運命に抗う二人の物語
この世界には勇者がいた。悪逆非道の行いをする魔王を倒し、人類の平和を取り戻さんとする勇者が。
魔王城、その玉座の間にて二人の人物が対峙していた。
一人は勇者と呼ばれる少女。歳は16歳くらいだろうか。ピンクブロンドの長い髪を揺らし、全身を鎧に包んだ状態で、聖剣と呼ばれる武器を両手に持っていた。
それに対するは魔王と呼ばれる存在で、この城の主だ。姿形は人間の成人男性とあまり変わらないが、頭には黒い角を生やし人間とは異なる赤い目は、まさしく人類の敵と言わんばかりの姿だった。
「勇者よ。仲間たちはどうした?」
魔王が辺りを見回しながら問いかける。彼は勇者と何度も相まみえており、勇者の仲間に拳闘士や魔法使い、僧侶がいることを知っている。その仲間の姿が見えないことに疑問を思っていた。
「仲間には少し用事があると言って、一人で来たの。ジルと会える最後の機会だから。そんな機会を他の人には邪魔されたくなくて……」
こちらに剣を向けながら、彼女は笑っていた。
「そうか……」
ジルと呼ばれた魔王は、下を向きながら小さくこぼす。その顔には諦めた表情が浮かんでいた。
「シャノン、もうどうにもならないのか?」
「わかっているでしょう? もう無理よ……」
彼女も自分の無力さを思い出して、ギュッと歯を食いしばっていた。
「俺はどうすればよかったのか……」
魔王は自身の無力さを後悔しながら、彼女と出会った日を思い出す。
魔王ジルベールは強大な力を持った魔王だ。しかし、その力をむやみやたらに振り回すことはせず、争いも好まない温厚な性格だった。そんな性格のため、彼は人間に悪い感情を持っておらず、時には変装して人間の町まで来ることがあった。
そんなある日、町の外で魔物相手に苦戦している少女がいた。その魔物はゴブリンという小さな魔物で、魔王軍にも組み込まれないような弱い魔物だった。しかし数だけは多くどこにでもいるため、新人冒険者の練習相手として重宝されている。
少女が相手にしているのは10体ほど。少し慣れてきた者ならどうってことはないだろう。けれど見たところ、少女は手に持った剣で対処しようとしているが、剣先もブレ、体捌きや重心移動もまともに行えていない。いくら相手が弱いといえ、その実力では一方的にやられるだけだ。ジルベールはその様子を見かね、素早くゴブリンたちに近づき、腰につけていた鞘から剣を抜いて横一閃にする。
魔物を一瞬で掃討し彼女の方に振り向くと、彼女は驚いた表情をしていた。それはそうだろう。今まで苦戦していた相手が塵となって消えていて、代わりに闖入者が現れたのだから。
「あ、ありがとうございます」
「気にするな、ただの気まぐれだ。じゃあな」
あまり人にかかわる気はなかったので、すぐに立ち去ろうとする。
「待ってください!」
すると、彼女から声がかけられたので足を止める。
「なんだ?」
「あの……お名前はなんていうのでしょう?」
「……ジルだ」
ジルベールからもじって付けたその名前は、人間の町に行くときによく使っていた。
「ジル……さん。助けてくれてありがとうございます。その剣捌き、かなりの実力者と思われます。その……、よければ私に戦い方を教えてくれませんか?」
気まぐれで助けただけの相手から、そんな提案をされる。
「俺がか?」
「はい。ジルさんがよければですけど……」
少し考える。最近は人類と魔族の大きな争いもなく、自分が必要になる場面がない。風の噂では勇者が現れたとは聞くが、町でも未だその姿を見たことがなかった。そのため所詮噂だったかと思い、こうして安心して町に遊びに来ているわけだ。
ふむ……。暇つぶしとして少女を鍛えるのも面白いか……。人間の町を巡るだけの日々も少し飽きていたところだ。
