16限目 合成は慎重に
人気のない夜。真っ暗な路地裏にて。
ブロック塀に右手を突きながら、肩で息をして歩く一人の青年がいた。
「はあっ、はぁ……。ほ、本物……本物だ……!」
彼はうわ言のように、同じ言葉を何度も何度も繰り返す。その瞳孔は開き切っている。もしや、恐ろしい怪物にでも遭遇して、ここまで逃げてきたのか。いいや、違う。
つい一時間。青年は友達と遊んだ帰り道に、偶然にも奇妙な露店を見掛けた。最初は売っている商品を面白半分で眺めていたのだが、唐突に店の人から古いブレスレットを手渡され、何となく腕に嵌めてみたところ――
不思議な能力に目覚めて、今に至るわけだ。よくあるよくある。
「あ、あの商人の説明は……本当だったのか……! いったいどうやって使えば……そうだ。僕は選ばれたんだ。こ、この力さえあれば――彼女を救うことができる。絶対に彼女を救ってみせる……!」
今、力を持った青年の大いなる野望が鎌首をもたげた。
……
「――と、このように。北欧神話に登場する怪物『フェンリル』ですが、原典では氷の要素など一切ありません。ところが、最近の若者はみーんな氷を司る怪物だと思っています。これもまた、ソシャゲが産み落とした怪物なのかもしれませんね~」
「はい、金枠先生。また英語の授業から脱線していますが……」
「おっと、これは失敬。フレンドが弱らせたレイドボスの最後の一撃を、偶然にも横取りしてしまった時くらい失敬」
「偶然にしてはいつもタイミングが完璧すぎる!!」
「はぁ、まったく。タケシは今日もうるさいなー。神社にお参り行った時、タケシが爆死しますようにって神様にお願いしてやろうか~?」
「マジで効きそうだからやめて!」
「ご縁がありませんようにって、十円玉でも放り込んであげましょう」
「縁結びの神様も困惑だよ!」
神社で何をお願いするかは、個人の自由である。
ただ、昨今の神様へのお願いを内訳で見てみると――ソシャゲの占める割合が年々増加している。そういうデータはないが、確実に増えている。断言しよう。
ガチャであのキャラを迎えられますように、最高レアのキャラが欲しいです、三百連ガチャが当たるといいな、ギルドに将来有望な新人が来ますように。中には神様に参拝した直後に、その場でガチャを回す猛者もいる。
いつでもガチャは時の運。それでも神頼みしたくなるのが人間の性なのだ。やらないよりは、やった方が確率が上がる気がする。病もガチャも気から。
果たして、縁結びの神様はガチャを知っているのか。ソシャゲの願いは叶うのか。それだけは甚だ疑問だが、神様もアップデートして対応可能になっていると信じよう。
もしソシャゲ祈願の神社を見付けた際には、是非とも教えてほしい。
金枠は脱線した授業を戻そうと、フェンリルの次にヨルムンガンドについて話そうとした――その時。
「はあっ、はぁ……き、きんわっつぁん先生!」
一人の生徒が教室に駆け込んできた。
確実に。ほぼ確実に、問題を抱えている。絶対にそう。どうしてみんな問題を抱えながら、教室に駆け込んでくるのだろうか。学園もののゲームじゃないんだから。
そんなことを考えながら、金枠は黒板から振り向かずに答えた。
「その呼び方をするのは一人しかいませんね。どうしたんだ、ヒョウ。もう英語の授業も中盤だから、完全に遅刻だぞ~? 新作のソシャゲで夜更かしするからそうなるんです。ソシャゲは早起きしてプレイしなさい」
「ち、違うんだ! 確かに夜更かしはしたけれど、もっと別の理由がある!」
抗議の声を上げたのは、いつも落ち着きがないヒョウ。豪瀬雹。黙っていればクールなイケメンだが、喋ると残念。趣味はソシャゲ。情報を吟味せず先走るプレイのため、ガチャや育成で後悔することが多い。
ヒョウは黒板にデカイ蛇の絵を描いている金枠の肩を掴むと、彼の目の前に右腕を突き出した。
「……こ、これを見て欲しい」
「おやおや、きったないブレスレットですね~。こういうアクセサリーは校則で禁止されていたはず。で、これを装着すると何のステータスが上がるんだ~? 攻撃力か? 防御力か? それとも、素早さ? はたまた、毒無効?」
「脳の髄までソシャゲまみれ!! おい、きんわっつぁん! 現実に戻ってこい! アクセサリーで強くなるのはゲームだけ!」
「タケシは黙っててくれ!」
「ええぇ……同級生からマジギレされた。マブダチなのに。どうしたってんだよ、ヒョウ」
友人の豹変っぷりに、さすがのタケシも動揺を隠せない。
一方の金枠はブレスレットに興味津々。ダンジョン探索型RPGとか大好物だから、こういうの大好き。ゲームで登場した剣のレプリカとかリアルで買っちゃうくらい好き。
「なるほど、なるほど。薄い緑色のブレスレットだから、風の加護とかありそうだな~。もしや、上がるのは回避率とか? 早速、試してみましょう。えいっ」
「痛っ!? き、急に教科書の角で殴るなよ!」
唐突に生徒を教科書で殴る教師。思考回路が狂っているとしか言いようがない。もはや体罰よりも理不尽。いずれ保護者から訴えられる日もそう遠くないだろう。
「うーん。先生をもってしても、何のステータスが上がるのか全く分かりません! もっとよく調べてみましょう。よし、観察したいから一回外してくれるかー」
「そ、それが……自力では外せないんだ……」
「あー、呪われてるな~。あるある」
「ねーよ!!」
タケシのツッコミも意に介さず、金枠はブレスレットをぐいぐい引っ張る。それでも腕輪は外れない。すると、ヒョウは思い掛けない行動に走った。
教室の最前列に座っているトツオの眼鏡をひったくると、教卓に叩き付けたのだ!
