第一話
満員の通勤電車でドアに向かって意味不明な事を話す男がいた。周りの人間は見ぬフリをする。心の病にかかっているのだから仕方が無い。しかし、関わり合いたくないといった雰囲気が車内に充満していた。皆異端な存在とみなしているようだ。
しかし、彼こそが本来普通の人間なのかも知れないと俺は思う。
政治家や役人は汚職で私腹を肥やし、少年達は凶悪犯罪に手を染める。未来に展望はなく、人々の心は穢れで染まり、氷のように冷たい。このような腐った世の中に生きるには窮屈すぎると感じれば、ああなる方が正常なのだと。
俺、神田茂はサラリーマンで、会社へ出社するところだ。
いきなり、隣に座っていた男が、俺に寄りかかる。重たいので押し返そうとすると、回りが黒い霧に満たされているのに気付く。
く、苦しい。周りを見ると、次々と人々が倒れていく。
激しく咳き込むと目の前が暗くなり気も遠くなる。
『死んでしまえ。皆々死んでしまえ』
気が遠くなっているのに妙に良く聞こえる声である。誰の声だ。
「……こま……だよ……」
誰だか分からないが、傍で誰かが喋っているようだ。しかし、今の俺の耳にはあまり、良く聞き取れなかった。
『貴様はいったい何者だ』
良く聞こえる方の声から察するに、言い争いをしているようだ。俺死にかけているのにやけに冷静に判断できる。人の死にかけはこんなもんなのかもしれない。
『地球の巫子だと』
妙に声の通る主の感情が俺の心の中に押し入ってくるようだ。今まで声だと思っていたのは、思念、つまり、テレパシーのようだ。俺にはそんな超能力はない、相手にあるのだ。
明らかに不快に思っている感情がなだれ込んでくる。
『バカな。バカな。何故俺の攻撃が効かないんだ』
「……とりあえず、……す……」
テレパシーの主は怒り出した。さっきから、本気で殺そうとしているのだが、全く攻撃が通用しないようだ。怒りの感情から徐々に焦りへと変わっていく。
「テレ……シ……ルを全開……よ」
『うるさい!俺の勝手だろ!』
『勝手って言っても、ほら今俺の思念を今聞き取っているのがお前を含めて六人もいるぞ。つまり、五人の乗客がまだ生き残っている』
肉声で話していた男もテレパシー能力があるらしい。一方的に思念を飛ばして、どうやっているのか知らないが、生きている人間を確認したようだ。
ガガー!
『もう気が済んだか?』
そう問い掛けられ、絶望で心が満たされているのが、俺にもひしひしと伝わってくる。出来る限りの抵抗をしたがすべてが相手に通用しないのだ。
『じゃ!』
『ギャー!』
死の苦しみとショックが俺を貫き、目の前が暗くなる。
気が付くと電車は駅で止まっており、乗客のほとんどは死んでおり、生き残った数人が担架で運ばれていた。暫くすると俺の元にも救急隊員がやってきて、生きているのを確認すると、俺を担架で運び出した。
そして一週間、病院のベッドで過ごす。
体は、とうに良くなっていたが、死の苦しみが、全ての気力を奪った。本当に死んだ分けではないが、テレパシーを通して、それと同じ体験を味わったのだ。未だに死の恐怖が俺の中に残っていた。絶望の中で死んでいくのは最上の苦しみだ。だが、どうやったか知らないけど、あの男は電車に乗っていた他の皆を虐殺したのだ。あのテレパシーの主が殺されるのは自業自得という物かも知れないが、俺まで巻き込まないで欲しかったものだ。