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目指すは君子九思

「カストさん。僕に最初の頃、どういう目的でエミリアーノ陛下に仕えるのか聞きましたよね?」


 日が傾き、1日が終わる頃。それぞれの長い影を連れてジェイクとカストは城内の訓練所に向かっていた。


 正式にカストの養子になり、ミネルヴィーノ家の一員となったジェイクは剣術の訓練を受けることとなった。形だけでも覚えて欲しいというのがカストの希望である。


 王城は敷地が広く、この辺りにジェイクは初めて来た。武器倉庫や兵士用の軍備が並ぶ通り。石畳も敷設されていない、踏み固められただけの黄土色の地面がむき出しの一角が訓練所だった。


「ああ、そうだな。そんなことを聞いた」

「僕、やっと自分が何をしたいかわかって来ました。ユリィのためとか、ポンさんのためとか、身近な人のためっていうのは変わらないんですけど。あ、カストさんのためにもこれからはがんばりますけど」


 木枠に立て掛けられた練習用とおぼしき汚れた剣を拾い、カストがゆるく投げ渡してきた。ジェイクは何とか取り落とさず、柄を握った。


「おお、取れたか。それで、何だ?聞いてやるから言ってみろ」

「大事な人を幸せにするためには、その周囲の人まで幸せになれるようにしなきゃいけないんですよね。財務部の横領みたいに、一部だけ甘い蜜をすするようじゃだめなんです。もっと広い範囲で、どうしたらこの国をより良く出来るか、常に考えなくちゃいけないってわかったんです」


 カストは曖昧な笑みを浮かべた。黙ってジェイクの瞳を見つめ、咳払いをしてから口を開いた。


「理想を語りたい年頃の戯れ言、で終わらせないようにな」

「も、もちろんです!」

「若いな」

「からかわないで下さい!」

「御大層に理想を語る若者は、口ばかり動かす。それでは不健康だと私などは思っている。では始めようか」

「……はい!」


 夕陽が完全に沈むまで、剣術の訓練は続いた。




「ふう、久しぶりに思いきり体を動かしたな」


 訓練のあとに汗を流し、小さな寝室にジェイクは戻った。今宵のエミリアーノ王は、ラウラリア王妃の処へ行く手筈になっている。今このときが、ジェイクの僅かな自由時間だ。


 汗は流したものの、まだ体の芯が熱かった。ユリィのお守りは外していないと打ち合いの訓練にならないので、外したせいもある。特に剣を握りしめた手のひらが熱く感じていた。強く握るものではないとカストに指導されても、つい力が入ってしまった。


 ベッドに潜り込んでも、体に運動の名残があってふわふわとする。


「……」


 良くないと思っていても、眠れないときにとりあえず考えるのはユリィのことだった。

 もう何度思い出したかわからないが、ユリィの部屋で押し倒されて、ユリィの体の重みを、柔らかな弾力を感じたあの瞬間。押し倒されただけで終わったが、今までで一番刺激的だった。あのまま進展出来ていたらどうなっていたのかと想像するのをやめられない。


顔にかかるくすぐったい彼女の髪の毛と、甘い匂い。ユリィのベッドと、ユリィ自身に挟まれてとてつもなく興奮した。全身を呑み込まれて、深い穴に落ちていくような陶酔があった。


「……」


 幸せな幻想に浸っている最中に、ドアを叩く音がジェイクの耳に届く。邪魔が入ったことで、興奮は一気に冷めてしまった。仕方なくベッドを降りてドアを開けると、女性近衛騎士のネイが手燭を持って立っていた。


「ジェイク。またお願いがあるのです」

「陛下なら今頃、王妃陛下のところでしょう?何なんですか?」


 ネイには以前、頼み込まれて王妃の部屋に連れていかれた。結局、エミリアーノ王とラウラリア王妃の仲を取り持つ役をやらされたが、全く面白い役どころではなかった。


「あのね、これは内緒の話なんです……お部屋に入っていいですか?」

「……どうぞ」


 しかし、断りづらい頼み方をするネイに負けて、招き入れる。明日も一緒に働く相手に、嫌ですと扉を閉められない。


「エミリアーノ王陛下にも内緒の話なんです。これ、絶対誰にも言っちゃダメですよ」


 誰かに聞かれることを恐れてか、部屋の中央まで素早く進んで、ネイはジェイクを手招きする。これも断れず、ジェイクは距離を縮めた。涼しげな顔をかなり近づけて、ネイは囁いた。


