ReCall!!
以前同人誌に掲載した作品です。
『どうして国会議員はリコールされないんだ?』
悪意を吐き出すためだけのアカウントにそう書き込んだ途端、後ろから声がした。
「今の書き込みを消してみませんか?」
後ろに立っていたのは、どう見ても安物ではなさそうなスーツを着込んだ、中年の男性。
「今の書き込みを消してみませんか? 面白いことが起こりますよ」
俺が携帯端末を持ったまま唖然としていると、男はスクランブル交差点の向こうにある、大画面に流れるニュースに目をやった。
「あなたは今、あの大画面のニュースで流れた、地方議員がリコールされたニュースを見た。その直後に流れたのは、辞職勧告を受けたのに議員に留まると宣言した国会議員のニュース。今の書き込みは、この一連の流れを見てのものですね」
衝動的な書き込みを、こうも冷静に分析されるとは思わなかった。
「その書き込みをアカウントごと消してみれば、面白いことが起こりますよ」
そう言うと、男は携帯端末でどこかに電話したようだった。
「ああ、私です。例の文を変更してください。良いものを見つけました。『どうして国会議員はリコールされないんだ?』です。ええ、お願いします」
男は電話を切って俺を見た。仏像のような、柔らかいけどつかめない表情。
面白いことが起きる?
このアカウントは悪意を吐き出すだけの、いつ消しても良いアカウント。
面白いことが起きる。
……今が面白くないから……?
携帯端末を操作したのは、衝動的な何かに突き動かされてのことだった。書き込みもろとも、アカウントを消去する。
それを見ると、男も携帯端末をちょっと操作し、俺を見て微笑んだ。
「申し遅れました。私は鈴木太郎といいます」
こりゃまた、偽名としてはお粗末過ぎる名前だな。
「あんたが太郎なら、俺は次郎かな」
うっかり口に出てしまった。でも鈴木太郎は怒る様子も無く、手を差し出す。
「なるほど、次郎さんですね! ご協力感謝します」
何の協力なんだ。俺は半端な気持ちで一応握手する。
「私はネットでの流行や、情報の流れなどを研究している者です。あまり詳しく話せませんが、数年かけて準備した実験のために、あなたの書き込みを利用させていただきました」
「アカウントごと消した書き込みが、役に立つんですか?」
「ええ。私の考えていた文章より、あなたが書き込んだあの文章のほうが、より流行らせやすい。非常にスマートで、時流にも乗っている」
文章を褒められたことなんて無かった。特に、あのアカウントの中では。
「あなたはメインのアカウントを持っているのでは? そろそろ流れができ始めているようですよ」
そう言われ、俺はメインのアカウントにログインしてみた。そこでは既に『祭り』が始まっていた。
――ちょ、紹介した書き込み消えているけど何で?
――同じこと書き込んじまった! 消されるかも? やべぇ!
――速報・「国会議員はなぜリコールされないのか」と書き込むと消される
――知り合いが例の奴書き込んだ途端アカウントごと消された!
――怖いけど例の奴書き込んでみようかな?
確かに面白い。
「用意したアカウントのうち、とりあえず約三千をアカウントごと消去、もしくは書き込みだけを消しました。各々フォロワーもいれば、つながりもそれなりにあります。この程度の騒ぎにはなるでしょう」
俺のアカウントも、フォローやフォロワーの数が明らかに減っていた。ということは、この鈴木太郎氏の実験アカウントを知らないで、フォローしていたりフォローされていたりしたのだろう。
「それぞれが、ネットの中で普通に暮らしてきたアカウントです。囮とは思われないでしょう」
なんだこれ、壮大すぎる。
「それでは、失礼いたします」
はっとして声がした方向を見たが、過ぎ行く人々の群れだけ。俺は雑踏に取り残されていた。
翌日、短文投稿サイトの運営会社は、消された書き込みは自主的に消されたものだと発表したが、それはネット民を満足させるものではなかった。むしろ煽った。
掲示板にはスレッドがいくつも立ち、まとめサイトも賑わった。
『祭り』は、ネット内では収まらない熱を帯び始め、現実世界に出て行きはじめた。国会議事堂前にずらりと人が並び、まず辞職勧告を受けた国会議員のリコールを叫び始めた。しかし、二日もすると、単に『一人の国会議員のリコール』ではなくなった。騒ぎは『国会議員全員のリコール』に発展していった。
マスコミも数日は黙っていたが、我慢できなくなったかのように騒ぎ始めた。
狼狽したのはやはり、国会議員たちだろう。
まず矛先を逸らそうとしたのか、辞職勧告を受けていた議員を無理矢理辞職に追い込んだが、国会前のデモ隊の人数が増えただけだった。
野党のスキャンダルを流し、与党内部から流出したのか野党がリークしたのかわからないが、与党のスキャンダルまで明るみに出た。
国会前の人数は一気に倍増した。