「わかった。俺がお前を鍛えてやろう」
「本当ですか!?」
彼女は嬉しそうな声をしながら、小さく拳を握っていた。
「あ、私の名前を言ってませんでしたね。私はシャノン。周りの人からは勇者と呼ばれています」
まさか噂の本人に出会うとは思わず、つい目を丸くする。
これが勇者との出会いだった。
勇者と呼ばれていても、最初から力があるわけではないらしい。彼女は王城に呼ばれて魔王を倒すという使命を与えられたが、少し前まではただの村娘だったため、戦いに関しては素人同然だったそうだ。そんな彼女が戦いに赴くというのに、国からの補助は何もなかった。そのため、しかたなく一人で戦いの訓練をしていたそうだ。
ジルベールは何度か彼女を郊外の森に連れていき、剣や魔法の訓練を行った。別に剣はそれほど得意でもなかったが、彼女に教えれれる程度には嗜んでいた。そのため、野良の魔物相手に彼女を指導していた。魔法に関してはいくらでも教えられるが、あまり教え過ぎると自身の正体に気付かれる可能性があったので、違和感を覚えられない程度に教えていた。
訓練という目的ではあったが、それにしても彼女と一緒に過ごす時間は楽しかった。森に行くことが多かったが、たまに訓練と称して、少し遠くへ冒険をすることもあった。その際に困っている人々を助けることもあった。
そんな日々を繰り返し、彼女持ち前の明るさやその優しさに、自然と心が惹かれていった。
彼女との他愛も無い会話。自分に向けてくる笑顔。彼女の一挙手一投足に目を奪われる。気づけば彼女の存在は、つい相手が勇者であることを忘れるくらいには、自分の心の拠り所になっていた。
それに彼女も自分のことをまんざらには思ってないように思う。
彼女が訓練で怪我をすることがあった。幸い重傷ではなかったものの、放っておいていい傷ではなかったので、急いで治療しようと駆け寄った。すると、彼女は自分に寄りかかって身を委ねるままになっていた。
冒険の途中に立ち寄った村では、男性に触れられそうになり嫌がっている素振りも見せていたので、男性が得意というわけでもない。そんな彼女が自分に心を許しているのは、とてつもなく嬉しいことだった。
いつしか訓練という口実で、彼女との逢瀬を楽しむようになっていた。
「君はどうして戦おうとするんだ? 今の魔王は何もしていないそうじゃないか。そんな相手をわざわざ討伐する必要はあるのか?」
彼女との逢瀬を楽しむようになって何度目かのある日。森の中で夜を過ごすための野営地で、隣に座る彼女にずっと疑問だったことを聞いてみた。ただの村娘だった彼女が、危険を犯してまどうして戦いに向かおうとするのか。その心の内を……。
「そうね。今の魔王はおとなしいと聞くし、わざわざ倒しに向かう必要はないのかもしれない」
「では、どうして?」
「確かに今は問題ないかもしれない。けれど、急に魔王の気が変わったら? それに今の魔王が倒れたとして、次代の魔王もおとなしくしている保証は?」
彼女は真剣な目で、ジルベールを真っ直ぐ見据えている。
「私だって今の魔王が攻めてくるとは思っていないわ。だからといって相手に甘えていれば、本当に攻めてきた時にただ蹂躙されるだけになってしまう。家族や村のみんなとか、私にだって守りたい人はいる。そのために私は頑張るの」
彼女が普段見せている優しさや明るさとは裏腹に、その心の内には秘めたる思いが詰まっていた。
「いくら勇者とはいえ、自分が魔王に負けて死ぬことは考えないのか?」
そう尋ねると、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「いくら鍛えてもらって強くなってるとはいえ、魔王は強大だもの。私の力でそう簡単に勝てるとは思ってないし、私だって死ぬのは怖い。だけど仕方ないじゃない。私以外に誰もできないのだから……」
