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経営ファイル1 不安な幕開け

経営ファイル1

不安な幕開け



 少年は目の前に突きつけられた無慈悲で、理不尽な現実から、ただただ必死に目を逸らそうとしていた。

 その手紙に書かれていた目的の場所を目指し、野を越え、山を越え、森を抜け、川を渡り、時には魔物と戦い、嵐にも吹かれ、荷物の大半を失い、途中からはサバイバル同然の生活を強いられ、何日も、何日も、何日もかけ、ようやく辿り着いた場所が、お化け屋敷同然なだだの廃墟だった現実からだ。


「まるで、台風にでも襲われたかのような風貌だけど……」


 確かに目を瞑れば、見たくもないそれは勿論見えない。だがそれは、そこにある事実が書き変わった訳では無い。ただ一時的に隠し、誤魔化しているだけにすぎないからだ。それは少年自身がここまで辿り着くのに、心底苦労したからこそ一番理解していたことである。


「どうか、間違いであって欲しい……」


 少年は諦めて目を開けると、もう一度手紙に目を通す。そしてそこに書かれた、目的地の特徴を注意深く見る。大雑把で限られた情報ながら、しかし対象の建物を判別するには、どれも充分な量の情報だ。


『木造三階建てでそこそこ大きめの宿屋』


 まず一つ目の特徴、木造三階建て。確かに目の前の建物は三階建てで、少し古臭い木造建築だ。だが、そんな建物はどこにでもあるだろう。


『建物の横に巨大な大木が生えている』


 そして二つ目の特徴、大木。宿屋の隣には、建物と同じ位の高さになる木が生えている。だが大木の捉え方や定義は人によって異なるだろう。だからこれで確定したかどうかはまだわからない。


『ユートピアという宿屋の名前が書かれた看板がある』


 それでは三つ目の特徴、看板。これで全ては確信となった。どこからどう見ても、その宿屋の入口には『ユートピア』と大きく書かれた、壊れかけの看板がある。これでもう事実からは逃げられない。


「……じいちゃんが言ってた理想郷って、本当にこの宿屋のことだったのかなぁ?」


 目の前に書かれた看板の『ユートピア』という文字を見て、少年は大きなため息を吐く。


「前を向けば草原、後ろを振り向けば森、向こう側には岩場。湖や川もあって、確かに空気も良い。普通に旅行とかで来るなら、これほどまでに適した場所はないかもしれないけど……」


 道中は天候に恵まれず、馬車の地方定期便は予定の八割で停止。徒歩に切り替えるも、再びの大嵐で荷物の大半を失ってしまった。これだけ書くと彼の旅路は過酷ではあったものの、単なる長旅くらいの印象になるだろう。しかし、彼の移動距離はおおよそ300km。この旅は、過酷その物であった。


「来る前から局地的大嵐の話は聞いていたけど、まさか自分が当たるとは」


 出発前、少年が父の知り合いの傭兵から聞かされていた、局地的大嵐。ここ数か月前から、この地方で目撃されている、通り雨のようにすさまじい雨風が降りつける現象だ。酷い時には、まるで竜巻が通過した後のように、暴風雨であらゆるものが削り取られることもある。にわかには信じがたい天変地異だったが、実際それを目撃して、しかも自らの身で体感した少年は、その恐ろしさを知っている。


「建付けも悪いし、ここもまるで嵐に吹かれたみたいだ。建物が残っていただけ、幸運と考えておくべきか……」


 背後から照りつける陽に照らされ、その白にも似た銀髪と、腰にぶら下げた魔石が煌びやかに光る。

 小柄という程では無いが、平均よりは少しだけ小さな身長、幼さの残るその顔つき、おおよそ長旅をしてきたようには見えないその軽装が、広大な大自然の前にある一種の違和感を生み出している。


「……とりあえず、中に入ってみない事には始まらない。もしかしたら、中は意外と綺麗だったりするのかも」


 少年は自分に言い聞かせるように独り言を言うと、その腐りかけていて、今にも倒れてしまいそうな木製の扉に手をかける。そして力を込めると、扉は鈍い音を出し、ゆっくりと開いていく。


「中は結構広いけど……だめだ、やっぱり外観と同じかな」


 さて、扉を開けた向こう側には、明かり一つついていない薄暗い闇が広がっていた。窓は固く閉ざされ、壁に空いた小さな穴や、ボロボロのカーテンの隙間から漏れる、僅かな日光以外殆ど光という光は無い。そんな建物の中はまるで、外界から隔離されているかの様な、異質ともとれる閉鎖感を出している。


