12限目 スマホはゲーム機
市立社高校は今日も至って平和そのもの。
立て続けに大事件が起きるなんてこともない。そんな、学園ドラマじゃあるまいし。
PTAとの関係も良好。真夜中に校舎の窓ガラスを割って回るような生徒もいない。ヤバイ教師の代名詞である金枠先生の存在にさえ目を瞑れば、どこにでもある普通の学校。
さて、そのヤバイ教師が今朝も学校へやってきた。
扉をガラガラと開け、職員室へと入ってくる。
「金枠先生ッ! おはようございまァーすッ!!」
元気に挨拶をしてきたのは、社高校で一番若い教員の木村無料志先生。担当の教科は体育。サッカー部の顧問。趣味は筋トレ。
「…………」
チラリ。金枠は声の主を一瞥すると、そのまま無言で過ぎ去っていく。
これには木村も驚きを禁じ得なかった。普段はどれだけソシャゲに夢中でも、挨拶をすれば必ず返してくれる。それが金枠先生の数少ない尊敬できる点だったのに。
「金枠先生ッ!! おはようございまァーすッ!!!」
「…………」
やはり無反応。イヤホンをしているわけでもない。確実に聞こえているはず。もしや、虫の居所でも悪いのだろうか。
思い悩む木村を余所に、金枠は職員室の窓際まで歩みを進める。すると、そこに飾ってあった花瓶を両手でガシッと掴み――
――パリイイイイイイィン!
叩き付けたッ!!
間髪を入れずッ! 花瓶を床に叩き付けたァ――!!
「きっ、金枠先生ェ――!! なーにやってるんですかァ!?」
「……あら、残念。中にお金が入っていませんでしたね」
「入ってるわけないでしょう! 花瓶ですよッ!? あーあッ! 床がビチャビチャだァ――!!」
とっさに掃除用具を持ってきて、割れた花瓶の後片付けをする木村。
それを呆然と眺めていた金枠は突然、素っ頓狂な声を上げた。
「……おや、木村先生ではありませんか。おはようございます」
「えッ!? 今、気付いたんですかッ!?」
「これは失敬。毎日毎日同じセリフだったので、NPCから話し掛けられたのかと思ってしまいました。うっかりうっかり」
「どういうことッ!?」
「いえ、ちょっとRPG系のソシャゲにハマっていましてね。週末にやり込み過ぎてしまったようです。目に映るもの全てがドット絵に見える」
「ここは現実世界ですよッ! 目を覚ましてくださァーいッ!!」
どうやら、金枠の脳内はRPG一色に染まっていたようだ。
他の先生ならいざ知らず、木村は比較的若いから気付いた。金枠の謎の行動について。どうして一目散に花瓶を粉砕したのか。
ツボや樽や花瓶を割るとお金が入っているのは、RPGの常識!
現実世界では傍迷惑にも程がある。
「金枠先生ッ! まさかッ! 週末ずーっとソシャゲしてたんですかッ!? 家から一歩も出ずにッ!? 駄目ですよッ! ちゃんと外に出て運動しないとッ! そうそう、筋トレはいいですよッ!」
「……あら、残念。目ぼしいアイテムは入っていませんね」
「ちょっとちょっと! なーにやってるんですかァ!? そこは乾先生の机ですよッ! 勝手に引き出しを漁っちゃ駄目ですよォ――!!」
…………
「ということが、今朝あったんですよ」
「おいおい! 大丈夫かよ、きんわっつぁん!」
「……おや、タケシが話し掛けてきました。金枠はどうする?
たたかう
▷ じゅもん
にげる
どうぐ
金枠は呪文を唱えた! 『お前の10連ガチャ全部被れ!』 タケシには効果が抜群だ! タケシは倒れた。経験値0を手に入れた」
「最悪の呪文!! てか、俺の経験値0かよ!?」
「当ったり前でしょうがぁ~! タケシ、お前はチュートリアルで出現するモンスターだ。最初から倒される運命は決まっているし、倒しても経験値だって貰えない」
「スライムの方がまだマシ!」
「ただ、実際。経験値の定義は、ソシャゲによって様々なんですけれどねぇ~」
昔のゲームでは、ストーリーを進めたり、クエストをクリアしたり、モンスターを撃破したり。そうすることでキャラの経験値が手に入る、もしくはキャラがレベルアップするのが定番だった。
しかし、ソシャゲが台頭してからというもの、経験値を得るための手段が「キャラや素材の合成」に取って替わってしまったのだ!
無論、クエストクリア等でキャラに経験値が入るソシャゲもまだまだ多い。ところが、合成によって得られる経験値と比べたらゴミみたいなもの!!
