8限目 ピックアップ
ある日の休み時間、金枠は職員室でPCの画面とにらめっこをしていた。
遊んでいるのではない。さすがの彼でも、職場のPCでゲームをしない程度の分別はある。それは社会人の常識だろう。
「おや、金枠先生。今日はソシャゲではないのですね」
「これは乾先生。何を言っているんですか。私がいつもソシャゲをしていると思ったら大間違いです! 全く、酷い偏見ですねぇ~」
「それ、どの口が言うんですかね?」
問題:この時の乾先生の心情を述べよ。
①そんなこと言って、実はこっそりゲームしているんでしょう?
②金枠先生も遂に改心しましたか。良かった良かった。
③お腹が空いたなぁ……お昼休みはまだかなぁ?
④どうして戦闘時のスキル演出はスキップできないのだろうか……?
正解は①!
乾は気になって、金枠のPC画面を覗き込んだ。
「なんとなんと。本当にちゃんと仕事をしていたんですね。表計算ソフトを使って……テストの採点結果のまとめですか?」
「いえ、違います。これはボスへのバフ・デバフ込みダメージ最適化計算表です。ちょうど、新しいイベントボスへのダメージ計算式を導出しているところでした」
「……はい?」
よくよく見れば、画面いっぱいに謎の数値が並んでいる。奇妙なグラフや、カラフルなマス目や、複雑怪奇な計算式と一緒に。
職場のPCでゲームはしないと言ったが!
ソシャゲの解析計算をしないとは言ってない!!
「うーむ……おおよその近似式は出せましたが、やはり実際のダメージ値にピッタリと合致しませんね。従来とは何かが違う……隠し要素が追加されている……? はたまた、特殊なギミックか……?」
「いや、何やってるんですか!?」
その時。また別の同僚から金枠に声が掛けられる。彼の周りはいつも賑やか。みんなの人気者。
「金枠先生! 大変です!」
「どうしたんですか、立花先生。ちなみに、それはイベントボスのダメージ計算より重要な案件ですかね?」
「当たり前でしょう!!」
立花は呆れて物が言えない。
なんでコイツは教師なの!? 本当に教員免許を持っているの!?
もちろん、持っている。さすがに医師免許なしで手術する医者とは違う。
「アナタ、今度は何をやらかしたんですか!? 校長先生から呼ばれていますよ! 今すぐ校長室へ来るようにって!」
「あらぁ~、何かやっちゃいましたかねぇ~? 心当たりは特にありませんが……」
「だから、どの口が言うんですかね!?」
この時、二人の同僚は同時に思った。心当たりしかない!!
……
「よく来てくれた、金枠先生。楽にしてくれたまえ」
金枠の目の前にいるのは、市立社高校の校長である鹿島田工事先生。この学校で一番偉い人。好きな言葉は温故知新。苦手な組織はPTA。
「それで、鹿島田校長先生。本日はどのようなご用件でしょうか?」
もしかして、生徒の誰かが金枠のことを告げ口したのだろうか? 「あの教師、授業中にソシャゲやってたぜ!」みたいに。
まぁ、その程度ならば想定の範囲内。授業にソシャゲを取り入れることが、生徒の学力向上へ繋がることを熱弁すればいいだけの話。
それくらいで私のソシャゲ生活を壊せると思わないことですね!
しかし、思っていたのとは全く異なる内容だった。
「うむ。近いうちに、この学校へ教育委員会のお偉いさんが来るのだ。その折に、是非とも学生が授業を受ける様子を見学したいと。英語の授業を」
「なるほど。それで、私に白羽の矢が立ったというわけですか」
「頼めるかな?」
「もっちろんですよぉ~! お任せください!」
どうして金枠は乗り気なのか。
相手はこの学校のトップである。ソシャゲに例えるならば、金枠が3年S組を管理する運営で、校長が運営会社の上層部!
絶対に逆らえない存在。ならば、恩を売れる時に売っておく。実際に動いている運営が有能であることをアピールしておく。
相手の気分一つで、サービス終了してしまうかもしれないから!
「うむ。了承してくれるか。それは助かる。私は所用で同席できないが……なに、緊張する必要はない。いつも通りの授業を見せてくれればいい」
「いっ、いつも通り!? いつも通りの授業でいいんですかぁ!?」
「……? 当たり前だろう。彼らは普段と同じ授業風景が見たいのだから」
「分っかりましたぁ~! 不肖、坂本金枠! 校長先生のご希望に全力でお応えしますよぉ~!」
……
「というわけで、今日は教室の後ろに教育委員会の方々がいらっしゃいますが! なーんにも気にせず授業を始めますよぉ~!」
「あわわわ……」
3年S組の生徒たちは気が気ではない。
よりによって。何故この授業に教育委員会を送り込んだのか。よりによって!
