90 パズル
いつでも飛びかかれるように体勢を整え、気味の悪い仮面をつけている二人を観察する。
モチーフは骸骨なのだろうか。黒を基調とした仮面は完全にその表情を隠し、双眸すら表に出ていない。
とてもまともな人間が被るような仮面ではなかった。一部の魔術結社や邪神を奉じる教団のメンバーならば被るだろうか。あるいは身元を隠す意味でもあるのだろうか?
椅子に座った二人の挙動には怯えがなかった。
片方――《絶影》の方はまるでここが自分の部屋のような態度で両足をテーブルの上に投げ出し、前回《千変万化》と共に交渉に来たシトリーは背筋を伸ばし行儀よく座っていたが緊張している気配はない。
ここは今の二人にとって敵地に値するはずだが、盗っ人猛々しいとはこの事だろうか。
人数的優位はこちらにある。だが、そのあまりに余裕な態度に、逆に入ってきた仲間たちの方が及び腰になっていた。
エイが裏返った声で怒鳴りつける。
「て、てめえら、レッドパーティだったのか!?」
「……取り分とは何の話だ?」
《嘆きの亡霊》がレッドパーティという情報はなかった。
だが、今の二人の様子は非常に手慣れている。とても初めてには見えない。
目撃者を全員消しているのか、あるいはこの地で《嘆きの亡霊》は多少の横暴が許される程の地位にあるのか。どちらにせよ、質が悪い。
相手がただのチンピラやゴロツキならば簡単に片付けられるが、相手は同じようにマナ・マテリアルを吸収し強化されたハンターだ。それも、所属するパーティの認定レベルは《霧の雷竜》よりも上の8。相手は二人だが、争うには状況が悪い。
アーノルド達は散々酒を入れている。戦えないほどではないが、いつものパフォーマンスは出せないだろう。
アーノルドの思考を読んだのか、シトリーがゆっくり落ち着かせるように言う。
「構えないでください、アーノルドさん。私達のリーダーは穏便な解決を望んでいます。それにこれは、《霧の雷竜》にとっても悪い話ではありません」
「シト、甘すぎ。こいつらが遅いせいで、リィズちゃん達に迷惑がかかってんだからちゃんとやんないと――」
テーブルに乗せた足を一度強く叩きつけ、仮面がじっとアーノルドを向く。
幻影を前にした時と遜色のないびりびりとした殺気は、今までアーノルド達が退治してきたどのレッドパーティよりも強かった。
恐らく、その戦闘能力は、認定レベルが7であるアーノルドと同格だ。大剣という取り回しよりも破壊力を重視した装備をしているアーノルドにとってやりづらい相手だ。
隣のシトリーの能力は知らないが、リィズと同等だと仮定すると、アーノルド達が取るべき最適な行動は、彼女達二人を足止めして治安維持の騎士団の詰め所に駆け込む事だろう。
だが、抗戦もせずに逃げたとなれば今後の活動に支障をきたす。
一触即発の空気に、シトリーが困ったようにリィズの肩を突く。リィズは小さく舌打ちをすると、足をテーブルから下ろした。
どうやら殴り込みに来たようではないようだ。
立ったままのアーノルド達に、シトリーが小さく肩を竦め、話を始めた。
「取り分とは、競売の件です。アーノルドさん、貴方の出品した宝具の額はクライさんの策によって跳ね上がった。こちらにもその一部を貰う権利がある」
後ろに立っていたエイが、いつでも短剣を抜けるように構えながら反論する。
「……話にならねえな。確かに予想外の値段で落札されたが、それはあんたらの功績じゃねえ。宝具を持ち帰ったのは俺達だ。ただ、あんたらのリーダーの浅慮が招いた結果だろう」
「クライさんはそもそもあの仮面の競りには参加していません。調べればすぐに分かります」
「…………何だと?」
予想外の言葉に、アーノルドが目を見開く。
仮面を被っているので表情はわからない。だが、シトリーの声は笑っていた。
