87 危険な宝具
嫌そうな表情をしたり僕を睨みつける仲間を宥め、アーク達が早足でラウンジを出ていく。
僕の期待通り、アークはお願いを聞いてくれた。
内容が内容だけに具体的な事は何も言わなかったのだが、僕の言葉や現状からこちらの言わんとする事を察してくれたのだろう。
さすが、アーク・ロダンだ。帝国最強のハンターは懐の深さも最強だ。
僕はそんな万能なアークの事が大好きです。彼、回復魔法まで使えるんだぜ? 信じられるか?
何も出来ない僕とは大違いである。
高レベルのハンターはそのパーティのメンバーも強力な事が多いが、更にその上になると一転してソロハンターが増えてくる。
例えば、僕達《嘆きの亡霊》がハンターをやるきっかけになった、たった三人しか存在しないレベル10のハンター、エクシード・ジークエンスもソロだった。
突出したハンターというのは得てしてその周りがついてこれなくなるものなのだ。そして、それ故に高い万能性を持っている。
アークは宝物殿のレベルをパーティメンバーに合わせている。恐らく、ソロで活動したり、もっと強力なパーティに参加したほうがずっと早くレベルをあげられることだろう。
彼がハーレムパーティとはいえ、まだパーティを組んでいるのは超一流のハンターとして稀有な点かもしれない。
願わくばアークにはその優しさをずっと忘れないで欲しい。これからもお世話になります。
自分の交渉手腕に満足していると、ずっと機嫌悪そうな表情をしていたリィズが唇を尖らせ、僕の肩を揺らした。
「ずーるーいー。クライちゃん、アークちゃんの事、頼りすぎぃ! もっと私を頼って? ねぇ! ねぇ!」
「…………」
「ルークちゃんもいないし、シトと模擬戦するわけにもいかないしぃ、ティーは雑魚だし、腕が鈍っちゃう。ねぇ? なんでもするからぁ!」
リィズが媚びるようにすりすりと身体をこすり付けてくる。ペットか何かかな?
今なんでもするって言ったね? ……大人しくしててください。
実力的にはリィズに文句はないんだが、いかんせん気性が荒すぎる。僕は深々とため息をついた。
「リィズさ、僕が何を頼んだかわかってるの?」
「わかってるってえ。あのクソガキの所に行って、宝具を盗んでくればいいんでしょ? 任せて!」
リィズがどこか自慢げに笑みを浮かべる。倫理観が希薄過ぎる。
宝具は欲しいが、僕はそのために犯罪を犯したりはしない。
まるで旅行にでも行くようなテンションでリィズが指を折る。
「宝物殿と比べたら楽ショーよ。警備の騎士も所詮は素人だし、ルシアちゃんがいないから結界系がちょっと厄介だけど、捕捉される前に盗んで戻ってくればいいんでしょ? あ、そうだ! ティーを連れて行こうかな!」
やめてやってください。
昔はこんな子じゃなかったのに、荒事に慣れすぎであった。適性があったのかもしれない。
仮面はもう大丈夫だ。多分アークが持ち帰ってくれる。
良心であるシトリーが呆れたように姉を嗜めた。
「お姉ちゃん! クライさんが困ってるでしょ! 仮面の方はアークさんの方が適切だと判断した理由があるんだろうし、私達には私達のやることがあるんだから」
「やること?」
「金策」
即答するシトリーにリィズは目を丸くしたが、組んでいた足を下ろした。
何を納得したのか、小さく頷き、僕の方を見る。
「…………あぁ、そういうことね。ならしょうがないっか。アークちゃんに頼むわけにもいかないだろうしねぇ」
「ルシアちゃんが帰ってくる前に貯金の穴埋めしないと……丁度いいでしょ?」
何がちょうどいいのだろうか。全くわかっていない僕を置いてけぼりにして話が進んでいく。
やはり姉妹だけあって外部からはわからないシンパシーがあるのかもしれない。
リィズが立ち上がり、先程とは一転して機嫌の良さそうな笑顔を向けてくる。
「……なるほど……相変わらず、クライちゃんの計画は完璧、かも。うん、りょーかい。早いほうがいいよね? 久しぶりに、歯ごたえがあるかも? シト、準備しておけよ」
「わかってるって……」
「じゃー、先に軽く身体動かしておくね。クライちゃん、また後でねぇ。いい報告できるように頑張るから待ってて!」
ひらひら手を振りながら、リィズが軽快な足取りでラウンジを去る。あの様子ならアーク達を追って押し込み強盗をしたりはしないだろう。