普段のタケシならば。「おいおい、きんわっつぁん! いつものクソみてーな授業で大丈夫かよ!?」みたいに突っ込んでいたことだろう。
そんな彼も、借りてきたフレンドの猫キャラのように大人しい。委縮してしまっている。今日ばかりは汚い言葉は使えない。
「金枠先生。いつも通りの授業とは、その……いつも通りですか?」
「変な構文を作るんじゃありませんよぉ~、メグル~? オフコースに決まっているでしょうがぁ~!」
果たして、金枠の考えるいつも通りの授業とは……?
いや、さすがの彼でも常識があるはず。馬鹿な真似をするはずが……。
「それでは、こちらの英文を覚えていきましょう」
《 for a rainy day : もしもの時に備えて 》
「フォーアレイニーデイ! 直訳すれば『雨の日のために』となります。しかし、rainy dayには『万が一の場合』という意味もあるんですね。転じて、もしもの時に備えて。これを使って例文を書くと……」
《 You should win the unit being chosen by operating company for a rainy day. 》
「では、誰かに訳してもらいましょう。タケ……いや、今日ばかりはメグル!」
(だろうな……)
クラスのみんなは同じことを思った。
「はい。この文は一見すると長いですが、構造は単純です。まず、動詞のwinが対象としている目的語を抜き出すと……」
《 You should win 【the unit being chosen by operating company】 for a rainy day. 》
「今回、winは他動詞(後ろに目的語が付く動詞)となっているため、『勝利する』ではなく『獲得する』と訳します。あとは目的語の部分さえ理解できれば、簡単です」
「なるほど。先生よりも先生みたいですねぇ~。それで、答えは~?」
「万が一のために、あなたは運営会社の選出したユニットを獲得すべきである」
「さすがです! ちなみに、『ユニット』とはソシャゲ内の『キャラクター』と同等の意味で使うことができますよ~」
《 You should win the unit being chosen by operating company for a rainy day. 》
(もしもの時に備えてピックアップ中のユニットを引いておくべきだ)
※ operating company : 運営(運営会社)
この時の生徒の心情とは……?
いや、マジでいつも通りの授業だこれ!!
「運営により選ばれたユニット。転じて、ピックアップ中のキャラ。ガチャでよくありますね? 今なら、このキャラクターをピックアップ中! ガチャ排出率アップ! いやー、疑わしい! 排出率は明記されていますが、それでも疑わしい! 本当に確率が上がってるの? なーんて時、みんなもあるだろ~?」
「はい、金枠先生。ピックアップ中を表現するのに、『choose』という動詞を使用していますが……『pick up』は使わないのですか?」
「おっ、良い質問ですね~。英語の『pick up』は、『拾い上げる』という意味がメインです。他にも、『受け取る』とか、『片付ける』とか、『車で拾う』とか、『元気になる』とか……」
「えっと、つまり……日本語の『ピックアップ』に含まれる、『選出する』とか、『選び抜く』という意味は、英語では存在しないのですか!?」
「そうなんです! それは和製英語! 『pick up』に『選ぶ』という意味はありません! これは要注意ですよ~? テストでも間違えやすい!」
○ the unit being chosen
○ the chosen unit
× the unit picked up
× the pick-up unit
「上から二番目の表現のように、beingがないと『現在ピックアップの最中』という意味は薄れてしまいますが、間違いではありません。選ばれしユニット。これは正解とします。しかし、下の二つを使ったら容赦なく不正解にしますからねぇ~!」
ためになる。内容はアレだが、やはり金枠先生の授業はためになる。
それが教育委員会の目にどう映るかは別として。
「ところで、どうしてピックアップキャラを引いておくべきなんだぁ~?」
覚醒した。今日も今日とて、金枠は覚醒した。
「なぁ、メグルゥ~?」
「はい。それは……今しかガチャで出ないからでしょうか……?」
「残念! 正解は、ピックアップ中のキャラには何らかの意味があるからです!」
言い切った。ここの問題を当てるのは、英文を日本語訳するよりも難しい。
「確かに。特定のキャラがガチャにピックアップされることで、排出率が上がったり、恒常ガチャでは絶対に出ないキャラが今だけ限定で排出されたり。入手機会が限られている場合も多いでしょう。ただ、それは飽くまで表面上の理由でしかありません。上っ面しか見ていない。真の意味に気付いていません」
※恒常ガチャ:普段から石を消費して回せる通常の課金ガチャ
「真の意味、ですか?」
ここまで来て、生徒たちは気付いた。金枠先生とメグルさえいれば、この授業は成り立つのでは……?