「商人も貴族もハンターたちも、皆、クライさんの流した噂に踊らされていたのです。気づかなかったでしょう?」
気づかなかった。確かに気づかなかった。
交渉に挑んだクライの様子に嘘は見られなかった。表情。声色。些細な挙動に、貴族が声をあげた時に見せた驚愕の表情には真実味があった。
信じられない思いで、目の前の仮面を見る。
あの流れが全てブラフだったというのならば、《千変万化》はアーノルドの考えていた以上に食わせ者だったという事になる。
「…………馬鹿らしい。一体、何のために――」
「それは秘密です。ですが、アーノルドさん達も思っていたはずです――まさか、こんな引き取り手のいない宝具が億を超える額で引き取られるなんて夢みたいだ、と」
先程の酒場での会話の内容を思い出す。確かに、思っていた。
鑑定不可で、いかにもおどろおどろしいあの肉の仮面が二億で取引されるなど、これまでのアーノルドの常識から考えるとありえない。
全てが何者かによって操作された結果だったとしたのならば一応の説明はつく。
「貴方達のおかげで私達も目的を達成出来ました。ありがとうございます」
シトリーが小さく頭を下げ、しかし――と、続ける。
「たとえ知らされていなかったとしても、アーノルドさん達は本来得られた利益以上の利益を得た。私達もハンターです、このまま貴方達に負けたと思われるわけにはいかない。取り分というのはつまり――そういう事です」
その声は穏やかだったが、抵抗し難い迫力があった。
納得し難い話だ。よしんば、その《千変万化》の策謀が真実だったとして、アーノルド達が取り分を渡す必要はない。
だが、このまま交渉を反故にするのもリスクが高い。
刹那の瞬間、メリットとデメリットを考える。
今回のオークションで損をしたのは貴族である。示し合わせての値段の釣り上げがバレたら面倒なことになるだろう。
アーノルド達が知らないと言い張っても、権力の強い貴族に睨まれてしまえば今後の活動に影響が出かねない。
明らかに合法的な手段ではないが、わずか数日でゴミを億品に変えるほど情報操作に長けたハンターを相手にするのは荷が重かった。
霧の国ならばともかく、この帝都でアーノルド達の味方は少ないのだ。
状況を理解したエイが不安げにアーノルドを見上げる。他のメンバーも先程までの機嫌の良さが嘘のように青ざめていた。
「…………たかるつもりか」
「正当な取り分だっつってんだろ。大体、帝都はリィズちゃん達の縄張りなわけよ。んん? リィズちゃんに酌を頼んでえ、リィズちゃん達をこんなに待たせてえ、たった二億ギールで済むんだよ? ラッキーだと思えよ、殺すぞ」
二億? 今、二億といったのか?
取り分どころか、競売で得た額の全てだ。いや……落札額に応じて手数料がオークション側に取られるため、アーノルド側からすればマイナスである。
いくらなんでも、許容を越えている。想像以上の額に、青ざめていた仲間たちの表情が険しくなる。
飲めるわけがない。そもそも、レベル7パーティの八人を前にして、舐めすぎだ。
ここで黙って払ってしまえばそれこそハンター人生終了である。パーティも瓦解するだろう。
交渉は決裂だ。後は武力で衝突するしかない。
侮った事を後悔させてやる。田舎者と侮っているこいつらに、《豪雷破閃》の力を見せてやる。
アーノルドが腕に力を込めかけたその時、シトリーが呆れたように言った。
「お姉ちゃん、黙ってて! 全額なんて取れるわけないでしょ! 取り分なんだから。大体、手数料でアーノルドさん達がマイナスになるし――仕事はちゃんとやらないと!」
「はぁ? 全滅させて奪えばいいだろーが。ハンターは一般人じゃないし、ルールにも抵触しないでしょ?」
臨戦態勢のハンター八人を前に、言い合いが始まる。
とても正気とは思えなかった。あるいは、そこまで実力に自信があるのだろうか?
