第114話 ダンジョン都市、そこは始まりと終わり、そして出発の地
ダンジョン、その中において人は時間感覚を失い易い。
辺り一面に草原や森が広がり空があるような、いわゆるフィールド型階層と呼ばれる場所であれば疑似的な昼と夜があるためそうでもないが、洞窟型階層やレンガ作りの迷宮型階層では時間というものを客観的に知る術が少ない。
そうした閉塞型の階層であっても外の時間に合わせ昼間より夜の方が魔物が強くなる。この事を知らないダンジョン初心者冒険者は、探索に夢中になるあまり知らず知らずに夜になり、ダンジョンの手厳しい洗礼を受ける事が常である。
ダンジョンとはそうした場所である為、ダンジョン入り口前には昼夜を問わず衛兵が立ち、周囲に目を光らせる。
これは無論ダンジョンスタンピードに対する警戒ではあるものの、夜間に出入りする冒険者の監視という側面が大きい。
ダンジョン都市は欲望都市、己が欲を満たさんと犯罪行為に走る冒険者を抑制し、健全なダンジョン経営に少しでも近付けることがダンジョン都市カッセルの監督官の使命であり、衛兵たちの仕事でもあるからだ。
「ファ~ァ」
「おいおい、あくびなんかしてるところを見つかったら、また隊長にどやされるぞ?」
「大丈夫だよ、今日の巡回はレーベル先輩だから。あの人、その辺うるさくないし」
「あぁ、レーベル先輩か。でもあの人余りいい噂を聞かないんだよな。北のスラムの連中から金貰って便宜を図ってるとかなんとか。
俺らだって冒険者や商人から小遣いをもらってちょっとした便宜を図ることはあるけどよ、相手が北のスラムの連中となるとな。
あそこって盗みや薬、誘拐から人身売買まで何でもありだろう?
監督官様が何度粛清しようと、直ぐに元に戻っちまうから切りがない。
まぁそうした情報が筒抜けだから肝心の連中は粛清前に身を隠してるんだろうけどよ。
お前もあまり深入りするなよ? 連中は一度掴んだ手は絶対に放さないからな?」
「分かってるよ、俺がそんなドジを踏むとでも思ってるのかよ」
「・・・心配だな~、全く信用できない。俺、お前との付き合い考えようかな」
「ちょっとそれ酷くね、こないだ可愛い子ちゃんの居る店の情報やったじゃん」
「あぁ、あれか・・・。やっぱりお前との付き合いは・・・」
「あれ? 駄目だった? んだよ、レイドの奴ガセネタ掴ませやがったな。今度捕まえてとっちめてやらねえと」
「おいお前、俺を使って真偽を確かめやがったな。絶対許さねぇ、お前が頼んでた当番を交代して欲しいって話、あれ無しな」
「ちょっ、まっ、本当ごめんて、ワザとじゃないんだって。俺だって知らなかった・・・あっ。マジでごめんて、だから勘弁してください!!」
夜勤の当番、衛兵たちは馬鹿話に花を咲かせ、眠気を誤魔化しながらも周囲に気を配る。ここはダンジョン都市、油断した者から食われて行く事はこの街の常識なのだ。
“カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ”
その靴音は、暗く静まり返ったダンジョン入り口前に、やけに響き渡った。衛兵は腰のロングソードに手を掛け、辺りの気配に集中する。
“カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ”
それはダンジョン内部からの靴音、こんな時間に誰が。
“カツンッ、カツンッ”
「フゥ~~、漸く着いた~。出口まで遠い遠い。って言うか夜かよ、この時間帯に宿屋ってやってるの?