「そもそもこの感じ、嵐に吹かれる以前の問題だったんじゃ?」


 実際、建物の広さ的な問題もあるのだろうが、既に入り口の時点で部屋の中はあまりよく見えない。更にその暗さのせいも相まってか、そんな部屋の無駄なまでの広さがより際立つ。

 恐らく宿屋としてまともに機能していた頃には、ここのロビーも多くの人で賑わっていたのだろう。そう考えると、少年はなんだか寂しい様な、切ない様な、そんな気持ちを感じられずにはいられなかった。


 悩んでいてもことは進まないと、諦めがついた少年は勇気を出し、建物の中へと進む。

 闇の中には微かにカウンターの様な物が見える。更にその前には、木製のテーブルやイス、掲示板のようなものが壊れて散乱していた。よく見ると、カウンターの奥にある棚には酒瓶や割れた樽などが置かれており、小さいながらバーか酒場の様なものを経営していた跡も見られる。つまり、ここはただの宿屋ではなく、俗に言われる宿屋酒場か、冒険者酒場、冒険者ギルド、或いはそれに近い物だったのだろう。もしそうだとしたら、ここは見た目の大きさ通り、それなりの規模の宿屋だったことになる。


「あ、あのー……お邪魔しまーす!」


 少年はその幽霊でも住んでいそうな宿屋に一言挨拶をしたあと、更に奥へ、奥へと恐る恐る進んで行く。もっとも、挨拶を言った後に、そもそも今は無人の筈だから挨拶をする必要は特に無かったよね、と思ったのだが。


「……誰だ?」

「ひっ!?」


 しかしそんなことを考えていたのも束の間、突然返ってくるはずの無かった返事に声をかけられ、少年は驚き裏返った声をあげた。

 驚いた少年は辺りを見渡し、部屋の奥の方を注意深く見る。すると、暗さのせいで姿はほとんど見えないが、大きな影が壁にもたれかかった状態で座っている、ということがかろうじてわかった。


「あのー……すいません、どちら様――」

「質問を先にしたのは俺の方だ。まずはそっちから名乗るってのが、筋ってモンじゃないのか?」


 男の声が冷たく遮る。その圧に抑えれ、ライトは恐る恐る答えていく、


「……ぼ、僕の名前はライト。この宿屋を経営していた……先代店主の孫です」

「……なるほどな、あの先代の爺さんが言っていた孫か」


 ライトが名前と身分を答えると、男の口調が少しだけ和らいだ。


「そっちが名乗ったんだ。じゃあ俺も名乗るか……と、言いたいところだが生憎、名前なんてもんは随分と昔に、酒の酔いと一緒に忘れちまっててな。へへっ……意地悪なことしちまった」


 そう言うと男は、その酒で潰れて嗄れてしまったのであろう声で、話を続けていく。


「まあ……なんだ、俺はお前の爺さんが経営していた頃からの、この宿屋の常連でな。行先が無い俺は、爺さんが亡くなってここが無人となった後、ちいとばかり寝床として貸してもらっていた」


 そういうと男はゆっくりとその場に立ち上がる。そして、覚束無い足元を支えるようにしながら、壁に寄りかかった。


「もっとも、流石にこの広さだから隅々まで手入れまではできとらん。何より最近は、嵐のような通り雨が多くて窓は割られるわ、物は吹き飛ばされるわ、飛んできた石ころで壁や天井は穴ぼこだらけにされるわ。挙句雷が落ちた時はついに屋上から三階にかけての一部が破壊されちまった。お陰で雨風をようやく凌いで、寝泊まりするのが限界のこのザマだ」

「僕のじいちゃんを……知っているんですか?」

「そりゃあな、良くうまい酒を仕入れてくれたもんよ。あの爺さんは味ってものをよく分かっている人だった」


 暗闇に目が慣れてきたせいか、ライトの視界には男の姿がようやく、少しずつではあるが見えてくる。影だけで顔等までは繊細に見えないが、少なくともその低音で太い声に似合うだけの、大きな体軀をしていることだけはよく分かった。