彼女は優しげな微笑みをしていたが、それは諦めの境地だったのだろうか。それとも、あるいは……。
「俺が君を守ろう」
はっきりと、決意を込めた口調で彼女に告げる。
「無理よ……。ジルが強いのは知ってるけど、魔王討伐には国に選ばれた人しかついて行けないの。だから、無名のあなたが選ばれることはないのよ……」
彼女は残念そうな表情をしているが、ジルが言いたいことはそういうことではない。
「魔王討伐が行われるのは、人類にとって魔王が危険だと判断した時だ。だからこそ、今のようにずっと魔王がおとなしくしていれば、魔王討伐に駆り出されることもない」
「それはそうだけど、魔王の考えることだもの。誰にもわかるわけないわ」
「いや、俺にはわかるさ」
「どうして?」
「俺が魔王だからだ」
隠していた事実を告げる。今の彼女なら、彼女ならきっとその事実を前にしても、自分を受け入れてくれると信じていたから……。
事実、彼女は怯えや驚きといった表情ではなく、穏やかな表情をしていた。
「やっぱり、そうだったのね……」
「気付いていたのか?」
「何となくだけどね……。だって、魔法の腕が人類が扱える実力以上だったもの。なるべく抑えようとしているのは見ていてわかったけどね……」
彼女の言葉に、今度は自分が驚いた。かなり抑えて使っていたつもりだったが、あの程度でも人類には扱えないということに。
「ならわかるだろう? 俺が人類を攻めない限り、魔王討伐が行われないことを」
「それはそうだけど、どうしてなの? あなたは魔王でしょ? 私さえ倒せば、人類なんて恐れるに足らないじゃない」
「それは、――君が好きだから……」
彼女の目を見て、思いの丈を告げる。
「君の笑う顔が好きだ。君の驚く顔が好きだ。君の何気なく髪をかきあげる仕草や、ふとした時に見せるちょっとした仕草が好きだ。俺は、君のすべてが好きだ。だから、君を傷つけはしないし、傷つけるやつは許さない。俺は人類や魔族がどうなろうと、ただ君一人だけいればそれでいい。君を不幸になんて絶対させない。……俺が世界中の全てから君を守ってみせるよ」
生まれて初めて一緒にいたいと思えた人。彼女を守るためなら、何を犠牲にしても、世界中を敵に回してもいい。その意思を彼女に伝えたつもりだ。
彼女にちゃんと伝わっただろうか……。そんな不安を感じながら彼女を見ていると、彼女の瞳から溢れ出るものがあった。それらは頬をゆっくりと濡らしていく。
「うん……。私も、あなたのことが好き……。だから、決してあなたを傷つけない……。ずっと一緒にいましょう」
そう言って笑いかける彼女が愛おしくなり、思わず抱きしめる。すると、彼女も同じようにして抱きしめ返してくれた。お互いの気持を確かめあった後彼女を見れば、こちらの顔を見上げていた。そして、ゆっくりと目をつぶる。
何かを求められているとかを考える前に、自然と動いていた。ゆっくり、彼女をいたわるように。優しく口付けをした。
それからの冒険は今までよりも一層楽しく感じられた。お互いに大事に思っている相手がすぐ隣にいる。ただそれだけ。それだけなのに、何でもないことで喜び、笑い、悩み、悲しむ。お互いの気持を共有できる相手。それがいることがこんなに嬉しいことだと知ることができた。お互いが死ぬまで、ずっとこんな日々が続くのだと疑いもしなかった。
楽しい日々に陰りが見えてきたのは、とある報告からだった。
ジルベールがシャノンとの逢瀬を楽しんでいる間、魔族たちに関して放置していた。その結果、自分たちを縛る魔王が不在ということで、血気盛んな魔族たちは人類へ侵略を開始した。
