いつもの朝
一倉家の朝は賑やかというレベルじゃなくらい賑やかだった。
それがいつもの風景と言えばそうなのだが。
「ちょっと七海は何処行ったのよー! パジャマ脱ぎっぱなしじゃないの!」
「七海姉ならもう出勤したよ」
「ねえ、私の洗顔知らない~?」
「アンラッキー、アホ毛があるー」
「頭痛い。頭痛薬はっと」
「みんな早く朝食食べてよ!」
愛菜はフライパン片手に妹らを促すが、誰一人聞いちゃいない。
いつもこう思うのだが、愛菜にとって妹は愛すべき可愛いものだが同時に大きくなると立派な怪獣を相手にしている様な大変さを味わっている気持ちになる。
さながら自分は家庭という平和を守る防衛隊員。
「まだ未婚なのに……」というのはいつも呟くと無視される。
まあ、自分がある意味母代わりなのは認めてはいるのだが。
愛菜はちらりと隣の部屋を見遣る。
「みんな、お祖母ちゃんには朝の挨拶ちゃんとした?」
長女の呼びかけに、その場が一気に静かになった。
「したわ。七海姉さんもちゃんと」
六女の綺麗が髪の毛をいじりながら答える。
「私もしたわよ」
「私だって」
四女の夏羅、五女の楽希が同時に言った。
「愛菜姉さん、お花いつものように飾っといたわ」
三女の三花が隣の七女の依亜を気遣う風に見ながら報告してくれた。
「……」
その依亜は頷いて愛菜の目をじっと見つめた。
愛菜はそれを受けて笑顔で返す。
「じゃあ、いいわね。私もお祖母ちゃんに挨拶してくるわ」
エプロンを外して、愛菜は隣の小さな畳敷きの部屋へと入ってゆっくりとその戸を閉めた。
朝陽の差す部屋の一角に、小さい仏壇があった。その前に置いてある座布団に座って、お線香をあげながら愛菜は遺影に向かって語りかける。
「お祖母ちゃん、おはようございます。愛菜たちはお祖母ちゃんのおかげで元気に今日も過ごせそうです」
手をあわせて、お経を唱える。
少しだけまだ胸が痛む気がして、愛菜はやはり寂しいなと誰も見てないことを確かめてから遺影に手を伸ばして、その写真を撫でた。
愛菜たちの祖母はついこの間、この世を去ったばかりであった。
愛菜たちの母は、七女の依亜を産んでから長いこと入院中である。
祖母は長い間、愛菜たちの母代わりとなってあたたかく時に厳しく自分たちを育ててくれた。
だが、その祖母が癌になり余命一年と宣告されてしまった。
泣きじゃくる妹たちと愛菜に祖母はからからと笑って言ったのだ。
「何も泣くことじゃない。お祖母ちゃんはいつもみんなと一緒に居るんだもの」
と。
そして、
「泣いて一年過ごすより笑って残りの一年をみんなと過ごしたいわ。その方が楽しいもの」
その時の祖母の顔が愛菜は忘れられない。
だから妹たちと手を重ねて誓ったのだ。祖母の前では絶対泣かない。笑って絶対一年を、毎日を過ごすのだと。
その誓い通り、それからの一年は本当に、本当に楽しかった。笑いが絶えない一年だった。
そして、祖母は宣告より五ヶ月長く生きた後穏やかに自宅で息を引き取った。
葬儀は家族のみで行った。母もこの時は病院から外出という形で参加した。
母は始終涙していたが、愛菜たちは泣かなかった。火葬が終わっても誰も泣かなかった。
お骨を拾って、骨壺を抱いて家へ帰ってみんなで輪になってそれを囲った瞬間。
依亜が愛菜に抱き付いてきた。
その途端、堰を切ったように涙が出てきた。
妹たちもぼろぼろと泣いていた。
愛菜たちはようやく大声をあげて泣くことが出来たのだった……。
「お祖母ちゃん」
愛菜は笑う遺影の祖母に呼びかけた。
「花嫁姿、見せたかったなせめても」
そこで苦笑する。
まだ彼氏すら居ないというのに。
「私、ちゃんと恋して素敵な人と結ばれるかな」
小さく呟いてから顔を上げる。
「じゃあ仕事行ってくるね」
ロウソクの火を消して立ち上がった時。
『もうすぐ見れるから安心よ』
ハッとして後ろを愛菜は振り返った。
遺影の祖母は相変わらず笑っている。
愛菜は静かに畳敷きの部屋を後にした。
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