「で、ここに来たということは、お前さんがここの二代目店主になるのか?」

「一応、そういうことになりますね」

「まったく、あの爺さんから随分と厄介な物を押し付けられたな……」


 ライトは声の低さや話口調、見知らぬ相手に対してのやたらと落ち着いたその様子からして、相手は年季の入った男性だということがすぐに分かった。そして同時に、自らの祖父の話を即座に理解していたことから、危険な人物などではなさそうだな、と判断することにした。

 ではしかし、今度はその男性は何故、こんな山奥の廃れた建物にいるのだろうか。再び疑問が残る。


「押し付けられた……っていうのは多分、少し違います。この店を継ぐと決めたのは、紛れもない僕の意思ですから。ただ、現物を見たら少しだけ……僕の予想とは違うものでしたが」


 少しだけ、とは口先では言ったものの、やはり本心では大分違う物だった。彼は宿屋と聞いて、もっと綺麗で、扉の立付けも良く、都会にあるような物を期待していたからである。

 だが、実際にその目で見たものはまるで、廃墟同然のオンボロ宿屋状態だった。その頭の中で投影されていた映像とのあまりにもなギャップに、非常に驚かされていた。もっとも、最初からある程度の覚悟を決め、家元を出て来た彼にとっては、この程度のことで引き返すつもりは無かったのだが。


「じいちゃんとは、仲良かったんですか?」

「生憎今日は酒の回りが強い。あまり上手いことや細かいことは話せないが……」


 男は何か言葉を絞り出そうと悩み続ける。そして暫く何かを考えたあと、こう続けた。


「……ビッグな男だった。俺なんかより夢も、抱えてる物も、きっとな」


 たった一言だったが、そこにライトは祖父の生きた『時間』を感じた。たった一言、だが、それだけでじいちゃんがどのように生きてきたのか、この人が本当に信頼できる人間なのか。なんとなく、全てを察する事ができた。


「……小僧は、これから一人でこの宿屋をやっていくのか?」

「当分はそうするしかないですよね。今後、この宿屋を営業出来る程度にまで綺麗にし終わったら、従業員さんとか、メイドさんとか、事務員さんとか、できれば専属のそういった人達を雇っていたいんですけど」

「一応最初に言っておくが、俺はここで働く気は無いからな。それが嫌なら別に、今すぐにでも追い出してもらって構わねえ。言ってしまえば俺は今、店主が居ないことを理由に、他人の店に居座っている不法滞在者だからな」


 とは言っているものの、ライトはこの人がじいちゃんのいなくなった宿屋を守っていてくれていたのだろう、と確信をしていた。根拠はないが、否定するには少々人が良すぎる。この建物の外部からの遮断感。仮にこの人が山賊か何かだったとしたら、すでに自分は襲われているだろう。


「どうせまだ、宿屋の開店までは時間かかりそうですし、じいちゃんの知り合いの方だというなら、別に居てもらっても構いませんよ。僕も、この無駄に広い廃墟に一人っていうのはなんだか寂しいですし」

「寂しい……ヘッ、やっぱりまだ小僧じゃねえか。まあそれでも、このお化け屋敷同然の宿屋を引き継ごうという、その度胸は認めるが」

「一応、僕もそれなりの覚悟はしてきているので」


 ライトの言葉を聞き、男は一瞬だけ笑いをこぼす。何を感じたのか、何を思ったのかは分からないが、ただ1つわかるのは、入口に立つ逆光の影は、男の見覚えのある人物にそっくりだったということだけだった。


「……それじゃあその覚悟、口先だけのものにならない様に気を付けろよ」

「はい! 今日から店主、頑張っていきます!」

「……変わらないな、お前と」


 男は最後に何かを呟いた。ライトは聞き返そうとしたが、男はライトに興味を失ったのか、或いは酒の酔いが辛かったのか、再び床に座り込んでしまった。そしてそのまま男の次の言葉が出てこない辺りを見ると、どうやら眠ってしまったようだ。


 とりあえず、声の主が悪い人等ではなくて良かった、と安心したライトは、緊張して強ばっていた体から漸く力を抜く。


「お酒、こんな山奥でどっから持ち込んだんだろう……」


 そんな疑問はさておき、男との会話を終えたライトの意識は、再びこのオンボロ宿屋の方へと向いていた。

 これから先どうしていけばいいのか、どうやって宿屋を開店できるまでに立て直していくのか、というかそもそも、どうやってこんな山奥の廃れた宿屋で生活をしていけば良いのか。そんなことを頭の中で考えながら、彼は荷物を床に下ろす。


バッギィィィィッッッッ!!!