何を頑張るつもりなのか知らないが、シトリーがいるなら大きな問題にはなるまい。
「では、クライさん。私も行ってきます。お姉ちゃんの制御は任せてください」
「うんうん、そうだね。穏便にね」
できれば僕も力になりたいところだが、僕がいても邪魔になるくらいだろう。
中身のない激励に対して、シトリーは小さく拳を握って微笑んでくれた。
§ § §
拠点に戻り、アーク達は装備を整えた。
と言っても、アーク達の本業はハンターである。宝物殿の探索の予定が入っていなかったとしても、最低限の準備は出来ている。
アークは剣士であると同時に魔導師だ。素手での戦闘も十分一流だが、魔法も使える。一般人は当然として、大抵のハンターが相手でもそう簡単に負けたりしない。
見た目以上の容量を誇るポーチ型の『時空鞄』は莫大な容量を誇る上に入れたものの腐敗を防ぐ特殊効果を持つ、ロダン家に代々伝わる超高級品だ。
各種ポーションはもちろん、食料品から野営のアイテムまで収まっており、あらゆる状況に対応出来る。
「本当に……行くんですか?」
「不安かい?」
心配そうに見上げてくる仲間の神官――ユウの灰色の虹彩に、アークは小さく微笑んで見せる。
他の面々も、一応リーダーであるアークの手前、文句までは言っていないが、どこか不満げな表情で準備を行っていた。
その手際の良さは一流のハンター相応だったが、何よりもそこにはまるでこれから高難易度の宝物殿に赴くかのように力が入っている。
《始まりの足跡》の特徴を一つだけあげるのならば、大体のメンバーは整備された福利厚生でも、若いクランとは思えない所属メンバーの戦力でも、巨大なクランハウスでもなく、クランマスターが時折持ってくる『千の試練』をあげるだろう。
それは万人に等しく降り掛かっており、当然ながらアークのパーティも例外ではない。
いや、アークのパーティはクランのナンバーツーである。どちらかというと一般のメンバーと比べて何か頼まれ事をする機会は多いほうだ。
どんなに大変な宝物殿の攻略でも、準備する間もなく唐突に降ってくる依頼よりはマシだというのは、アーク以外のメンバーの弁。いついかなる時でも装備のメンテを怠らず最低限の準備をしているのは、そのせいもあった。
ユウ・シイラギはその整った容貌を不安げに歪める。
「はい。クライさんは……その、アークさんをしょっちゅう巻き込んで来ますから」
「レベル8なんだから、自分でやればいいのに。アークさんも、甘やかしすぎよ」
宝物殿探索時と同じ純白のローブに身を包んだイザベラが深々とため息をつく。
確かに、アークはクライからの依頼はほとんど断らない。
アクシデントを恐れるくらいならトレジャーハンターなんてできないし、頼まれたそのいくつかは確かに誰かが動かなければ大きな被害が出ていたものだった。
「リィズやシトリーがいるんだから、自分でやるべきだとは思わない?」
同意を求める声に、アークが呆れたような笑みを浮かべた。
「イザベラはエクレール嬢にあの二人を近づけろっていうのか? 私にはそんな恐ろしい事はできないな」
「……それは……確かに、リィズとか、相手が十歳でも本気で喧嘩しそうよね。相手の地位とか欠片も考えていないでしょうし」
「……恐ろしい話だが、ありえるな」
イザベラの言葉に、剣士であるアルメルが厳しい表情で同意した。
《嘆きの亡霊》の強さは誰もが知る所だが、同時にその傍若無人っぷりも知れ渡っていた。同じクランメンバーであり付き合いの長いアーク達は一般的に知れ渡っている評判が少しだけ控えめである事を知っていた。
ちょっと血の気の多いマフィアのようなものだ。
「ルシアとアンセムがいれば話は別だけど、まだ帰ってきてないみたいだし――い、いや、でも、それなら自分で行けばいいじゃないッ! 貴族相手でもクライなら簡単に言いくるめられるでしょ?」
首をぶんぶん振って抗議するが、そのイザベラの声には先程までの力はない。
理性では判断が妥当であることを理解しているが、感情で納得し難いのだろう。
エクレール・グラディスはまだ子供だが、貴族の子供だ。高いプライドを持っている。
ましてや、エクレールはアークのライバルと言われているクライに対して風当たりが強かった。クライならばどうにでもできるだろうが、クライともともと親交があったアーク、どちらがうまくやりとり出来るかは見るに明らかだ。
