第六話
木曜日の朝。出社すると、佐藤と木下は、既に出社しており、楽しそうに話している。
ああしていると無邪気な普通のOLにしか見えない。黒崎を殺した理由が良くわからなかった。本当に『男癖が悪かった』だけで本当に人一人を殺すのだろうか?
俺はいつも通り、朝の準備をしていると篠原が出社して来た。しかし様子が変だ。
かばんも何も持たずにやって来て、自分の席に向かわず、いきなり福田部長の前にやって来たのだ。
そして、何も言わずにいきなり、黒い息を吐き出した。黒い息が見えない者にとっては何が起きているのか全く分からない。
福田は強くむせ返って苦しみ始める。それに呼応して、周りにいる人間達も咳き込み始める。篠原の黒い息が、それだけ激しく周りも巻き込んでいる。
黒い息の広がり具合から危険を察知し、木下の手を引っ張り、佐藤が部屋の外へ出て行くのが見えた。
他にも異変に気付いた人達が、部屋の外へ殺到する。俺は、ゆっくり最後尾で外へ向かう。二人の対決を見ていると、驚く事に、いつの間にか福田も黒い息を吐いていた。
廊下にでると、佐藤が部屋の方に戻ってくる。
「次で君も外へ出たほうがいい」
俺は言った。辺りには。他には誰もいなくなっていた。
「放っといたら福田が、篠原に殺されるわ」
俺は扉を開けて二人の様子を見せる。
「あいつ黒い息が吐けるの」
佐藤はかなり驚いている。
「篠原の攻撃が原因で、つい今しがた吐けるようになったようだ」
「今、殺っておかないと、もうチャンスがなくなるわ」
「無理をしなくてもいい。君と俺が二人で組めば絶対倒せる」
「でも、篠原に殺されるかもしれないじゃない」
「ダメだ。今は危険だ」
「あなたは自分の手で殺したいからそんな事言っているんでしょ!」
「バカな!」
沈黙が支配する。
「ごめん。分かっているよ。君が心配してくれている事は。でも、どうしても私の手で殺したいの」
俺は佐藤の目を見つめた。硬い決意があるようだ。止める事はできそうにない。
「わかった。俺も一緒に行くよ」
つい言ってしまった。俺の心臓はバクバク言って悲鳴を上げているようだ。でも、佐藤を放っていくことはどうしても出来ない。
「ありがとう」
「作戦って程じゃないけど、簡単に打ち合わせよう。福田が負けそうになったら、俺が篠原を殺る。だから君が福田を殺ってくれ。福田が勝ったら、二人で奴を倒す」
俺は目を見ながら言うと、佐藤も頷く。
良かった納得してくれて。
中を覗いてみると、部屋に取り残された人達は全滅のようだ。
福田と篠原の二人はまだ戦っている。福田も篠原も血管が浮き出て、出血し血まみれだった。
福田が優勢と見るや佐藤は構わず福田を攻撃した。しかし俺は様子を見ていた。
もう篠原がダメだと判断できる状況になってから攻撃を仕掛けた。
その横で篠原は血反吐を吐き倒れた。こいつもある意味で被害者なのかもしれない。
「また、俺に逆らうか」
俺は、ワザと気を引くように攻撃した。佐藤が攻撃されないようにする為である。
なんでここまでやっているのか、自分でも少々ビックリしている。どうやら本当に佐藤に惚れてしまったようだ。
福田の直接黒い息を受けないように動き回りながら攻撃している。オフィスは走り回り辛いが上手く立ち回る。
しばらくすると、福田はこめかみから、血を噴出し、そこから角のような物がはえてきた。俺は少々気になったが、そんな事を気にしている場合ではなかった。
一進一退の攻防であったが、佐藤の攻撃を受けっぱなしの福田より俺達の方が絶対有利だと思っていた。しかし、突然攻撃目標を俺から佐藤に換えた。
「きゃ!」
油断していた佐藤はもろに福田の黒い息を浴びた。佐藤は急に咳き込み黒い息を吐くところでなくなる。
佐藤に追撃をさせない為に精一杯の力で黒い息を吐きかける。効いているようだが、佐藤への止めの一撃を止めさせるだけの効果はなかった。
俺は足元にカッターナイフが落ちているのに気が付き拾い上げる。そして、刃を出して福田目掛けて走る。
顔に向けて黒い息を吐き掛け、カッターナイフを持っている事に気付かせないように駆け寄った。そして福田の胸に深々と突き刺すと胸から血を噴出させ倒れた。
これで俺も人殺しになってしまった。だが、今はそんなことに構っていられない。俺は急いで佐藤の元へ駆け寄った。
