冒険者って事なのさ。
まぁ金級の看板が重いって言って投げ出す様な真似はしないが、悪いが自分なりの歩みに戻させてもらうよ。
“冒険者は冒険しない、無謀と勇気を履き違えてはいけない”だったか?“生きてるだけで儲けもの”ってな」
そう言い肩を竦めるシャベルに、「お前は爺さんか」と突っ込みを入れるギルド長。
「まぁ、“蛇使い”の事だからどこに行っても大丈夫だとは思うが、元気でな。また何時でも戻って来い」
「あぁ、ありがとう。バラニムギルド長もお元気で。
それとこれを副ギルド長に、こないだ頼まれていた胃薬だ。
余り副ギルド長に負担を掛けない方がいいぞ?バラニムギルド長」
「喧しい、とっととダンジョン都市に行っちまえ」
シャベルはハハハと笑いながらギルド長執務室を後にする。
“コンコンコン”
「失礼します。ギルド長、頼まれていました書類をお持ちいたしました。それと先程廊下で“蛇使い”とすれ違ったのですが」
「あぁ副ギルド長、ご苦労。机に置いておいてくれ。
“蛇使い”だが、ダンジョン都市に向かうそうだ。わざわざ挨拶に出向くとは、相変わらず律儀な奴だよ。
あいつ、商人の前では言葉遣いを変えてるらしい。本当はその方が話し易いが丁寧な言葉遣いは舐められると言われたとかで、世話になった武術教官の話し方を真似してるんだとよ。
確かマルセリオ支部のドットとか言ったか」
「マルセリオ支部のドット、大分前ですが大規模盗賊団の討伐で活躍した元銀級冒険者ですね。その作戦には私も参加し、彼には助けられたのでよく覚えていますよ。とても堅実な戦い方をする男でした。
そうですか、シャベルはあのドットの弟子ですか」
何か懐かしいものを思い出すかの様な顔の副ギルド長に苦笑するバラニム。
「そうそう、お前に渡してくれと言って胃薬を置いて行ったぞ。何でも前に頼まれたからとか言っていたが」
「うわ、彼は覚えていてくれたんですね、ありがたい。と言うかギルド長が決裁を滞らせなければこの胃薬も必要ないんですが?大体ですね・・・」
一人の男が旅立つ。たとえその者がどれ程の功績を残そうとも、残された者の営みが続いて行く事には変わらない。
シャベルが冒険者ギルドに残したもの、それが今後大きな枝葉を伸ばすのか、それとも一時的なものとして消えて行ってしまうのか。それは誰にも分からないのであった。
「そうかい、アンタも行っちまうのかい。少し寂しくもあるが仕方はない、それが冒険者ってものだからね」
城塞都市ゲルバス東門前に建てられた診療所、その受付職員であるテルミンは、冒険者としては心配になる程のお人好しの男が別れの挨拶に訪れた事に寂しさと共にどこか納得と言った気持ちになる。
「まぁアンタは率先して獲物を狩るようなタイプじゃないからね、どちらかと言えば探求型、自分の好奇心の赴くままに色んな事に挑戦する。ある意味冒険者らしい冒険者と言えなくもないが、その活躍の場はここじゃない。
冒険者の最前線城塞都市ゲルバスは戦う者の集う場所、アンタが潮時だと思ったのならここで学ぶべきことが終わったと言う事なんだろうさ。
それはケガ人がいつまでも診療所にいないって事と同じ、いつかは旅立たなければならない、そういう事なんだろうね」
「テルミンさんには本当にお世話になって。ケイティーの事もそうですが、俺が冒険者に絡まれた時も話を合わせて貰って。
特に恩返しも出来ずすみません。
これ、俺が作った蜂蜜スライムゼリーです。今度薬師ギルドから売り出されると思います。
魔力と体力の回復効果があるんですが、普通に美味しいので良かったら休憩時間にでも食べてください」
「は~、アンタは呆れるくらいに律儀だね~。まぁこれは有り難く頂いておくよ。
診療所の仕事は体力勝負、魔力が減ってもやる事は沢山ある。
こういった物が売りに出されたら、真っ先に必要とするのは私ら診療所の人間だからね」
テルミンはそう言い、シャベルから渡された大型ポーション瓶を眺める。そこには蜂蜜色をした美しいゼリーが詰まっているのであった。
「シャベルさん、城塞都市を出られるって本当ですか?」
不意に横から聞こえてきた声、顔を向ければ焦った様な表情のケイティーの姿。
「あぁ、ケイティー。忙しかったんじゃないのか?いいのか、抜けて来ちゃって」
「そんな事はどうでもいいんですよ、シャベルさんが城塞都市を出て行かれるって聞いて・・・」
ケイティーは驚きと焦り、不安と言った気持ちが混ざり合った自分でもどうしようもない感情に、胸がギュッと締め付けられる。
シャベルはそんな彼女に優しく笑い掛けると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ケイティー、聞いてくれ。俺はケイティーがどういう決意で城塞都市にやって来たのかは知らない。
ケイティーの思い、ケイティーの目標、ケイティーの求めるもの。それを真の意味で理解出来るのはケイティー、君だけだ。
ケイティーはこの城塞都市に来る際に仲間に捨てられ、裏切られ、死を覚悟した。それは運良く回避する事が出来たけど、それは本当に偶々。その事でケイティーが他人との間に線を引き、結果的に命を助けた俺に依存しようとした事は気が付いていたよ。
でもそうはならなかった。
それはケイティー、君に生きるだけの力があり素晴らしい出会いがあったから。
テルミンさんにしろ診療所の職員さん方にしろ、所長のタイムさんにしろこの診療所に集まる冒険者たちにしろ。
皆がケイティーの事を思い、共に在ろうとしてくれている。
ケイティー、君はもう大丈夫。
もう一度思い出すんだ、何故この城塞都市に来ようと思ったのか、この城塞都市で何を成そうと思ったのか」
「私は、学園で落ちこぼれだった。要領が悪くて、いつも周りから馬鹿にされていた。冒険者になったのも冒険者なら治癒術師である私が必要として貰えると思ったから、私は誰かに必要として貰いたかった、自分に価値が有ると思いたかった」
そう言い泣きそうな顔になるケイティー。シャベルはそんな彼女の頭を優しく撫でる。
「そうか、でもその思いなら既に叶ったんじゃないか?