「認めるんだ、イザベラ。そもそも、私達はグラディス家には縁がある。むしろ、厄介事があるのならば向かわなくては……クライに文句をいうのは少し筋違いだな」
それなりに付き合いのあるアークをしても、クライの思考は読み取れない。
だが、アーク以外のメンバーはともかく、アークにとって見ればこれまでの『千の試練』は目くじらを立てるほどのものではなかった。
救うだけの力があり、動機がある。
身支度を整え、最後に時空鞄から一振りの剣を取り出す。
白い艶消しのされた鞘に、鈍い金色の柄。装飾はほとんどなく、しかし鞘に収まった状態でも見る者を魅了する荘厳とした雰囲気を持ったロングソード。
初代ロダンが使ったとされる直剣型の宝具。
ロダンと共に歴史を切り開き災禍を祓ってきた聖剣――ヒストリア。
数ある剣型の宝具の中でも最強と名高き一振りは未だ斬れぬ物のない無双の刃だ。
本来、貴族の屋敷に武器など持ち込めないが、アークには許されている。
そもそも、剣の一本や二本取り上げられたところで、アーク・ロダンの戦闘能力は護衛の騎士たちを遥かに超えているし、グラディス卿もそれを理解している。
剣を持って行かない方がいいとは言われたが、聖剣は肌身離さず持ち歩いている武器だ。
アークはクライの事を信用しているが、同時に変に情報を隠し、試練を課そうとしている事も知っていた。
抜かなければ問題ないだろう。
準備は万端だ。後はエクレールの様子を確認するのみ。
と、同じように準備を終えたイザベラが形のいい眉を顰めて言った。
「でも、アークさん。間に合わなかったら『僕が悲しい』って、いくらなんでもふざけてると思わない?」
「…………イザベラは真面目だな。さぁ、エクレール嬢は今ならばグラディス卿の屋敷にいるはずだ。急ごうか」
「!? え? 何? 今の、私が悪いの!?」
あたふたするイザベラとそれに白い眼を向ける仲間たちをつれ、アークは何かが起こっているらしい屋敷に向かって歩きだした。
§ § §
二億ギールの大金を使って競り勝った仮面は驚くほど気味の悪いものだった。
話には聞いていたが、実物を見ていたら競りに参加していなかったかもしれない。
生肉をこねくりまわして作ったような仮面はまるで生きているかのように脈動し、エクレールに代わり受け取ったグラディス家の家令が眉を顰めるようなものだ。
エクレール嬢があのレベル8ハンターに競売で競り勝ったという事で、家のメイドや執事はエクレールを称賛したが、実物を見た瞬間、確かにその表情が変わった。
効果のわからない呪われた宝具。鑑定士からも危険判定を受けた、肉の仮面。
帝都の邸宅。競売が終わり、エクレールはずっと寝室に引きこもっていた。
カーテンを締め切り灯りを消した真っ暗な寝室にはエクレールしかいない。家具もほとんどなく、設置されているのは大きな天蓋付きのベッドとデスクだけだ。
初めの一日は余りの屈辱と怒りに声を殺し泣いた。二日目は癇癪を起こし、物に当たり、そして今残っているのは深い後悔だった。
何度も家の者が呼びにきたが、怒鳴り追い散らした。今の自分の姿を見られるのはプライドの高いグラディスの子女として耐え難い事だった。
情けを掛けられた。それだけでも耐え難いのに、手に入った宝具は見るも悍ましい出品者の正気を疑うようなものだった。
正面から打ち勝ち名誉と共に手に入れたとしても、これは尊敬しているアークに与えるには余りにも悍ましい。
人間の顔面の皮膚を剥ぎ取り表面を削ったらこの仮面の様になるだろう。肉の仮面とはよくもまあ言ったものだ。
数日前までは何としてでも手に入れようとしていた宝具は今、ベッドの横のデスクの上に打ち捨てられている。
譲られた勝利だけでも屈辱的なのに、実物を見た今、エクレールの中には何も残っていなかった。
頭ががんがんと痛んだ。食事は部屋の前に置かれていたが、ほとんど手をつけられていない。
ここ数日でなんとかエクレールは落ち着きを取り戻していた。だが、ベッドに横たえた身体には力が入らず、何をする気にもなれない。
精神は摩耗し、あれほど抱いていた千変万化に対する怒りすら残っていない。
私は――これから、どうしたらいいんだ?