魔族に対抗できる人類はそういるはずもなく、ほとんどの村や町が魔族に滅ぼされた。
その報告を聞き、王は城へ勇者を呼び出し、元凶と思われる魔王を討伐しろと命令を下した。その際に、パーティメンバーとして拳闘士・魔法使い・僧侶を連れて行くようにとも。
優しい彼女は、悪いのは魔王ではなく侵略している魔族だ。魔王自身は一度も侵略をしていない。だから魔王までは討伐する必要はないと王に直訴したらしい。けれど、それを知っているのは彼女のみ。当然ながら命令が覆ることはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シャノンは魔王討伐に行くことになり、ジルと会う機会はめっきり減ってしまった。旅の道中仲間の目を盗んで会う機会はあったが、それも短い時間のみ。仲間に怪しまれるため、すぐに戻る必要があった。会って話す内容も以前のような楽しいものではなく、どうやって争いを収めるかについてだった。
会うたびにジルは『すまない』とか『自分のせいだ』とか自身を責めてばかりいたが、自分も魔王が不在ということについて考えず、彼と一緒に浮かれていたのだから同罪だ。
旅の中で侵略する魔族を討伐して、被害に会う人も減ってはいると思う。けれど、その歩みは確実に魔王城へと進んでいて、到着するのも時間の問題だった。
ある時ジルが、二人で全てを捨ててどこかへ逃げないかと言ってくれた。その言葉はとても嬉しかった。勇者という責務、魔王という責務。お互いに放り出して逃げれたらどれだけよかったことか。けれど、それは無理だった。
「勇者パーティの仲間は、仲間であると同時に勇者が逃げないように監視する役目もあるの。私が逃げれば、故郷にいる家族たちが罪人の身内として処刑されてしまう。だから、逃げるわけにはいかないのよ……」
「それなら、君の家族を全員連れていけば……」
「家族だけじゃなくて、村のみんなもよ……。それに、ジルも魔王という立場を捨てるのよね? 城に大切な人を残してきてもいいの?」
そう言うと、彼は黙ってしまう。彼から家族は亡くなったと聞かされていたが、城には使用人や自分を今まで支えてくれた人たちがいるはずだ。その人たちを放ってはいけないのだろう。
ここには勇者・魔王という、それぞれの陣営の最高実力者がいるのに、たった一つのことさえ解決できない。戦うことは得意でも、戦いを回避することは不得意だった。
魔王城までの最後の機会として昨日彼と会った時には、もはやお互いに諦めた表情をしていた。この状況はもう変えられないと……。
結局、状況を好転させる案も浮かばないまま無駄な時間が過ぎていき、彼との逢瀬が終わってしまう。そしてその翌日、ついに魔王城へとたどり着いてしまった。
きっとどちらかが倒れるまで、この流れは変わることはないだろう。ならば、彼との別れは二人だけで済ませたい。そんな考えから、いつものように仲間を誤魔化して、彼が待つもとへと急ぐ。
やはり彼はいた。玉座の間で勇者を待つその姿は、まさに魔王そのものだ。普段隠している角や赤い目も一切隠さず、彼は魔王として立っていた。当然、勇者パーティを警戒してのことだろう。自分だけならいつもの姿で問題ないのだから……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「始めましょうか……。他の仲間が来ない内に……」
彼女もわかっているようだ。二人の内どちらかが倒れるまで、この争いが終わらないことを。
「ああ、そうだな。無粋な輩に邪魔をされる前に始めよう……」
