14限目 ソシャゲ進化論
市立社高校の放課後。
一日の授業が終わり、束縛から解放された生徒たちは、次々と教室を後にしていく。その理由は様々である。家に帰ってソシャゲしたり、友達と集まってカラオケに寄ってソシャゲしたり、図書室へ行って受験勉強の振りしてソシャゲしたり、部活の仲間と部室でソシャゲしたり。
そうして誰もいなくなった夕暮れの教室に、一人の生徒が戻ってきた。キョロキョロ辺りを見回すと、カサゴソと机を漁り始める。
「……あ、あれ? おかしいっすね……ここにあると、思ったんすけど……」
「どうしたー? 忘れ物かー?」
「ひゅい!? き、ききき、金枠先生!?」
「見ての通り、金枠先生に決まっているでしょうが! 解像度が足りてないのか~? 確かに、画質が荒いと誰だか判別のつかないキャラもいますけどね~」
「現実とゲームを混同しちゃダメっすよ!」
おかしい。ちゃんと周囲を確認してから、教室に入ったはずなのに。
どこから金枠は出現したのか。野生のモンスター並みに突然のエンカウント。
「はぁ……驚いたじゃないっすか……。いや、そもそも! どうして金枠先生がここにいるっすか!? いつも生徒より真っ先に帰るっすよね!?」
「先生だって暇じゃありません。用事がなければ、さっさと家に帰ってソシャゲに勤しみます。しかし、大人には大人の事情があるんです。具体的に言えば、校舎の戸締まり当番。ところで、シンカは教室で何をしてたんだ~?」
その言葉にギクリとしたのは、男勝りな女の子のシンカ。角世真加。見た目や服装は女子高生だが、口調と性格は男の子っぽい。趣味はソシャゲ。キャラを最後まで進化・覚醒させたら満足して育成を止める派。
「あ、いや。別に、何でもないっす……」
そそくさと教室から立ち去ろうとするシンカ。当然、それを金枠がすんなり見逃すはずもなく――
「むむっ、怪しいですね。待ちなさーい。先生からは逃げられないぞ~?」
シンカは思った。
この先生、野生のモンスターじゃない。魔王だ。
金枠は厳かな顔で腕組みをして、左手でスマホをポチポチしながら、彼女に向かって諭すように言葉を掛ける。
「いいですか。先生は、嘘が嫌いです。平気で嘘をつく相手は、好きなソシャゲの運営だろうと許しません。このキャラを間もなく実装すると言って、数年経っても実装しない。そんな運営のことを、シンカは信じられますか?」
「信じられないっす……」
「そうでしょう。嘘はいけません。正直に話しなさい。それで、誰の体操服が目的だったんだ?」
「誤解も甚だしいっす!!」
さすがは金枠。脳内まで恋愛シミュレーションゲーム一色。多分、選択肢が現実に見えている。最近はそういうソシャゲに嵌まっているのか。
これは正直に話さないと、絶対にヤバイ噂がクラスに広まる。そう直感した彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「あの、聞いても笑わないっすか……?」
「そんなに面白い話なんです?」
「ううぅ……あのっすね。家の鍵を、どこか失くしてしまったっす……」
「……それだけ?」
「そうっす」
「なーんだ。先生、もっと指導しがいのある問題かと勘違いしていました。うっかりうっかり。スタミナ消化のために画面を連打していたら、間違えてスタミナを回復しちゃったくらいうっかり」
ツッコミ役がいなくて少々寂しいが、金枠は今日も能天気。
一方のシンカは、溜め息を吐いて深刻な表情を浮かべている。普段の彼女らしくない。これは何か事情がありそうだ。
3年S組の担任たる金枠は、その異常にすぐ気付いた。
「家の鍵を失くしたなら、親御さんが帰ってくるまで待てばいいじゃないか。時間を潰すのは得意だろ~? でも、それでは解決できないようですねぇ。教師の勘が言っています。良かったら、先生が相談に乗るぞ~?」
「……はいっす。アタシの両親は、ちょうど実家に帰省してて……一週間は帰ってこないっす……。なのに、家の鍵なんて失くしちゃったら……ど、どうすればいいっすかぁ……! ひっく……ぐすっ」
遂に途方に暮れて、泣き出してしまった。
放課後の誰もいない教室、男の担任の先生、泣いている女子生徒、二人きり。他の誰かに見られたら、悪い噂は免れない。
「あらあら~。これは困りましたね。こんな時、なんと声を掛ければいいのやら。恋愛ゲームの選択肢ならいくらでも思い付きますが、あれは主人公が超絶イケメンだから成り立つんですよねぇ。よし、こうなったらプロデューサーになった気分で……」
「アタシはアイドルじゃないっすよぉ~!」
「仕方ありません。先生も一緒に探してあげますから。ほら、泣き止んで。まずは情報を整理しましょう。ソシャゲの攻略と一緒です」
「ぐすっ……」
シンカは涙ながらに頷いて、できる限りの情報を金枠に伝える。
それを金枠が黒板に箇条書きにする。
・探しているのは三毛猫のキーホルダーが付いた鍵
・鍵を失くしたと気付いたのは、家の前に着いてから
・来た道を戻ってきたが、どこにも落ちていなかった
・帰りに寄り道はしていない
・教室の机の中が最後の望みだったが、見付からなかった