朦朧とした意識のまま考える。
感情のままに行動し、二億の借金を作ってしまった。家のお金だが、返却する約束だ。
これから……どうする?
競売で打ち勝った肉の仮面を売る? いや、どこの商会も買い取ってはくれないだろう。あれにそこまでの値段がついたのは、エクレール自身が大きな要因になっている。買った額以上の額で売れる訳がない。
予定通りアークにプレゼントする? ありえない。勝ち取ったものでもない、効果もわからない宝具をプレゼントしたところで困らせるだけだ。
捨てる? ここまで苦労して手に入れたのに?
《千変万化》に売る? それこそ道化だ。
横槍を入れ、勝ちを譲られた上に、どんな顔をして売りつけるというのだ。
想像しただけで死にたくなってきて、エクレールは小さくえずいた。
答えのでない問答が脳内を渦巻いている。
ベッドの中で体勢を変え、デスクの上に放置してあった肉の仮面を見る。
余り汚い物に耐性のないエクレールにとっては、見るだけで吐き気を催しそうだ。
最初、効果が鑑定不可と聞いた時には鑑定士の不甲斐なさを笑ったものだが、実物を見ると鑑定士がそれを諦めた理由がよくわかる。
触れるだけでも嫌なのだ。被るなど正気の人間には出来ないだろう。
そこまで考えたところで、エクレールの脳裏に疑問がよぎった。
どうして《千変万化》はこの仮面を手に入れようとしていたのだろうか?
これを最初に欲しがっていたのは《千変万化》だ。事前に出品者に交渉までしようとして手に入れようとし、それを知り他のハンターたちや商会、そしてエクレールが横槍を入れた。
それだけの理由があるはずだ。
最強の宝具という噂は聞いていたが、実物を見てまでそれを信じる気にはならない。
――力が、欲しいか?
「…………へ?」
暗闇の中。脳内に不意に響いた声に、エクレールは弾かれたように起き上がった。
どこからともなく、冷たい空気が漂ってくる。
鬱屈した嗄れたような声だ。聞き覚えはない。
とっさに手を伸ばし、枕元にお守りのように置かれた剣を取る。
いつもは軽々と振れる剣が重い。引き寄せるだけで身体が持っていかれそうになる。
――見ていた。ずっと見ていたぞ。その嘆き、悲しみ、憤怒、そして――絶望。類稀な才能に輝く魂。肉体は脆弱だが――我慢するとしよう。我が力を下ろすのに相応しい。
「ッ……か、仮面が……喋ってる?」
ありえない。あれは見た目こそ悍ましいが、ただの宝具だ。宝具が喋るわけがない。
必死に自分に言い聞かせつつも、視線はデスクの上の肉の仮面に釘付けになったかのように動かせない。
慌てて剣を抜き、持ち上げる。左手を使い、お尻を動かし後退る。
魔物や幻影とは何度か戦ったことがある。だが、得体の知れない恐怖にその剣身はかたかたと震えていた。
「喋るだけではない。弱き者よ。我こそは人を進める者。脆弱な身に希望を与える者。一人とは好都合――『発生』した本分を果たすとしよう。『我が主』」
「ッ!?」
そして、暗闇の中、仮面が大きく宙に浮いた。
いや、正確に言うのならば、浮いているのではない。左右から伸びた無数の触手が手足のように本体を持ち上げているのだ。
ありえない。宝具というのは、持ち主による発動が必須なはずだ。エクレールはそれに触れてさえいない。
――あれは危険な宝具だよ。
以前、宝具の競売が始まる直前に交渉にやってきた青年の疲れたような表情と声が脳裏を過ぎる。
そして、肉の仮面が大きく笑みを浮かべ、エクレールの方に飛びかかってきた。