パリンと音を立て、見るも無残な姿に変わってしまった眼鏡。呆気に取られて何も言えないトツオ。ざわつく教室の面々。だが、割った本人は至って冷静に口を開いた。
「しっ! 静かに。みんな、見ろ……」
ヒョウが砕け散った眼鏡に手を向けると――なんと、眼鏡が自然に修復されていく。数秒後には完全に元通り。まるで新品同然である。
無論、3年S組のみんなも驚いたが、若干反応は薄い。これまでに手が光ったり、タケシが増えたりしたのだ。謎のブレスレットで眼鏡が直るくらい日常茶飯事。
「あぁ、そういう系のブレスレットでしたか。怪しい露店とかで売ってそうだな~。どうせ、お代は結構ですとか言われたんだろー?」
「きんわっつぁん先生の言う通りだよ。これは物体の時間を逆行させる腕輪。そして、この力を使えば……失われた命だって取り戻せるはず! 彼女を救うことができるんだ!」
「彼女?」
「……そうだ。あれは半年前のこと。僕は彼女のことを、やっとの思いでガチャから迎えることができたのに……誤って他のキャラに素材として合成してしまった!」
「彼女ってそっち!? もっとシリアスな話かと思ったじゃねーか!!」
「タケシは黙っててくれ!」
たかがデータ、されどデータ。人によっては馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが、実際にやってしまうと死ぬほど落ち込む。ソシャゲプレイヤーの99%が絶対に落ち込む。一ヶ月は意気消沈。
画面の向こうに、彼女は確かに存在するのだ。もしくは彼が。どんな時でもホーム画面で待っていてくれる。温かい笑顔で優しく語り掛けてくれる。
そんな愛くるしいキャラたちを、自分のせいで失ってしまうなんて! 耐えられない!
ならば、時を戻してでも救ってみせる――!!
こうして青年は決意した。
対する金枠は、いつになく真剣な表情を浮かべている。
「彼女と聞いて、もしやと思いましたが……完全に先生の予想通りでしたね。ソシャゲの世界には、キャラとの別れが大きく分けて三通りあります。合成、売却、轟沈。どれもプレイヤーがうっかりしていなければ、未然に防げるものです。慢心はいけません」
「きんわっつぁん先生……」
「思い返してみれば、半年前のヒョウの落ち込みっぷりから推測するに――彼女というのは、このソシャゲのあのキャラですね。ちなみに、先生のところには三人いまーす」
「な、なぜ自慢した?」
「事情は把握しました。無事に彼女を取り戻すところを、先生にも見届けてほしいという魂胆ですね。そんなヒョウのために、今日はこのような英文を考えてみました」
《 turn back the hands of time : 時間を戻す 》
「ターンバックザハンズオブタイム! このturn backは他動詞なので、『戻る』ではなく『戻す』。timeは時間ですが、handsはいったい何を表しているのか。知らない人も多いでしょう。実はこれ、時計の『針』なんですね。時計の針を巻き戻す、転じて時間を戻す。からの……」
《 If I could turn back the hands of time, I'd like to get back the character made material for synthesis by mistake. 》
「さぁ、訳してごらんなさい」
金枠に話を振られて、ヒョウは目を白黒させてしまう。彼も英語が苦手なのだ。
「え、えっと……もし時間を戻せるなら……キャラを取り返したい……。いや、僕には無理だ。訳せない。だって、タケシのマブダチなんだから」
「おい! そりゃ、どういう意味だよ!?」
「あちゃ~。タケシのマブダチでは仕方ありませんね」
「きんわっつぁんも納得すんな!!」
《 If I could turn back the hands of time, I'd like to get back the character made material for synthesis by mistake. 》
(もしも時間を戻せるならば、間違って合成素材にしたキャラを取り返したい)
※ material for synthesis : 合成素材
「タケシに免じて、今回は先生が訳しましょう。madeを使うことで、直前のcharacterが修飾されていますね。よって、後半の目的語は『合成素材にしたキャラ』。mistakeはよく動詞として使われますが、この英文では名詞です」
極々普通の英語の授業。そう、ここまでは普通なのだ。
そして、ここからが本番でもある。
「さぁ、なーんでだー? ヒョウはなーんで間違って合成しちゃったんだぁ~?」
「そ、それは……うっかりしていて……」
「うっかりだけが原因なわけないでしょうが! このバカチンがぁ~! いいですか。今のソシャゲには、絶対に存在する機能があります。その一つがキャラロック機能です!」
キャラロック機能。つまり、キャラクターに鍵を掛けることで、誤って他のユニットに合成する、もしくは売却することを防ぐための機能である。
ところが、ソシャゲによっては意外に面倒なのだ。1キャラ1キャラ、個別にロックを掛けるのが。長年プレイを続けていれば、無課金でも所持キャラ数百なんて当たり前。
故に、作業が面倒だからとキャラロックを怠った結果が……この惨状である!