あっ、衛兵様、ご苦労様です。いや~、ダンジョンって怖いっすね~。調子に乗って中層まで行ったはいいんですけど、魔物じゃなくって人間に襲われるって。もうね、這う這うの体で逃げ出しましたよ。
それからはもう只管の逃避行、幸い盗賊冒険者を巻く事は出来たんですけど、こうなっちゃうと階層を繋ぐ通路で寝るってのもおっかないと言いますか。
時間なんか全然分かんないし、暗視スキルのお陰と言っていいのか昼だか夜だかってのもね。
で、今ココって訳なんですけど、あとどれくらいで朝になりますかね? 今からじゃ宿屋って無理そうですよね」
何故か怒涛の如くしゃべり倒す男に、先程までの緊張が馬鹿らしくなる衛兵たち。それでも相手がダンジョン内で人に襲われたとなれば、その気持ちは分からなくもない。人が恐怖や緊張を和らげるために無性に饒舌になることなど、この街ではざらなのだから。
「そうだな、空が白み始めるにはあと三十分ほどは掛かるか。三十分は分かるか? 丁度マッシュの野菜スープが出来上がるくらいの時間だな」
「あぁ、なるほど、それくらいだったらすぐか。それじゃ従魔屋に預けてある馬の事も心配だし、東街門の辺りにでも行ってみますよ。門前なら気の早い商人や従魔屋に馬を取りに行く連中もいるだろうから、下手な場所に向かうより安全だろうし」
「そうだな、こんな場所で長居されても困るしな。巡回の衛兵に会ったら素直にダンジョンから出て来たばかりだと伝えるがいい。下手な寄り道はせず気を付けて向かう事だ」
「どうも御親切に、それじゃ俺はこれで。
しかし早く朝にならないかな、宿屋のベッドでゆっくり寝たい。しばらくダンジョンはこりごりだわ」
そう言いややふらつきながら去っていく冒険者に、“アイツもダンジョン都市の洗礼を受けたのか”と同情の眼差しを向ける衛兵たち。
ダンジョン都市におけるもっとも厄介な敵は、魔物やトラップなんかじゃない。それは同じ様にダンジョンに潜る冒険者、彼らはいつ豹変し盗賊になるのか分からない。
ダンジョン都市とは常に危険と隣り合わせの、決して油断の許されない危険地帯なのだ。
――――――――
「おはようございます。馬を引き取りに来ました」
早朝の従魔屋は忙しい。それは預かっている従魔に餌を与えるだけではなく、従魔を引き取りにくるお客の対応もしなければならないからだ。
「はいよ~、ごめんね待たせちゃって。朝は何かとバタついていてね」
「いえいえ、その辺は分かってますんで。それでちょっと長いこと預かって貰っていた馬を引き取りに来まして」
そういい従魔の引き渡し証を見せるお客、従魔屋の店員の女性はその引き渡し証に目をやり、ハッと何かに気が付いたようにお客に顔を向ける。
「アンタ、生きてたのかい。街の噂じゃダンジョンのトラップに嵌まって死んだって聞いてたんだけど・・・」
「ハハハ、まぁ何とか。でも出てくるのに三カ月近く掛かっちゃいましたが」
そう言いポリポリ頭を掻く目の前の青年に、「まぁなんにしても生きていてよかったよ」と言葉を向ける女性店員。
「それでアンタの従魔、魔馬の日向だったね。元気にしてるよ。
アンタがいなくなったって日の昼間にアンタのところのパーティーメンバーが従魔の引き取りにきてね。
日向の預け賃の追加って言って金貨三枚を置いて行ったのさ。流石にこれは多いって言ったんだけどね、アンタがいつ戻って来るのか分からないからって言って。既に半年分の預かり代金を貰っていたからどうしたものかと思ったんだけど、アンタに生きていて欲しいって気持ちだったんだろうね。一年後、まだアンタが引き取りに現れないようなら受け取りに来ると言って去っていっちまったよ。
まぁうち等としたら代金をいただいている以上世話する事に否やはないさ、今日までしっかり面倒を見させてもらっていたって訳さ」
女性店員はそう言うと「ちょっとまってな、今連れてくる」と言って厩舎の奥へと引っ込んでいくのであった。
「お待たせしたね、日向、ご主人様が迎えに来たよ」
“ブルルル”
女性店員が連れてきたのは一頭の魔馬、それは農耕用の魔馬と呼ばれるずんぐりとした体形の馬、日向の姿。
「日向~、会いたかったよ日向~。ごめんねずっと会いに来れなくて、寂しい思いをさせたよね。本当にごめんね、もう二度とこんな思いはさせないからね」
日向の首に抱きつき顔を擦り付けるシャベル。そんなシャベルの様子に“ブルルル”と嘶き、“やめろ、しつこい”と抗議するも、嬉し気に尻尾を振る日向。
そんな主従の様子をどこか楽しげに眺める女性店員。
「それじゃ確かに日向はお返ししたよ、それとこれは預かり賃のお返しだよ」
マジックバッグから幌馬車を取り出し日向を取り付けていたシャベルに掛けられた女性店員の声。シャベルはそそくさと女性店員の下に向かうと、預け入れ金の枚数を確認しそれを皮袋へと仕舞い込む。
「皆さんには本当に世話になってしまって、これ、些少ではありますが俺からの気持ちです。どうか皆さんでいただいてください」
そう言いシャベルがマジックバッグから取り出した物、それはいくつかの肉の塊。
