94 ケーキ
もう少し閑話をやります……
「クライさん、グラディス家からお礼状が来ていますが……」
「んー、ああ、その辺に置いといて」
「……ちゃんと後で開封してくださいね?」
エヴァがやたら豪華な装丁の封書を机の上に置く。
ハンターと違って、貴族や商人はすぐに手紙を出してくるから困る。クランマスター室の机の上にはまだ読んでもいない手紙が何通も放置されていた。
僕は一番上に置かれた封書に施された、グラディスの紋章があしらわれた封蝋を確認し、視線を逸らす。
お礼状なんて受け取る理由がないのだが、そもそも来るの早すぎない?
認定レベルが上がるに連れて、僕の手元に届く手紙の数は日に日に増え、驚くほどの量になっていた。
特にクランマスターとしての地位につき、ほぼ帝都から出なくなってからそれは顕著になっており、何らかの助力を乞う手紙だとか、招待状だとか、お礼状だとか果たし状だとか履歴書だとか、渡された所で嬉しくもないしどうにもならない手紙ばかりが、溜まりに溜まっていた。
いつかは開けなくちゃならないというのはわかっているのだが、どうしてもなかなか手が伸びない。僕は嫌な事は後回しに後回しにしてしまう人間なのだ。
最近ではあまりに放っておきすぎたせいで、一部はエヴァが代わりに開封し、返事まで出してくれるようになっていたりする。それで評判が良くなったというのだから、僕の対応は正しかったのだろう。
「僕もほら、忙しいからなあ……」
「……クラン宛やパーティ宛はともかく、個人宛の手紙を迂闊に私が開封するのはどうかと思うのですが……機密が含まれている可能性もありますし……」
ないよ。エヴァに隠し事なんてしてないよ。いつもの僕を見ていればわかるだろう?
僕にたった一つでも取り柄があるとするのならば、それは秘密を持たないことだろう。エヴァは小さくため息をつき、厳選に厳選を重ね、それでも溜まってしまった手紙の束に視線を落とし、早口で言う。
「どうも、エクレール嬢はクライさんの出したケーキを……その、非常に気に入ったようです」
ああ、そうだ。取り柄はもう一つあったらしい。
僕はエヴァの言葉に、自信を込めて大きく頷いた。
「そりゃそうだろうさ」
「……」
自慢じゃないが、僕はこの帝都の甘味処を知り尽くしている。喫茶店から洋菓子店まで、一つ一つ自分の足で巡ったのだ。知らないのは以前エヴァに教えて貰ったような【退廃都区】の店くらいであり、アークを饗すために用意したケーキも自信を持ってオススメできる一品だ。
帝都に来たばかりの時に初めて立ち入った、思い出深い洋菓子店の新作である。
立地が辺鄙な所にあるせいで、初めて訪れた当時は寂れていたが、今ではいつも行列ができている、並んでもなかなか買えない店だ。接客も味も星三つです。店主とも顔見知りだ。
オススメの武器屋や道場、情報屋を聞かれても答えに詰まるが、ケーキ屋ならば幾らでも答えられる。
エクレール嬢は貴族だが、だからこそ食するのも高級品ばかりで、市井の味には疎かったのだろう。素材が高級ならばいいってものではない。
しかし、まさか僕のチョイスが伯爵令嬢の舌まで魅了してしまうとは……久しぶりに実力を評価されたかのようで、非常に嬉しい。ハンター達はどうも劇物を食べる機会が多いせいで味覚が鈍いらしく、なかなか同意を得られないのだ。
エヴァに見られている事に気づき、慌てて咳払いをしてみせる。
「ああ。甘い物はあまり好きじゃないけど、この街で知らないことなんてない」
ハードボイルドだろ?