・普段は制服のポケットの中に仕舞っている
・交番にも学校の落とし物BOXにも届いていなかった
「なるほど、なるほど。道理でキョロキョロしていると思ったら、鍵が落ちていないか探し回っていたのか~」
「そ、そこから見てたっすか……!? ひっく……」
「うーん……これらの情報から考えるに、校舎内のどこかで落とした可能性が高いですね。シンカは友達とも仲が良いし、盗まれたり隠されたりすることもないはず。つまり、休み時間や移動教室の時にポロッとポケットから落ちて、今もそのままどこかに落ちている。二人で普通に探しても、発見は限りなく困難でしょう」
「そんなぁ……うええぇ……」
「なーに、心配ありません! 家の扉がロックされて困っているなら、ロックを解除すればいいんです。先生はこれまでに、いくつのロックされたアカウントを解除してきたと思っているんですか~!」
シンカは察した。これは相談する相手を間違えた。最低でも、現実とゲームの区別ができている先生に相談すべきだった。
金枠は意気揚々と解決案を黒板に書き始める。
・運営に問い合わせて扉の凍結を解除してもらう
・キャラ確認画面で扉を選択して、誤売却防止用のロックを解除する
・このエリア一帯のアイテムを全て自動回収してから、ソート機能で検索する
・図鑑で家の鍵の入手方法を確認
・学校中を練り歩き、「!」のマークが出た場所を全て調べる
・スキップチケットで一週間後までスキップする
碌なアイディアが一つもない!!
ゲーム脳もここまで極まると、一周回って凄い。
「ところで、知ってるか~? みんなが当たり前のように使っているキャラロック機能。これ、昔のソシャゲには存在しなかったんだぞ~」
「……へっ?」
「昔のソシャゲ環境は、今よりも酷いものでした。アイテムやキャラのソートもできなければ、図鑑で入手方法を確認することも不可能。一切の反応が出ないダンジョンの床を、ボタン連打しながら徹底的に探索。クエストの自動周回やスキップ機能が登場したのも、つい最近の話ですね」
「き、金枠先生……?」
「そんな想いを込めて、今日の英文はこちらです」
《 talk about old times : 昔話をする 》
「トークアバウトオールドタイムズ! 海外ドラマでも登場する表現です。どうしてドラマの謎の男は、唐突に自分の昔話を語るんでしょうか。というわけで、例文はこうなりました」
《 Now, I begin to talk about old times when that function wasn't implemented. 》
「シンカ、訳してご覧なさい」
「うえっ……?」
どうしてこうなった。
金枠の思惑が分からない。困った時は英語の授業。いや、どう考えてもおかしい。
それでも、彼女は必死に英語を翻訳しようとする。
今回、最も注目すべき単語は――
《 Now, I begin to talk about old times 【when】 that function wasn't implemented. 》
whenである。単純に訳せば「~する時」。しかし、この文はそれに当てはまらない。直前にtimesがあるから。
timesがどんな時かを説明するのが、whenの役割の一つなのだ!
「ファンクション……機能……この機能がなかった時代の昔話を始める……っすか?」
「惜しいっ! 正解はこちら!」
《 Now, I begin to talk about old times when that function wasn't implemented. 》
(さて、その機能が実装されていなかった頃の昔話でも始めようか)
※ be implemented : 実装される
「正しく訳せば、こうです。完全に昔話をする謎の男ですね。文章の頭に『Now』が付いている場合は、『Let's』のような提案の意味合いで訳すと自然な形になります」
「知らなかったっす……」
「じゃあ、なーんで昔はその機能が実装されていなかったんだぁ~?」
「で、出た……! えっと、運営が気付かなかったからっすか……?」
「はい、違います! ソシャゲというのは少しずつ進化するゲーム――否、段階的に進化しなければいけないゲームだからです!」
考えてもみてほしい。
リリースされた当初から、ソシャゲの各種機能が完璧に充実していたら。これ以上は進化する余地がないほど、パーフェクトに洗練されていたら。
その環境にプレイヤーが慣れてしまうと、飽きてしまうのだ。飽きてしまった場合の対策が残っていないのだ。
逆に考えよう。多くのソシャゲに言えることだが、機能や使いやすさに何らかの不満がある。改善するのは技術的にも簡単だが、運営はなかなか改善してくれない。それでもプレイヤーたちは我慢しながらプレイを続けて――数ヶ月後。
なんと! 今回のアップデートで新たな便利機能が追加されます! ユーザビリティが格段に向上します! 従来の機能がさらに使いやすくなります! 一度クリアすれば、面倒なクエスト周回をスキップできます!