ネット通を自称する議員が、短文投稿サイトで「国会議員はリコールされないと憲法が定めている」と言っては炎上し、他の議員もブログで「デモは反社会的」と言っては炎上させた。
国会前の人数はさらに倍増した。
この大騒ぎの先端に、あの時俺は居た。充分に面白い。面白いことは、確かに起きた。
あの日からきっかり一週間後のことだった。鈴木太郎はあの時と同じ場所に、同じスーツでたたずんでいた。俺を見て、あの柔らかな微笑みを見せる。
「お久しぶりです」
「偶然ですね」
「いえ、待っていました」
俺は、予想していなかった答えにたじろぐ。
「君はこの間、私の前で本アカウントのIDを見せていましたね。ID検索をして、書き込みの内容から、就活前の大学生であることと、土日はバイトしていることをつかみました」
そういえば、あのリコールの文章も後ろから見られていたんだっけ。
「これからは書き込みに気をつけます」
「あまり個人情報がわかるようなことは、書かないほうが身のためでしょうね」
先生か教授みたいだ。実際、そういう職業なのかもしれない。
「今夜、予定はありますか?」
「いえ、別に」
断ることもできたが、俺はそう答えた。
「では行ってみませんか? 『祭り』の中心へ」
行き先は国会議事堂前、デモ隊が集結しているところだった。
デモの規模などの情報は、ネットなどの情報でわかっているつもりだった。でも、画面を通すのと違い、熱のようなものを感じた。
人がまばらな外側では報道陣を多く見かけたし、写メをしている学生たちも見かけた。向かいの歩道では、国会議員全員のリコールに反対する、カウンターデモの人たちがいた。数が少なく、報道陣のカメラはそちらを向かない。
「実際の問題として、憲法の条文には国会議員のリコールに関する条文はありません」
「でも、総理大臣は九十六条や二十七条の改正に積極的だったじゃないか」
周りの人たちが掲げているプラカードはリコール関連がほとんどだったが、中には『27条改正反対』『一億総社畜法案絶対反対』の文字も見える。
「このデモの中心となる団体は、憲法改正を逆手に取り、変えるならリコール法を盛り込めと要求しています」
そうか、それで総理大臣は急に「憲法改正など論外だ」って言い出したのか。
「あんなに改正したがっていたのに」
「君は、自分に不利なことを進んで行いますか?」
クイズのような口調で言われたが、その内容に俺は戸惑った。
「言い方が悪かったですね。君は、君自身の立場を失うことや収入を絶たれそうになることを、進んで行いますか?」
「しません」
「国会議員も同じことです。つまり、リコール法案など聞きたくも審議したくもないのです」
俺たちはどんどん国会議事堂に向かっていく。段々人が増えてきた。
「憲法は、国民と権力者の間での『約束』です。『約束』を守る立場が、都合良く変えたり、拡大解釈してはいけないのです」
「へぇ、憲法って国民が守るモンだと思っていました」
「一度は条文を読んでみることをお勧めします」
まっすぐ歩けないほど、人が密集する場所まで来た。これ以上進めそうも無い。国会議事堂は近くにあるようで、遥か遠く遠くに見えた。
人が密集するこの場所は、人がまばらだった外側に比べると、熱気が高かった。でも不思議なほど静かだ。
「シュプレヒコールが始まるようですね」
もっと前の、国会議事堂に近いほうにメガホンがいくつか見えた。
『国会議員全員リコール!』
『リコール!』
沸きあがる声。内側から外側へ、波紋のように駆け抜ける振動。
「叫んでみないのですか?」
声が出ない。叫んだことなんて無かった。
シュプレヒコールが、俺の上を通り過ぎる。俺は目を閉じた。
『国会議員全員リコール!』
「……リコール!」
声が、全体の中の一つになる。
世界が、変わった。
国会議員全員のリコールを求めるデモと、その流れは全国に波及した。
そして突然、この『祭り』は終わった。デモ隊も国会議員も予想だにしない話題一つで。
それは、元々二股疑惑があった芸能人の四股が発覚した上に「日本は憲法二十四条を改正して一夫多妻制にすべきだ」と言い切った事件だった。
マスコミもネットも、日本の全てと言っても大げさではないほどの勢いで、この芸能人を叩き始めた。国会議員のリコール話は、完全に消えた。
俺はまた、鈴木太郎と会っていた。初めて出会ったあの場所で。
「残念でしたね。国会議員のリコール運動は終わった。あんな、くだらない話一つで」
今までの俺なら喜んで叩きに加わっていた話題。それが聞くのも嫌になっていた。
「約三千と一つのアカウントから、あれだけの騒ぎになったのです。実験は成功ですよ」
沈黙する俺に、鈴木太郎は携帯端末の画面を見せた。
「君は流されてくる情報にしか興味を持たないのですね。時には実際に、自分の目で確かめてみることも必要ですよ」
その画面には数こそ少なくなったが、まだ確実に国会議事堂前で声をあげ続けている、デモ隊の姿が写っていた。