「そうです。ガチャのピックアップは、断じて適当ではありません。何らかの『意味』がある。決定者の意図が――つまり、『運営の意図』が内包されているのです!」
みんなにも経験があるかもしれない。つい先週、ピックアップされていたユニットが、次のイベントで刺さるキャラだった。あの時、ガチャを回していれば……もっと楽にイベントを攻略できたかもしれない。
※刺さる:攻略でピッタリと性能がハマる
「意味のないピックアップなんて存在しません。いや、多少はあるかもしれない……。でも、大抵の場合は運営の意図が隠されています。ピックアップされたキャラの性能が『ぶっ壊れ』でなくとも。もしかしたら明日、来週、来月には活躍するイベントが来るかもしれない。覚醒や究極進化が実装されるかもしれない」
イベント期間中は専用の『イベント特効持ちキャラ』をピックアップさせる。これはソシャゲの常識である。
ならば、イベントキャラでない刺さるキャラをピックアップするのはいつか――
イベント開催の前!
「そのキャラを所持していないと、恐らく後悔してしまう。実際に後悔したことがある。だから、プレイヤーは今日もピックアップガチャを回し続けるのです」
またしても、クラス中がしんみりとしてしまう。
そこまで深く考えてピックアップガチャを回していた生徒は――ほとんどいなかった。
何となく。ただ、何となくそのキャラが欲しいから。ガチャを回していた。思考を放棄していた。ただいたずらに、ガチャへの課金を続けるばかり。
「ただし、ピックアップガチャを回す上でも、よくよく考える必要があります。本当に必要なのか。現在の戦力では足りていないのか。過去のイベント傾向を分析して、刺さるキャラが不在だと厳しいのか。どこまでのランキング報酬を目指すのか。考えに考え尽くして――ガチャを回しなさい。そうして初めて、一人前のソシャゲプレイヤーです」
何度もガチャを回すには、課金が必要である。
その大切なお金を何となく浪費してはいけない。
しっかりと考えて、計画的に使う。当たり前のようで、実に深い言葉だった。
「以上で、今日の授業を終わります。大切なのは『運営の意図を読み解くこと』。思考を放棄して攻略Wikiを見ているだけではダメです。自分で深く考えなさい。すると……考える力が身に付く。出題者の意図が読める人間になる。結果、学力向上にも繋がるでしょう」
ソシャゲとは学力向上のためのツールでもあったのか。
これは初耳だった。知らなかった。
「ソシャゲというものは悪い面ばかりが取り上げられがちです。でも、良い面だって存在する。発明と一緒です。ダイナマイトと一緒なんです。良い方向へ転ぶか、悪い方向へ転ぶか。それは、全て使う人間次第」
いつの間にか壮大な話になってしまった。ソシャゲをダイナマイトに例えたのは、恐らく世界初の偉業だろう。
しかし、この場の誰もが感銘を受けていた。
生徒のみならず、教育委員会の面々までもが……!
3年S組に盛大な拍手が巻き起こる。
「……でーすーがー! ガチャを回してピックアップキャラが当てられるかどうかは、また別の話! どーしても欲しい人は頑張って回してください! すり抜けにも負けず、被りにも負けず! ちなみに、先生は必要なキャラ大体みんな持ってるから、過去キャラのピックアップガチャなんて回さないぞぉ~! じゃあ、また次回をお楽しみに~」
台無し! 最後の最後で台無し!
それでも、教育委員会のメンバーはうんうん頷いていた。いったい、どうして……?
……
その後、授業を観覧していたお偉いさんたちは、校長先生へこのように語るのだった。
「いやはや、素晴らしい授業でしたね。内容はよく分かりませんでしたが、大変素晴らしい授業でした。それだけは理解できます。心に何かがズシリと重くのし掛かる。熱心に生徒の心へ語り掛ける。そんな印象を受けました。内容はよく分かりませんでしたが」
「ありがとうございます。こちらこそ喜んで頂けてなによりです」
ここまで高評価を得るとは。金枠先生はどんな授業をしたのだろうか。一緒に見ておくべきだったかもしれない。
鹿島田校長の金枠に対する評価が高くなった瞬間である。
「ところで……私たちは若者の言葉に疎いのですが、『そしゃげ』とは何でしょうか……? ピックアップガチャとは? 攻略Wikiとは?」
それは――鹿島田校長にも、分からなかった。