「しっかりしろ。救急車を呼ぶ」
「いいよ。呼ばなくて。助からないから。その代わり傍にいて」
「なに弱気な事を言っているんだ」
「私、たくさんの人間を殺してきたのよ。自分がどういう状態か分かっているわ」
「死んじゃダメだ」
「私は人を殺し過ぎたわ。殺されても当然なのよ」
俺の目から涙が流れ、頬を伝って佐藤の頬を濡らした。
「もう少し前に君と仲良くなっていたら、こうならずに済んだかもね」
声を出すのもやっとの状態のようだ。
「もう喋るな」
「君の事ちょっとだけ好きだったよ」
そう言うと佐藤は事切れた。
「佐藤!」
俺は絶叫した。
「こう言うの苦手なんだよね」
突然背後に声がした。
「誰だ」
「本来なら助けてやりたい所なんだけど。その女、闇の霧を吐き出すしね。助けてやれないんだ」
突然男が現われ独り言のように喋る。
「貴様は一体何者だ」
「地球の巫子」
「地球の巫子だと」
俺は死にかけた電車での出来事を思い出す。そう言えば、謎の声の主を殺したのも地球の巫子だ。
俺は黒い息を吐きかけたが、しかし、地球の巫子の前で息は散ってしまい届かない。
「黒い息が!」
「バリア張っているから無理だよ。でも、黒い息って呼んでいるのか。私は闇の霧って呼んでいるんだ」
俺はもう一度黒い息を吹きかけるが同じ結果である。あの謎の声の主は徐々に焦りだし、最後に絶望を味わって死んだ。それを俺は思い出した。
「このバリアを一秒間維持するのにどのぐらいの闇の霧を必要とすると思う?」
地球の巫子は答えを期待しているようには見えない。
「お前が一時間吐き続ける量と同じ位の闇の霧が消費されているんだ」
「黒い息でバリアを張っているだと!」
「闇の霧は負の属性だが、破壊的エネルギーに過ぎない。エネルギー保存の法則って知っているだろ。エネルギーなら変換できるのさ。まあ、正確にはエントロピーがあるから百パーセント変換できる訳じゃないけどな」
俺には何が言いたいのか良く分からない。黒い息を何らかの方法で利用すればバリアを張れるらしい。
しかし、地球の巫子が言っている事が本当なら、俺が地球の巫子に勝つのは不可能だ。
黒い息を吐けるだけの俺と黒い息を自由に操る事ができる地球の巫子とでは、勝敗は見えたようなもんだ。このまま戦っても地下鉄で戦った声の主同様死が待っているだけだ。
部屋中の黒い息が一箇所に集まり始める。
「これだけじゃ足りない。地球から吸い上げなくちゃな」
地球の巫子が嬉しそうにしている。
すると床から黒い息らしき靄が立ち上り集まっていた黒い息と融合し始める。
「闇の霧を吐けるのはお前だけじゃない。地球上に生きる全ての者が闇の霧を吐ける。と言ってもお前ほど強く吐ける奴は数えられる程しかいないだろうけどな」
俺は融合していく黒い息を見つめているとそれはだんだん人の形を取り始める。
「ば、バカな…」
元黒い息だったそれは地球の巫子そっくりな姿をとった。黒い息を吐きかけるとそれは体の一部が黒い息に戻り、また地球の巫子へと戻る。
「そいつは、闇の霧でできているから、闇の霧では殺せないぜ」地球の巫子は笑っている。
「ば、バカな」黒い息を吐きかけるとその横を走り抜け、部屋の外へ飛び出す。地下鉄の声の主は、絶望と恐怖の中で死んでいったのを思い出す。
地球の巫子は追いかけてくる様子はない。
エレベータに乗ると閉のボタンを連打する。
「はぁ、やばかった。あいつはただ者じゃない」
するといなり黒い渦がエレベータ内に発生する。するとそこから地球の巫子が出てきた。
「なかなか生きがいいって地球の巫子が喜んでいるぜ」
「ば、バカな」
「さっきからそればっかりだな。安心しろ、どっちにしろお前は死ぬ運命だから」
「なんだと!」
「闇の霧を大量に発生させる奴が、この地球上に生きててもらっちゃあ困るんだよ」
「なんでだよ」
俺は地球の巫子の理不尽な言葉に憤りを覚えた。
「闇の霧を無害な形に変換し消費する。そして究極的には闇の霧を地球上から無くす。それが地球の巫子の仕事だからだよ」
エレベータが、もう少しで一階に到着するのを確認する。扉が開くと俺は思い切って地球の巫子に体当たりして外へ出る。しかしそこにも地球の巫子がいた。