 しかし、こうして一息つこうとしたのも次の瞬間、今度は突然彼の背後で何かが破壊される様な、砕け散るような、とにかくとても大きく鈍い音がする。


 静寂を突如として引き裂いた、不快な破壊音。

 ライトは驚き、咄嗟に後ろの方を振り向く。すると、入口のドアとその周囲が蹴破られていた。

 そこには砂ぼこりと逆光で繊細には見えないが、小柄な影が片足を前に突き出した状態で立っている


「うーわ、きったな……って、あれ? もしかして、先客の方?」

「なっ……!?」


 あまりにも非常識としか言えない、その暴力的な行動。しかし声の主はあっけらかんとした感じで話しかける。まるでその行為がさも当然で、何もおかしくないとでも言いたげに。


「……なによ、黙ってないでなんか答えなさいよ」


 埃が消え、外からの光にようやく目が慣れてくる。するとその影の主がメイド服を着た赤髪の少女であることが徐々に分かってきた。その手にはとても大きなカバンを持っている。


「……だっ、誰ですかあなたは!?」

「なんでそんなバケモノを見る様な目で、こっちを見るのよ」


 驚き硬直するライトを尻目に、少女は気だるげに話す。そんな彼女と突然の出来事に、彼は言葉を失うことしかできなかった。暗闇からの突然の声にも少しだけしか動じなかったライトではあるが、流石にこの事態には驚きを隠すことができない。


「い、いやだって、いきなり人の店を破壊して誰かが入ってきたら、誰だってそうなるでしょ!!」

「人の店……ということはじゃあ、アンタがあの爺さんが言っていた孫で、ここの新店主?」


 赤髪の少女は手に持っていたカバンをボスンと床に置く。そして腕組みをすると、淡々と話し始めた。


「アタシはアンタの爺さんに雇われやってきた、まあ……なに、見ての通りメイドよ。良かったわね、アタシと言う最高の札を引けて。アタシを雇った爺さんに、死ぬほど感謝しておきなさい」


 ライトは、ようやく頭が状況に慣れてきた。一連の出来事に興奮状態だった脳がようやく落ち着いてきて、今度は突然冷静になってくる。おかげで少女の顔がとても端麗で、かわいいこともわかってしまった。


「と、言うわけで……アタシの名前はガーネッタ。ガーネッタ・フレイ。まっ、そういう訳で今日から宜しく!」


 彼は無言で、ただただその場に立ち尽くすことしかできなかった。何故か、彼女があまりにもかわいかったから見とれていた? はたまた怒りのあまり言葉がでてこなかった? そう、答えはそのどちらでもない。


 ライトの頭は今、この短期間に押し寄せるあまりにもの情報量に、緊急停止せざるを得ない状況に追い込まれていたのだ。


 廃墟の宿屋、謎の居候の男、自称メイドの破壊魔系少女。そして、祖父の真意と見えない未来。果たして、赤の素人による倒壊寸前の宿屋の経営は、こんな調子で上手くやって行けるのだろうか。と言うかそもそも、宿屋を営業可能な状態に建て直すことすら、彼には、彼たちにはできるのだろうか。


 晴れ渡る様な青空のその日。とある空気の澄んだ、山奥の廃墟にて。止まった時計の針は、再び動き始める。


 これより宿屋酒場ユートピア、営業再開である。


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■ライト■

年齢:16歳

肩書:楽園の若き店主

体力:C  筋力:C

魔力:F  俊敏:B


能力

・サバイバルの知識

・商売の知恵

・????

・????

・????


【次回予告】


 他界した祖父から山奥の廃れた宿屋を受け継いだ少年、ライトは宿屋に住み着く酔っ払いのドワーフのオヤジと、ガーネッタと名乗るメイドの少女と衝撃的な出会いを迎える。そして衝撃の出会いから早くも数日が経ち、ライトとガーネッタは地道ながらも宿屋の修復や食料調達、周辺地域の探索を進めていたのであった。そんな中、宿屋裏の森林の更に奥地に潜るため、ライトはガーネッタに同行するように頼むのであったが……


 淀む空気、うねる疾風、狂気に蠢く魔物たち。未来の光は瘴気を断ち、メイドの少女は爆炎と踊る。


次回、異世界テンプレ物のよくある宿屋物語

第2話『そして物語は始まりへ』


ご期待ください

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