進展はなくとも1日は終わる
「ああぁあ! お金! いや、その前に連絡先をっ!」
日野くんがテンパっている。理由は東の「あ。もうすぐ終電だ」だ。立ち上がってあわあわしている。
「お金はええからはよ行き!」
「連絡は名刺の番号に!」
「ふぉぉ、す、すいませ……また連絡しますぅぅ!! ごちそうさまでしたぁ!」
俺と東の言葉に、日野くんは土下座する勢いでペコリとし、リュックをかっさらうようにして部屋から飛び出していった。なんか、ばぁん!とぶつかった音がしてるけど、大丈夫かね。というか、そんな恐い嫁さんなんだろうか。いや、これが普通なのか?
「……騒がしい人ですね。なんです、あれ」
康介が呆れたように俺を見やる。お前が乱入してきたせいでもあるのだが。
辛うじて日野くんと康介の自己紹介は出来たが、結局パーティー云々は何も決まらないまま解散になってしまった。飲む前に話せばよかったなぁ。まぁ腹は満たされたし、いいことにしよう。
「いろいろあんねん。さぁ俺らも解散するか」
水をグビッとしてから、立ち上がる。忘れ物は……ないな。もとより財布とスマホしか持ってない。ボディーバッグすら、今は収納の中だ。レジに向かおうとしたところで、康介に止められた。
「着替えるんで、ちょっとだけ待ってて下さい」
「着替え? お前それで来たんとちゃうんか」
「そうですけど。智春さんに見せたらもう用はないんで」
ちゃっかりトランクを持ち込んでいた。パカッと開けて、中の服を取り出し、いそいそとスカートを脱ぎ始める。
「いや、ここで着替えんなや」
「大丈夫ですよ。履いてませんから(女物の下着は)」
タイトスカートを脱いだら、普通にトランクスだった。でも足はわりとキレイ。ただ、右足の膝の横に大きな傷跡がある。
「ここで障子開けられたら、ぼくらどう思われるんでしょうね……」
東が呟く。通報はされないだろう、流石に。康介は上も脱いでいく。恥じらいもなくいっそ清々しいほどの脱ぎっぷりに、逆に何も感じない。下着姿になり、最後にツインテールのかつらを取ると、すっかり男になった。というか、なんで全部一旦脱ぐねん。脱いだところから着んかい。
「ふー。お待たせしました」
数分後、普通の好青年がにこっと笑った。七分丈のジャケットとパンツ。中のTシャツは白で清潔感が溢れている。ついさっきまで、ツインテールでナースだったとは思えない変わりよう……。まぁ、若干髪がピンク混じりだが。
「康介くん。そうしてれば普通なのに」
「普通の意味が分かりませんけど、誰に何を思われようとどうでもいいので放っといて下さい。俺は智春さんにさえリアクションしてもらえれば、それで気が済むので」
東の言葉に、康介がツンと顔をそらした。用済みとなったナース衣装が乱雑にトランクに押し込まれる。取っ手を持つと、「さ。行きましょう」と、障子を開けた。声を掛けようとしていたらしい、店員さんと目が合う。
「もうすぐ閉店で……。え、あれ……?」
部屋の中を見、俺達を見て首を傾げている。インパクトの強いナースさんがいないからね。俺の横を澄まして歩く青年がそうだったとは思わんだろう。
「あ、え、えぇ……」
あ。トランクに気づいた。
「すんません。お会計」
「あ。ハーイ」
食事代を払い、店の外へと出る。人通りはまばらで、数人のサラリーマン風のグループが肩を抱き合いながら千鳥足で目の前を通り過ぎていった。平和だ。ダンジョンが出現し、日々死者の数が増えようとも、酔っぱらいは変わらない。
ダンジョンに帰る俺に二人もついてきた。以前よりは暗くなった夜道をテクテクと歩く。それぞれ家はあるはずなので、お金さえ気にしなければ帰れるのに。
「そういえば、智春さん」
「ん〜?」
「習志野のダンジョンで、染料が出たらしいですよ」
「千両?」
「いや、布とかを染めるアレです。他にも布とか綿が出る階があったらしくて」
ばっと康介の顔を見ると、我が意を得たりとばかりに目を細められた。
「なんそれ。もっと詳しく!」
「二十一階層で出たらしいんですよ。ちなみに、習志野ダンジョンの最高到達点は四十階層です。今まで情報が出なかったのは、二十一階層が目と鼻の先に下への階段があるので、探索されてなかったかららしいです」
「マジかぁ。習志野は行ってへんわ。ヤバい、超行きたい」
夜風が気持ちいい。豊洲ダンジョン前はもう静かになっていた。まだアルコールの残る体がウズウズする。
ダンジョンで手芸系のものって、まだあんまり出てないんだよなぁ。ちなみに、地名とダンジョンで出るものには一切関連がないようだ。
「日野っちどうするんですか。こっちに連絡来るんだから、居てくださいよ」
「そういや、それもあったな。まぁ、すぐには行かへんよ。無くなるもんやなし」