「ラウラリア王妃陛下に妊娠の兆候があるんです」

「えっ……陛下になぜ伝えないんですか?」

「まだ確定してませんから。両陛下の間には長年、子どもが出来なかった分、かなり動揺されてしまいそうですし」

「まあ、確かに」


 あのエミリアーノ王は、自身でも認めているが虚勢と意地で胸を張っている。本当は、脆く繊細な人物だ。子どもが出来たと思って、出来ていなかったらまた夫婦仲にひびが生じかねない。


「でもラウラリア王妃陛下は、今はゆっくり、安静にされたいそうなんです。ひたすら眠いとか。ジェイク、それとなくエミリアーノ王陛下がラウラリア王妃陛下の寝処に行かれないよう、仕事を増やしたり出来ませんか?」

「何ですか、それは。来させろと言ったり来させるなと言ったり」


 あまりの内容に、ジェイクは少し言葉が荒くなる。朝に法律を改正して夕方に改める、暗愚の為政者のようだった。ラウラリア王妃が国政には口を出さなくてまだ良かったが、今後は気をつけようと考えた。


「ええ……大変な役を仰せつかったとは思いますけど。女性の体も、色々と大変なんですよ。あ、ジェイクにはまだわからないですか?」

「……」


 ネイはわざとらしく唇を人差し指で触った。そういうネイも名家の育ちの未婚者で、恋愛経験はないと思われた。ただそれを指摘するのは危険だと、本能で感じる。


「ちょっと考えてみます。でも期待しないでと王妃陛下に伝えて下さい」

「ジェイクならきっと上手くやり遂げてくれると信じてますよ、じゃあ、おやすみなさい」


 言いたいことだけを言って、ネイは足音もなくするりと退室して行った。再び静かになった部屋の中、ため息をつく。


 そのとき、今度はバルコニーのガラス扉が小さく叩かれた。驚きに肩が跳ね上がるが、ジェイクは急いで駆け寄り、ガラス扉を開ける。こんなことをする人間はほかにいない。


「ジェイク、急にごめんね。来ちゃった」


 ユリィが久しぶりに夜中に訪問してきたのである。


「ううん、僕は会えてすごくうれしいよ。いつからそこに?入って」

「うん……」


 晩秋の夜風をたっぷりまとわせて、ユリィは足を踏み入れた。ネイ以上に足音がしない。被っていた黒いフードを外すと、豊かな杏色の髪がこぼれ落ちた。


「ユリィ、今の見てた?」

「うん、覗くつもりじゃなかったんだけど。丁度ネイさんが入ってくるところで、内緒の話っていうのも聞いちゃった」


 ちらっと上目遣いになるユリィの赤い瞳は、室内に差し込む月の光を増幅させて反射していた。彼女は恐ろしく夜目が効くし、聴覚も優れている。


 意外とネイが来てくれていて良かったかもしれないとジェイクは思った。ネイとはどう見てもただの仕事仲間で、個人的な用ではなかった。もしネイが来ていなければ、とても気まずい瞬間にユリィが立ち会っていた可能性があった。


「困るよね、エミリアーノ王陛下とラウラリア王妃陛下のことを僕に押しつけて」

「あ、うん……大変みたいだね。ここでも……」


 内容を確認するようにユリィに言うが、反応は薄かった。おかしいなと月明かりに目をこらし、ユリィの顔を観察する。待たせてしまって冷えたのか、青白い月光のせいか、いつもより血の気が失せていた。


「ユリィ、体冷えた?毛布使う?」


 慌てて自分のベッドの毛布を引っ張り出そうとする。


「いい、大丈夫。どうしてもジェイクに直接報告したいことがあって、突発的に来たの。聞いて」

「どうしたの?」


 思い詰めたように、ユリィの眉は寄せられている。

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