第三話
会社に着くといつもの様に仕事を始めると福田部長がやって来た。昨日の会議の続きをすると告げに来たのだ。
「私がでる必要が本当にあるんですか?」
「参加させるように要請が来ている」
出席して見れば予想通り、営業からの突き上げを食らう。俺が昨日、納期が守れない無理な要求は飲めないと断り続けたからだ。
「仕様変更を仕様書にまとめて関連する設計書の変更に私一人でやるのに最低一人月かかります。それを元に外注し直します。さらに修正するのにどの位かかるか分かりませんが、恐らく三人月は覚悟しないといけないでしょう。お客からそれだけの納期とお金が取ってきてもらえるんですか?」
「客は納期を変えられないと言っているんだ。何とかできないのか!」
「当初の契約では、仕様変更があったらそれに応じて納期を延ばすということになっていたはずです。どうしてそれを客に納得させられないのですか」
「客は納期が守れないなら頼んだ意味がないとまで言っているんだ」
「最低八人月分の追加料金を取ってきてください。そうでなければ、納期が守れないと思ってください」
「待て。お前さっき四人月ぐらいで出来そうだと言っていたじゃないか」
「俺が仕様変更および設計書の作成および変更を行って、外注先に十分な納期を与えた場合に可能な仕事だ。仕様書の変更をやっている間、俺がやるはずだった仕事を他の誰かにやらせないといけないし、設計書の変更も俺一人でやっていたら出来るはずないだろう。それに外注に無理な納期を押し付ける以上足元見られるのも覚悟しておかないとダメだろう。以前それで取引を断られた会社もあったのをお忘れですか」
俺は嫌味たらしく言った。本来これは福田が営業に言うべきことなのに、なんで俺に言わせるんだよ。
俺の文句も聞かず、四人月で勝手に福田が引き受けてしまう。もうこんなくだらない会議に出たくない。その気持ちを抑えていると、普通に吐いている息が黒くなっているのに気付く。やばいと思ったが誰も俺の息に気を止めない。俺の様子をみて変に思った営業の馬場が話し掛けていた。
「い、息が…」
「タバコが嫌なのか!」
「黒い…」
「タバコの煙は白だよ。バカ」
俺は試しに黒い息を馬場に吹きかける。少し、咳き込んだが、気にせずにタバコを吹かす。誰も俺の黒い息に気がついていないようだ。ここは密室だ。猫を殺す程の毒性がある息を吐き続けるとどうなるだろうか?俺は背中に冷たい物が流れ、緊張感を煽った。そして、一回一回の呼気が黒かった。
そんな事も知らない、出席者は言いたい放題だ。
俺は恐る恐るゆっくりと息を吐く。息は黒くおどろおどろしい。馬場が急に咳き込み苦しそうだ。ダメだ。普通の息に戻さないと、人間にも有害だったらまずい。しかし、息を止めようとゆっくり吐こうと何しようと黒い息しか出せなかった。暫くすると俺を除く、出席者全員が苦しがっている。俺のせいか?息を吐き切ると空気を吸い込み、更にゆっくり息を吐く。普通の息に戻らない。出席者全員咳き込み始める。この黒い息は、やっぱり人にも毒なのだ。
俺はどうしてこんな体になってしまったのだろうか?理由が全く思いあたらない。
会議は途中で切り上げられ終了した。
俺は、マシンルームに戻ると再び、開発作業を始める。むちゃなスケジュールの仕事でも会社が引き受ける事が決まった以上やらざろうえない。バカ福田にはもっと息を吐きかけてやれば良かった。
ただ、一つ救いだったのは黒い息が止まり、普通の息に戻っていたことだ。
次の日、俺は出かけのついでに、生ゴミをゴミ集積場に持ってきた。
町内会長が立っている。
「おはようございます」挨拶をした。
会長も挨拶に答えると、「ゴミ袋をチェックさせてもらうわ」そう言うと勝手に中身を確認する。
「毒なんが入っていないでしょうね」
「昨日の猫が死んでいた件ですか?」
何食わぬ顔で尋ねる。内心はヒヤヒヤ物だ。
「やっぱり、ゴミに毒が入っていたのですか?」俺はとぼけて尋ねた。
「いいえ、入っていなかったわ」
「じゃあ、なんでゴミなんか調べるんですか」
「生ゴミに燃えないゴミ混ぜて出す人がいるからよ。よし、入って無し。若い独身の男性でも守れる事なのに、主婦のくせして守れない馬鹿もいるのよ」
俺は苦笑する。なんて答えたらいいのか分からないので、とりあえず肯いておく。
言外に独身男はズボラでだらしないと言う先入観があるのだろう。また、自分がゴミの分別をしっかりやっている分、他人も守れないはずがないと思っているのだろう。
俺が会社に着くと会議が待っていた。憂鬱だ。また、勝手に息が黒くなる。やっぱり普通の息に戻らない。しかし、この部屋は昨日の会議室と違い広い。俺の近くに座っていた奴だけ、咳き込んでいたが、閉会にはならなかった。
結局、福田部長が営業のむちゃな要求を飲んでしまい会議は終わる。この会社もう先が無いな。こんどのプロジェクトが済んだらこの会社を辞めて転職しよう。
不機嫌なまま、開発作業に取り掛かる。吐く息全てが黒く濁っていた。俺は構わず仕事を続ける。納期は厳しいままだし、元に戻らない物は仕方ない。
するとすぐ近くで作業をしていた女子社員の黒崎が倒れた。気の毒な事をしたと罪の意識が俺を襲う。しかし、こうなってしまうと吐き出す息が全て黒い息になってしまい、普通の息は吐けないのだ。
「どうしたんだ」福田が駆け寄る。
お前が何もかも悪いんだ!更に強く黒い息を吐きかけると福田の様子もだんだんおかしくなっていく。
「救急車でも呼びましょうか?」
内心ほくそえみながら尋ねる。
「そうしよう急げ」
百十九番に電話すると救急車の手配をする。黒崎に何かあったら目覚めが悪いと思い急いでやった。
「もう暫くすると救急車が来ますから」
「あ、ありがとう」
その後、救急車で黒崎は運ばれていく。
「誰も付き添わなくていいのですか?」
そう言いながら、福田に黒い息を吹きかける。福田は頭を右手で抑える。本当はお前がああなるべきだったんだ。
「家族には電話したから大丈夫だ」
「結構薄情なんですね。職場の人間が倒れたのに」意地悪く言ってやった。
「今、そんな事言っている場合か!ただでさえ、スケジュールが遅れている上に、厳しい仕事が振られたんだ。これ以上人員を割けるか!」
その時更に黒い息を吐きかける。すると急に福田は立ち止まる。一瞬目が虚ろになっていた。俺は何食わぬ態度で、そのまま自分の作業場に戻り、コッソリほくそ笑む。すると普通の息に戻っていた。すこし俺もホッとした。