「…………そりゃそうでしょうね」
しかし、そうか。これは、新たなケーキ仲間ができてしまうか。面倒くさい貴族のお嬢様だと思っていたが、どうしてなかなか、その舌は優秀らしい。
ティノの代わりに引き連れるわけにはいかないだろうが、是非貴族御用達の店を紹介して欲しいものだ。
まぁ、それとこれとは話が別だけどね。
僕は机の上の手紙を全部まとめて処理することにした。
「まぁ適当に当たり障りのない感じで返事を出しておいてよ。依頼や招待系は全部断る方向で……僕もほら、忙しいからさ」
エヴァが白い目で僕を見る。
開封せずに返すのは申し訳ないが、文字を読むと眠くなってくるし、権力者や商人の手紙は堅苦しい言葉や迂遠な表現を使う物ばかりで僕が読んでも正直よくわからないものが多い。この優秀な副クランマスターに任せるのが一番波風が立たないのだ。
もういっそのこと、手紙はこちらに届けることなく全部処理して欲しいのだが、エヴァの感性ではそれは『なし』らしい。
「……予定は入っていませんが」
「…………身体をあけておく必要があるんだよ。ってか、皆、ただの一ハンターに手紙を出しすぎだと思わない? 他のレベル8もこんなに忙しいのかな……ハンターの本分は宝物殿の探索だってのに」
面倒くさい権力争いに巻き込まれるのは勘弁して欲しいし、海千山千の商人を相手にするのも怖い。
手紙が来始めた当初は、何もしなければどんどん数が減っていくだろうと思っていたのだが、その気配もない。僕は自分の事だけで精一杯だと言うに。
欠伸をしたところで、ふと額縁に入れられ壁に掛けられた真っ白なパズルが視界に入る。
エヴァに頼んで一緒に完成させた品だ。実はあのパズルは最後に自分で絵を描く物らしいのだが、面倒くさくてそこまでは手を付けずじまいだった。
「ああ、そうだ。それに……そろそろ絵も描かないとなぁ。うーん、しかし、どこから手をつけたものか……」
僕には絵心もなければ、想像力も貧困である。そもそも、まず画材を買わなくてはならないだろう。どうしてあんな真っ白のパズルを買ってしまったのか、見れば見るほど過去の自分をとっちめたい気分だ。
眉を顰め首を傾げていると、エヴァがまるで話題を変えようとするかのように言った。
「……そう言えばクライさん、アークさんに出したケーキなんですが、まだ余ってますよ」
「え? あー、忘れてたな。何切れだっけ?」
「二切れです。冷蔵庫に入れておきました」
一瞬で思考がケーキの方にいく。パズルはまた今度でいいか……別に絵を描かないと困るわけでもないし。
しかし二切れか……中途半端な数だな。アーク達とエクレール嬢を歓待して、僕も一切れ食べた。エヴァにも分けてあげて――残り二切れ。
秋の新作である。次にいつ手に入るかわからない。これは由々しき問題だ。手紙なんで読んでいる場合じゃない。
リィズとシトリーにあげてもいいが、彼女たちは甘い物があまり好きじゃない。というか、ハンターは大体、繊細な甘みを感じ取れる舌を持っていない。
僕は真剣に悩みに悩んだ挙げ句、いつも通り考えるのに疲れ、諦めた。
「ティノだな。ティノ一択」
「…………ティノ一択……ですか」
優しいますたぁだ。しかもハードボイルド。
ティノはハンターの中では数少ない甘みを感じ取れるケーキ仲間でもある。
二切れ余った新作ケーキ。もはやティノに食べて貰うために余ったと言っても過言ではないだろう。
僕とティノで二切れ。ジャストタイミングだ。ティノも喜ぶし、僕もいつも迷惑を掛けているリィズ達のお返しをできて嬉しい。なんだかんだ、あの後輩には心労をかけている。申し訳ないと思っていたのだ。
今日の僕は――冴えてる。
「エヴァ、悪いんだけど包んでくれる? ティノの家に持って行くから」
「え? 今すぐ、ですか?」
やれやれ、エヴァはわかってないな。
早く持っていかないと、せっかくのケーキの味が落ちるだろ!
「! わかりました。少々お待ち下さい」
呆れられている事に気づいたのか、エヴァが慌てたように居住まいを正した。
いや、そこまで慌てなくても……エヴァは優秀だけど、いつもいつも反応が真面目すぎるな。
前回ティノの家に行ったのは随分前だが、クランハウスに近いので場所は覚えているし、何故か合鍵も持っている。そうだね、リィズが私物化しているからだね……。
できれば護衛をつけたいところだが、ティノの家までの道のりは人通りが多いのでなんとかなるだろう。
僕は久しぶりに外に出る準備を整えると、訝しげな表情のエヴァに見送られ、意気揚々とクランハウスを出た。
最近情けない姿ばかり見せていた。久しぶりに気の利くますたぁの姿を見せてやるとするか。