この城塞都市でケイティーは皆に慕われ皆に必要とされている。それはケイティーが治癒術師だからと言うばかりじゃない、ケイティーの優しさが、その心根が皆を惹き付けるから。皆がケイティーと共に在りたいと思ったから。
ケイティーはもう誰からも必要とされない落ちこぼれなんかじゃない、皆から愛されるケイティーと言う一人の女性なんだよ?」
“あぁ、そうか。彼女は俺と一緒だったのか”
シャベルは思う、何故ケイティーの事が気になっていたのかと。
彼女がちゃんと皆と仲良くなれたのか、診療所の仕事で苦労していないのか、いつもどこか心配する気持ちがあった事を。
それは彼女の中に自分の姿を見ていたから。
蔑まれ誰からも必要とされなかった過去の自分、どれだけ努力しようとも決して認められる事はなく、邪魔と思われない様に、殺されない様に心を殺して生きて来た。
ケイティーの人生と自分の人生は違うし、彼女の苦しみを真に理解する事など出来はしない。そんな烏滸がましい事を言うつもりもない。
だが彼女には幸せになって欲しい、それは似た様な経験を持つが故の自身の我が儘。
“スッ”
「これは・・・」
シャベルが腰のマジックポーチから取り出した物、それはポーション瓶に入った深緑色をした液体。
「これは特別な魔法を掛けたポーション。ケイティーが困った時に使うといいよ。
俺がケイティーに出来る事はこれくらい、後は自分の力で頑張るんだ。俺はケイティーならきっと望んだ自分になれると信じているよ。
ケイティーは俺の言葉が信じられないかい?」
シャベルの言葉に首を横に振るケイティー。
「なら大丈夫。皆もケイティーの事を見守ってくれるよな?」
「「「おう、任せておけ!!」」」
笑顔で応える冒険者たちに、“この街の冒険者は本当に気持ちのいい奴らばかりだ”と嬉しい気持ちになるシャベル。
「でも、私、貰ってばっかりで。色々助けてもらったのに何の恩返しも出来なくて・・・」
泣きそうな声で訴えるケイティー。
そんな彼女にシャベルは首を横に振り答える。
「ケイティーには十分返してもらっているよ。診療所にケイティーのような立派な治癒術師がいてくれる、その事がどれだけ俺たち冒険者の心の支えになってるか。ケイティーの明るい笑顔がどれだけ疲れ切った俺たちを癒してくれるか。
ケイティーがにこやかに話し掛けてくれただけで、俺はいつも救われていたんだよ。
ケイティー、がんばれよ。
テルミンさん、職員の皆さん、ケイティーの事、よろしくお願いします。
おう、お前ら、頼んだからな。俺たちの天使様を馬鹿から守れ!」
「「「任せろ、馬鹿は焼却処分だ」」」
男は背を向ける。残される女は一筋の涙を流し、男の旅立ちを見詰める。
「やい貴様、何ケイティーさんを泣かせてやがる!ケイティーさん、安心してください。この金級冒険者ケスガが来たからにはこんな不埒な奴は“ドスッ、グゥッ、ドサッ”」
“うん、ケイティーさんは大丈夫だね”
その場にいる者達の心が一つになった瞬間であった。
「いいのかいケイティー、あのお人好しの事だ、無理やりにでも付いて行くって言えば渋々認めてくれるかもしれないよ?」
診療所の受付職員テルミンは、シャベルが出て行った後の扉を見詰め続けるケイティーに声を掛ける。
「いいえ、いいんです。私は弱かった、自分の事しか考えられてはいなかった。私はただ縋り付きたかっただけなんだって言う事をシャベルさんに教えられました。
彼はまだ旅の途中、そんな彼にとって今の私は足手まといにしかならない。彼に縋り付くんじゃなく共に支え合って行けるようになっていたのなら、もっと違っていたんでしょうが」
そう言い寂しそうに微笑むケイティーをギュッと抱き寄せるテルミン。
「よし、ケイティーはいい恋をした、その思いは叶わなかったけどアンタはいい女になったよ。今夜は飲もう、あたしの奢りだ!」
ケイティーは思う、自分は本当にいい人たちに囲まれているのだと。
ケイティーは知らない、数か月後、瀕死の状態で運び込まれた金級冒険者ケスガに一縷の望みを託しシャベルから貰ったポーションを使ってその命を救う事を。
命を救われたとして求婚を迫るケスガを拳で叩きのめしているところを“剛腕のヘイド”に見いだされ、深部を単身で駆け抜ける最強の治癒術師“鉄拳のケイティー”と呼ばれる様になることを。
ケスガの根気に負け、“城塞都市のお母ちゃん”と呼ばれる様になることを。