「アンタ、これは・・・」
「あぁ、言ってませんでしたね。俺、落とし穴の罠に落とされたんですけど、それが結構下の階層に繋がってまして。
こっちはオークキングのドロップアイテムでこっちはミノタウロスですね。どっちも味は保証しますよ、そうそう、この塩を振り掛けて食べるとさらに旨味倍増です」
そう言い今度は腰のマジックポーチから塩の入った小壺を取り出し女性店員へ手渡す。
「いや、アンタ、これって結構な品物なんじゃないのかい?こんな高価なもの受け取れないよ」
女性店員が遠慮して返そうとするのを、シャベルは軽く手で制する。
「これは俺が無事に地上へ帰ってこれたお祝いです。この従魔屋に日向がいる、日向の為にも生きて戻らなければ。その事がどれだけ俺の心の支えになった事か。
それに従魔屋の皆さんは日向をどっかに売り払ったりせず、契約を守って預かっていてくれた。この少しでも油断すれば命がなくなる欲望の街ダンジョン都市で、その事がどれだけ貴重でありがたい事か。
従魔屋とそこで働く皆さんに心からの感謝と敬意を。我々テイマーはこの世界では嫌われ者です。魔物蔓延る世界で忌み嫌われる魔物を使役し共に在ろうとするのだから忌避感を持つ人たちの気持ちも分からなくはないんですが、そんな中で仕事とはいえ公平に扱ってくれる従魔屋の方たちに俺たちテイマーがどれ程救われているのか。
この肉はそんな皆様への日頃の感謝の気持ちも含まれていると思ってください」
シャベルはそう言い深々と頭を下げると、御者台に乗り込み幌馬車を走らせる。
「フッ、嬉しい事を言ってくれるじゃないか。思わずうれし涙が出そうになっちまったよ。
おい、お前たち、“魔物の友”の旦那からの差し入れだ、今日も一日確りと働きな。今夜は宴会だ、酒は私が驕るよ!!」
「「「「「お~、姐さんごちになりやす!!」」」」」
その後従魔屋の従業員が宴会の席に出されたステーキの旨さに目を見開き、女性店員が余った肉の塊を肉屋に持ち込んで金貨六枚の買取価格に声を失う事になるのだが、それはまた別の話であろう。
“ガタガタガタガタ”
幌馬車は走る、石畳の大通りをガタガタ音を立てて。
“ガタガタガタガタ”
「日向、ここだ。ちょっと待っていてくれるか?」
引き馬の日向に声を掛け幌馬車を停めたシャベルは、“ブルル”と嘶く日向の首筋を優しく撫でると目的の建物の中に入っていく。
「こんにちは、おやじさんはいますか?」
そこは大小さまざまな宝箱が並ぶ店舗、シャベルは店のカウンター越しに奥の作業場にいるであろう店主に向かい声を掛ける。
「何だ喧しい、確り聞こえてるから大きな声を出すな。こっちは繊細な作業をやってるんだ、気が散って間違いでも起こしたらどうする」
どかどかと足音を立ててやってきたのは一人の老人。その白く染まった髪と深く刻まれた顔の皺が、老人がこの街の職人として長く戦ってきたことを知らしめる。
「ナックルさん、すみません。漸く地上に戻る事が出来たもので、嬉しさのあまりつい。本当に申し訳ありませんでした」
シャベルはそんないつもと変わらぬナックルの様子に、嬉しさと共に申し訳なさから頭を下げる。
「えっ!? シャベル、シャベルじゃないか!!
アハハハ、やっぱりシャベルだ、そうだよ、お前さんがそうそう死ぬはずがないって思ってたんだよ。
それをこの街の冒険者どもときたら、“宝箱狂いがダンジョンに吞まれた”なんてぬかしやがって。ざまぁ見ろってんだ、しっかりシャベルは生きてやがったぞってんだ!!」
そう言いガハハと笑いながらシャベルの背中をバンバン叩くナックル。その目の端に光るものに、何か気恥ずかしいものを感じ恐縮するシャベル。
「本当、ご心配をおかけしてすみませんでした。でも何とか無事に生きて戻る事が出来ました。
俺の事は街の噂でも聞いていると思いますんで経緯は省きますが、簡単に言えばダンジョン罠の落とし穴に嵌まって下の階層に落とされたって話ですね。
それでもまさか四十階層台に落ちるとは思っても見ませんでしたが。あっ、これナックルさんにお土産です。四十七階層のオーガの集落で手に入れたドロップアイテムの宝箱ですね、未開封ですので後でじっくり楽しんでください。
中身はナックルさんに差し上げますから売るなり使うなりご自由に」
そう言いカウンターテーブルの上にマジックバッグから取り出した宝箱をゴトリと差し出すシャベル。そんなシャベルに慌てて言葉を返すナックル。
「ば、馬鹿野郎、そんなもん貰える分けねえだろうが!!
四十七階層? そんなところ深層も深層、最前線のちょっと手前じゃないか、そんな場所の宝箱といえば換金性の高いお宝が入っている事確定じゃないか!!」
興奮気味に声を荒らげるナックルに、嬉しそうに笑顔を見せるシャベル。
“従魔屋の皆さんと言い、解錠屋のナックルさんと言い、俺は本当に人との出会いに恵まれている”
シャベルは「大丈夫ですから」とナックルを宥めつつ、素晴らしい人たちとの出会いを結んでくれた女神様に、心の中で深く感謝の祈りを捧げるのであった。