東の言葉に思い出す。ダンジョンに入る前にスマホのチェックだ。康介のんは無視。あとは、行きつけの店のセールの案内。狐屋からの毎度ご利用ありがとうございましたメール。それから、某会社の胡散臭いやつから、『面倒事を持ち込むな。仕事はやったから、今度顔出せ』と来ていた。あの少年のことだろう。面倒には面倒で返せと言われるだろうが、まぁ、これはその内でいいだろう。適当な顔文字を送っておく。
ダンジョン内に入ると、すでに商魂たくましく、もう店を開けている店舗がいくつかあった。その横でひしゃげたプレハブがそのまま残っている。このまま時間が過ぎれば、ダンジョンが吸収してしまうだろう。
二階層はいつものように扉が閉まった部屋ばかりだ。あんな騒ぎがあろうとも、お構いなし。というか、知らないやつもいるんだろうな。ダンジョンホテルは丈夫で音漏れもないし。中程で空いている部屋を見つけた。中のスライムをプチっとする。当たり前のように、二人も入ってきていた。
「くあ〜。アカン。眠たなってきた」
マットを取り出し、クリーンを自分にかけてから、ゴロンと横になる。東がその横に簡易ベットを取り出して並べた。またデカいのん入れとるな。康介はその反対隣に、設置型のハンモックを置いた。みんなそれぞれ、就寝スタイルが違う。しかし、広い部屋なのに、なぜ川の字か……。
「あ、そうだ。智春さん。美容液のやつ、忘れないうちに渡してもらっていいですか?」
「あ~」
上半身を起こし、適当な段ボール箱に蜘蛛からゲットした液体を詰める。これを使う女性は、蜘蛛からのドロップアイテムだと知ってるんだろうか。箱を康介に渡すと、数を確認してから領収書に金額を書き込んだ。
「はい。いつものように振り込んでおきますからね」
紙を受け取る。この時点で売買が成立したということで、美容液は康介のものになる。康介は自分の収納に美容液と、ナース服が詰まったトランクを押し込んだ。
「あ。いいの見つけましたよ」
そう言って何かを引っ張り出す。黄色い、服か? 首を傾げる俺たちをよそに、着替え始めた。俺も着替えよっと。ジャージに着替える。東は、普通にTシャツに短パン。そんで康介は……。
「○カチュウ」
黄色いアイツの着ぐるみだ。あの、パジャマとかになるフード付きのあれ。腕を広げて、康介がドヤ顔をしている。
「えーと。これ、褒めたらいいんです?」
東が困惑している。俺も分からん。なぜこれがいいものなのか。
「……やっぱり。覚えてないんですね」
康介がガックリと肩を落とす。え、なに? リアクション以外の何かが○カチュウにあんの?
「俺が智春さんにリアクションを求めるために、いろいろやりだして初めて『おまえ、それはないやろ』とのお言葉をもらったときの衣装がこれです」
「へー」
俺はそれをどう思ったらええのん?
「康介くん的に突っ込んでくれたらオーケーなの?」
東の言葉に嬉しそうに康介が頷く。
「最初の頃は、ホントにこっちに無関心というか……。ダンジョン探索に付き合ってもらってたとき、寝癖が付いていようが歯に海苔が付いていようがカチューシャしようが上下縞々だろうが……なんのリアクションもないんですよ」
ちょっと上の方を見ながら、なんか語り始めた。
「そのうち、どこまでが許容範囲なのかといろいろやり始めました。髪を染めたり、奇抜な格好してみたり。で、これ(○カチュウ)は無視できなかったみたいで、あの言葉ですよ。あのときの困惑しきった智春さんの顔ったら♪」
頬を染めるな。今のところリアクションを求められているだけだが、悪趣味であることは間違いない。
「まぁでも、俺のメンタルもゴリゴリ削れてるんですけどね」
「あ、羞恥はちゃんとあるんですね」
「もちろんあります。今日のはなかなかキました。でもそれ以上に、智春さんに困惑顔をしてほしいんです。今の顔もなかなかです。あ、でもご安心を。これ以上のことはしませんよ。嫌われたら元も子もないですからね」
ニコニコと爽やかな笑みを浮かべつつ、世迷い言を吐く康介。ああ、どこでこうなったんだろう。俺か? 俺のせいなのか? いや、元々だって。うん。
「よし。寝よか」
「あ。放り投げましたね。でも賛成です。ぼくもこれ以上聞きたくないです」
マットにゴロンとする俺に、倣うように東もベッドに横になった。ちゃんとタオルケットを腹にかけている。俺は特になにもない。ダンジョンホテルはいつでも適温。
「嫌いじゃないです、そういうの。じゃあ、俺も寝ましょうかね」
康介も○カチュウのまま、ハンモックに乗る。こっち見んなし。
「んじゃー、おやすみ」
「「おやすみなさい」」
光量を落とせないので、うつ伏せ気味に自分の腕で影を作って寝る。一応アイマスクも持っているのだが、こいつらがいるときに視界が遮られるのはなんとなく不安だ。
アルコールも相まって、すとんと眠りに落ちた。