彼女の聖剣に合わせて、自身も腰から魔剣を抜く。彼女との訓練で一番長かったのは、剣の稽古をしてた時間だ。彼女と別れる時は、きっとこうするべきだと思った。
いつも持っている普通の剣ではなく魔剣なのは、剣の腕ではもう彼女に叶わないからだ。魔剣で少しでも力を補わなければ、聖剣を持った彼女には何もできずに終わるだろう。
いつもの稽古のように、始まりの合図を告げる。
「来い」
「……行きます」
そして、魔王と勇者の戦いが始まった。
戦いは熾烈を極めた。
彼女の上から下から繰り出される連撃に対し、こちらも剣を使って受け流す。幸い魔剣の力で身体能力を強化しているおかげで、まだ一撃も食らってはいない。けれど、気を抜けばすぐにでもやられそうだ。
彼女の猛攻に防戦一方だが、時折ある攻撃の合間に反撃を行う。こちらの苦し紛れの突きなど当たるわけもなく、躱した後には再びの猛攻が待っていた。
突き、払い、薙ぎ。彼女の肢体から自在に繰り出される攻撃に、徐々に押されていく。致命傷は負ってないものの、かすり傷は少しずつ増えていった。一方の彼女は未だ無傷。これだけ激しい動きをしているにも関わらず、体力が減っている様子は見られない。どう見てもこちらが不利だった。
魔法を使えば勝てるだろうが……。
彼女も自分の魔法についてはよく知っている。恐らくそれを使われれば勝てないということも。にもかかわらず、魔法を使う気は一切なかった。
魔法を使えば戦いは一瞬で終わる。けれど、彼女との逢瀬をまだ終わらせたくなかった。それは彼女も同じだろう。これだけ猛攻されていてかすり傷は増えているものの、致命傷が一切ないのは彼女が意図的に避けているからだ。彼女も別れの時間を惜しんでいるからこそだろう。
だが、終わらない物語などない。いずれ勇者の仲間が現れ、戦いの横槍を入れてくる。そんな結末は望まない。終わりは彼女でなくてはならない。
そろそろ物語も終幕だな……。
何度目かの彼女の猛攻を凌ぎ、その攻撃の合間に反撃の突きを放つ。ただし、今までと異なるのは、力を溜めて大きくスキを晒したことだ。
彼女ならきっと意図をわかってくれるはず……。
こんな攻撃など彼女には当たるはずがない。それよりこのスキを見て、反撃に致命傷となる攻撃を行うはずだ。彼女としても、他の誰でもなく自分の手で終わらせたいと思っているだろうから……。
心の中で彼女に別れを告げる。
さようなら、シャノン……。君だけは生きてくれ……。
来たるべき攻撃に備え、静かに目を閉じる。
「カハッ……」
どうしたのだろう……。攻撃が来ない……。
目を閉じたまま、いつまでも彼女からの攻撃がないことに疑問を覚える。そして、何が起こっているのかを確認しようと、ゆっくりと目を開ける。
すると目の前には、当たるはずのない自身の剣が彼女の胸を貫いている姿があった。
「シャノン! どうして!?」
あの程度の攻撃など、今まで避けていただろう。何故今更。
「ふ、ふ……。ジル、の……慌……て、る姿も、新……鮮」
カハッと口から血を吐き、膝から崩れ落ちる。
それを見て、彼女が倒れないように体を支えた。
「早く治療を!」
城の者を呼びつけようとするが、二人になりたくて人払いをして誰もいないことを思い出す。
「無、駄……よ。わかる……で、しょ……?」
「わかりたくはない! 少し待ってろ! 薬を探してくる!」
彼女を横たえて薬を探しに行こうとするが、力ない彼女に腕を掴まれた。
彼女を見れば、何か言いたそうに口を開いていた。
「これ、は……私へ……の、罰。あな、た……を、独……り、占、め……した、せい……で、こう……なった、から……」
「傷が開く! もう喋るな!」
彼女は自分を魔族に返さなかったからこうなったと言ってるのだろう。
そんなわけないだろう!