やったァ――!!!
プレイヤーたちは大歓喜! 運営に心から感謝する! 今まで我慢していたけど、やっと使いやすくしてくれてありがとう!
改めてゲームのプレイに誰もが熱を帯び、離れていくプレイヤーを食い止める。離れていったプレイヤーを呼び戻す。そういう隠された効果が、ソシャゲの機能改善には存在するのだ。
「ソシャゲの大規模な機能改善は、誰しも嬉しいものです。故に、最も理想的なのは進化し続けること。定期的に、段階的に、機能を向上させる。すると、プレイヤーが喜び、ゲームが活性化し、運営も喜ぶ。ウィンウィンの関係」
「た、確かに……アタシも嬉しいっす!」
「このような大人の事情で、最初から改善する余地を残してリリースするのが、多くのソシャゲにおける定番です。もちろん、中には技術的に困難でアップデートできない機能や、今までにない新機能実装に挑戦するソシャゲもありますよ」
「なるほど! とても勉強になったっす!」
「おや、すっかり泣き止みましたね」
「え……あっ!」
「やっぱり困った時には、ソシャゲの話に限ります」
これを狙っていたのか。それとも偶然なのか。それは金枠のみぞ知る。まだまだ金枠先生は底が知れない。
「以上、ソシャゲ英語の授業でした。生き物は進化します。ならば、進化し続けるソシャゲもまた、一つの生き物なのかもしれません。本日のおさらいは、『その機能が昔からあったとは限らない』。キャラロック機能なんかリリース当初からあっただろ、なーんて決めつける前に。そのソシャゲの歴史を調べてみると良いですよ」
「そうしたら、新たな発見があるかもしれないっすね……!」
これにて、今日の授業もめでたしめでたし――
「まぁ、シンカの家の鍵は、結局発見できていないんですけどね~」
「うわーん! 酷いっすよ~!!」
「さて、ここからが本題です。いくら出せます?」
「うえっ!? 生徒にカツアゲっすか……?」
「そんなわけないでしょうが! このバカチンがぁ~! 家の鍵が戻ってくるとしたら、シンカはいくら出せますか?」
「さ、三千円でどうっすか?」
「うーん。まぁ、ちょっと少ない気もしますが……いいでしょう。足りない分は、先生が足しておきます。出世払いでよろしくな~?」
そう言うと、金枠はシンカから三千円を受け取った。
放課後の誰もいない教室、金をせびる担任の先生、涙の跡がある女子生徒、手渡しの現金三千円。他の誰かに見られたら、通報は免れない。
果たして、金枠は何をしようというのか――
……
放課後の社高校に放送が響き渡った。
『えー、皆さん。ご機嫌よう。3年S組の英語教師、金枠でーす。学校内に残ってソシャゲしている生徒のみんなに、重要なお知らせだぞ~。なんと、うちのクラスの生徒が、学校のどこかに家の鍵を落としちゃったんですね。三毛猫のキーホルダーが付いた鍵です。というわけで、今からそれを見付けて放送室に届けてくれた生徒には! 五千円分の課金専用ギフトカードをプレゼントしちゃいまーす!』
金枠の言葉を聞いた生徒たちは豹変したッ!!
図書室で勉強していた生徒はシャーペンを放り投げ! 校庭で部活動に励んでいた生徒は一目散に駆け出し! 校門を潜り抜けて帰る寸前だった生徒は踵を返し! 帰宅していた近所に住む3年S組の生徒はSNSで連絡を受けて再登校!
怒涛の勢いで、目を皿のようにして、学校中を一斉に探し始めた――!!
ソシャゲで時間を潰していた生徒に関しては言わずもがな。
『もちろん、貰えるのは先着一名! 五千円分のギフトカードだぞ~! 石に換算すれば、ざっくり50個! 10連ガチャ1回分だぁ~! いやー、欲しいキャラが出ちゃうかもな! あれっ? あのキャラのピックアップは、今日までだったんじゃないのか~? あーあ! 最後に10連を回しておけば、ゲットできるかもなぁ~!』
煽る煽る。金枠は生徒をどんどん煽る。
金枠にとって、ソシャゲプレイヤーを煽るのは得意中の得意。
これならば、家の鍵が見付かるのも時間の問題だろう。というか、鍵の争奪戦。二人で探しても発見が難しいなら、生徒の力を総動員するまで。生徒の課金欲を刺激するまで。
今日も社高校の生徒は、金枠先生の掌の上で踊らされるのだった。
ただ一人。シンカだけは、金枠のことを大層見直したそうな。
めでたしめでたし。