こうして「キャラの経験値=合成」という概念が、ソシャゲ界に深く根付いてしまったのだ。また、このシステムこそが、始めたばかりの課金者が手っ取り早く強くなれるカラクリでもある。
「いいかー。現実世界もソシャゲと同じだぞー。周りの人間を蹴落としたって、自身の経験値にはなりません。それよりも、他の人の能力やスキルを盗んで、自分自身の糧として合成する。こうしてみんなも強くなれるんです!」
「先生……」
「まぁ、タケシは蹴落とされる運命なんですけどね」
「台無しだよ!!」
「そうそう。木村先生は休日に外へ出ろと言っていましたが、そんなのは個人の自由です。家でソシャゲしていようが、外で歩く系のソシャゲをしていようが。今日はそういう英文を紹介しましょう」
《 look back on the year : 一年を振り返る 》
「ルックバックオンザイヤー! これは年末年始に使える表現ですね。新年の抱負を語る時の常套句。この素晴らしい熟語をソシャゲに落とし込むと……」
《 When I look back on the year, I was always playing games. 》
「はい、とっても簡単な英文です。チュートリアルもいいところ。この程度の問題なら、さすがにタケシでも倒せるな~?」
「馬鹿にすんなよ! 頭にwhenが付いてるから、何かをする時。私が一年を振り返る時」
「おっ、珍しく前半は完璧だな。この調子で後半も!」
「ったく……私は、ゲームをしていた……アルワイス……?」
「always! 中学の英単語だぞ~? ほら、聞いたことあるでしょう」
「……三丁目?」
「どうして英文に三丁目が出てくるんですかぁ~! タケシ、お前は最後まで期待を裏切らないな。やっぱり蹴落とされる運命なだけはある」
「チクショウ!」
「もう我慢ならないので、先生が答えを書いちゃいまーす」
《 When I look back on the year, I was always playing games. 》
(一年を振り返ってみるとゲームばかりしていた)
「いや、クソみてーな英文! 新年の抱負じゃねぇのかよ!!」
「alwaysの意味は『いつも』。転じて、過去進行形と組み合わせて、ゲームばかりしていた。ちなみに、先生もこんな一年だったぞー」
それでいいのか、金枠先生。
金枠先生からソシャゲ抜いたら、後には塵すら残らない。
「注意すべき点を強いて挙げるならば……『the year』ですかね。たまーに勘違いして、『the year』と発音する人がいますが、それは間違いです。どうしてだー、メグルー?」
「はい。theは頭文字が母音の単語につく場合、『the』ではなく『the』と発音します。『イ』から始まっているため、yearもそれに該当しそうですが、頭文字を確認すると『y』です。つまり、厳密には母音ではありません」
「もう、明日からお前が先生の代わりでいいぞー。そうしたら、先生はタケシの代わりをしまーす」
「俺はどこに消えたんだよ!?」
「じゃあ、タケシィ~? なーんで、ゲームばかりの一年だったんだぁ~?」
「えっ? ゲームが楽しいから……?」
「残念! 正解は、ソシャゲというものがいつでもどこでも楽しめるからです!」
一昔前は、そもそも携帯できるゲームなんて存在しなかった。
そこからゲーム業界も発展し、携帯ゲーム機が普及した。しかし、この時点ではまだ、常に肌身離さずゲームをするには至らなかった。
次に台頭したのは、携帯電話のゲームアプリ。ところが、ゲームばかりやっているとすぐ電池がなくなってしまう。これでは携帯としての存在意義を果たせない。
そして、現在。
学生や社会人の多くがスマホを所持し、肌身離さず持ち歩く時代。そのスマホの中には、高確率でソシャゲアプリがインストールされている。即ち、常に携帯ゲーム機を持ち運んでいるも同然なのだ!
文字通り、いつでもどこでもゲームができる。
断言しよう! スマホはほぼ携帯ゲーム機!!
「確かに、ソシャゲの利点は気軽に楽しめること。しかし、それが災いして、ゲームばかりの一年になってしまう人が後を絶ちません。過去を振り返って、ゲームの思い出しかなかったら……ちょっと悲しいですね」
クラスのみんなは、思わず俯いてしまう。
彼らは青春真っ盛りの高校生。それなのに、振り返ってみれば大半の時間がソシャゲに塗り潰されていた。もし、この時代にソシャゲが存在しなければ……もっと友達と色々な思い出を作れたろうに。
ソシャゲ以外の青春の思い出なんて、修学旅行とタピオカしか記憶にない。
「君たちがソシャゲ好きなのは、先生も理解しています。でもね。たまにはソシャゲ以外のことにも目を向けなさい。スタミナやギルドに縛られず、スマホを放り投げて、今しか味わえない青春を味わってほしい」
「先生……」
いいこと言った。
金枠先生、いいこと言った。稀にあるよね。
「去年一年を振り返れば、ソシャゲ以外にこんな楽しい思い出があった。新年には、周りのみんなにそう話せるといいですね。本日の教訓は、『ソシャゲは青春の思い出に含まない』。気を付けましょう」
今の学生たちは、貴重な青春時代を削ってソシャゲに勤しんでいるのだ。
キラキラした輝かしい思い出を、甘酸っぱい青春を、友人と馬鹿なことで語り合った日々を、全てソシャゲで真っ黒に塗り潰す前に。
まだ変えられることがあるかもしれない。
「まぁ、先生が言える立場じゃないけどな~? いやー、去年一年を振り返ってもソシャゲばっかりだった! きっと来年もそうだろうな~! でも、先生は高校時代にめっちゃ青春したぞ~! あの頃はソシャゲなんてなかったから! あーあ、みんな勿体ない!」
「結局そうなるのかよ!!」
「タケシも可哀想だなぁ~! お前は見るからに青春してないもんな~。放課後もソシャゲ、休日もソシャゲ。ガチャを回せど目当ては出せず。思い出はいつも爆死色」
「うるせえ!!」
ちなみに、今回の授業がみんなの心に染み付いて離れなかった結果。3年S組のみんなで青春の思い出を作ろうという動きに変わっていくのだが、それはまた別の話。
金枠の言葉が起爆剤となり、生徒の思い出作りに一役買った。
その事実だけ切り取れば、とても素晴らしい先生じゃないか!!