「ご苦労」
また、体当たりを仕掛けると直前で弾き返される。さっきのバリアのようだ。
立ち上がるとビルの外へと走り出す。
俺は大通りに沿って走る。人が多いが地球の巫子が、無差別に殺戮をするタイプの奴なら安心ができない。しかし、罪のない人間を巻き込むのを躊躇するタイプなら逃げ切れるかもしれない。無差別殺戮をやるタイプなら恐らく多くの犠牲者が出るかもしれないが、このような状況で他人に気を使っている余裕はない。
後ろから追いかけて来るのを確認し、舌打ちしさらに走り出す。
「いやー。がんばるね」
「な、なに!」
いつの間にか前に地球の巫子が立っていた。
「悪いね。私はテレポーテーションできるんだよ」
最後の切り札を出すしかない。
「俺をここで殺すのか?ここには人が大勢いる。ここで戦えば、回りの人間を巻き込むぞ」
「心配してくれるのか。でも安心しろ。そこを歩いている人に触ってみろ」
地球の巫子は顎で指示する。
俺が恐る恐る触ってみるとすり抜けた。
「結界を張った。だから、ここで戦っても誰も巻き込まないし、迷惑も掛からない。安心したか?」
「そんな」
目先真暗とはこのような状況だ。
「そう言えば私が戦うのを躊躇すると思ったのか?狙いは悪くないね。でも、そう言う悪党は今までたくさんいたからね。もう慣れたよ」
「俺が悪党だと決め付けるのか?」
「残念だけどね。お前が悪党か善人かなんて任務には全く関係ない。あるのは、お前が闇の霧、つまりお前の言うところの黒い息を吐くから殺さなければならないのだ」
「では、自分はどうなんだ。俺より多い量の黒い息で、変な術を使いやがって」
「もしかして、俺が出したと思っているの?でもそれは違うね。さっきも言ったように生き物は等しく闇の霧を生み出す。しかしそれはごく微量だ。私も術が使えるだけのただの人間だから出すのはほんの少しだよ。お前みたいに大量には出せない」
「それじゃあ、あれだけの黒い息をどうやって集めた」
「地球にはどれだけの生き物がいると思っている。一人一人が出すのがほんの少しでも、地球上の生き物が出す分を全て集めればかなりの量だ。しかもそれが、百年、ニ百年と年月を重ねればどれだけ増える事か!」
「そ、それじゃあ」
「その溜まった闇の霧は、母なる地球の中に一時的に保存されている。だから、地球上にいれば、何時でも何処でも調達できるって訳だ」
俺は死を覚悟した。戦って勝つ見込みもなければ、逃げ道も塞がれた。成す術は全て失った。
「聞きたいことがある」
「なんだい。答えられることなら何なりと」
「地下鉄で人が大勢死んだ。事件にあんたが絡んでいたか?」
「どうしてそれを知っているんだ」
「どうして乗客を助けなかったんだ」
「私が気付いて駆けつけたときには乗客はほとんど殺されていたんだ。死人をワザワザ生き返らせるのはどうかと思ってね。あの後すぐに救急車が来たのは私が呼んだからだ」
「俺はその一人だ」
「ふーん。さあて、そろそろ仕上げと行きますか」
そう言うと地面から黒い息が上空へと立ち上り、大きな分銅のような形になる。そしてそれはみるみる大きくなる。
「後はお前に任せるよ」
「わかりました」
去る方がオリジナルで、残るのは黒い息でできた偽者の地球の巫子のようだ。
「君を仕留める為に大量の闇の霧が消費できた。感謝しているよ」
そう言うと地球の巫子は闇の渦の中に入っていく。
「一つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「なんで黒い息を消費できると嬉しいのだ」
「地球の巫子は、闇の霧を地球上から無くすのが仕事だからな」
「使いまくっているじゃないか」
「そうだね。今回一番消費したのは、この結界だね。でもね、この結界でも、一時間張り続けないと、今日一日に地球上で製造される闇の霧は消費しきれないんだ」
「ははは」俺は笑うしかなかった。
「でも安心してくれ。今日の分のノルマを果たしたから。さてそろそろいいかな」
上空の分銅は既に直径三メートルを超えている。
「さよならだ」
分銅が俺の上に圧し掛かり、肺が潰され、呼吸ができない。体がミシミシ言っているのが分かる。目の前が黒く霞んでいき何も見えなくなる。俺は二度目の死を味わった。