間違えて食わせた! 誤って売った! 気付けば倉庫にいなかった!
ヒョウもロックさえしていれば、彼女は今でも傍にいたはず。
「ソシャゲも現実と同じように、何かあってからでは遅いんです。大事なキャラを守るために、できることは何だってしておく。たとえ面倒でも、新キャラをゲットしたら最初はロック。一人前のソシャゲプレイヤーとして当然ですね」
「は、はい……」
ロックしなかったのも、間違って合成したのも、どちらも全て自分の過失。その非を運営のせいにするなどお門違い。
今回の授業は、確かにヒョウの心に響いた。
大切なものを失って初めて気付いた。彼は学び、成長した。もう二度と同じ過ちはしないと。こうして、ソシャゲは今日も人々の心を育んでいく。たまに痛い目を見ながら、様々なことが教訓としてプレイヤーの心に刻まれるのだ。
以上が、金枠がソシャゲを生徒たちの学習ツールとして推進し続ける真の理由である。多分。
「これでヒョウへの個別指導を終わりにします。どんな時でも、キャラをゲットしたら『First Comes Lock』。先生との約束です。一度失ったガチャキャラは、二度と元には戻らないんです。再びガチャを回さない限りは」
「……ん?」
「逆に考えてみましょう。キャラを間違って合成してしまったら、もう一回ゲットすればいいんです。その点、先生は好きなだけガチャを回せる財力があるからな~! ロックしていなくても、なーんにも問題ナッシング! そもそも、合成ミスなんて初歩的な間違いしたことがない!」
一人前のソシャゲプレイヤーとは何だったのか。金枠先生に相談した時点で、全てが間違いだったのかもしれない。
「ちなみに、先生はタケシのソシャゲのキャラロックを、バレないようにこっそり外すのが日課だぞ~」
「人として最低だよ!! おい、マジかよ!? ふざけんな!」
「タケシは静かにしてくれ! きんわっつぁん先生の言う通り、一度失ったガチャキャラは二度と戻らない。でも、僕は違う。今の僕には力がある! 彼女を救うための力が! いくぞっ! うおおおおおおおおッ!」
教室に旋風が巻き起こる。ヒョウの髪は逆立ち、ブレスレットが輝き出す。
もう、これで終わってもいい覚悟で。
自身のスマホに、残されたありったけの力を注ぎ込む。
「があああああああッ! 100%中の100%のフルパワーだッ! 彼女が存在する時点までッ! 時を戻そう――!!」
――ミシミシ……パキッ
割れた。
全ての力を使い果たし、ブレスレットは砕け散った。最後の仕事を成し遂げて。
「よし、成功だ! 時を戻した! ここに存在するのは半年前のスマホ! これで彼女を無事に取り返したはず――あ、あれ? いない……どこにもいない! なぜ!?」
スマホの時は戻したのに、アプリを開いても彼女は見付からなかった。どういうことなのか。その答えは、金枠が知っていた。
「あちゃ~。ヒョウは一つ大きな勘違いをしていましたね。彼女が存在していたのは、スマホの中ではありません。ソシャゲ運営が管理するサーバー上です。すなわち、スマホの時間を戻しても、ソシャゲのデータは今現在と変わらないんですね~」
「そ、そんな……」
「まぁ、先生は最初からそうなる気はしていました」
「言ってよ!!」
「ちなみに、彼女は先生のところに三人いまーす。ほら、見て見て~。倉庫の中でお留守番中だぞ~。こんなに被っちゃうと、逆に困りますよね。そうだ! 思い切って合成用の餌にしちゃいましょう! はっはっは~!」
「チックショ――!!!」
彼は泣いた。タケシの胸の中で泣いた。
それからしばらく、神社でお参りしながらガチャを回すヒョウの姿が見られたそうな。再び彼女をお迎えできたかどうかは……想像に任せる。