どう考えても自分のせいだ。民たちを放り出して、一人の女性にうつつを抜かしていたのだから。そんな王の言うことを聞く者などいないのは当然だ。
ただ、それでよかったのだ。彼女とずっといられるならば……。
「こんな結末になるならば、君を愛さなければよかった……」
彼女と出会わなければ、魔王の威厳により魔族も侵略することもなく、彼女は勇者として魔王を討伐する必要もなかった。世界に何も起こりはせず、平和なまま終わっていただろう。そうすれば、この胸の痛みや。心を締め付けるような苦しさを知ることもなかった。
あるいは、彼女が魔族だったら……。自分が人間だったら……。きっとこんな悲しいことは起こらなかった。これは天罰なのかもしれない。人間と魔族。種族の垣根を超えて愛し合った二人に対する……。
「そんな……事、言わ、ない……で……。私、は……幸せ……だっ……た。あな……た、と出会……い、共に……い、た、時間……は、私に……とって、宝……物。だか……ら、これから……も、生き……て……」
「やめてくれ……」
「先……に、行く……わね……」
「待ってくれ! 俺を置いていかないでくれ!」
「ジル……。愛し……てる……」
その言葉を最後に、彼女を支えていた最後の力が消えていった。
「シャノン! シャノン!」
呼びかけるも返ってくる声はない。
「どうしてだ! 本当は俺が消えるはずだったのに……」
何故かは聞かなくてもわかってる。彼女もこの戦いを終わらせるために、自分が犠牲になろうと考えていたのだ。そこへスキを晒した攻撃が来ることがわかり、その身を差し出したのだろう。二人共、考えることは同じだったのだ。
「俺にとって、君が全てだった。君がいないこの世界になんて、何の意味もない……」
彼女の手をゆっくりと開き、その手に握られていた聖剣を借り受ける。
「すまない。君の願いを叶えれない弱い俺を許してくれ……」
両手に持った聖剣の切っ先を、己へと向ける。
「シャノン、愛してる。だからこそ、君を一人きりにはしない……」
聖剣を勢いよく己に突き刺した。口からは吐血し、傷口からは助からないとわかるほどのおびただしい血が流れている。
「俺も……今、い、く……」
崩れ落ちながら、意識が次第に朧になっていく。
来世があるならば、何度でも君を見つけてみせる。だから、今度こそは…………。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
…………。
…………。
…………。
……ん。眩しい……。
瞼に当たる光を感じ、眩しさから目をゆっくりと開けると、緑が見えた。
「ここはどこだ?」
ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡す。
そこに広がるのは、鬱蒼と茂る緑の木々。木々の隙間から、少し離れたところに川が流れていることがわかる。
何があったのか思い出そうと思案する。
確か、魔王城でシャノンと戦って……。彼女がいなくなった世界に絶望して……。
それで、はっと思い出す。
そうだ。彼女のもとへ行きたくて、聖剣で自分を刺したはず。
視線を自身の体に向けてみるが、どこにもその傷跡はない。
自分は死んだと思ったが、一体何があったのか……。
ここで考えていてもわからないため、喉も乾いていたこともあり、ひとまず水辺へと移動することにした。
柔らかい土を踏みしめ、水辺へと到着する。そして川から水をすくい、その喉を潤す。その行為を何度か繰り返している途中、ふいに水面に写った自身の姿に気づく。
「なっ! 子供の姿、だと……。それに角がない」
姿が若返っただけではなく、特徴的なその角や赤い目はなく、黒髪黒目のどこにでもいるような子供、それも人間だった。
「もしかして、人間の子供に生まれ変わったのか……」
何故、とかどうして、とか疑問は尽きない。けれど、それよりも大事なことがあった。
俺が生まれ変わったのなら、彼女も生まれ変わってるかもしれない……。
半分願望にも近い思いで、彼女の気配を探る。何故か魔王の時の力が使えるようなので、それを利用させてもらう。
「これは……。彼女の気配だ……」
俺が間違えるはずもない、愛しい彼女の気配。残念ながらどこにいるのかまでは分からないが、同じ世界にいることははっきりした。
「そうとわかったら話は早い」
ここがどんな世界で、どんな物が存在するかもわからない。だけど、必ず彼女を探し出し幸せな生活を送る。
今度こそは間違えない……。
心に火を灯し、そう決意した。