リィズはともかく、シトリーは後衛職らしい。この距離で前衛のアーノルドの一撃を回避できるとは思えない。
シトリーはリィズを嗜めると、腰のポーションホルダーから小さな瓶を一つ取り出し、テーブルの上に置く。
中に入っていた透明感のある山吹色の液体が小さく揺れた。
「一億一千万ギール。それが、私達の求める取り分で、私達のリーダーが求めている額です」
競売で得た額は二億ギールだ。となると、アーノルド達に渡るのは九千万ギールという事になる。
高額な、しかし先程よりも遥かにマシな額に、仲間たちが顔を見合わせる。
「アーノルドさん達もあれが億を超えるなど信じられないと考えていたでしょう? その通りです。アーノルドさん達が九千万ギールで、私達が一億一千万ギール、こちらの面目も立ち、アーノルドさん達も本来得られた以上の額を得られる。これで全て――手打ちにしましょう」
それは、絶妙な折衷案だった。
九千万ギール。二億と比べたら半分以下だが、アーノルドがその宝具に見込んでいた価格と比べれば遥かに高い。
何より、一億一千万ギールという額は確かに高いが《霧の雷竜》にとって固執するような額でもない。レベル8認定パーティとの諍いを回避出来るのならば安いくらいだ。理屈もまあ、納得できなくはない。
受けてもいい。だが――その余裕の態度が気に入らない。
アーノルドはレベル7のハンターだ。あまりにも見くびりがすぎている。仲間たちは及び腰だが、だからこそリーダーであるアーノルドは強くあらねばならない。
そもそも、シトリーの論調には一つだけ問題がある。鼻を鳴らし、シトリーを見下ろす。
「俺達から金が移動すれば、それこそ不正を疑われるぞ? どうするつもりだ?」
《嘆きの亡霊》がこの帝都でどれほどの勢力を誇っているのか知らないが、ゼブルディアを支配しているわけではないだろう。
風説の流布が公になれば困るのは《千変万化》も同じだ。そして、アーノルド達は最悪帝都を脱出すればいいが、《嘆きの亡霊》はこの街をホームタウンにしている。
シトリーはその問いに、液体の入った綺麗なガラス瓶を持ち上げ、これみよがしと揺らすと、くすりと笑った。
「ですから、このポーションを一億一千万ギールでお売りします。『解毒薬』です。強力なので、この一瓶で全員に効果があるでしょう。私は長時間待たされても何も思いません。むしろ、大量に摂取して貰ったほうが都合がいい。お酒、美味しかったですか? 浅学ですが、錬金術師の私が見たところ、アーノルドさん達に足りないのは――『耐性』です」
酒に毒を混ぜたのか!?
エイが、仲間たちが青ざめている。今のところ身体に痛みなどはないが、そう言われてみると酔いの回りが早いようにも思える。
ここは高級宿だ。酒場の店員が買収されている可能性は少ないが、部屋の鍵が破られている。
これまで常識人に見えていたシトリーが急にリィズよりも悍ましく見える。時計の針の音がやけに大きく聞こえた。
「さぁ……仲間とお金、どちらが大切ですか?」
§ § §
デスクにばら撒かれた無数の真っ白い破片を前に、首を傾げる。
時計の針は既に作業を開始して随分と時間が過ぎている事を意味していた。
疲労で滲む眼を揉みほぐし、固まってしまった肩を大きく動かし解す。ノックの音と共に、エヴァが入ってきた。
いつも何も置いていないデスクの惨状に、目を見開く。
「……何をやっているんですか?」
「ジグソーパズルだよ。白いやつね」
買ったまま放置してあったのを思い出したのだ。
本来のパズルとは違い全ピース白で、千ピースもあるため大変だ。
僕の趣味はジグソーパズルではないし、如何に僕がやることのない暇人だかわかる。
取り敢えず外側だけはなんとか作ったが、そこから先が遅々として進まない。頭がイカれそうだ。
エヴァが呆れたように机の上に視線を落としながら言う。
「…………何故いきなり」
暇だからだ。
だが、もちろんそんな事を正直にいったりはしない。ニヒルな笑みを浮かべ、パズルの欠片を持ち上げて言ってみせる。
「僕に出来ることは全部やったからさ」
ハードボイルドだろ?
出来ること少なすぎとも言える。
「…………本当に?」
「……そうだ! アークが帰ってきた時のために、お茶とかお菓子とか準備したいんだけど」
媚を売らねば。借金や貸しはできるだけ少なくすべきだ。
仮面が。《転換する人面》がもうすぐ手に入るのだ。立ち上がりかける僕をエヴァがすかさず止める。
「クランマスターの仕事ではありません。私が準備するので、何もしないで座っててください」
「一番いい奴ね。そうだな…………大丈夫だとは思うけど、お茶は精神的な疲労とかに効く奴がいいな。きっとお嬢様の相手で疲れているだろうし」
「はいはい」